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燃え上がる思い

 ジメジメした梅雨も段々と勢いを弱め、本格的な夏に変わり始めた7月初めの今日この頃……。

 俺は夕暮れに染まる教室の窓を全て全開にして、夕涼みを楽しんでいた。

 教室の中は俺以外、誰も居ない。

 つまり、独り占めだ。

 窓の外からはグランドで活動している野球部の姿が見える。

 時折、汗を拭うその姿を見ていると、自分がこうしてカーテンをなびかせる風を浴びても良いのか、と申し訳ない気持ちになる。

 ………少しだが。

 夕涼みといえば…俺は着物を着て、足を冷水で一杯になったタライの中に浸し、冷たくなった胡瓜や冷奴を食べながら、団扇を扇ぐという想像をしてしまう。

 そういえば、この前買った小山田の所の豆腐は旨かった。

 また、買ってみるか……。

 そんな事を考えていると、誰かの視線を感じる。

 思わずドア付近を見てみると、そこには一人の女子生徒が居た。

 女子生徒はかなり小柄で眼鏡を掛けており、黒髪のショートボブ。一見すると、小学生と間違えそうだ。


「………何か用か?」


 まだ俺の事を見ているので、用があるのだろうと思いながら声を掛ける。

 我ながら、無愛想で素っ気ない尋ね方だ。


「………別に」


 しかし、女子生徒も無愛想の点では負けていなかった。

 その上、そいつはそれだけ言った後、何事も無かったかのように何処かへと行く。

 中々の強者だ。もしかすると、俺と同種の人間なのかも知れない。

 ………そういえば、昔……似たような奴が中学校に居たような……………無愛想で互いに罵り合っていた反面、何かと趣味が合っていたという何とも奇妙な関係だったが…。


「ん? 大檎じゃねぇか、珍しいな」


 その人物との思い出に浸っていると、教室に聞き覚えのある声が響く。

 それを聞いて、俺が再びドア付近を見ると、そこには友人である武藤むとうひろしが立っていた。


「また居残りかよ?」


「違う、夕涼みだ」


 用意していただろう問いに、こちらも用意していた答えを返す。

 浩はそんな受け答えには気にせず、こちらに近付いてきた。


「もう帰るだろ? どうよ、久し振りにどっか寄ってかね?」


「どこに寄るんだ?」


「う〜ん………まぁ、それは行きながら決めるということで……」


「アバウトだな……」


「アドリブの方が楽しみがあるじゃんか! ほら、早く行こうぜ!」


 急かす浩に促され、俺はしぶしぶ全開にしていた窓を閉めて教室を後にした。

 そして、浩と共に廊下を歩きながらふと思う。

 そういえば、そろそろ夏休みだ。

 夏休みが始まれば、こうしてのんびりと放課後を過ごす……ということも無くなるだろう。

 なにより、あのミカンとも顔を会わせなくて済むのだから、それはそれで良い事だ。

 ミカンこと三浦みうら柑奈かんなとはとある一件以降、なにかと縁がある。

 別に嫌いではないし、嫌な奴でも無い。寧ろ、良い奴の部類だろう。

 だが、奴はあらゆることに興味を持ち、それらに俺を自然と巻き込んでいく。

 ある時は待ち伏せされ、ある時は散歩がてらいきなり謎を解かせにかかる。

 傍から見れば女子からのデートに誘われ、羨ましいシチュエーションなのだが、その度に俺の頭は学校の授業以上に働かされるのだ。

 いや、それ自体は別に良いのだが毎度サプライズの如く、いきなりそれを提示されるのが困るのだ。

 そんな訳で俺にとっては夏休みが来ることは大変嬉しいことだ。まぁ、それは俺に限ったことでは無いが……。


「そういえば、さっき女子が教室を覗いていたな……誰かに何か用があったのか?」


「いや、特に何も用は無かったみたいだ」


「なんだ、そうなのか。それにしても、三浦といい、さっきの女子といい……お前、高校に入ってから女子運ハンパなくないか!?」


「……なら、代わってみるか? 外面と中身が違うということがよく分かるぞ?」


「あ、いや……それなら良いや」


 浩はそう言うとおもむろにグラウンドへ視線を移した。


「そういえばさ……今年の夏の高校野球って、確か夏休みに入る前だったよな?」


「それがどうした?」


「いや……やっぱり勝ち進んだら俺達の夏休みって野球部の応援の日々になるのかなってさ……」


「まぁ、野球部の親御さんやOBだけじゃ無理があるな……とはいえ、負けて欲しいとも思わないが……」


 俺は浩が言わんとしていることが目に見えて分かった。

 いや、別に予知能力や読心能力の類いがある訳ではない。

 それらには強く興味をそそられるが、そんなのを使わなくたって……俺以外の奴にだって分かることだ。

 だから俺はストレートに言い放った。


「素直に言ったらどうだ? 『貴重な夏休みを野球部の応援で費やしたくない』と」


「ばっ!? そこまでは流石に思ってねぇよ!ってか、お前はどうなんだよ?」


「俺は応援の日々というのも悪くないと思っている。家でダラダラ過ごすより、ある意味で充実した夏休みを送れそうだしな。それに、甲子園にも興味がある」


「だったら、応援団にでも野球部にでも入れば良かったじゃねぇか」


「生憎、長く続ける分には興味はないんでな」


「……飽き性め」


「まぁな」


「褒めてねぇよ!」


 飽き性、確かにそうだろう。

 だが、俺はそれで良いと思っている。

 一球入魂……その道一筋に生きるのも良いだろう。継続は力なり、だ。

 けれど、短い人生の中ではあまりに勿体無い気がする。

 どうせなら、自由に色々なことに目を向けても良いのでは無いか?

 まぁ、好きで部活動を選んだ訳だからそれも自由ではあるが……果たしてそれは本当に自由なのだろうか?

 よく学校は社会の縮図と喩えられる。

 それを踏まえると部活動や委員会といった社会でいう所の会社みたいな組織を選択して入る時点で、それは根本的な自由では無いのではないか?

