増えるお金
「起立、礼」
「ありがとうございました!」
午前中の憂鬱な授業がようやく終わりを告げた。これから、1時間は学生なら嫌いでは無いだろう……パラダイスタイムこと昼休みの時間だ。
しかし、パラダイスなのは全員では無い。楽園の中には必ずそれとは正反対の所が存在する。この昼休みとて例外では無い………ある場所が戦場となり、一部の者達は戦士となる。
「おい、大檎! 早く行こうぜ!」
噂をすれば、その戦士の内の一人である浩が教室のドアの前に立っている。
「俺は戦士じゃないから、ゆっくり行く」
「馬鹿か! ゆっくり行ってたら食堂だって席が無くなるだろうが! 行くぞ!」
ズカズカと俺に近付いたかと思うと、今度はグイグイと俺を引っ張って教室から出ていく。
全く、忙しい男だ。
「廊下は走るな」
「小学校か!? んな事言ってらんねぇよ! 早くしないとお前が興味を持っていた鶏南蛮ラーメンも売り切れちまうぞ?」
「よし、ダッシュで行くか」
そういう重要な事は早く言え!
俺は全速力を出して廊下を突っ切った。
「早っ!? ったく、扱い易いのか難いのか……さっぱり分からねぇ」
「う~む……少し遅かったか…」
「またか……仕方ねぇ! いっちょ行ってくるか!」
昼休みという楽園の中にある戦場……そこは学校の食堂だ。しかし、正確に言うと食堂そのものでは無く、食堂のカウンターの隣にある購買という方が正しいだろう。
ただ、購買目当てに人がごった返すので食堂が混んでいると言っても過言では無い。
「ま、死なない程度に頑張れ」
人混みという名の戦場へ出陣した浩に向かって適当に声を掛けた後、俺は食券を買いに券売機の前に並ぶ。
今日は幸いにも席がかなり空いている。
いつもなら、購買での戦いで勝利を得た連中がその休息がてら談笑しながら座るのだが……。
「鶏南蛮ラーメン、一つ」
「はいはい。あ、今日は珍しくラスクもあるからオヤツに買っていかないかい?」
食券を買い、カウンターで食堂のおばちゃんに渡しながら注文すると、不意にそんな事を言われた。
見てみると、購買部と食堂の境目に当たるカウンターにかりん糖に似た色のラスクが入ったバットが置いてあった。
ふむ………手作りか、興味有るな……値段は3枚入りで一つの50円、良心的だ。
「一つ下さい」
「はい、毎度! お金は購買部のカウンターにある箱に入れてね」
おばちゃんに言われた通り、箱にお金を入れてラスクを一つ摘まみ取る。
さて、ラーメンが出来るまで待っているか………ところで、浩はどうしているんだろうか?
「それは俺のカツサンドだぁー!」
妙な叫び声が聞こえたので、その方を見ると浩が人に呑まれている……いや、人混みに呑まれているという方が正しいな。どちらにせよ、大変な思いをしている事には変わり無いが……。
「だ、大檎……助け………」
「俺は戦士じゃないから無理だ」
「い……意味分からな……アァー!!!」
何か言い掛けたみたいだが、生憎周りが五月蝿くてよく聞こえない。
浩は再び妙な叫びを発しながら消えていく………まぁ、アイツが望んだ事だから止める筋合いは無い。
第一、興味が無い。
それにしても、相変わらずの凄まじさだな。こういう人数の多い所だと必ず何かしらが起こるものだ。
面倒が起こらない内にさっさと席について大人しくラーメンを待っているか……。
そう思いながら、その場を離れようとした時だった。
「え、お金が増えてるって……どういうこと?」
ん? この声、どこかで聞いた事があるな……。
もしかして、と想像しつつ聞こえた方へ顔を向けるとそこには、今日の登校中見たあの女子生徒が購買のおばちゃんと何やら話をしている。
確か……お金が増えたとか言っていたな……一体、どういうことだ?
