星々の煌めき
「よし、今日の授業はここまで! 各自、課題はちゃんとやっておくように」
「ありがとうございました!」
ようやく本日最後の授業が終わり、俺は腕を思いっきり上に向けて伸ばした。
ずっと同じ態勢で居たせいか、伸ばした瞬間に背中がポキポキと鳴った。
音が鳴っただけなのだが、これが何だか気持ちが良い。
「よっ! お疲れさん!」
全身から余分な空気が抜けていくのを感じながらリラックスしていると浩が俺の席まで来て声を掛けてきた。
「お前もな」
「やっと終わったなぁ…ところで、これからどうする?」
どうする? というのは十中八九、放課後の予定についてだろう。
「俺は部活に入ってないから余裕だが……お前は?」
「俺も今日は大丈夫だぜ! 家の手伝いは無いからな!」
浩の家は農家をやっている。農家となるとこの春の時期は田畑関係で忙しくなる筈だが……。
「珍しいな……今の時期は準備で忙しいんじゃないか?」
「へへっ! 実は今日は爺ちゃんが準備をしてくれるんだとさ。だから俺は暇」
なるほど……じゃあ問題は無い訳だ。
「それじゃあ、ゲーセンにでも久し振りに行くか? 丁度、興味のある新作ゲームが入った所だ」
「おっ、良いねぇ~! んじゃあ、そこに決定! そして、行く途中で買い食いしようぜ!」
昼の分、やっぱり足りなかったんだな………。
俺はそれにOKを出しながら自分のカバンを持ち、浩と共に教室を後にした。
「あれ? ミカンちゃん、今日は一緒に帰らないんですか?」
「ごめんね、今日はこれから行くとこがあって……」
放課後、あたしはクラスメイトであり友人でもあるモモこと鈴木桃香と学校の正面玄関に来ていた。
辺りは他の生徒が居ない為か水が打ったかのように静寂に包まれている。
「そうなんですか………分かりました。それでは今日はこの辺りで…」
「うん、本当にごめんね……モモちゃん」
さよならの挨拶を済ませ、正面玄関から出る友人を暫く眺めた後、あたしは立ち並ぶ下足箱に背中を預けながらある人物が来るのを待っていた。
「……もう帰っちゃったかな?」
静かな正面玄関でひたすらその人が来るのを待つ。
時刻はまだ16時……まだ帰ってないと思うのだけれど……。
そんな事を考えていると……。
「買い食いって……何を食べるつもりだ?」
「う~ん………コンビニで菓子パンか惣菜パンって考えてんだが、他には何か無いか?」
「そこはスーパーで食パンだろ?」
「ひでぇ! 主婦じゃねぇか!」
「7枚入りで80円……安いし多いぞ? しかも最近興味のある乳酸菌入りだ」
「それがなんだよ!? 学生は質が重視だろうが、乳酸菌なんかヤクルトにでも入れておけ!」
………妙な漫才を展開させながら聞き覚えのある声が聞こえてくる。
どうやら、やっと来たみたい。待っている人が……。
「………あれ? 確かお前って…」
「どうした、浩。………ん? 三浦か、昼休み以来だな」
「覚えていてくれたんだ?」
あたしの姿に気付いた二人が声を掛けてきた。
そりゃあ、昼休みに会ったばかりだから覚えているんだろうけど……なんか嬉しい。
「実は、リンゴに頼みがあって……」
「悪いが俺は今からゲーセンにある新作ゲームをしに行くんだ。お前には関わっていられない」
言葉を遮り、足早にあたしの横を通り過ぎていくリンゴ。
あれ? 意外と冷たいのかな?
「そいつに何か頼むって言うなら無駄だぜ? なんせ、変人なんだから…」
「変人?」
一体、どういう事なんだろう?
「おい、本人を前に失敬だな」
「失敬も何も事実だろうが、興味のある事にしか関わらない………興味の無い事には関わらない…お前の決め台詞だろう」
そういえば昼休みの時もそんな事を言ってた。口癖みたいなものかな?
「なんせ、テコを使っても動かないからな大檎の心は………」
「変人ねぇ……」
「おい、三浦。こいつの言うことを真に受けるな」
「おいおい、大檎。わざわざ玄関まで待ってくれた恋人に隠す事はねぇだろ?」
「誰が恋人だ。誰が……第一、三浦とは昼休みに出会ったばかりだ」
真に受けるなと言われても……説得力があるんだよねぇ…って恋人!?