 とはいえ、そこまで自由について追求すると収集がつかなくなるのでここで止めよう。社会の縮図とはいえ学校は所詮、学ぶ所なのだから……。

 要するに飽き性だろうが、我慢強かろうが自分が好きなら良いのだ。

 幸か不幸か分からないが、現在の俺にとって好きなものは自分の興味をそそるものとコーヒーだ。

 もし、この槝原高校に珈琲部やバリスタ部なるものがあれば、俺は迷わずそこに入っただろうが、残念なことにこの学校には料理部やお菓子研究会なるものしか無い。

 余計なオプションには興味は無い。


「まぁ、応援云々はともかくとして……今年の野球部は強いのか?」


「……頑張っている姿は見ているがな。第一、それを俺に聞くか?」


「そうだな。お前に聞く質問じゃなかった」


 その後は浩も俺も軽い雑談をしながら正面玄関まで行き、靴を履き替えて校舎を出る。

 外は夕方にも関わらず昼間のように暑い。

 こんな時は打ち水代わりに夕立が一雨来れば良いのだが、降ってくる雨といえば、ひぐらしの鳴く蝉時雨で気温は下がるどころか、上がっているような錯覚に囚われる。

 校門を目指しながら何気なくグラウンドを眺めて見ると、陽炎がユラユラと揺れており、俺は一瞬だけトースターで焼いた食パンを連想してしまった。

 どうせなら、マドレーヌやホットケーキといった洒落たものを連想すれば良いのに第一印象がこれである。

 いや、想像力が乏しいのは暑さのせいだ。きっとそうに違いない。


「さっさと帰ってコーヒーを飲みたいものだな」


「せめて冷たいコーヒーと言え! もっと暑くなるじゃんか!」


 グラウンドには人の姿はなく、さっきまで活動をしていた野球部員達は皆、水飲み場で人だかりを作っている。当然だろう。

 かくいう俺はもうすぐで学校を出る。

 夏の大会に向けて野球部は頑張ってくれ。

 そう、心の中でエールを送った時だった。


「あっ、リンゴ!」


 聞き覚えのある……というより、聞き慣れ始めた声に俺は足を止める。

 そして、声のした方を振り返ると、そこには…………学校指定の夏服であるワイシャツとミニスカートに身を包んだミカンが立っていた。


「……ミカンか、何か用か?」


「うん、丁度探してたんだぁ〜。実は……」


 ミカンがそう言い始めた途端、俺は一から十を知り……その先を聞かない為にもその場から一気に駆け出した。

 目指すは校門だ!




 ✼✼✼✼✼✼✼✼✼✼✼✼




 あたしは放課後、水林みずばやし大檎だいごことリンゴを探していた。

 理由としてはある人から頼まれたことがあたし一人の手では余るからだ。

 勿論、傍には鈴木すずき桃香とうかちゃんことモモちゃんも居たが、今回行く場所に関しては女子二人だけでは心許ないのだ。

 だからこそ、校門に向かおうとする武藤浩ことブドウとリンゴを見つけた時には内心、安堵したのに…………リンゴときたらこちらの用件も聞かずにいきなり逃げ出すなんて!

