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第一話 世界は残酷で

 開いていただきありがとうございます。


 この世界は残酷だ。

 僕は手に握りしめた一枚の薄っぺらい紙をみながらそう思わずにいられなくて、嘆息した。

 もう何回目かわからないこの紙をもう一度見る。

『厳正なる選考の結果、残念ながら結城(ゆうき)雪晴(ゆきはる)様の採用を見送らせていただくことになりましたことをお知らせ致します。今回はご縁が――』

 それ以上読まなくても、もう何回も読み直しているからわかってる。くしゃりと紙を握りしめて思わず上を向いた。

「ははっ……これで最後だったのに……今まで五十社以上落ちて、これが最後だったっていうのになぁ……。最終選考まで、いったのになぁ……」

 これが、就職難、か。乾いた笑みしか出てこないなぁ、もう。

 ヒュウ、と冷たい風が僕を打ちつける。空は青い。快晴だ。それもそうか。雨上がりなんだから。僕の心に打ち付ける冷たい雨はいつまで降り続けるんだろう?

 もう、選考を(おこな)っている会社はないはずだ。大学も卒業式を迎えた後だ。今頃入社式の準備にでも追われているんだろう。こうやって大学卒業で路頭に迷っているのは、僕みたいな|ドロップアウト(三流バカ)ぐらいか。ははっ。本気で笑えてくる。

 それにしても、母さんと妹――弥生(やよい)になんて言い訳しよう。あんな大見得切ってたのに。

 だらりと肩の力を抜いて、俯きながら重たい足を必死こいて動かす。もうすぐ家だ。今なら誰もいないはず。腕時計は九時を指しているし、そもそも朝早くにきた郵送を受け取って、一人で見たいから公園に出てきたというのに。今日は平日。母さんは仕事あるし、弥生はあれだ、高校があるはず。だから今は誰も居ない。

 そう思うと途端に足が軽くなった。さっさと家に帰って、引きこもろう。そうだ、今日はいっその事誰か友達のところで飲み明かしたって良い。僕は酎ハイだけどさ。そうだ、酎ハイを買おう。確かそれぐらいのお金ぐらい――

「――雪くん」

 澄まされた声が耳に届く。ハッとなって顔をあげると、そこには複雑そうな表情を浮かべた女性が立っていた。

唯那(ゆな)……」

 俺の、幼馴染。背は小さくて童顔。フワフワっとした性格を表したかのようなはねっ気のある髪。

 女子高生みたいな身体をしているけど、僕なんかよりよほど大人だ。だってもう、就職先があるんだから。

「――ねえ、雪くん」

 心配する声? 違う。

「雪くんのお母さん、『雪晴がやっと就職先が決まった』って喜んでたけど、本当なの?」

「ぅ……」

「ねえ、雪くん。その反応って――」

「違う!」

 思わず否定の言葉が飛び出した。否定する必要なんて無いのに。否定しても何も変わらないのに。でも。

「違う……違うんだ……僕は……ぼくは…………!!」

 僕は頑張った。頑張って大学にも入った。頑張って勉強した。やりたいことはなかったけど、なんでもできるように努力もした。弥生の良い兄であろうと頑張った。頑張ったんだ。なのに、なのに……!

「なにが、違うの?」

 そっと手を握られて問いかけられる。ひどく、温かい手だ。それほど僕の手は冷え切ってるのか。

「何が違うの?」

「……っ」

 優しく諭そうとしている。そんなのは頭でわかってる。

 でも、感情が抑えきれない。

「……お前、僕を嘲笑ってるんだろ?」

「……え?」

 目を見開いて僕をみてくる。その表情を見ればわかる。唯那はそんなこと思っていない。

「僕を嘲笑って何が面白い? 努力が水の泡になって面白いか? 夢がなかったから失敗して当然だと思ってるだろ?」

 口調が荒くなる。そんなこと思ってない。思ってないのに! なんで唯那に当たってるんだ僕は!

「あ、ぅ……!」

「僕は出来損ないだ。唯那と違って、僕は、クズだ」

「っ! 違う!」

 涙を溜めて僕の手をぐっと握る。でも、僕はそれをおもいっきり振り払った。その衝撃で唯那が尻を付く。

「うっ。ち、違うから。私は、雪くんのこと……」

「バカだと思ってるんだろ?」

「ち、ちがっ!」

 僕はそのまま走り去る。もう何も言いたくない。口を開いたらこのグチャグチャな感情をぶつけることしか出来ない。それを、唯那にぶつけるのはもっと嫌だ。

「ごめん、唯那っ」

 走りながらそう呟いた言葉が、唯那に届いていればいいだなんて、そんな都合の良いこと、起こらない。

 このまま消えてしまいたいという思いも、どこにも届かないんだ。

 水が一筋頬を撫でる。その雨はきっと、しょっぱい。



 ◆



 そのまま家に帰る頃には、感情もだんだん落ち着いてきた。唯那にまで八つ当たりをして、僕は本当にクズだ。

「もう、消えたい」

 自分の部屋に戻ると、ベッドに横になる。そういえば手の中が涼しい。なんとなく握っていた手をみると、いつの間にか底にあった不採用の紙はどっかに飛んでいった後だったみたいだ。