「ちょっ…ちょっと! 恋人なんかじゃないよ!」
「まぁまぁ、そう言うなって……そんじゃ、俺は邪魔者になるから今日は失礼するわ。んじゃな、大檎。ゲーセンはまた次って事で……」
「おい」
あたしとリンゴの説得にも関わらず、浩は良い笑顔でその場を去っていった。
あとに残ったのはあたしとリンゴ。
しかも、凄い気まずい雰囲気……。
「………んじゃあ、俺も帰るか」
そんな雰囲気に押し潰されてかリンゴもその場を離れようとする。
あたしは逃がすまいと彼の腕を思いっきり掴んだ。
「…離せ、また誤解が生じるぞ?」
「あたしの話を聞いてよ!」
「だから、誤解を生むような事はよせ」
あたし達の横を通り過ぎていく数人の生徒たちがヒソヒソと声を潜めて何かを言っているが、あたしは気にしない。
そんなあたしを見てか、リンゴが観念したように口を開いた。
「校門までだ」
「……は?」
呆けたと同時にリンゴはあたしの手から逃れ、自分の下足箱から靴を出して履き替える。
もしかして、本当に帰るの?
「校門に着くまでの間に話せ。お前に付き合うかどうかはそれを聞いてから決める」
そう言ってから、リンゴは静かに歩き始める。
なるほど、そういう事……。つまり、校門までの間に用件を言えって事ね。
あたしは靴を履き替え、リンゴの隣まで走っていき話し掛ける。
「日常は楽しい事がたくさんあるよ!」
「前置きは良い、用件を話せ」
「じゃあ、話すよ? リンゴはスパイの噂って知ってる?」
「スパイ?」
よし、食い付いて来た!
あたしは畳み掛けるようにして言葉を続ける。
「そ、なんでも天文部に違う部の生徒が紛れていて部内の雰囲気を悪くしているんだって……」
「違う部の奴が居ても別に不思議じゃないだろう? それに雰囲気が悪くなったって……ただの偶然だ」
確かに、あたし達の学校である槝原高校は部の数が多い。なので2つの部に同時に入る兼部は運動部以外、認められている。そういう事があるので入った当初は色々とゴタツキがあるものの後々に雰囲気は元に戻る。
「校門ももうすぐ……残念ながら今のところ興味は無いな。007を見付けるなら一人でやってくれ」
リンゴはそう言いながら手を振り、校門から出ようとする。
仕方ない、奥の手を言おうかな?
「新入部員が入っただけで、部が崩壊すると思う?」
「するんじゃないか? 部員数が多くなってから活動が疎かになる部も珍しく無いだろ?」
「それじゃあ、天文部員達の過去や秘密が他の文化部に知れ渡り、噂になっているのも珍しく無い?」
「……なに?」
そう呟いてリンゴは校門ギリギリの所で足を止める。
「どういう事だ?」
「そこから先は一緒にあたしと来てくれたら話してあげる」
そう言って、あたしは校門前で立ち尽くしているリンゴに微笑んだ。
「事の発端はウチのクラスメイトの話しからなの」
現在、俺は三浦に連れられ件の天文部がある部室棟へと向かっていた。 初めは興味こそ無かったが、天文部員達の個人情報が漏れているという点に関しては非常に興味がある。
一体どのようにしてそのスパイとやらは情報を得ているのか……。
「その子は今、天文部に入っているんだけどね。最初入部した当初はその子も含めて6人程入ったの。それで、先輩達も優しくて和気藹々な雰囲気だったんだけど……ある人が入部してから雰囲気が悪くなって…」
「ある人?」
「1年C組の小山田尚太っていう人、因みにあたしはA組だよ」
三浦のクラスを尋ねた覚えは無いが、事の発端者のクラスが分かったので良しとしよう。
C組か……俺や浩はB組だから縁も何も無いな。
という事は、その小山田なる人物がスパイなのだろうか?