 まぁ、今まで謎を解くようにあれこれと仕向けたのはあたしだから仕方ないんだけど……。

 あたしは咄嗟にブドウの横を瞬時に通り抜け、リンゴも通り過ぎて逆に回り込む。


「速っ!?」


「……っ」


 校門まであと一歩という所であたしに回り込まれ、軽く舌打ちをするリンゴ。

 夏服である半袖のワイシャツを出し、そのボタンを全て開け、中に着ているシャツを見せた姿はそこら辺にいる不良と大差無い。

 傍にいるブドウの方がちゃんと着こなしているぐらいだ。

 だが、そのワイシャツにはシワ一つもなく、ヨレている様子も無い。

 身なりにはそれなりにしているらしい。

 本当に最低限だけど……。


「なんで逃げるの!」


「お前と関わるとロクなことにならないからだ」


「良いじゃん! 最後には解決しているんだから……終わり良ければ全て良し!」


「この天気と気温でもそんなことが言えるか? 今日は始めから終わりまで良いことなんて一つもない」


「それはやってみなくちゃ分からない!」


「やらなくても分かる。俺を熱中症で殺す気か?」


「そんなことはさせない! ……かも知れない」


「なんだよ……その自信の無い返事は……」


「まぁまぁ、大檎。なんか面白そうだし……行ってみねぇか?」


「お前が行け。俺は興味がない」


 全く釣れない……このリンゴにおいて女子や友人の泣き落としや頼み事なんて通用しない。

 リンゴに通用するのは彼が興味を持つことだけ……。

 興味が無いことには関わらない……リンゴの信条であり行動理念そのものであり、あたしにとっては大きな壁。

 逆に言えばどんなくだらないことや些細なことであれ、リンゴが興味を持てば芋づる式に解決する。

 つまり、興味を持てせるか否かが勝負の分かれ目なのだが……リンゴは自分自身をよく知っているらしく、その話しすら聞こうとしない。

 だけど、あたしは知っている。

 この世には三つ、リンゴが抗えないものがあるということを……。

 一つは“彼自身”が興味あるもの。

 もう一つは……


「そっか。残念…………せっかく、冷たいコーヒーを飲みながら、と思っていたんだけどなぁ〜」


「な、なん……だと?」


 おぉ、リンゴが目を見開いて驚き、声を詰まらせてる。

 リンゴのこんな顔初めてみたかも。

 だって、いつも無表情で喜怒哀楽が顔に無いんだもの。

 そう、もう一つはリンゴの大好物であるコーヒーだ。

 以前、とある密室の謎を解いた時……あたしはリンゴがコーヒー豆を買うほどにコーヒーが好きだということを知ったのだ。


「学校の自販機で良ければ……だけど。ブドウも一緒にどう?」


「おっ、マジで! ……というか、ブドウって、もしかして俺のアダ名か?」


「うん」


「そうか……まぁ、変なアダ名じゃねぇからいっか。それより、大檎。せっかくだからご馳走に預かろうぜ!」


 ブドウは言い終わらない内に自販機のある所に向かい始める。

 そんな友人の姿を見たリンゴは呆れながら溜め息を吐いた。


「誘いを受けたのは俺なんだが……お前が喜び勇んで行っちゃ駄目だろう」


「リンゴはどうするの?もし、ここで帰られたらあたし……何の用も無かったブドウにただでコーヒー奢るだけになるんだけど……」


「……分かっている。仕方ないから話しだけでも聞こう」


 リンゴはくるりとあたしに背を向けると校舎へと戻っていく。

 リンゴが抗えないものの最後の一つはこれだ。

 彼には女子や友人の泣き落としや頼み事は効かない…………けれど、知人が不利益をこうむりそうになった時や巻き込まれた際はなんやかんや言いつつも自分も加わる。

 冷淡ではあっても冷酷では無い……分かり辛いけど、それがリンゴだ。


「ありがとう!」


「……流石に女子に奢らせておいて、帰るのはな。……で、用件はなんだ?」


「うん、実はね。あたしの友達が野球部のマネージャーをやっているんだけど……」


 あたしはリンゴの隣に駆け寄って、歩きながら事の顛末てんまつを話した。


 あたしの友人であり、野球部の新人マネージャーである佐々ささき美乃里みのりは夏の大会に向けて、マネージャーとしての仕事に精を出していた。

 準備やスケジュール……それらを先輩マネージャーから日々学んでいたが、そんな中、昨日……野球部の部室の一つ、物品庫にてある事件が起こった。

 槝原高校では道具を多く有する部活に限り、特別に部室が二つ提供される。物品専用として、とのことらしい。

 事件はその野球部の物品専用部室で起こった。

 昨日の部活動が始まる前、美乃里は野球部員達と共に物品庫を訪れた。

 鍵を開け、練習に必要な物を取り出そうとした時……美乃里と野球部員達は驚いて声を上げた。

 そこには焦げたボールやバットがあり、物品庫内が白いモヤのようなものに包まれていたのだ。

 幸い、室内と室外に出火している所は見当たらず、ボールやバット、グローブも消失はしていなかったが、野球部内は謎の事件で大騒ぎとなった。

 しかも、この事件には不可解な点がいくつかあった。

 一つ、出火したと思われる場所が鍵の掛かった室内であること。

 物品庫の鍵は基本、キャプテンと先輩マネージャー、コーチである顧問の三人が所持しているのだが、三人共……一昨日鍵を掛ける際には室内に誰もいないことを確かめ、鍵を掛けた。

 美乃里は先輩マネージャーから鍵を借りたのだ。

 つまり、この三人以外の人は鍵を持っていないことになる。

 物品庫扱いの部室の鍵は体育館や特別教室のように学校側では管理しない。

 鍵の数が膨大になるからだ。

 その為、少人数によってその部内で管理することになっている。

 もう一つは出火元と思われる場所が室内にあったことだ。

 室外には特に焦げた様子はなく、室内の隅の方……運動でよくグランドにラインを描くラインパウダーにはっきりとした焦げ跡があった。

 その周りには被害にあったボールやバット類があったので、出火はそこで間違いないのだが、どうやって燃えたのかが分からない。

 話しを聞くと物品庫内は換気扇があるだけで、窓はおろか壁に隙間すらない密室だというのだ。

 一部ではこの謎を聞いた生徒が嫌がらせだの大会優勝を狙う他校の陰謀だのと噂している。

 もし、これが誰かの嫌がらせによるものなら野球部は犯人が捕まるまで練習を中止するしかない。

 だけどそれは、大会の近い野球部にとっては避けたい……だから出来るだけ大きな問題になる前に解決したい。

 美乃里は落ち込んだようにあたしにそう相談してきたのだ。


「……密室転送から今度は火事か……」


 生徒がほとんどいない為、暗くなった学校の購買部であたしから缶コーヒーを受け取ったリンゴは唸るようにそう言った。

 ブドウも話しを聞きながら缶コーヒーを飲み、話しを終えたあたしは冷たい紅茶で喉を潤す。


「あぁ、その話しは朝のHRで聞いたぜ。全く、妙だよなぁ」


「俺は聞いてないぞ?」


「そりゃあ、お前は爆睡してたからな」


 ブドウは呆れるように言う。

 本当にこれだけ聞くと、リンゴが不良みたいだ。


「話しじゃ、この夏の大会の対戦校がスパイを使って放火したとか……」


「面白いが荒唐無稽な考えだな。だが、俺にとってはそっちが好みだ」


 呆れる訳でもなく、缶コーヒーを飲み続けるリンゴ。


「……で、ミカン。俺にどうしろと言うんだ?」


「あれ? 興味持たなかった?」


「多少は持ったがな……」


「持ったんだ?」


「少しだけな。だが、今回はお前が相談を受けたんだからお前がなんとかしろ。代わりに……」


 リンゴはそう言い掛けると飲み終わった缶をゴミ箱に投げ入れる。

 缶は軽快な音と共にゴミ箱へ吸い込まれるようにして入った。凄いシュート力!


「野球部には俺達も付いて行く。あんな男だらけの場所、部外者の女子二人には流石にキツいだろ?」


 そう言ってリンゴは自身の後方を親指で指す。

 すると、そこの物陰からこっそりモモちゃんが顔を出し、驚いていた。


「どうして分かったの!?」


「お前の後ろの窓ガラス……丁度、暗くなって鏡みたいになっている為か、鈴木の姿が反射して丸分かりだ」


 見ると、なるほど……確かに購買部のある食堂内は薄暗いせいか、窓ガラスが鏡の役割を果たして、僅かに室内を投影している。


「おぉ、流石リンゴ……」


「別に流石でも無いだろう……さて、行くか」


 リンゴは一人食堂を後にしようとする。

 その傍ではブドウがモモちゃんと何やら話している……自己紹介でもしているのかな?


「俺、武藤浩っていうんだ。君、確か講堂の時に三浦と一緒に居たよな?」


「はい、鈴木桃香といいます。よろしくお願いします、武藤さん!」


 あの二人……なんだかこれからも仲良くやっていきそう……。

 そんな二人の姿に、あたしは笑みを浮べながらリンゴの後を追っていった。




 ✼✼✼✼✼✼✼✼✼✼✼✼




 ミカンから事情を聞いた俺は浩、鈴木を伴い、四人で野球部の部室前に来た。

 部室の前では既に一人の女子生徒が誰かを待つように立っている。


「あっ、柑奈!」


「やっほ〜! 美乃里〜!」


 ミカンに親しげに声を掛けて近づいてくる辺り、この女子生徒が新人マネージャーの佐々木美乃里なのだろう。

 髪をポニーテールにし、明るい振る舞いは絵に描いたような運動部マネージャー……だが、俺の目からはミカンと同類にも見える。


「桃香も来てくれたんだ! っと……柑奈、こっちの人達は?」


「あ、うん。この二人は野球部に行くに当たって同行を頼んだ二人で……」


「俺は武藤浩! よろしく!」


「……水林大檎だ」


「よろしく! アタシは……多分もう聞いたと思うけど、佐々木美乃里。野球部のマネジをやってるの」


 そう軽く自己紹介を済ませると佐々木はミカンと鈴木の方へ苦笑した。


「やっぱり、硬派な男連中がいる野球部は女子二人にはハードルが高いか〜」


「まぁ、まだね……」


「怖いですよ〜……」


「まぁ、声とかデカいからな〜……男でもビビるよ」


「だが、どんな日でも毎日頑張っている……そういった連中は意外と気が良いぞ? 怖がる必要は無い」


 そう俺が言った瞬間、突然佐々木が驚いたようにジッと俺を見据えた。

 ……何か変なことを言っただろうか?


