第四章⑪
教会の扉。
それを両手で押し開いて。
叫び声を上げたのは。
かつらを被り、メイド服を着用し、白いふりふりのスカートを穿き、魔法のようなメイクで女装をした船場だった。きちんと内股で立っている。
内海が彼の女装姿を目撃するのは、これで五度目。
悪くないが。
良くない。
徐々に完成度は高くなるが。
微妙。
ていうか。
なんで女装なんてしているの?
なんでココにいるの?
内海は船場に冷ややかな視線を送るしかない。
船場は睨み返してくる。
こちらに向かって息せき切って歩いてくる。
近づいて分かる。
理由は分からないけれど、腕や太ももや頬など、船場の至る所に擦り傷があった。ストッキングは破れ、きちんと脱毛された足が見える。かつらは乱れ、緑の葉が付着していた。
本当に訳が分からない。
「ちょっと、ちょっと、ごめんなさいね、」船場の口調はニューハーフだった。長い訓練の成果で、ザ・テラス・ドール・シスターズの男たちは女装をすると、何も考えずとも口調が変化するのだ。船場はズシズシと寄り添っていた二人の間に身を割り込ませた。そしてナオミコを庇うように内海と向き合う。そして流し目で言う。「ちょっと、お姉さん、どうか、どうか、うちの妹をかどわかさないでくださいまし、この娘にはこの人と心に決めた相手がいるんです、あなた以外に好きな人がいるんです、申し訳ありませんが事実です、この娘があなたとキスをしようとしたのは、ほんの一瞬の気の迷いというものです、ですから今日のところはお引き取り願えますでしょうか?」
船場は手を重ね、お辞儀をする。そのお辞儀は洗練されていて無駄がない。これも訓練の成果だ。
「な、ナオズミ!?」ナオミコは船場の後ろで声を張り上げる。ナオミコの顔はとてつもなくピンク色だった。「な、なななな、なんでここに、こんなところにいるのよ!? 一体、何しに来たのよ、それも女装男子姿で!」
内海はこんな風に怒りの形相を浮かべてヒステリックなナオミコを始めて見た。いや、どことなくその片鱗は感じていたが、いざ直面すると思わず仰け反ってしまうほどの剣幕だった。
「気持ち悪いんだよ! くたばれ、黙れ、ウチ帰れ、変態!」
ナオミコは怒りの色を濃くしていく。
しかし。
罵倒されても、船場は全く怯まない。意に介せずという風に、船場は優しくナオミコの肩に手を置く。
「触らないで! 触るな!」
ナオミコは必死に船場の手を振り払おうとする。
船場の手はしかし、離れない。微動だにしない。揺るがない。
「ナオミコ、私はあなたを保護しに来たの、さあ、一緒に帰りましょう、今日はあなたの大好きなハンバーグよ」
「何が保護よ! え、何、まさか今までずっと付けてきたわけ!?」
「発信機を付けてね、」船場はトランシーバのようなものを見せる。「この発信機は高性能でね、声も拾えるの、だからあなたたちの会話も全て聞こえていたわ、とても耽美で私を苦悩させるラブ・コミュニケーションは全て聞こえていたわ」
「信じられないっ! 最低!」
「酷い、最低だなんて、なんて悪い言葉を言うのかしら、私はナオミコのことが心配だったのよ、ずっと心配だった、変だと思っていた、そしたら案の定、大学生のお姉さんといちゃついていた、ヒロミという大事な幼馴染がいるのにも関わらず綺麗なお姉さんとキスしようとしていた、今のお姉ちゃんの気持ち分かる? とっても悲しい気持ちなのよ、とっても寂しい気持ちなのよ」
「あんたはお姉ちゃんじゃないでしょ、男でしょ!」ナオミコは船場のかつらを引っ張って取った。船場の本当の髪の毛は短い。メイド服には似合わない。「お願いだから邪魔しないで、私と先輩の大切な時間を邪魔しないで、私は先輩の彼女になるんだから!」
「ヒロミに抱いていた気持ちは嘘だったのか?」
船場の口調は変化していた。
きっとかつらがないからだ。
そして。
目の色も変わる。
深く濃く遠い色。
魔法使いのような目をする。
「俺に熱く語ったヒロミへの想い、俺は覚えているよ、全部覚えている、それは永遠のものだと思った、何があっても揺るがないものだと思った、真実だと思った、でも、それは泡沫のものだったのか? 全部、全部、何もかもが嘘だったと言うのか? なあ、ナオミコ、どうなんだ、どうなんだよ、俺に教えてくれよ、ナオミコ!」
船場の声は白く明るい、静かな教会に響く。
残響を聞く。
内海は。
ナオミコをじっと見つめていた。
見つめるナオミコの表情は。
段々と変わる。
段々と。
陰の量が増えて。
瞳には光を反射して輝くものが溜まっていく。
溜まって。
それは。
堪えきれずに。
頬を伝う。
伝って落ちる。
紅い絨毯は落ちたそこだけ僅かに色を濃くする。
「……だ、だって、」ナオミコは手で目元を隠す。「……ヒロミは、ヒロミは私に振り向いてくれないもの、ヒロミは百合じゃないもの、無理だもん、無理、絶対無理、ヒロミの彼女になれるわけがなかったんだ、最初から、抱いた気持ちが間違ってたんだ、ずっと近い所にいたからもっと近くなれる気がした、でも、気がしただけで、現実に無理だったんだよ、でも、先輩は、先輩は私を慰めてくれた、優しくしてくれた、抱き締めてくれた、だから私は先輩の彼女になるの、ヒロミの彼女になりたかったのは真実だけど、それはもう、違うんだ!」