「そうか……でもどうして小山田が入ってきてから雰囲気が悪くなったと断言出来るんだ?」
「なんでも…小山田さんが入ってきてから各文化部で天文部員に関する話を多く聞いてるんだって……クラスの子も中学の時の恥ずかしい思い出を知られて困ってるとか…………あ、着いたよ」
そう言って三浦はとある建物の中に入っていく。
ここが槝原高校が誇る部室棟……外観は校舎を一回り小さくしたようなものだが、内部は意外と規模が大きい。一回り小さくしたと言っても1階から3階まで有り、1階は運動部……2、3階は文化部が使用している。実はこの部室棟にはあるジンクスがあって、入り口……すなわち部室棟正面玄関に近い所にある部室程実績を残していて、遠い所や狭い部室程実績があまり無いというもの…。その証拠か何かは知らないが、遠い所や狭い部室を使っているのは確かに研究会や帰宅部の類いだ。
「天文部の部室は2階の階段傍にある部屋だよ」
「ほぅ……じゃあ実績はあるんだな」
「よく知ってるね。うん、そうだよ。毎年、論文を出しては賞を貰ってるみたい…」
あながち、嘘でも無かったか……。
そう思いながら夕日に照らされた部室棟の階段をゆっくりと上った所で俺はある事に気付いた。
「ん? そういえば、俺達は部室に入って良いのか?」
「うん、クラスメイトの子には前もって言って部室の鍵を開けてもらってるし、許可ももらってるよ」
「……鍵を開ける? ……今日は活動していないのか?」
「うん。本当は毎日、活動してるらしいんだけど……変な噂が広がってからそれが落ち着くまで、活動は休止するんだって……」
まぁ、それが妥当だろうが……部活ではなく個人に関する情報なんだから意味は無いんじゃないか?
「さて……中に入るよ?」
階段を上り終え、俺が部室の前に着くのを見計らって三浦は部室の扉を開けた。
「お邪魔しまーす!」
「……なかなか良い部室だな」
部室に入ると中は教室程の広さがあり、黒板に教卓、机に椅子と俺達の普段使っている教室とさほど変わらなかった。
ただ、周りには本棚や望遠鏡、壁には月やら星やらのポスターが飾っており本棚の上には妙なフィギュアが大量に乗っかっていて、天文部なのかどうなのか一瞬だけ判断に迷ってしまった。
「…広さもあり、日当たりも景色も良い……アパートなら高いぞ?」
窓に近付き、夕日に照らされながらそこからの景色を眺めて見る。
窓から望む景色は綺麗な町並みとサッカー部が活動しているグランド、更に町に沈み掛ける夕日………実に良い!
「物件を探すのは後にして。このままじゃ日が暮れちゃうよ?」
「もう暮れてるけどな……」
俺は最後にチラッと夕日を眺めた後、本棚に乗っかっているフィギュアを見る。
蠍にペガサス……天秤にカメレオン?
なんだこれは? 興味がある。
続いては本棚に目を移し、その中にある本を手に取る。
手に取った本は「見て分かる88星座」というタイトル。
「……星座は88もあったのか……俺は12星座しか知らんのだが……」
「色々とあるよ? インディアン座とかコンパス座とか……星座は春夏秋冬と南天で見られるものが全然違うんだよ」
「南天というのもあるのか……確かにカメレオン座というのもあるな………つまりこのフィギュアは全部、星座のフィギュアか……」
俺はそれだけ言った後、ペラペラと本を捲りながら再び読み始める。
なるほど………星座というのも面白い、非常に興味がある。
リンゴが手に取った本に夢中になっている間、あたしは部室内にある机の中を見て回った。
机の中はどれも空っぽ、ただし……。
「あれ? なんだろ…これ」
その代わりにどの机の上にも何かの点が複数付いている。
もしかして、落書き? もう良い年なのに……。
「どうした?」
「何か机の上に変な点が付けられていて……多分、落書きだと思うけど……」
それを聞いたリンゴは「ふむ……落書き…」と呟き、本を持ったまま机の上を眺める。
一方であたしは机から離れ、黒板の横にある壁に近付いた。
壁には廊下側にある壁と違ってポスターの類いは無く、代わりに部員の自己紹介文のような紙が上から隙間無く掲示されている。
「部長は秋森貴志さんって言うんだ」
「副部長は二人居るみたいだな……冬月夏美………佐藤稔……か」
いつの間にかリンゴがあたしの後ろから自己紹介文を見ながら呟く。
「好きな12星座まであるのか…………ところで、三浦」
「………そろそろミカンって呼んで欲しいなぁ……三浦って呼ばれ方あんまり好きじゃないし…」
「……出会ってからまだ一日も経っていないのにか?」
「……」
そうだよね……まだ会ったばかりだし、昼休みの時なんて騙してたんだし……すぐに友達になれる訳無いよね…。
暫くその場を沈黙が支配した後、リンゴはそっぽを向き、頭を掻きながらゆっくりと口を開いた。
「…………ミカン」
「……え?」
「悪かったな、ミカン」
「…ううん、大丈夫。ところで何?」
ミカンというあだ名を言えと言ったのは、あたしなのに……どうして謝るんだろう?