「……どうした?」


「いや、うん……ちゃんと見てくれている人も居たんだなぁ……って思って。ほら、野球部の練習なんて普通だし……」


「何を言ってるんだ? 練習をするのは普通のことだろう?」


「うん、まぁそうだけど……とにかく、ありがと。じゃあ、そろそろ行こっか?」


 佐々木はそう言うと自ら案内をする為、俺達に背を向けて物品庫の鍵をクルクルと指で回しながら歩き始めた。

 その時の佐々木の顔には少しだけ笑みが浮かんでいた。

 ……なんだかよく分からないが、会って早々邪険にされるよりはだいぶマシだ。

 そんな佐々木の後ろを付いて行くようにミカンと鈴木、浩が歩き始める。

 俺は最後尾だ。

 やがて、大した時間も掛からない内に例の物品庫に到着したのか、佐々木がとある部室の前で止まる。


「はい、到着! ちょっと待ってて、今鍵を開けるから……」


 佐々木がいそいそと鍵を取り出し、解錠している間、俺は周囲を見渡す。

 物品庫代わりの部室はグラウンドに比較的近い場所にあった。

 部室棟の正面玄関にも近く、物の出し入れがしやすい場所にもなっているようだ。

 ざっと見たところだと特に怪しい所は無い。


「へぇ~、もう一つの部室とかって言っていたからてっきり同じ部室棟内にあるかと思ってたけど……」


「あははは、流石に土で汚れたりするからそういうのは別になってるの。サッカー部とかも同じだよ」


 浩の疑問に佐々木は笑いながら答える。

 まぁ、流石に文化部も入っている部室棟だからそこは分けなければならないだろう。

 となると、ここは元々グラウンドの用具入れだったのだろうか?


「じゃあ、この物品庫は元々別な用途で使ってたの?」


「うん。ここはこのグラウンド用の物品庫だったんだけど。去年に第二グラウンドが出来て、授業の体育がそっちに……グラウンドを使用する運動部がこっちに変わってからこの物品庫も役目を終えたの。それでその使われなくなった旧グラウンドの物品庫を野球部が用具入れとして使うようになったわけ…さぁ、どうぞ」


 そんな俺の心中を悟ってか、悟っていないのか、ミカンが代わりに疑問をぶつけ、答えを得る。

 そのようなやりとりの中、佐々木は物品庫の鍵を開けたのか……中に入るように促す。

 俺達は揃って中へと入った。

 中に入った時の俺の第一印象は……何の変哲も無い倉庫、だった。

 別に傍から見れば燃えやすい物など無い。

 グローブにバッド、ラインを引く為のラインカー……何も怪しい物など無い、普通の倉庫の光景だ。

 だが、その中で一つ……件の発火した跡ともいえる焦げ跡だけが異様な存在感を放っていた。

 まず、その焦げ跡に近づいたのは一緒にいた鈴木であった。


「これが、例の火災現場ですか?」


「そう。アタシ達がここに来た時は火の勢いはそれほど無かったけど……確かに燃えていたわ」


 ミカンと浩も後に続く形でその場所を確認する。

 一方の俺は離れた所からその周囲を確認した。

 壁はコンクリートて出来ており、室内はミカンが佐々木から聞いた通り、窓が無く換気扇が備わっているのみだ。

 発火場所である焦げ跡周囲にはこれも聞いた通り、ラインカー、グローブやバット、ボールがカゴに入っている。

 ラインパウダーの袋は火事で消失してしまったのだろう。大量の白い粉がこれでもか、というぐらい散乱している。

 もし火の勢いが強く、ボールやグローブへと燃え移っていたらただでは済まなかった。

 しかし、見れば見るほど怪しい所は無いように見える。

 そして、見れば見るほど俺はある物へと興味を持ち始め、その物を手に取った。




 ※※※※※※※※※※※※




「う~ん、特に怪しい所は無いんだけどなぁ……」


 発火場所を注意深く観察しながらあたしは独りごちる。

 焦げ跡の周りには引火してしまったであろうラインパウダーとして使われる石灰の白い粉が砂糖を散らしたように落ちている。

 特に気になるものは無い。

 強いて言うなら、発火現場のすぐ上に換気扇があるということぐらいである。

 もし仮に誰かが外から放火を行ったとしたらこの換気扇を通して、中に放火したと考えられるが換気扇の羽の僅かな隙間を通り、中に火を放つなど難しい。良いところでマッチ一本くらいだろうけど、そんなんじゃこの燃えにくい物がある物品庫の中で火を出すのは困難だと思う。

 やっぱり自然発火なのだろうか……そんなことを考えていると急に後ろの方でバンッという音が聞こえた。

 振り返って見ると案の定……リンゴがグローブを手にボールを弄んでいた。


「おい、大檎。何してんだよ?」


「いや、ちょっと懐かしくなってな。昔はよくキャッチボールをしていたもんだな……と」


「あの……悪いんだけど、一応それ野球部の備品だからあまり触らないでくれる? 雑に扱うと後でキャプテンに怒られるから……」


「そうか……すまん」


 リンゴはそう言って丁寧にグローブとボールをカゴに戻す。

 見た目はちゃんとしていないのに、こういう所作に関してはきちんとしている。

 この辺はブドウと逆だ。


「野球部のキャプテンの方は道具を大切にするんですね」


「うん。道具の手入れに関しては人一倍熱心なの。グローブも油を塗ったり、スパイクなんて自分で手洗いしているくらいなんだから……」


「じゃあ、今回の火事に関しては怒っていたでしょ?」


「怒っていた……というよりは不思議に思ってた、かな?」


「不思議に?」


 あたしは美乃里に確認するように尋ねる。


「うん。自分の使っている愛用の物はあるけど……やっぱり物を大切にする人だからね。部の方針でも第一に物の手入れをきちんとやるように言ってたから……」


 物を大切にする人は良い人だ、って昔おばあちゃんがよく言っていたけど、こうして話しを聞くだけでもそのキャプテンの誠実さがこちらまで伝わってくる。

 もしこれが人の手によるものだとしたら許せないことだ。


「でも、油を塗っていたのによく燃えなかったね」


「……多分、油は塗っていなかったんじゃないかな? 自分の物ならともかく、運動部は忙しいから塗る暇なんて無いと思うけど……」


「いや、ちゃんと塗っているぜ」


 あたしの証言を肯定してくれたのは意外にもブドウであった。

 ブドウはさっきリンゴが戻したグローブを手に説明を始める。


「このグローブに手を入れる所の上にある縁……これはヘリ革って言うんだけど、ここがパリパリになっていないんだ。この革ってのは適度に油を塗っていないとパリパリになってボールを捕った時に手を痛めて出血しちまうからな。これにつやがあるってことはマメに手入れしている証拠だ」


 あたしはブドウの意外な知識に驚く。

 流石はリンゴの友人、伊達に一緒にいないね!