「紙は、消えようと思えばすぐに消えられるのに」

 なんで人間はすぐに消えることが出来ないんだろう? 猫だって死ぬ時は飼い主の前からふらっと姿を消すというのに。

 僕は別に死にたいわけじゃない。この辛い現実から、消耗した精神が()えるまでどっかに行きたいだけ。

 ふと、机に視線を向けると、僕の『現実』がいやというほど入り込んできた。

 不採用通知の山、山、山。この不採用通知が届く度に、次があると(かて)にしてきた。今まで資格を取る時も、失敗した時のことを思い出しながら、それか前に失敗したことを証明するものを見て必死に頑張ってきた。その、糧は、今日だけは報われなかった。

 最終選考で落ちたこの結果は、僕の心に決定的なヒビをいれるのに、充分だった。

「ハハハッ……」

 乾いた笑い声しか出てこない。別に就活なら来年すれば良い。だけど、それは違う。違うんだ。そう考えるのは、努力をしていない人だけなんだ。

僕は一生懸命努力をしたのに。弥生の良い兄でいたいのに。弥生の秀才ぶりに、負けたくなったのに。

「……もう、デスゲームとかに閉じ込められたい」

 最近はよくある話だ。ゲーム制作会社のトップがお遊びでゲームの世界に閉じ込めて、そのゲームのクリアを目指させるという話。

 でも、そんな話は、小説の中でしか無い。僕らの科学技術はいまだ2Dが限界。そんな荒唐(こうとう)無稽(むけい)なこと、起こりもしない。

 ベッドから這い出て、僕は現実に目を向ける。そして、その机の上にあった紙くず(・・・)を全部ゴミ箱に突っ込んだ。

「高望みは、もう過ぎた」

 夢を見ようにも、見れない。

 弥生に勝とうにも、勝てない。

 努力をしても、報われなかった。

 もう、僕に残ってるのは、ニートだ。社会の底辺のニート。

「……もう、寝よう」

 さっきまで晴れていた空は、どんよりと曇り空が漂い始めていた。



 ◆



 次に目が覚めたとき、なぜか弥生が僕の傍に立っていてびっくりした。

「や、弥生!?」

「えっと……ご飯」

「ごはん……?」

「うん。夕ごはん」

「ああ……もうそんな時間か」

 空を見ると、雨がざあざあと音をたてながら降りしきっていた。窓に近づくと、家の塀近くに傘っぽいのと、その塀の上に爛々と目を輝かせる何かがいた。

「ひっ」

「……お兄ちゃん? どうしたの?」

「な、なんでもない」

 弥生に苦笑いしながらカーテンを閉めきると、弥生の後ろを追う。

「……弥生。大きくなったな」

「そう?」

 階段の前で、長い黒髪をなびかせながら僕を振り返る。少し前まで僕のお腹ぐらいまでしかなかった気がするのに、今では僕の胸まである。育つところはあんまり育ってないみたいだけど……そこは僕が気にすることじゃない。

「それに、綺麗になった……」

 綺麗な黒髪もそうだけど、それを抜いたとしても立ち振舞いや仕草、女性としての独特の丸みがあるにも関わらず、スリムだ。それに、薄化粧もしている。いつのまにこんな色気づいたんだろう……。