しかし、あたしはそんな質問をせずに話を元に戻した。
恐らくそれは、疑問よりも嬉しさが勝っていた為だろう。
「その漏れた個人情報はお前のクラスメイトの他に誰の物が漏れているんだ?」
リンゴの質問にあたしはクラスメイトから聞いた話を思い出す。
確か……漏れた情報はその子のと……。
「クラスメイトのその子と……小山田さん以外の一年生の物だった筈……先輩達の情報は聞いてないよ?」
「そうか……なるほど」
リンゴは頭に手を当てながら考え込む。
「もしかして……何か分かったの?」
「いや、まだ何も分からない…………」
考え込みながらリンゴは窓の外を見る。
外の夕日はあとちょっとで見えなくなる程、沈んでいた。
「……そろそろ頃合いか」
「…何が?」
リンゴの言っている頃合いの意味が分からないあたしは彼に尋ねる。
何か良い景色でも見られるのかな?
「この辺りで休憩するか………ミカン、目を閉じてくれ。さっきの詫びとして良いものを見せてやる」
良いものってなんだろう?
そんな事を思いながらリンゴの言う通り、目を閉じる。
閉じた瞬間…シャー、というカーテンを閉める音があたしの耳に届いた。
「もう目を開けて良いぞ」
カーテンを閉めた後、俺は三浦ことミカンに向かって声を掛ける。
本当は名字で呼んだ方が気は楽なのだが、相手が好きじゃない、と言っているのをわざわざ無にする程、俺は悪ではない。先程は一日しか経っていないだの妙な口実を吐いたが、実際の所は呼び方に興味は無い。
ただ馴れ馴れしいかと思って尋ねただけなのだが、返って気分を害したらしい…。
だからその詫びを兼ねてミカンにはある物を見せる事にした。
「一体なんで………………うわぁ、スゴい!」
目を開けたミカンは目の前にある光景を見て、驚きの声を上げる。
カーテンを閉めて暗くなった教室の机の上にはまるで金粉を溢したかのように黄色い点が広がっていた。
「これって、もしかして……」
「そう、星空だ。更によく見てみると……星と星の間にうっすらと線が見える」
かなり細いが黄色い点と点の間に白い線が薄く引かれている。
これは恐らく星座だろう。
「スゴいスゴい! 小さなプラネタリウムだね! でも……どうして光ってんだろう? もしかして蛍光塗料って奴? それとも別な物かなぁ?」
「どっちだと思う?」
「う~ん……どっちだろう? う~ん………う~ん…」
昼休みの時もそうだが……こいつは妙な所で迷う。
これは優柔不断というレベルじゃない。
「正解は前者だ。まぁ、厳密には違うが……」
「じゃあ何なの?」
「これは恐らく、蓄光塗料だ」
「蓄光? 蛍光とどう違うの?」
「暗い所でも見える塗料は3種類ある。蛍光、夜光、蓄光の3つだ。……蛍光は光が全く無いと見えない、ただしブラックライトを照射すると、真っ暗でも綺麗に映える。蛍光ペンが真っ暗な所で見えないのはこの為だ。……夜光は光を照射しなくても自ら発光する。……蓄光はその名の通り、予め照射した光を取り込んで自ら発光する。ソーラーシステムのようなものだと考えれば良い、さっきまで射し込んでいた夕日の光を変換したんだ」
ミカンは「へぇ~」と感心しながら机をまじまじと見ている。俺も同様だ。
ここまで凝った物を作るとは流石に実績がある部活は違う。
もしかしたら天文部なので計算や芸術に精通している者がいるのかも知れない。
星をスケッチしたり、天文が好きな人は流星群がよく見える場所や時間帯を自ら計算するらしいからな。
もっとも……ミカンがこれを落書きと言って眺めたり、俺がたまたま星座の本を手に取っていなかったりしたら気付かなかったが……。
「……あれ?」
「どうした?」
「なんだろう……あれ」
ミカンが疑問を浮かべながらある机を指差す。
そこには黄色い星座では無く、赤い星座が浮かんでいた。
「なんで、あそこだけ赤いんだろう?」
「……どうやら、赤いのはそこだけじゃ無さそうだ」
俺は周りを見ながら、ミカンに向かって呟く。
黄色い星座程、数は多くないが机のあちこちに赤い星座がある。
「なんで赤いんだろう? ………あ、星座の光が!」
「蓄積された光が無くなってきたんだな」
光が弱くなった星座を見た俺は部室の電気を付ける。
これでまた暫くすれば光が戻るだろう。
「どうして、弱くなったのかな?」
「多分……元々、光をあまり蓄積する事が出来ないんだろう。大きい点なら未だしも小さい点じゃ容量に限りがある」
電気で明るくなった教室の中を歩きながら、俺は赤い星座のあった机に近付く。
見た所、おかしな所は無いみたいだ。
「座席表みたいなものは無いのか?」
「あ、それならさっき棚の上にあったよ………………はい」