「すごいです! ブドウさん!」


「はっはっは! もっと褒めてくれても良いんだぜ!」


 おだてるモモちゃんと高笑いするブドウ……良い意味で二人はもしかすると気が合うのかも知れない。


「そうなんだ……キャプテン、そこまで道具を大切にして……」


「そうなると、犯人が許せませんね。物を大切にしないどころか燃やそうとするなんて……」


 まだ放火とは決まった訳じゃないけど。

 火の無い所に煙は立たない……これはことわざだが、実際にそうなのだ。

 では、犯人はどうやって火を起こしたのか?


「まだ犯人がいると決まった訳じゃない」


 モモちゃんの言葉を即座に否定した人物に皆は視線を向ける。

 当然というべきか、その人物はリンゴであった。

 だが、リンゴの言葉に対して今度はブドウが反論する。


「でもよ、こんな何にも無い所でどうやって火を起こすっていうんだよ?」


「人体自然発火なら確かに不自然だが、物が勝手に燃える分なら不思議でも何でも無い。もし、自然発火がこの世に存在しないなら山火事なんてものは起こらない」


 なるほど……リンゴの言うことはもっともだ。

 落雷による火災や太陽の光を虫眼鏡の凹凸レンズを利用して集めて火を起こす収れん火災なんてものも現実にあるくらいだから、彼の言っていることは極端ではあるものの可能性の一つとして考えれる。

 けれど、それに関してはあたしは異議を唱えなければならない。


「でも、ここには窓なんて無いしあってもせめて換気扇くらいだよ? 換気扇の間から太陽の光を集めたりすることなんて出来ないと思うけど」


「それに火事のあった日と前の日は一日中雨が降っていたから太陽の光なんて入らないわ」


 あたしだけではなく、美乃里も具体的な理由を上げて異論の声を上げる。

 これだけ言うと何だかリンゴがかわいそうになってくるが、当の本人はあたし達の言葉に落ち込みもせず、逆に目の奥に鋭い光を宿らせて考えに耽ってしまった。


「雨……」


 どうやら、リンゴのやる気にスイッチが入ったようだ。

 もしかしたら、リンゴは初めから犯人なんていないと思っていたのだろうか?

 だから、あまり興味を抱かなかった……けれど、その案が無くなった以上、彼は再び考えを練り直したようだ。

 リンゴは暫く考え込みながらようやくあたし達と同様に発火現場へと近付き、まじまじと眺める。そして、突然しゃがみ込むと床に散らばった石灰の粉を指でなぞり、掬い取った。


「……まさか、舐める訳じゃないよね?」


「そんなことはしない」


 あたしの言葉を素っ気なく返したリンゴは突然立ち上がり、今度は物品庫の外へと出る。

 スイッチの入ったリンゴの行動はいつも突然だ。

 初めの頃は戸惑ったあたしも今は少し慣れている。

 美乃里とモモちゃん、ブドウをその場に残し、あたしもリンゴの後を追うべく物品庫の外に出た。

 リンゴの姿を探そうと辺りを見渡すと彼は物品庫の裏手に居て、ジッと上の方を見ている。

 そこには換気扇の通気口があった。


「また急にどうしたの?」


「……少し気になることがあってな」


 そういうリンゴの言葉を受け、あたしも通気口を眺める。

 別に怪しい所は無い。けれど、近くにある木の枝葉が通気口を覆っていることが気になった。

 恐らく風か何かで覆い被さってしまったのだろうが、換気扇は室内にあるので問題は無いだろう。


「だが、もう十分だ。戻るぞ」


「あ、うん」


 何が十分なのだろうか?

 相変わらずリンゴの考えは読めない。

 そんな彼の言葉に従い、あたし達は再び物品庫の方へと戻る。


「どうしたんですか?」


 中に戻るとモモちゃんが心配そうに尋ねてきた。

 あたしは「またリンゴのいつものこと…」とだけ言って、彼を見る。

 リンゴは美乃里の方へ近付き、何事かを頼んでいた。


「えっ、別に構わないけど……今回の件と関係ないと思うわよ?」


「関係ないかどうかは後からだ。それよりも見せてもらえるなら、見せてくれないか? 盗難とかの心配があるなら別に良いが……」


「別にその心配は無いけど……分かった。じゃあ、皆来て」


 盗難の心配とは一体どういうことなのだろうか?

 訳が分からないあたし達とは裏腹に美乃里はどこかへ行き、リンゴは「行くぞ」と言って歩き始める。

 目的地が分からないあたし達はカルガモの子のようにリンゴの後に付いて行く。その際、リンゴは美乃里から預かったであろう鍵で物品庫を閉めようとした。

 しかし、なかなか鍵が閉まらなかったのか少しばかり時間を掛けてしまった。

 やがて、物品庫を閉め終えたリンゴは部室棟の中に入るととある一室の前で立ち止まる。

 そこは野球部の部室であった。


「野球部の部室? 大檎、現場は物品庫で起きたんだぜ?」


「だから確証を得る為にここに来たんだろう?」


 確証って……火災の原因となったものがこの中にあるというの?

 あたしは何が出てくるのか緊張して身構える。


「そう固くなる必要は無い。俺が探しているのはお前が思うほど物騒なものじゃないからな。見れば、お前にも一連の謎が分かる筈だ」


 あたしの思いを汲み取り、リンゴが安心するように話す。

 でも、あたしのも分かる証拠とは一体何なんだろう……。

 そう考えていると部室の鍵を借りてきたらしい美乃里が走ってやってきた。


「お待たせ~!」


 息を切らせながらやってきた美乃里は手早く鍵を開けるとあたし達を中に入れた。

 中に入るなり、リンゴは部室の中を軽く見て確かめる。とはいえ、部員のロッカーは鍵が掛かっている為、見ていない。

 主に床や隅の方などを見ていた。

 あたしにはリンゴが何を探しているのか分からない。

 そんな時、モモちゃんが何かを見つけたのか声を掛けてきた。


「ミカンちゃん、これなんでしょう?」


「どれどれ……」


 それは何かが入っている小さい四角い袋であった。


「あそこのロッカーの方に落ちていたんですけど……」


 受け取った物が何なのか分からないまま、モモちゃんの指した方を見るとそのロッカーの下には白い粉のような物が散乱していた。

 グランドにラインを引く粉がスパイクにでも付いていたのだろうか?