「え、お金が増えてるって……どういうこと?」
人の良い購買のおばちゃんが珍しく考え込んでいたので、あたしは思い切って聞いてみた。
学校に入学してまだ僅かだし、自他共に認める優柔不断な性格だけど……昔から人を見る目だけには自信があった。
だから、この購買のおばちゃんが人が良く、あまり考え込まない性格なんだなぁ、という事は初めて購買に来た時なんとなく感じ取る事が出来た。
しかし、今回……このおばちゃんが考え込んでいる。
一体、何があったのかと聞いてみたところ先程のお金が増えてる、という言葉が返ってきた。
「そうなのよ……購買はいつもこの通りに混むでしょう? だから、買った物の代金は購買のカウンターにある箱にお金を入れるんだけど……今日は何故か百円多いのよ。購買のカウンターには箱が2個あるから、もしかしたら間違って入れたのかしら? だとしたら、早く返してあげないと……」
周りを見ると相変わらず人が多いが、先程よりは少なくなっている。
それもそのはず、購買の物はほとんど完売して品薄状態。あとはジュースの類いしか無い。
「ちっくしょー! 負けたぁ……」
あの男子生徒は購買の争いに負けたんだ……お疲れ様です。
因みにそう言うあたしはもうパンとイチゴ牛乳を手に入れてる、あの人には悪いけど……先に物品を手に入れた勝者だからと言ってあげる訳にはいかない。
これをあげたら、午後からの授業で死ぬ思いをするから…。
「……ってあれ? あの人、朝会った人だ」
会ったというよりもすれ違ったという方が正しいのかな?
という事はもう一人の男子生徒も居るのかな?
そう考えながら辺りを見渡すしていると……。
「なぁ、あんた……朝すれ違ったよな?」
いきなり後ろから声を掛けられた。
振り向くとそこには、黒髪でぼんやりとした目付きの男子生徒が一人。って、この人もう一人の人だ!
「ん? ………浩の奴は敗者となったか…お疲れさん」
その人はチラッと落胆した先程の人を見てそう呟いた。
あ、なんかあたしと同じことを……。
「すれ違ったけど……あの時ちゃんと謝ったよ?」
「俺があんな事を気にしてると思うか? 興味の無いことには関わらない、どんな奴もそうだろ?」
そういえば……浩とか呼んでいた人は あたしの事を遠くに居ても怒ったのにこの人は怒るどころか顔色一つ変えて無かった…。
「俺が興味あるのはお金が増えたとか言ってた事だ」
あぁ……さっきの言葉聞いてたんだ。
「協力してくれるの? ありがとう! あたしは三浦柑奈。友達からはミカンって呼ばれてるの、よろしくね!」
「そうか、俺は水林大檎。水の林に大きい林檎と書いて水林大檎だ」
ミカンこと三浦に自己紹介され、俺も軽く自己紹介をする。というか、初対面からあだ名で呼ぶ奴はいないだろう……。
「へぇ~、意外と難しい字を使うんだ……それじゃあ改めてよろしくね、リンゴ!」
早速、あだ名を付けたか…………まぁ、良い。コイツがどう呼ぼうが興味は無い。
それよりも今は増えた金についてだ。
早くしないとラーメンに間に合わないばかりか、昼休みも終わってしまう。
「簡潔な説明を頼む」
「うん、お金が百円増えたんだって」
それはさっき聞いた。まぁ、金額は分かったから良しとしよう。
「他は?」
「それだけだよ?」
おいおい……簡潔しすぎだろう、3秒で終わったぞ……しかし、この購買ではそれしか起こってないから仕方無い。なんせ、気付いたのがおばちゃんで第三者は三浦だ。この他に誰かからの情報は無いだろうか…。
俺はガックリとしている浩を見る。奴は相変わらず、試合で燃え尽きたボクサーのようになっている。
……アイツから情報を聞くのは無理だな。
「リンゴは何か気付いた事は無い? でも、事情を知ったばかりじゃ分からないよね…」
……ここで俺に尋ねるか……だが、当事者以外の視点という所では食堂サイドの俺も含まれるか…着目点は良い。 何か変わったこと、変わったこと…………食堂が空いていた…いや、たまにある。鶏南蛮ラーメンがあった…いや、関係無い。ラスクが売ってあった……ラスク?