ミカンから座席表を渡された俺は赤い星座があった机の持ち主を見る。
机の持ち主は……副部長の一人である冬月夏美、浮かんだ星座は確か…がか座だ。
「冬月の机に浮かんだのは、がか座か……一体どうしてだ?」
「もう一人の副部長である佐藤さんの机にも赤い星座があったよ? 確か……これ!」
そう言ってミカンが指差したのは……じょうぎ座。どれもマイナーな物ばかりだ。
……というか。
「お前、記憶力良いな」
「えへへ、暗記には自信があるんだよ!」
「そうか……」
他にもまだ赤い星座が浮かんでいた机はあったが、今はこれを元に調べてみるか……。
「この赤い星座は自分の好きな星座か?」
「でも好きな星座は自己紹介文に書いてあったよ?」
「だが、アレは12星座だろ? これらは88星座だ」
つまり88星座の中で好きな星座を机に描いたという事になる。
「なるほどね……でもそれだったら人数分丁度なくちゃダメでしょ? 赤い星座の数は明らかに少なかったよ?」
……確かにそう言われて見ると、自己紹介文の数より赤い星座の数は少なかったように思える。
これはもう一度見てみる必要があるな……。
「もう一回暗くするか」
もう光は貯まった筈だ。
俺はもう一度、電気を消して机全体を眺める。
赤い星座はさっきの二つを含めて全部で七つ………まるで北斗七星みたいだが、それぞれがバラバラで位置しているので全く形になっていない。
因みに残りの星座は……ちょうこくぐ座、ちょうこくしつ座、コンパス座、けんびきょう座、ふうちょう座……どれもあまり聞かない名前だ。
「………光が弱くなってきたな、そろそろ点けるか」
もう一度、スイッチを押して部室の明かりを点ける。
赤い星座の数は少なかった……すなわち、各自の好きな88星座では無いという事だ。
部員の自己紹介文に好きな12星座を書く程なら全員の数だけ赤い星座が無ければおかしい。
つまり、ミカンの言った事は正しかったという事になる。
「………分からなくなったな、だが面白い」
初めは情報漏洩だけが興味の対象だったが、今はこの赤い星座も興味がある。
……まさか、この二つは何か関連があるのか?
リンゴは再び考え事をしている。
まさか、星座に夢中でスパイの事を忘れているんじゃ……。
「まさかとは思うけど……星座に夢中で肝心な事を忘れてる訳じゃないよね?」
「心配するな、ちゃんと覚えてる。それよりミカン、何か気付いた事は無いか?」
それよりって……まぁ、リンゴなら忘れる訳無いか……。
あたしはグルリと周囲を見渡しながら考える。
気付いた事…………。
「………そういえば、ここ…星座早見表って無いのかな?」
「星座早見表?」
「ほら、小学校の理科の授業とかで見たクルクル回して星座見るやつ」
「…………あぁ、そういえばそんな物あったな…」
高校の天文部とはいえ、星座に疎い新入部員の子も入る筈なのに……この部室には星座早見表が無い。それ以前に疎い云々に関わらず、大抵は置いてある筈なのに……。
「この部室以外の所にあるのかな?」
「いや、周りにある望遠鏡や資料を見る限りじゃ他の所に置くのは考え辛い。置くとしてもここだろう」
確かにリンゴの言う通り、この部室は広いし空間もある。置くとしたらここしか無い。
「実績ある部なら星座早見表じゃなくて星座早見盤を置きそうだけどね……それも見当たらないし………それにおかしい事はもう一つ。この自己紹介文の並び、おかしいよ!」
あたしは黒板の横の壁に掲示されている紙を見て言う。
「どこがだ? 生まれた星座じゃなく好きな星座って所か? 秋森がしし座、冬月がみずがめ座、佐藤がおとめ座……」
「違うよ! この紙の配置がおかしいの!」
普通、自己紹介関係の掲示物なら先輩や部長が上になる筈なのにこれは部長が真ん中、一番上がクラスメイトの一年生、その隣が副部長の冬月さん、だけどもう一人の副部長である佐藤さんは右端の一番下………つまり、学年や名前順とかが関係無く全てバラバラ。規則性すら無い。
「なるほど………確かにメチャクチャだ」
リンゴも漸くあたしが言っている事を理解したようでまじまじと掲示物を見ている。
「………今頃になって聞くんだが、小山田は性格が悪いのか?」
「…ううん、大人しい性格だって聞いたよ?」
「イジメは?」
「入ったばかりの人にそんな事しないよ! ……それに、雰囲気が悪くなったと言っても一年生が互いに疑いあって、それを先輩達が宥めて皆疲れちゃったってだけだから……」
「そうか……それで部活動もままならず、活動休止に至ったのか……」
リンゴは一人納得したかのように呟く。
さっきの質問が一体何なのか……あたしには分からなかったけど、何か分かったのかな?