 けれど、あたしはこの四角い袋と白い粉を見てある物を思い浮かべた。

 もし、あたしの仮説が正しければリンゴはこれを探している筈だ。


「リンゴ!」


 あたしはリンゴに呼び掛ける。

 リンゴは振り返った後、あたしの手の中にある四角い袋を見て頷いた。


「だから言っただろう? 見ればお前にも分かる筈だって……」


「柑奈、この火事の原因が分かったの!?」


 美乃里を始め、モモちゃんもブドウも驚いたようにあたしを見る。

 けれど、この謎を先に解いたのはリンゴだからリンゴが説明した方が良いだろう。そう思って彼を見たのだが……


「言っただろう? お前が相談を受けたんだからお前が何とかしろって、今日の俺はあくまで傍観者だ」


 リンゴはどうやら見学を決め込むらしい……そんな彼の言葉にあたしは「分かった」と言うと、その場にいる全員を物品庫へ移動させた。




 ※※※※※※※※※※※※




 物品庫へと場所を変え、あたしは美乃里へと顔を向けた。


「それじゃあ、ここで一体何があったのか……それを今から解明していくね」


「うん、お願い」


 うぅ、緊張する……リンゴはよく平然と話してたなぁ…。

 でも、誰かがやらなきゃいけない……ましてや、この謎の解明はもしかしたら野球部の今の事態を救うかも知れないのだから……。


「じゃあまず、この火事は人為的なものかそうじゃないか……あたしは後者、つまり自然に発生したものだと思う」


 まずはここだ。このどちらかをはっきりさせない限り、野球部の膠着状態は解除されない。


「ミカンちゃんも水林さんと同じ考えですか?」


「うん」


「でも、その根拠は一体なんだよ?」


「その根拠は簡単。人が誰も出入りしていなかった……そして、鍵は野球部のキャプテンと顧問、先輩マネージャーの三人しか持っていなかったってことだよ。この三人に関しては野球部が大会を控えているのに問題を起こすメリットは無いよね?」


「でも、誰かがこっそり鍵を盗んで物品庫に入ったっていう可能性は考えられない?」


「それはない」


 そう言ったのはリンゴだった。どうやら、傍観はしていても援護はしてくれるらしい。


「最初にここに入る時、アンタは鍵を開けるのに少し手間取っていた。それに対し、部室の鍵を開ける時はすんなりと開けることが出来た。立て付けが悪いのかどうかは知らないが、普段よく使っているマネージャーのアンタでさえ、開けるのは一苦労だということだ。実際、俺もアンタから鍵を借りて閉める時はなかなか閉まらなかったから、よく分かる。普通、そんな出入りの不自由な場所の中に入って火をつけようなんて思わない。ましてや、雨の日だ。俺だったら部室に直接火をつけるな」


 ……最後の物騒な発言は置いといて、確かに美乃里もリンゴも物品庫の開け閉めには随分時間が掛かっていた。

 これはあたしもよく覚えている。そして、モモちゃんもブドウも間近で見ていたのだから間違いは無い。


「まぁ、そんな訳で第三者が入るような理由も特に見当たらないよね。だから人為的なものとして考えられる可能性は低い……」


「……放火じゃないって根拠はよく分かったわ。でもそれなら、この室内で……しかも、雨の日の湿気の中、どうやって火はついたの?」


 美乃里がそう言うのももっともだ。

 ましてや、本題はここからと言っても過言じゃない。

 かくいうあたしもリンゴがある物を探していて、それが何なのか見るまでは全然分からなかった。

 けれど、今は分かる。


「逆だよ。雨の日だからこそ火はついたの」


 リンゴ以外の一同が驚く中、あたしはある物を取り出した。

 それはリンゴが探していて、モモちゃんが野球部の部室で見つけたあの小さい四角い袋。


「なんだよ、それ」


「これはお菓子とか海苔とかに付いてくる乾燥剤だよ」


「乾燥剤!?」


「そう。これが、雨の日に火事が起こった原因だよ」


 これもあたしが最初に見た時は分からなかった。

 リンゴがこれを探しているということと白い粉を見なければ、今まで分からなかっただろう。


「どうして、それが火事の原因になるんですか?」


「この乾燥剤に入っている白い粉はね。生石灰せいせっかいって言って、このラインを引く石灰と原料は同じなんだけど少し違うの。こっちのライン用は消石灰しょうせっかいって言って、生石灰と水が反応してから出来た後なの」


「…水と反応?」


 何事か思い至った美乃里がまさか、という顔で呟く。


「そう、生石灰に水を掛けると発熱してその温度が数百℃まで達するの。最近じゃ、お弁当やお酒を火を使わずに温める時に使用されているけど……これには一つ注意事項があってね…」


「注意事項……ですか?」


「うん。水を大量に加えればただ温まるだけなんだけど……近くに燃えやすい物があって、水を少ししか加えない場合は発火する恐れがあるの。特に乾燥剤の袋が破けたりしている時はね。最近じゃ、その手の火事による事故も多いからね」


「で、でもよ! 仮にそうだとして雨の湿気で発火するなんてことがあるのかよ?」


「多分、湿気じゃないよ」


 あたしは換気扇の方へと顔を向ける。

 あの時、リンゴが外にまで回って見た理由……それが今は分かる。


「恐らく、あの換気扇から雨垂れが入ってきたんだと思う。外にあった換気扇の通気口には近くに生えていた木の枝葉が多い被さっていたから多分雨で木が水に濡れて、水がその枝葉を伝い、通気口から入って換気扇から雨漏りしていたんだよ。そして、換気扇の下にあった破れた乾燥剤に水が滴り落ちて発熱、発火したんだと思う。火事の現場は換気扇の下だったから……」


「でも、近くに燃えやすい物なんてありませんよ?」


「……美乃里、ここにはラインパウダーが無いけどその袋ってもしかして紙袋だったんじゃないかな?」


「うん。火事で焼けちゃってね……そこまでは言ってなかったけど、柑奈よく分かったわね」


「美乃里から聞いた話しの中で白いモヤが物品庫内を包んでいたって聞いたからね。ほら、白い煙って紙とか枝とか燃えやすい物を燃やした時に出るでしょ? これが、他の物だったら黒い煙が出る筈だもん」


