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チョコレート・ムース・レシピ  作者: 枕木悠
第四章 アブサッド・スピーチ
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第四章⑩

そして。

夏の終わり、八月三十日に時間は戻る。

メイド喫茶ドラゴン・ベイビーズから出た内海とナオミコは手を繋ぎ、地下街から地上へ出て静かな裏路地を歩いていた。二人は狭い歩幅で錦景市産業会館の前の緑地公園を目指していた。提案したのはナオミコだった。静かな公園で二人きりになりたいと言った。それはつまりどういうことだろう。いや、予測は出来る。おそらくナオミコは内海に告白をしようと企んでいるのだ。まだ二人はそういう関係を言葉で確認し合ってはいなかった。でも、デートのようなこと、というか、デートをしている。そんな微妙な関係。微妙な関係に終止符を打とうというナオミコの気持ちは素直に嬉しい。

でもしかし。

内海の足取りはあまり軽くない。

内海の脳ミソには気がかりがあり続けていたから。

 ナオちゃんはヒロミちゃんのことが。

好きなんでしょ?

 内海はあの夜、電話をしてきても構わない、という旨のメールをナオミコに返信した。それから十分も経たないうちにナオミコからの着信があった。内海はアメリを起こさないようにベッドから出て、電話に出た。聞こえてくるナオミコの声。それはとても悲しそうだった。話を聞く。失敗したらしい。ナオミコはヒロミに告白することが出来なかった。だからナオミコの声は震えていて、とても小さかった。

「大丈夫、」内海はなんの根拠もないアドバイスを送った。「諦めないの、まだ諦めるのは早い」

 内海の短いアドバイスにナオミコは頷いた。

そして二人で会う約束を交わした。

 綺麗な髪の毛の色と目の色を取り戻した内海を見て、ナオミコは顔をピンク色にした。それは内海にとって嬉しい反応だった。悪い気持ちにならなかったといったら正直じゃない。ナオミコとやり直したいと思わなかったと言ったら正直じゃない。

 それから二人は度々会って話をした。話をするたびに、内海とナオミコの人間関係は変化していく。いや、三年前に戻ったと言った方が正確かもしれない。ナオミコは内海のファッションを真似始めた。内海はそんなナオミコの変化を好ましく思いながら、複雑だった。ナオミコがヒロミのことを愛しているのは変わらない事実であることは分かっていた。ナオミコが内海の近くにいてくれるのは、ナオミコの恋が叶わないからだからということは分かっていた。

 内海はナオミコの恋を応援しなければいけないと思う。

 でも。

ナオミコが心地よく甘えてくるから。

優しくしてしまう。

手を握られたら、握り返してしまう。

でも。

これで。

本当にいいのだろうか?

内海の中にはナオミコを独占してしまいたい気持ちがある。ナオミコの幸せのために、ヒロミへの恋心に向き合ってもらいたいという気持ちもある。

つまり、揺らいでいる。

盤石じゃない。

微妙。

無理なバランスで、二人は歩いている。

この曖昧さに内海は甘えていて。

どちらか一方になることを嫌がった。

内海がナオミコの彼女になるのも。

ナオミコがヒロミの彼女になるのも。

どっちも嫌だった。

考えると辛くなる。

だから。

答えを先延ばしにして。

ナオミコとの甘いひと時を、内海は出来るだけ長く、味わっていたかったのだ。

最低だ。

ハッキリさせるべきだ。

ナオミコは中途半端で微妙な関係を嫌がっている。

ナオミコは内海の彼女になりたがっている。

告白されたら。

私は。

ハッキリ応えることが出来るだろうか?

なんて答えればいいのだろう?

比較的近いところからパトカーのサイレンが聞こえる。

どうしたらいいの?