「何か分かったの?」
「…………いや、だけどそれをする動機が分からない……それにあの赤い星座は何を意味してるんだ?」
しかし、リンゴはあたしの質問に応えずブツブツと独り言を呟いていた。
ちょっと、無視しないでよ!
「リンゴ! 無視しな………」
「もう一回見てみるか……ミカン、ちょっと手伝ってくれ」
だけどリンゴはそんなあたしの言葉を遮り、一人で勝手に机を動かし始める。
もしかして、夢中になると都合の良いことしか聞かないタイプ?
「この机を全部、その自己紹介文が掲示されている通りに並べてくれ」
「……つまり、部長さんの机を真ん中に……佐藤さんの机を右端の一番下…に置けば良いの?」
右端の一番下といってもどのように置けば良いのか分からない。
「この掲示物の通り……つまり掲示物を見た時、右側は廊下側、左側は窓側、上が黒板、下が後ろ側になるようにすれば良い。だから右端の一番下は廊下側の一番後ろだ。机はこの掲示物の状態と同じく、隙間無くくっ付けてくれ。……紙は横長だから机も今のまま、向きは恐らくそのままで良い筈だ」
「うん…分かった!」
リンゴから言われた事と状況をなんとなく理解したあたしはリンゴと一緒に机を動かし始めた。
「よし、電気を消すぞ?」
机を動かし終えた後、俺はミカンに電気を消す旨を伝え、スイッチを切る。
電気を消すと同時に再び星座が浮かび上がるが、星座の位置は先程と違い、今度は規則正しく並んでいた。
「これって……もしかして……」
「あぁ、少し分かりにくいが星座早見表……いや、早見盤か? ともかく、それらしき物だ」
時刻や月日は描かれていないので分かりにくいが、円を描くように星座が規則正しく位置しているのを見ると恐らくこれは星座早見表なんだろう。
周囲に時間帯等が描かれた物を置けば、使えなくもない。
「でも、どうしてこんな手の込んだ事をするんだろう? 普通に早見表を置けば良いのに……」
「それは多分……面白さや興味を持ってもらう為だろう。インパクトの強い物程、記憶に残りやすいからな………それか、別の理由か…」
「別の理由?」
俺は浮かんでいる赤い星座を見て考える。
赤い星座は机を合わせても位置が未だにバラバラだ。
これは一体何なんだ? 規則性も何も無し……って事は何の関連も無い、ただの落書きなのか?