 その話しを聞いた三人はなるほど、っといった顔で頷く。

 これが、あたしの解明した火災の謎だけど……真実はまだ解明されていない。

 その理由としてはあたし自身、一つだけ分からないことがあるからだ。


「……でも、なんでここに乾燥剤なんてあったんだろうな?」


「……ごめん。そこまではあたしも分からないんだ。乾燥剤が原因の火災っていうのもリンゴが探していた物の正体を知ったから分かったことで……」


 あたしはそう言い掛けてリンゴを見る。

 他の皆もリンゴを見た。

 そう、あたしは彼に代わって謎を解いただけ……。

 この謎を解決する糸口を最初に掴んでいたのは他ならないリンゴだ。

 彼はもっと早くにこれが自然発火だと気付いていた。

 そのリンゴはというと、ズボンのポケットに手を入れて壁に寄り掛かりながらあたしの話しを聞いていた。


「リンゴならその理由も分かるんじゃないの?」


「分かるが……もう良いのか?」


「うん。あたしの役割は火事の謎の解明だから……それにはっきりさせないと何だかすっきりしない」


「……分かった。とはいえ、これはあくまで俺の想像だと思うが……」


 リンゴはそういつもの前置きを述べてから語り始めた。


「ここに乾燥剤があった理由は簡単だ。キャプテンが持ち込んだんだ」


「キャプテンが? 一体、どうして?」


「ここは窓も無く、外気の入れ替えは換気扇のみだ。だが、日中ならともかく一晩中換気扇をつける訳にもいかない。かと言って、このまま何もしなければ湿気で木製のバットが湿気で重くなったりグローブが湿気を吸い込んで重くなり、練習に支障が出る……自分の道具のみならず部活の備品にまで気を配るキャプテンはせめてもの措置として乾燥剤をここに置いたんだ。といっても、事情を知らない連中が見たらただのゴミと変わらないからラインパウダーの間か裏にでも隠すように置いたんだろう。生石灰の発火は少量の水と燃えやすい物の他に生石灰の入った乾燥剤を大量に使わないといけないからな」


「でも、そんなに大量に使ったんだったら証拠がある筈じゃねか?」


「だから、証拠はずっと俺達の目の前にあっただろう?」


 リンゴが指差す先には大量のラインパウダーが散乱した床……それを見てあたしは気付いた。


「そっか……生石灰は水と反応した後、ラインパウダーに使われる消石灰になる……この散らばっているラインパウダーは袋に入っていた物だけじゃなく……」


「あぁ、恐らく乾燥剤の物も含まれている。よく考えてみろ、グランドのラインなんて一日だけで消える代物じゃないだろう? そんな頻繁に使うわけでもなく、ましてやラインカーにも入っているのに大量に散らばりすぎじゃないか?」


 まさか、証拠はずっとあたし達の目の前にあったなんて……全然気付かなかった。


「だから、今回の火事に犯人なんていない。キャプテンの行動も良かれと思ってやったことだから責める理由にもならない。だが、もし予防するならばこの物品庫に窓ぐらい付けても良いんじゃないか? それこそ、学校側と交渉したりしてな」


「……うん、そうね! 分かった、アタシから頼んでみる」


「ほら、美乃里はこの事を皆に知らせに行って! 今は少しでも練習の時間が惜しい時でしょ?」


「うん! 皆、ありがとう!」


 美乃里はそう言うとこの一連のことを報告するべく走って行った。

 これで野球部は活動を再開出来るだろう。


「さて……俺達も帰るか。ミカン、悪いがここの鍵は後からお前が佐々木に返してくれ」


「うん、分かった!」


 あたしはそう言うとリンゴから物品庫の鍵を受け取った。




 ※※※※※※※※※※※※




 あの火事の騒動から一週間後……俺は、いや俺達は火よりも熱い炎天下の中、槝原市の球場に来ていた。

 空は雲一つ無い青空……空が高いとはこのことだろう。

 今日は俺達だけではなく槝原高校の全校生徒全員で来ている。というのも、うちの学校の野球部の一回戦の応援の為であった。

 今日の対戦校は隣の市にある松蘭しょうらん高校……県内ではスポーツの盛んな高校らしい。……全く、興味はないが。

 現在は九回のウラ、三ー二とこちらが押されている。

 しかし、試合は最後まで何があるか分からない。


「しかし、普段はこういった行事を率先してサボる大檎が珍しく参加するなんて……最初は雨でも降るんじゃないかって心配したぜ」


 俺の後ろにいる浩が随分と失礼なことを言う。

 まぁ、だがその通りだ。俺はあまりこういう行事に興味は無い。

 けれど、この前で野球部と変に関わってしまった分、少しばかり気になる。

 俺は心中でそう言いつつ、口では適当なことを言う。


「……ただの気まぐれだ。天気だって似たようなものだろう?」


「とか何とか言って……本当は少し関わったから気になるんでしょう?」


 そう俺の心中を看破したのはなぜか俺の隣にいるミカン……応援席はクラスごとに分けられている筈なのだが、なぜ違うクラスのコイツがいる?