「なぁ、ラスクは購買で売っているのか?」
「ううん、ラスクは食堂のおばちゃんが作るから購買では売ってないよ。食堂と購買の境目のカウンターでは売っているけど、食堂サイドの商品だから……唯一、食券で販売してないものだから……」
食券で販売してない………確かに、お金は箱に入れていた。
「って事は……ラスクを二つ買った誰かが購買の箱に間違って入れたんじゃないのか?」
それなら辻褄が合う。境目で分かりづらいなら尚更だろう。
「でも、境目に有るとはいえ……食堂のお金入れは一つ、購買のお金入れは二つ……間違えるかなぁ? 」
「ん? ちょっと待て、ラスクの代金は購買のカウンターにある箱に入れるんだろう?」
それはラスクを買うとき、食堂のおばちゃんから聞いたから確実な筈だ。
「え? ラスクは食堂の物だから食堂の方の箱にお金を入れるんだよ?」
三浦の言葉に購買のおばちゃんも頷く。
という事は、俺が原因か?
いや、それだとしても俺が買ったのは50円分…すなわち一つ分だから残り50円は別だという事になる。
「俺が原因か? しかし、あとの50円は一体なんだ? 俺と同じく間違って入れたパターンか?」
その言葉を聞いた三浦がラスクのバットと代金を入れる箱を覗き込む。
暫く覗き込んだ後、三浦は首を傾げながら俺に言った。
「でも、減っているのは2つで代金も百円あるから問題ないよ?」
ほら、と言いながら三浦は俺に入っていた百円玉を見せる。
いや、違う。確かに料金は合っているが俺が入れたのは50円……つまり、同じ料金でも中には50円が二つなければならない。
俺がその事を三浦に言うと……。
「じゃあ、きっと……百円しか無かったから中に入っていた50円をお釣りとして貰ったんだよ。そうすれば辻褄が合うよ?」
食堂の方はな、と俺は心の中で呟いた。
だが、それだと購買の方に入っていた謎の百円がうやむやとなる。
それに俺自身、三浦の言葉に一瞬だけ食堂の方の箱に入れたのか? と思ったが、やはり違う。自信を持って言うと混乱するから敢えて口に出さないが、俺は購買の箱に代金を入れた。これは間違いない。
「鶏南蛮ラーメン、出来たよ~!」
そうこう考えていると注文したラーメンが出来上がったと食堂の方から声が聞こえてきた。
……昼休みも長くは無い。先ずは飯を食ってからだ。
だが、この難問のせいで鶏南蛮ラーメンへの興味が削がれてしまった。その上、考えているせいか食べる気も食堂に来た時より失せているようだ…。
「浩~、俺のラーメン一緒に食わないか?」
俺は未だ魂の抜けている友人にそう声を掛けた。
「ありがとう、大檎! 心の友よ~!」
「分かったから、さっさと食え」
あたしは今、リンゴとその友人である浩という人と一緒に食堂のテーブルで昼食を摂っている。
本来なら屋上や中庭にいる友人と一緒に食べるんだけれど、今日に限っては事情が事情なのでここで食べている。
「どうしたの? 食べないの?」
「少し腑に落ちなくてな……」
それはあたしも同じ。さっきは食堂の代金を解決したけれど、根本的な購買の方の代金は依然として解決していないからだ。
「どうも引っ掛かる……俺にはラスクの代金と購買の百円が関係あるような気がしてならない」
「でも、リンゴがラーメンを取りに行ってる間、食堂おばちゃん達に商品の数を聞いて確かめたんだから間違いないよ」
そう………考えを確かめる為、あたしは食堂のおばちゃんに今日のラスクの数を尋ねた。
今日、売っていたラスクは八つ。その内、売れたのは二つ。さっき覗き込んだ時はラスクの数は六つに代金は百円。一つ50円のラスクだから数もお金も合っている。
「………もしかしたら、原点に還ってみて購買の方の商品の数と代金を間違えたとか…」
「あのね、リンゴ。代金が減る可能性はあっても増える事は無いよ? 第一、長年購買で働いている人はそんな事しないよ。う~ん、でも……購買のおばちゃんも具体的に商品の数が幾つとか教えてくれないから……どうなのかなぁ? やっぱり間違い?」
「おいおい、迷うなよ………お、そうだ。浩、ラーメン半分食わせてやってんだから半分の代金を俺に払ってもらうぞ?」
「げぇ~! やっぱり奢りじゃねぇのかよ」
「当たり前だ」
渋々といった様子で浩は財布を開いてお金を出そうとする、その時。
「うぉっ! 金落としちまった!」
チャリンという音と共に百円玉が一つ床に落ちていった。これ、一つなら良いけどたくさん落ちると収集がしにくいんだよねぇ~、しかも恥ずかしいし……。
「買い物とかでよくやっちゃうよね、特に慌ててる時とか…急いでいる時とか…」
「……慌ててる時……急いでいる時……」
突然、リンゴは食べる手を休めてブツブツと呟きながら考え事を始めた。
え? 一体どうしたの?