俺は電気を点けた後、気分転換をする為に本棚から「12星座の意味と性質」という本を取り出す。
あの自己紹介文に書かれている星座にどんな意味があるのか、ふと思い出して興味を持ったからだ。
「あ、また勝手に本を読んでる」
そんな興味が無いミカンの小言をスルーし、しし座とみずがめ座、おとめ座の載っているページに目を通す。
秋森のしし座の意味は自尊心が強く強固な意志の強さ……冬月のみずがめ座は独創性と自由……佐藤のおとめ座は分析と計画力………中々に面白いな。
その後はパラパラとページをめくり、一番後ろまで開く、するとその一番後ろのページに1枚の折り畳んだ紙が挟まっていた。
「なんだ、これは?」
「うん? どうしたの?」
俺の声に反応したミカンが隣までやってきて覗き込む。
俺は見えるようにしてその紙を開いた。
「『文化祭で兼部の人はここでは無く、そっちを優先させろ 顧問より』………何これ?」
ミカンがそれを読み上げた瞬間、俺の頭の中に一つの仮説が浮かんだ。
やはりあの赤い星座と個人情報漏洩は関係があったんだ。
「ふぅ~、やっと全てが繋がったみたいだ……」
「え! 分かったの? スパイの情報網が!」
「まぁな……とは言っても俺の想像だと思うが……」
「聞かせて聞かせて!」
ミカンが目を輝かせながらなぞなぞの答えを待つ子供のようにはしゃいでいる。
正直言うと、答えの正解が分からない以上、俺は自分が納得するような憶測しか立てていない。
だから他人に聞かせる程のモノじゃないんだが……仕方ない。
「……あまり当てにするなよ?」
俺はそう前置きをした後、窓に掛かっているカーテンを思いっきり開けた。
「先ず、俺とお前が気になっているスパイの情報網を教える前に一つ訂正がある」
カーテンを開けると外は漆黒の帳が降りたかのように真っ暗になっていた。
俺は部室の電気を消して、窓際に寄り掛かりながら言葉を続ける。
「スパイは居ない」
「……え?」
俺の意外な一言にミカンは驚いて、聞き返す。
まぁ、当然の反応だ。
「どう考えても大人しい性格の小山田がそんな事出来る筈が無い。それに先輩のツテがあったとしても文化部全てにあるとは考えにくい……他の文化部全部がグルになっているなら成立するかも知れないが、この槝原高校は部活の数が多い……先ず無理だろう。自分で広めたとしても入学したばかりの奴の話を他の連中が信じる確率は低い……」
部室の中も窓の外も暗い為、この場における唯一の光源は外の仄かな町明かりと部室内の小さな星座が放つ星の灯りのみ、その中で俺は僅かに見えるミカンの顔を見ながら反応を伺う。
「それによって考えられる事は一つ、事前に情報を知り尚且つ他の文化部に顔が利く人物が情報を流したとしか思えない」
「じゃあ、兼部をしている先輩の誰かが流したの?」
兼部……そして先輩か……良い線だ。だが、残念ながら少し違う。
「先輩は合ってる……だが、兼部は違う。そんな狭い範囲よりも全ての部に顔が利き、自分の部員の個人情報を顧問から知り得る事が出来る上、信用度が高いポジションがあるだろう?」
「自分の部員……顧問……? ………ポジション……あ!」
ミカンは暗がりの中、何かに気付いたようだ。
「部長!」
「正解、答えは部長……そして、個人情報を流した人物は秋森貴志だ」
まさか、部員達をまとめる筈の部長が犯人だとは誰しも想像出来なかっただろう。
「でも、どうして? まさか、部長さんは小山田さんが嫌いとか……」
「いや、それは違う」
大人しい性格の小山田に嫌われる要素は無い。だったらなぜ、今回の事が起きたのか?
「秋森は別のスパイ……つまり兼部者を暴こうとして個人情報を流したんだ」
「どうして、個人情報を流す事で兼部者が暴けるの?」
「もし、他の部に自分の部員が居てその部員の個人情報を流した場合、反応は3通りだ。1つ目は『ふ~ん』と言った素っ気ない反応、これは個人情報を知っていた場合……2つ目は『そうなの!』という驚きの反応、これは人物を知っていても深くは知らなかったという場合……3つ目は『そうなんだ』という反応、これは全然その人の事は知らないけど会話の種として聞いた場合だ」
「1つ目と2つ目の反応があれば兼部しているって事になるんだね」
「あぁ。まぁ、知人や友人の兄弟というのも含まれるが大体は高確率で兼部だろう」
他にもその人物のツテを知る事も出来るのだが、これは関係無いので省いておこう。
「3つ目になった場合は会話の種として話したという事で聞いた人は何気無く他の人に話し、それが噂になるが数日間で消える……こういう仕組みで秋森は兼部者を暴こうとしたんだ」
全く、よく考えたものだ。