ナオミコは内海の手を引っ張り、半歩前を大股で歩く。

ナオミコは急いでいるようだ。

急いでいる。

横顔から分かる熱っぽい決意。

内海はその決意を。

裏切りたくはないと思った。

緑地公園に入り、二人は緑の濃い奥の方へ進む。ナオミコはさらに強い力で引っ張った。再会したあのイベントの日に語り合った噴水の場所まで行く。白い石材に囲まれた円形の噴水。噴水は水を天に向かって打ち上げていない。溜まった緑色の水。水辺を好む植物の隙間から、水面に近いところを泳ぐ金魚を見つける。

白勝ちの桜錦が独りで泳いでいる。

「先輩、」ナオミコは内海を見上げて言う。「教会は開いているでしょうか?」

 二人は噴水の先、石畳を歩いて、段数の少ない階段を登って、公園のオブジェと化した教会の重厚な扉を押す。力を込めると奥へ開いた。出来た隙間から覗くと、中は薄暗い。奥の十字架の上の色彩豊かなステンドグラスが注ぐ光が、唯一の光源。音がない。しーんと静まり返っていて誰かがいる気配はなかった。不用心だと思った。ここの管理はどうなっているのだろう。しかし廃墟ビルのように荒らされた形跡はなく、むしろ掃除が行き届いているという感じだった。目を凝らすと奥には扉が二つあった。そこに誰かがいるのかもしれない。

 内海が覗いていた隙間が大きく開く。

 ナオミコが扉を押して中に入ったのだ。

「あ、ナオちゃんってば」

 ナオミコは返事をせずに中央に敷かれた絨毯の上を歩いて行く。内海も遅れて中に入った。空気はひんやりとして内海は自分の腕を一度擦った。

「幻想的ですね、」結婚式で牧師が立つ位置まで歩いて、ナオミコは振り返る。その場所にはステンドグラスを透過した様々な色の付いた光が落ちていて、そこに立つナオミコの体には色が付く。「ここだけ世界が違うみたい」

「ナオちゃん、もう戻ろう、」内海は歩きながら周囲を見回していた。「誰かに見つかったら、怒られちゃうよ」

 ナオミコは内海よりも二段登った先にいる。ナオミコは微笑んで内海を見下ろす。「先輩、こっちまで来て」

内海はナオミコから目を逸らした。

するとナオミコは手を伸ばして内海を引っ張り、無理やり色のある光の中に連れ込む。

「や、ちょっと、」内海はナオミコと向き合う。「……もう、どうしたの?」

彼女の呼吸は荒い。

「……ナオちゃん?」

「ナオミコって呼んで下さい、」教会にナオミコの声が響く。ナオミコは首を大きく横に振る。「ううん、ナオミコって呼んで。私も先輩のこと、イオリって呼ぶ、私、イオリのことが好き、本気で好き、大好き、イオリの彼女になりたい、恋人同士になりたい、だから、私のことをナオミコって呼んでほしい」

 心臓が鳴る。

 凄く鳴る。

 瞬間的に。

 頭がぼうっとなった。

熱があるみたいだ。

 とても熱い。

 とても嬉しい。

 幸せだ。

 私は幸せ。

 でも。

 素直に嬉しいと思えない。

「……でも、」内海はナオミコから顔を背ける。「……でも、ナオちゃんはまだ」

 そう。

 まだ。

「ヒロミのことは関係ない!」ナオミコはヒステリックにがなる。「今の私はイオリのことが好きなの!」

 内海はナオミコの瞳を見つめる。濡れている。揺らいでいる。

 揺れる。

 ぐらつく。

 ナオミコのヒステリィに当てられ。

 理性的なものが。

 限りなく理性的なものが。

 消去された。

 消去されてしまったようだ。

 内海はじっとナオミコを見つめ。

 彼女の頬を優しく触り。

 目を閉じる彼女に応じて。

 目を閉じた。

 そして。

 しかし。

 今。

 この瞬間。

 瞼が包む暗闇を消し去る。

 ストロボ。

 ストロボが焚かれた。

 ストロボが体に纏わりつく。

そんな感覚に襲われる。

 咄嗟に目を開ける。

 明るい。

 とても明るくて、眩しいくらいだった。

 頭上の教会の照明が全て白く発光していた。

 そして。

「ナオミコ!」

 声がする。「あなたは終わりにしたいわけ!?」


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