「なぁ、大檎……なんか食い物ねぇか? まだ腹減るわ……」
「………これでも食ってろ」
完全に思考中のリンゴは浩の方を見ずに、自分が買ったラスクを投げ渡した。
というか、浩……少しは空気を読んでよ…。
「サンキュー! ……お、これってここの食堂の手作りラスクじゃん!」
「知ってるの?」
「あぁ、確か……質の良い見栄えと大きいラスクの方は一枚50円で質の悪いラスクの方は三枚入りで一つ50円だよな? こりゃあ、見た目から見ても質の悪い方だろ? まぁ、腹に入ればそれで良いが……」
浩がそう言ったのを聞いたリンゴは突然、ガタンッ! と音を立てて急に立ち上がった。
あたしや浩だけでなく、周囲に居た人達はその音に驚いてリンゴを見る。
も、もしかして……怒ってる?
「わ、悪ぃ……別にお前がケチだと思って言った訳じゃないんだけど……」
しかしリンゴはその言葉に構わず、食堂のカウンターに向かっておばちゃんに何かを言っている。
もしかして、文句を言っているのかな?
食堂のおばちゃんの誤った情報で間違った所に代金を入れたかも知れないもんね。
そして、暫く話し込んだリンゴは徐にラスクの入ったバットに顔を近付け、何やら数を数えている。
………あれ、数はさっきあたしが教えたじゃん!
「……そうか、そういう事か」
数を数え終え、少し考えた様子を見せた後…リンゴは何かを呟いてからあたしの居る席までやって来た。
「分かったぞ、金が増えた謎が……」
「え?」
「結論から言って、お金は増えていない………そして、間違えたというのも正しい」
「……は?」
何を言っているのかよく分からない。
リンゴはそんなあたしの様子を見ると「ちょっと来てくれ」と言って、購買の方へと向かって行った。
「それで、一体どういう事?」
購買には今、俺と三浦と購買のおばちゃんの三人が居る。
さて、役者は揃ったな。
本当は教えなくても良いが、それだと人が悪いし、いつまでも考え込んでいるおばちゃんに申し訳ない。
「あの増えた金はやはりラスクの代金で間違いないようだ」
「でも、今日売っていたラスクの数は八つ……残った数は現在も六つ。お金は百円………問題ないと思うけど……」
それは前に聞いた。
だから俺は違う切り口を出す。
「だったら、これらを見てどう思う?」
俺はかりん糖に似た色のラスクをバットから二つ取り出すとそれを三浦に見せる。
「えっと………どっちも同じラスクでしょ?」
「三浦、浩がさっき言った事を思い出せ」
「さっき言った事……? ええっと……質の良い方が一枚50円で悪い方が一つ50円の奴だよね? でも、どっちも同じだよ……?」
「俺も最初はそう思っていた……だが、実はこっちのラスクの方が質は良い…らしい」
そう言って、俺は右手に持っていたラスクを三浦に手渡す。
「えぇっ!? こっちが良い方なの! てっきり色が綺麗な方かと思ってた!」
事実、俺もそうだと思っていた。基本、ラスクの種類は俺が知る限り、色が白いシュガーか色が黒い黒糖の二種類だ。いや、もしかしたら他にも種類はあるかも知れないが……俺はこの二種類しか知らない。
普通に聞けば質の良い方と言われると色が綺麗で焦げた後があまり無い方だと思う。
購買に売っていたのはどちらも黒糖味……質の良い方は少し大きく、味もバランスが取れている。一方で質の悪い方は黒糖が片寄り、焦げた後も多いので味のバランスが悪い。 俺達消費者から見たら別に良いのだが、やはり販売者としては良いのと悪いのを混ぜた物を売るのは許せないのだろう。
「因みに質の良い方悪い方、どちらも三枚入りで一つだ。良い方は150円、悪い方は50円……しかも今日はどちらも四つずつで売っていたそうだ」
俺が最初に見た50円の方は悪い方だったが、食堂のおばちゃんに聞きに行った時、カウンターの下に150円と書かれた値札が落ちているのを見つけた。つまり浩の話が正しかった事になる。
もし、気付かずに良い方を取っていたら完全に泥棒になっていた。
「あ、だから食堂のおばちゃんに聞いた後、数を数えてたんだ! あたしはてっきり文句を言っているものかと……」