「でも、どうして大騒ぎになったんだろう? その計画なら広まる個人情報も少数だよね?」
「簡単な話し、今年の新入部員には兼部をしている奴がいなかったんだ。今言った情報を流す方法を使うと必ず全ての文化部に話が伝わる。噂にはなるがどこかに兼部している場合はそこで途切れる『もう、知ってるよ』って感じでな。だが兼部していない場合、噂はどこまでも広がる。恐らく小山田が入部したのはつい最近じゃないのか? だから小山田だけ個人情報が無かったんだ」
小山田の個人情報が広まる前に噂が多くの人に広まった。だから、小山田が情報を流したスパイだと疑われた。
「でも、部長さんはどうやって個人情報を手に入れたのかな?」
「あの自己紹介文を思い出してみろ。自分の好きな星座まで書くんだぞ? 暴露大会やら部活動中にノリで尋ねたりすれば怪しまれずに情報を手に入れる事が出来る。先輩も優しいなら気も許す筈だ」
「なるほど……でも、どうして秋森さんは兼部者を暴くような事をしたんだろう?」
「それは……」
そう言い掛けた時、学校のチャイムが部室棟中に鳴り響き、校内アナウンスが掛かる。
『完全下校の時間となりました。校内に居る生徒は直ちに下校して下さい』
完全下校……部活をやっていない生徒は帰らなければならない。時刻は19時……結構、遅いな。
「続きは星でも見ながら話すとするか…」
「そうだね……あ、待って。部室の棚にある鍵を使って閉めてって、言われてたんだ」
ミカンがそう言って鍵があると言われた棚を調べる。
やっぱり部室は開けたままにはしないようだな。
俺は部室の外に出てミカンが鍵を掛けるのを待った後、鍵を返しに一緒に職員室まで向かった。
「それで、どうして秋森さんは兼部者を暴くような事をしたの?」
帰り道、ふと夜空を見上げているとミカンがそんな事を聞いてきた。
そういえば、まだ話して無かったな。
「原因はきっと去年の文化祭だろうな」
「文化祭?」
「あぁ、文化祭の時……兼部者はあの天文部じゃなく他の兼部している部を優先させろ、と顧問に言われ兼部している者達全員は他の部へ行く事になった。しかし、そこでトラブルが起きた」
「トラブル?」
「肝心、要な副部長二人が居なくなってしまったんだ。冬月は美術部へ佐藤は数学研究会の方へな」
「どうしてその二人がその部活だって分かったの?」
「あの机にあった赤い星座だ。冬月のがか座は絵を立て掛ける画架からきている。佐藤のじょうぎ座はそのまま数学で使う定規からだ」
あとは他に……コンパス座は数学で使うコンパス、ちょうこくぐ座は美術の彫刻具、ちょうこくしつ座は彫刻室、けんびきょう座は科学で使う顕微鏡、ふうちょう座は風鳥で思い当たる点が無いのだが…恐らくは科学の風向きを調べる風見鶏からきているのかも知れない。……星座早見盤の上に描かれていたしな。
つまり天文部には美術部員が3名、数学研究会会員が2名、科学部員が2名、計7名の兼部者が居たことになる。七つあった赤い星座とも数が一致する。
「秋森の好きな星座は確か、しし座だったな。しし座は自尊心が強く、強固な意志の強さがあるという意味だそうだ。秋森は天文部で文化祭を成功させたいという強い意志があった……だが、顧問の命令で副部長達を手放さなければならなくなった。内心、大いに焦っただろう。だから今回はそんなことがないように前もって知る必要があった。そして……」
「今回のスパイ騒動が起きたんだ……でもしし座だからって秋森さんがその性格とは限らないでしょ?」
「あぁ、だけど好みによって性格が決まる場合は結構多いぞ? ……それに兼部で部を離れた彼らも別に何もしないまま行った訳じゃなかった」
「え?」
俺は星を見上げながら、その人達がどう思っていたのかを考える。
好きかどうかはいざ知らず、部活に入ったという事はそれに興味があったということだ。
興味あるものを一時的とはいえ、切り捨てなければならないのは結構辛い。
だから、彼らは仲間の為に大きなものを残していった。
「あの巨大な星座早見盤……いや、プラネタリウムか……美術部の者は星座を、数学研究会の者は机を使った仕掛けを、科学部の者は蓄光塗料を、それぞれが協力し合って文化祭の為に作り上げたんだ」
星座の色を赤にしたのは『自分達が作ったんだ!』とアピールしたい為にわざと目立つ色を使ったんだろう。
暗い中じゃ青や緑よりも赤が一際目立つからな。
「……煌めく星々に思いを寄せるかぁ、ロマンチックな青春だね。………………あ、おとめ座見っけ!」
星が輝く夜空の下、ミカンの声を聞きながら俺は星を眺める。
俺もたまには天体観測をしてみるか、と思った夜の帰り道だった。