「違わない!」船場はナオミコの肩を強く揺らす。「違わないだろう!」
「違うもん!」ナオミコは船場から離れようともがく。「痛い、離してよ、バカっ!」
「じゃあ、」船場はナオミコを離さない。「じゃあ、なんで、なんでなんだ、なんでお前は泣いている!?」
船場の強い声に。
ナオミコは静かになる。
きっと。
そう、きっと。
自分の気持ちに嘘が付けなくなったんだ。
ヒロミのことが好き。
その気持ちに。
真実に。
偽ることが出来なくて。
静かになった。
「いくら辛くったって、いくら苦しくったって、ナオミコがヒロミに告白しなきゃ何も始らないだろ、ヒロミから逃げて、嘘の気持ちのままお姉さんと付き合ったって、辛いだけじゃないのか?」船場は早口で言って、そして内海を見た。「ねぇ、お姉さん、あんたもそう思うでしょ?」
内海ははっとして、ぎこちなく頷いて。
もう一度、頷き直す。
船場の言う通りだ。「ええ、私も、そう思う、そう思うわ、ナオちゃん、お兄さんの言う通りよ、」内海はナオミコに近づき、そっと抱き寄せた。「自分の気持ちに嘘をついちゃいけないわ」
「……ごめんなさい、私」ナオミコは内海の胸に顔を埋める。
「謝らなくていいわよ、」内海は言って抱き締める力を強くする。「謝らなければいけないことなんてない」
謝らなければいけないのは私の方。
ナオミコの気持ちを分かっていながら。
私は……。
「私の方こそごめんね、ナオちゃんのことが好きだったから、ナオちゃんの本当の気持ちを知っていたのに、大切なアドバイスをしてあげられなかった、駄目な先輩だね、ごめんね」
「先輩は謝らないで、先輩は何も悪くないから、駄目だったのは私、嘘をついて、ヒロミのことが好きなのに、先輩に甘えるだけ甘えて、困らせて……」
「いいのよ、」内海はナオミコの涙をそっと拭う。「でも、これからはちゃんと自分の気持ちに正直になること、大切にすること、分かった?」
ナオミコは小さく頷いた。
涙を拭いて笑顔になる。
そして慌てて言う。「で、でも、でも、でもでも、私、先輩と離れたくない、先輩とこれからも一緒にいたい、お願い、お願い、先輩、どこにも行かないで」
離れたくないと。
ナオミコは抱きしめる腕に力を入れて。
いやいやと内海の体に顔を埋めた。
ナオミコは自分を必要としてくれている。別に恋人同士じゃなくたって、ただそう思ってくれるだけで、内海は堪らなく嬉しかった。
ナオミコがヒロミのことを好きでも構わない。
彼女になっても構わない。
ナオミコが自分の存在を必要としてくれるだけで。
こんなにも嬉しい。
「バカね、ナオちゃんはいつも極端なんだから、いつだって辛いことがあったら、私のところにいらっしゃい」
そして。
内海はサプライズを思いつく。内海はおもむろにポケットの中から小さな十字架を取り出す。古典の真似事で先代の会長からもらったロザリオだ。内海は首には下げていなかったけれど、常にそれを持ち歩くようにしていた。
ナオミコの瞳はロザリオに釘付けだった。
耳たぶまでピンク色に染まる。
「これ、ナオちゃんの首に掛けていい?」
「は、はい、」ナオミコは感動してくれているらしい。震える声が聞けて内海は素直に嬉しかった。「もちろん、」ナオミコは姿勢を正し、五指を組み、目を伏せた。「……イオリお姉様」
内海はロザリオをナオミコの首から下げようとする。
しかし。
その時だ。
「そのロザリオ、ちょっと待った!」
船場のストップが掛かる。
「何?」内海とナオミコは同時に振り向き言った。いわゆるシスタの関係を結ぶロザリオの授受の儀式を邪魔されて愉快なはずはなかった。怒りは目元に出てしまう。
「駄目だ、駄目だ、駄目だ、それだけは駄目だ!」船場はがなっている。
「……何が駄目なの?」内海は聞く。
「俺が、俺だけがナオミコのお兄ちゃんなんだ、ナオミコにお姉ちゃんはいらない、お兄ちゃんの俺だけがいればいいんだ、兄妹の間に他者の介入は一切認めない、認めたくない、認めてたまるか、お姉さまが欲しければ、」と船場はかつらを拾って被り直し、一回転してポーズを取って言う。「私がお姉さまになってあげるわっ!」
「…………」
さっきまで正確なことを言っていた人間はどこに……。
内海は落胆する。上り調子だった船場の株はここにきて、歴史的な大暴落を記録。
内海とナオミコは軽蔑の眼差しを船場に送ると無視を決め込んだ。
ロザリオの授受を再開する。
船場はしかし。
ナオミコのことになると。
往生際が悪い。
「待ちなさい、まだどっちをお姉様にするか返事を聞いてない!」船場は叫んでいる。「ナオミコと私は血が繋がっている姉妹なんだからね!」
そんな下らない主張に影響されることはなく。
儀式は終わる。
ナオミコは首に下げたロザリオを濡れた目で見て、触って。
内海の腕を抱き締めて。
小さく息を吐き。
船場に向ってとても愉快そうな微笑を向けて。
「私のお姉様は、世界にただ一人、イオリお姉さまだけ、」高らかに言う。「他にお姉様はいらない、イオリお姉様がいれば大丈夫!」