「間違いは誰にでもある。そんなものに興味は無い」
ただ、情報の信憑性が少し落ちたけどな…。
「でも、そうしたら食堂の箱には200円入っている筈よね?」
購買のおばちゃんの言う通り、そうなると今度は食堂の代金が百円足りなくなる。
そう……百円……。
「あ! もしかしてその増えた百円って食堂の…!でも、そうなるとバラ売りでも無いのにどうして50円だけ購買の箱に入っていたのって話になるよね?」
「まぁ、今度はそうなるよな……こればかりは俺も想像でしか言えないが……」
ゴホン、と咳払いをした後、俺は二人に向かって言葉を続けた。
「恐らく、俺の入れた50円は購買側の箱に入っていた。そして、150円もまた食堂側の箱に入っていたんだ」
「この時点ではまだ150円あったんだね」
「あぁ……だが、とんだ拍子に誰かが購買の箱と食堂の箱を落としてしまったんだ」
「落とした? なんでまた……」
「昼の購買は戦場だからな、押したり押されたり……特にカウンター付近はそれが激しいだろう。………購買の代金入れの箱は、中央にいるおばちゃんに注文してから左右に抜け、流れをスムーズにする為に両端に置いてある。その内の一つは例の食堂の代金入れの近く……すなわち境目の所に置いてあった。もし…人混みの中で誰かが食堂と購買の箱を巻き込みながら押されて倒れたとする……勿論、箱の中に入っているお金も散らばる訳だからそれを慌てて拾おうとする筈だ……」
「でも、箱を落としたら誰かが気付くんじゃないの?」
「気付く……か、多分それは無いな」
「どうして?」
「あんな騒がしい人混みの中だぞ? 落ちたときの音は掻き消されるし、両端に箱がある訳だからほとんど気付かない。皆、注文するのに必死だし…おばちゃんは注文をうけるので精一杯だからな…」
そう言って顔を向けるとおばちゃんは無言で頷いた。
どうやら本当に気付かなかったらしい。
「話を戻すぞ? その人は慌てて拾ったは良いが、購買と食堂……二つの箱に入っていたお金が合わさってしまった為、どれがどのお金か分からなくなってしまった………購買の分のお金が多いんだ。当然だな……だから、その人は先に食堂のお金を戻そうと考えたんだ。食堂の方はラスクだけだし、売れた数も購買より少ないからな……」
「ちょっと待って、どうしてその人は売れた数が少ないって分かったの?」
「それは、その人もお前と同じく購買と食堂について詳しかったからだ」
俺は三浦の方に顔を向け、そう告げた。
少し考えたらおかしな事だ。俺が最初にラスクについて触れた時、三浦は「減っているのは2つ」と言った。まるで、初めから売られている個数が分かっているかのように……。
だからラスクの正確な個数を聞く時、俺は…いつも売られている個数は八つか、とついでに聞いてみた。
すると案の定、ラスクの数は毎日同じだという事が分かった。
「ラスクの数は毎日同じ……これは購買や食堂に通う奴なら誰でも知っている事だそうだ。……んで、また戻すが…その人はラスクの数が2つだけ減っている事に気付き、50円の値札を見てその分の代金を入れて、他のお金を全て購買の箱の中に入れて戻した。…その減ったラスクの中に150円の物があると知らずにな」
ここまで来て二人もようやく気付いたみたいだ。
つまり、増えた百円は俺の50円と150円の内の50円であり、商品の数が変わらなかったのもそれが原因だったのだ。
これが頭に浮かんだ瞬間、俺は食堂のおばちゃんが金額を数えればすぐ解決したのでは無いか? と考えた。
しかし、俺に間違った情報を教えてしまう程のおばちゃんだ。恐らく、数えるのは昼休みが終わってからだろう。それに、足りなくても……百円くらいは良いか、と甘く考えるかも知れない。
「なるほどねぇ……でも、そこまでこの食堂と購買に詳しい人ならラスクにも気付くんじゃないかしら?」
購買のおばちゃんが納得したようでしてないといった様子で俺に尋ねてくる。
「あの混雑している中で少ししか違いの無いラスクを見分けろっていう方に無理があるんでは?」