「……なんでお前がここにいる? 同じクラスの鈴木はここにはいないぞ?」


「う~ん、なんでだろう……気まぐれ?」


「尋ねているのはこっちだ」


「まぁまぁ、他校の中にいるんじゃないんだから別にいいじゃん」


「…………そうか、迷子か。迷子なのか。ほら、お前のいるべき場所は向こうだぞ子羊」


 ミカンの主張を無視し、彼女のいるべき場所を指で差す。


「子羊は羊飼いに連れて行ってもらわないとまた迷っちゃうんです」


 コイツ……いけしゃあしゃあと御託を並べる。

 つまり、俺に連れてけというのか? この人混みの中を……冗談じゃない。

 そんなことをするくらいなら一緒にいた方がマシだ。

 どうせ、試合もすぐに終わりそうだしな。


「…好きにしろ」


「やったぁ!」


「すげぇ、大檎を競り負かした…」


「コイツが無駄にしつこいだけだ」


 俺はそう返しながら試合へと視線を戻す。

 今は槝原高校の最後の攻撃でツーストライクのツーボール、それにツーアウトの切羽詰まった状態だ。

 各塁には二塁に選手が一人いるだけで逆転するには一つのアウトも許されない。


「そういえば、例の火事の件なんだけどね」


 自分の学校が窮地にも関わらず、ミカンは突如この前の話題を持ち込んだきた。


「乾燥剤の不始末の件……キャプテンは不問にされたらしいよ。学校側もあまり問題を大きくしないみたい」


「……だろうな」


 結局、犯人がおらず自然現象によって起きたようなものなのだから野球部にとっても学校側にとってもそういう結末の方が双方良い筈だ。


「でも、物品庫の改修については見送りそうになるんだって……なんでも他の部の手前上、そう簡単に新しくすると反感が上がるとかで……」


「……火災になりかける寸前だったのにまだそういうしがらみに縋り付いてるのか?」


 せめて、通気口前の枝葉を切るとか除湿機を設置するとかでも良いだろうに……だからいつまで経っても同じような問題が繰り返されるんだ。

 表情に出さずとも、憤りを感じていた俺だったがミカンはまるで宥めるように言葉を続けた。


「うん。だけど、美乃里と先輩マネージャーが上手く学校を説得してこの試合に勝ったらという条件付きで何とか改修工事の約束を取り付けたんだって」


 佐々木もどこかミカンに似た雰囲気を感じたが、難題を無理にでも通す所も似ているらしい。

 全く、野球部は良いマネージャーを持ったものだ。

 ということは、この試合は野球部にとって何としてでも勝ちたい試合だろう。

 そんなことを考えている内に状況はスリーボールともはや逃げられない状態となっている。

 フォアボールで先送りになるか三振でゲームセットになるか……野球部にとって絶対絶命の状況となった。


「うわわわ……どうしよう……」


「上手く、フォアボールになれば首の皮一枚繋がるんだがな……」


 そうは言ってみたもののバッターは緊張が極限に達しているのかファールボールを繰り返しており、その度にミカンや浩はハラハラしている。


「どうして、お前はそんなに冷静なんだよ!?」


「……ちゃんと見ていたからな。ちょっとトイレに行ってくる」


「はぁ!? この状態でトイレに行くとか……映画のラストで寝るようなもんだぞ!?」


「生理現象なんだから仕方ないだろう……それに……」


 俺は言い掛けてバッターに視線を移す。

 これまでの練習……そして、太陽が僅かに雲に隠れたのを見ると……何の不安も無い。


「結果はもう見えている」


 そう言って引き留めようとする浩の言葉を無視して俺はトイレに向かう。

 そして、俺がトイレに入ろうとした瞬間……ボールを打つ心地良い音が耳へと届いた。




 ※※※※※※※※※※※※




「いやぁ~、まさかあそこで逆転ホームランとはな!」


「ほんとっ! スカッとしたよね!」


 夕暮れに染まる球場を背に俺の隣にいる浩とミカンが興奮冷めやらぬ様子で必死に語り合う。

 いるんだよな。普段スポーツに興味無いのに劇的な展開を目の当たりにすると熱くなる奴。


「リンゴも少しだけトイレ我慢すれば良かったのに~……」


「悪いが、試合そのものには興味があっても結果には興味が無くてな」


 俺がトイレに行った後、槝原高校はあの場面でホームランを放ち、三ー四で逆転勝利した。

 まぁ、普段真面目に練習したうえ天気も少し曇り掛かってボールが見えやすくなったことも幸いしたが、これは努力による勝利の賜物だろう。


「それに生理現象は我慢するものじゃないだろう?」


「……ったく、相変わらずの変人ぶりだな。大檎、悪いけど俺はこれからクラスの奴とちょっと寄る所があるから……」


「あぁ、分かった。じゃあな」


 浩はそんなことを言ってその場から去っていった。

 後に残るのはもはや、お約束に近いコイツと俺だけ……。


「二人だけになっちゃったね」


「お前は大丈夫なのか? 鈴木と一緒に帰らなくて…」


「うん。今日、モモちゃんは家の用事でお母さんが車で迎えに来ているから」


 なるほど、そういうことなら仕方がないか。


「……ねぇ、一緒に帰らない?」


「良いぞ」


「えっ……本当ッ!?」


 俯き加減で言ったミカンの顔が上がり、驚いたように俺を見る。

 ……なんでそんなに驚く? 俺は何か悪いことでも言ったのだろうか?

 だが、その反面ミカンはなんだか嬉しそうだった。

 心無しか顔が赤く見えるが……夕暮れに照らされているか、日に当たり過ぎたのだろう。


「いつもお前に誘われてばかりだからな。戦勝祝いも兼ねて俺から誘うのも悪く無いだろう?」


「うんうん! たまにはこういうのも良いよね! ……って戦勝祝い? 何か奢ってくれるの?」


 たまには、か……俺が自ら人を誘うなんてほとんど無いんだがな。

 まぁ、そんなことには興味が無い。

 取り敢えず、今の俺に興味があるのは……


「あぁ、ちょうどここに来る途中の喫茶店でアイスクリームコーヒーという名ののぼりがあったからな。興味があるんだ」


「あ、そういうことだったんだ。良いよ、付き合ってあげる!」


 アイスコーヒーは知っているがアイスクリームコーヒーとは一体何なのだろうか?

 クリームメロンソーダみたいなものだろうか?

 そんなことを語りながら俺達は歩く。

 すると、その時……前方のオレンジ色に輝く太陽の方から誰かがやってきた。

 普段なら他人など気にしない俺なのだが、この時俺は何か言い知れぬ予感に駆られ、その人物を見た。

 逆光による黒いシルエットで最初は誰だか分からなかったが、近付くに連れて俺はその人物が見覚えのある者だと気付いた。

 それは野球部の謎を解きに行く前に俺が教室で見掛けたあの小学生のような小柄な女子生徒であった。

 同じ学校ならここに来ていても何の不思議は無い……だが、俺は何か引っ掛かりを覚えていた。

 そうして、その女子生徒との距離が近付き、俺の隣をすれ違った瞬間……彼女はあの無愛想な声で俺に言ってきた。


「……裏切者」


 それを聞いた瞬間、俺はあることを思い出した。

 そうだ。あの女子生徒と俺は面識がある。

 中学校の頃から…………だが、俺はアイツと…アイツらと袂を割った。

 今更、過去になど興味は無い。いや、関わりたくない。


「……どうしたの? リンゴ?」


 突然掛けられた声に俺はハッとして振り向く。

 そこには心配そうな顔をしたミカンがいた。


「大丈夫? 突然立ち止まって……もしかして、熱中症にやられたの?」


「……いや、大丈夫だ。悪かったな、行こう」


 俺はミカンにそう言うと止まっていた歩みを再び進める。

 もしかしたら、今の言葉はミカンにではなく俺が俺自身に対して言った言葉なのかも知れない。

 そうだ。歩み続ければ良い……俺は昔の俺を捨てたんだから……。


 俺はすぐに気分を切り替え、アイスクリームコーヒーを目指してミカンと共に夕暮れに染まる街の中を歩いて行った。


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