「……お兄ちゃん、知ってる?」

「なにをだ?」

「最近の流行(はや)りは……義理の妹」

「ブッ!」

「そして私は、義理の妹。流行りに乗ってる」

「そ、そんな事言うような子に育てた覚えはありません!」

 いつから弥生はこんなことを言うようになったんだ。……確かに、弥生は義理の、とはつくけど。でも、僕の立派な妹だ。それこそ、コンプレックスを抱いてしまうほどに。

「……お兄ちゃん?」

「ご、ごめん。なんでもない。さ、早く行かないとご飯が冷めちゃうから」

「……そう。後一つだけいい?」

「なんだ?」

「女の子はね、恋をすれば、綺麗になるんだよ」

 その笑顔は、今の暗い感情に取り込まれそうな僕にとって、とっても綺麗に映った。

 だから。

 弥生が恋しているやつを思いっきりぶん殴りたくなったのは、八つ当たりでも良いはずだ。

 少しモヤモヤとしながら階段を降りる。大丈夫。僕が言わなきゃ、あの結果はわからない。大丈夫だ。大丈夫…………。

「お兄ちゃん。そういえば、今日は――」

「よーっし、いただきまーす!」

「……んっ。いただきます」

 ……今、弥生がなにか言いかけたのは、気のせいだ。うん。

 そういえば、今日は母さんも父さんもいないな。

「なあ、弥生。母さんは?」

「……さっき、父さんを迎えに行った」

 じゃあさっきの傘は母さんだったのかな。まあ、いいか。おかずの唐揚げを一個口に含む。

「そうだ、弥生。弥生ってどこの大学受けるんだっけ?」

「近くの……国公立。静音大学」

 国公立。しかも、僕が入れなかった場所か。……本当に、こいつには叶わない。

「そうかぁ。がんばれよ?」

「うん。お兄ちゃんも、頑張って」

 ズキンッと心が痛む。

「あ、ああ……」

 知らない。何も知らない。弥生は何も知らない。

 だから、もう少しだけ、弥生には幻想を観ていて欲しい。



 ◆



 夜になり、自分の部屋で気を紛らわせるために音楽を聴く。そしてそろそろ寝ようと思ったとき、三回ノックがされた。ちらりと時間を見ると、すでに0時を回っている。

「お兄ちゃん、入っても、良い?」

「ダメだ、弥生。もう寝なさい」

「少しだけ、お兄ちゃんとお話したくて」

「……少しだけだぞ」

 寝転がっていた身体を起こし、扉を開けると、少し決まりが悪そうにコーヒーが入ったカップを二つ持って微笑んでいた。まあ、夜が遅いのはわかるけど、

「なんでコーヒーなんだ……。紅茶があったでしょ?」

「紅茶……切れてた」

「そっか」

 明日、買っておくか。そうだな、少し早いけど、弥生にささやかな合格祝いってことで高いのを買おう。

 弥生を中に迎え入れるときにコーヒーを貰う。そのまま弥生はポフッと僕のベッドに座った。

「……あれ? 弥生お風呂に入ったばっか?」

「うん……今日はちょっと、遅くなった」

「そっか」

 乾かしたんだろうけど、ふわりと香るリンスの匂いに、少し濡れている髪が妙に色っぽく見える。なんて考えていると弥生と視線があった。くすりと微笑んだかと思うと、ゆっくりと口を動かす。

『へ ん た い お に い ちゃ ん』

 おい。誰が変態だ。僕は健全とした男であって、別に義理だろうけど、妹に手を出そうなんて全く考えていないんだから。

 はぁ、と溜息を吐いてコーヒーを一口飲む。……本当、なんだろうね。

「弥生さ」

 じろりとみると、テヘッとわざとらしく拳を頭にのせて舌をだした。

「砂糖、切れてた?」

「疑問系な上に砂糖な昨日買ってきたばっかだろ?」

「お兄ちゃんが、食べてた」

「糖尿病になるわっ! ったく。ただでさえコーヒーには眠れなくなる成分が含まれているって言われてるのに……」

「……今夜は寝かさないぞ?」

「それは男が好きな女の子に向かって夜に……じゃない! どこだ、どこでそんな知識を手に入れた!?」

「お兄ちゃんの、ベッドの下にあるダンボールの中の奥底に、不自然にダンボールが敷き詰められてある部分の底を取り払ったとこの、その……」

 そこまで言うんだったら、最後まで恥ずかしがらずに言ってくれよ。十八禁本だって言ってくれよ! 僕が恥ずかしいよ!

 二人して顔を真赤にする。ゴクリと苦いコーヒーを飲んで、頭を冴えさせる。

「そ、それで、だ」

 話題転換しよう。

「今日は、どうしたんだ? 早く寝ないと肌に悪いぞ?」

「うん……」

 うん、と頷くだけで何も言おうとはしない。弥生はコーヒーを机に置くと、僕を自分のところまで引き寄せて腕にしがみついた。その表情は、とても不安そうだった。

 こういうとき、弥生は僕を求めてる。だから、僕もコーヒーを机に置いてそっと隣に座ると、ゆっくりと、身をすべて預けるかのように寄りかかってきた。

 さっきと同じふわりと香るリンスの臭いに、しっとりと濡れている髪が服越しにもしっかりと伝わってくる。それに加えて柔らかい、女の子特有の感触。思わず心臓がドキッと飛び跳ねた。……いや、ダメだろ。義妹は結局は赤の他人。でも、僕は弥生を本当の妹のように見るって決めているんだから!

 (しばら)く弥生の頭を撫で続ける。頭を撫でるといつも安心したように表情が柔らかくなっていくから。ゆっくりと、優しく。

 すると、すでにうつらうつら、を通り越して寝息を立てていた。寝るの早いな。

「結局、なんだったんだろ……?」

 お兄ちゃんと一緒に寝たい、というのはもう卒業していると思う。それは自然と無くなったぐらいだし。

 とにかく明日聞くか。今日は下のソファで寝よう。

 そう思って立ち上がろうとした時、服の袖が抓まれているのに気付いた。

「おに……ちゃ……」

「……ははっ。可愛いな、もう」

 今日は、添い寝してあげよう。僕も、弥生に癒やされたいし。添い寝されるというのが正しいのか? まあ、どっちにしろ、ズタボロにされた心が少しでも癒せれるというのならば、とそのまま弥生と僕に布団を被せる。

 もうすぐ春だけど、夜はまだ冷える。僕は弥生を眺めたままうつらうつらと睡魔に襲われた。

「すき……おにぃ、ちゃ……」

 意識が暗闇に呑まれる寸前、聞こえたのは、そんな言葉だった気がする。


 お読みいただきありがとうございます。


 おさらい:義妹大好き。

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