「あぁ……確かに。まぁ、どうして増えたのかって事が分かったから、私は安心したわぁ~。ありがとね」
「いや……」
俺はそれだけ言うとチラッと三浦の方を見た。三浦はなぜか先程と違い、黙ったまま俺の事を見ている。
「………さて、昼休みもそろそろ終わるし……教室に戻るとしよう。お~い、浩」
昼休みの残り時間があと5分を指している時計を見て、俺は浩に声を掛けた。しかし、当の本人の姿はもうどこにも無い。
「…先に戻ったか。まぁ、良い。興味の有る事はもう無くなったからな……」
俺はそれだけを呟いてから教室に戻る為、食堂を後にした。
「………」
「ねぇ、待ってよ!」
「ん?」
食堂から教室まで続く渡り廊下を歩いていると、不意に誰かから声を掛けられた。
「なんだ? 三浦」
「……」
俺は振り向きながら、その声を掛けてきた人物に尋ねる。
だが、声を掛けてきた三浦は黙ったまま何も言おうとしない。
「用が無いなら、もう行くぞ?」
「……どうして…」
「ん?」
「…どうして、あたしの事を言わなかったの? それにいつから気付いたの?」
「……あぁ、お前が箱を落としたって事か?」
箱を落とし、お金が増える原因を作った人物……三浦柑奈は絞り出すようにしてそう言った。
「どうして言わなかったか…………食堂でも言った筈だ。間違いは誰にでもある、とそれに俺が興味があったのは金が増えた事だ。それ以外は興味は無い」
興味が無い事には関わらない………事実、誰が何をしようがそいつの勝手だし何かの犯人だとしても、俺は探偵でも何でも無いから追求はしない。俺が追求するのは、俺の興味を掻き立てるものだ。
「あと、いつから気付いたか………そうだな、お前が俺にラスクの代金を入れる箱は食堂側だって事を教えてくれた時からだ」
あれもよく考えたらおかしい事だ。どうして、食堂内で働く人でも無いのに、あんな情報を知っているか……。無論、それだけなら食堂や購買を利用する奴なら誰でも知っているだろう。だが、三浦には他にもおかしな点があった。なぜだが、俺の考えの矛盾点を多く言っていた点……そして、俺が代金を購買側に入れた事を徹底的に批判する点。
自分が知っているラスクの数をわざわざ食堂のおばちゃんに聞いて確めたのは、俺に自分の考えが正しいという事を証明する為の芝居だろう。
お陰で危うく騙され掛けるところだったが、幸いにも浩の情報とそれを元にした情報の再確認で難を逃れる事が出来た。
流石のこいつもラスクの質までは本当に分からなかったらしい。
「でも、それだけで……」
「あぁ、強いて言うとそれだけじゃない。これは後付けだが、お前が最初に購買のおばちゃんと話していたのは、自分の落としたお金が足りなくなってないか確かめる為だったんじゃないのか?」
普通、物を買い終えたら真っ先に食堂から出る筈だが、こいつはまだ購買にいた。大方、自分が落としたせいでお金が足りなくなっていたら探すつもりだったんだろう。
「……」
「でも、増えていたから逆に内心驚いた」
「……うん、すごくビックリした。そして、どうして増えたのかにも…………ありがとね。リンゴのお陰で安心出来た」
三浦はホッとしたような顔をしてお礼を言ってきた。
こいつ自身も恐らくハラハラしたに違いない。
だから、俺もこう言った。
「気にするな。こっちもお前のお陰で金をちゃんと払う事が出来たんだからな」
この出来事が無かったら今度は50円足りない! と食堂の方で騒ぎがあっただろう。
今回は俺とこいつが原因で起こったこと…だから別に自分だけと気にする事は無い。
そう思っていると校内に午後の授業を知らせるチャイムが鳴り響く。
「あっ! 授業が始まっちゃう! じゃあ……またね、リンゴ! 本当にありがとう!」
「あぁ、じゃあな」 またかどうかは分からないが……なぜか俺は再び会う、という予感を走り去っていく三浦に感じていた。
…………まぁ、良い。
そんな何が起こるか分からない先の事に興味は無い。
俺は小さく欠伸を一つすると、午前よりもっと憂鬱な午後の授業を受けるために自分の教室へ向かって再び歩いて行った。