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チョコレート・ムース・レシピ  作者: 枕木悠
第四章 アブサッド・スピーチ
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第四章⑧

内海は三十分間自転車を漕ぎ続け、城壁と比喩しても大げさじゃない、錦景女子高校の背の高い門の前まで来た。徐々にオレンジの色が空に付き始める時刻。しかしまだ暑い。夏休みの土曜日だ。錦景女子のセーラ服を纏った女子の往来は少ない。正門から伸びる群青と紫陽花色の煉瓦道の上を歩いているのは今、三人。

 内海は自転車を押して、僅かに開かれた門の隙間を通って、錦景女子の敷地の中へ入る。門から右方向に駐輪場があるのは知っていた。内海はそちらへ向かおうとした。そのタイミングで誰何された。「ちょ、君、何勝手に入ってるの?」

 振り返ると警備員の格好をした、いや、警備員なのだろう、内海よりも背の低い女性が門の裏手にある詰所から慌てて飛び出してきた。「認可は降りてるの? その制服、中央?」

「はい、いえ、認可はないんですけど、」警備員の女性の帽子は斜めにずれていた。ネクタイも解けかかっている。目は半開き。もしかしたら居眠りをしていたのかもしれないと内海は思う。「その、友達に会いに来たんです」

「部外者はきちんと受付をしてくれなきゃ困る、」警備員の女性は目を擦って、帽子の位置を直して、腰に差した警棒で肩を叩く。「ああ、自転車は向こうに停めて置いて、停めたら案内所に来て受付を済ませて頂戴」

 内海は駐輪所に自転車を停め、詰所に戻る。透明なプラスチックの窓の向こうに先ほどの警備員が座っていた。どうやら彼女一人だけらしい。「ここに学校名と氏名と来校目的を書いて」

 内海は窓の下の隙間を通ってこちら側に来たクリップボードの上の用紙に記入事項を書いて戻した。警備員の女性は内容をチラッと確認しただけだった。クリップボードをデスクの端に寄せた彼女は受話器を耳に当てながら内海に聞く。「友達のクラスと名前は?」

「クラスは分からないんですけど、二年生です」

「名前は?」

「散華シオン」

「ああ、店長ね」警備員の女性は微笑んだ。

「店長?」

「待ってね、」警備員の女性は短縮ボタンを押す。「……あ、店長、君の友達が今、門まで来てるんだけど、……えっと、内海イオリさん、……え、会いたくないって? ……え、やっぱり会いたいって? ……いや、どっちだよ、とにかく、彼女、こっちで待っているから迎えに来て、」彼女は内海を見て言う。「というわけだから、ちょっと待ってて、すぐに来ると思うから」

「ありがとうございます」内海はお礼を言って、詰所の白塗りの壁に背中を預けた。

 いろいろ考えることがある。

 どんな顔をしようか。

 なんて謝ろうか。

 彼女のことを見ることが出来るだろうか。

 とにかく。

 倒れそうなくらい。

 辛い時間だった。

 内海はずっと足元を見ていた。

 何度も呼吸を整えた。

 そして。

 近づく足音を聞く。

 足音は少し遠い煉瓦の上で止まった。

「……イオリちゃん?」

 懐かしい声。

散華の声を聞く。

 顔を上げて彼女の姿を確認して。

 内海は眼鏡を外して「シオン」と彼女の名前を呼んだ。

 ぼんやりとした視界の中の散華は内海にゆっくりと近づく。

 そして。

「信じられないっ!」叫んだ。「信じられないっ! 今頃やってきて、今頃やってきやがって、今頃やってきたってもう遅いんだっ! 遅いんだよっ!」

「シオン、」痛い心臓を堪え、内海は散華に歩み寄って、首を前に傾けた。「本当に、ごめんなさい」

「なんで、なんで、今頃? 謝っても、もう遅いんだ、私はもう変わっちゃったんだ、変わっちゃったんだよ、イオリちゃんのことを待ってる私は、もういないんだ、困るよ、めっちゃ困る、非常に困る、もうね、もうね、いないんだよ、イオリちゃんの好きだった私はもういないの、あの頃の私はもういないの、あなたも私の世界にいないはずだった、……でも、それなのにいる、そこにいる、なんで?」散華は大きく息を吸って、吐いた。その呼吸の音が聞こえた。「……どうして私に会いに来たの?」

「ずっと謝りたかった」内海は散華の目を見つめた。逸らさないように、意識した。

散華も目を逸らさない。強い意志のある目で言う。「……私は怒ってるんだよ」

「うん、分かってる、私が悲しい気持ちにさせたから」

「全然分かってない、」散華は内海に接近して言う。「イオリちゃんは何も分かってないよ!」

「え?」内海は目を逸らしてしまった。「……うん、ごめん、散華のこと、駄目だ、全然分からないや、分からない、ごめん」

「邪魔をしたから、コーヒーを淹れる邪魔をしたから私は、私は怒ってるの!」散華の声は涙に濡れ、揺れていた。「……悲しい気持ちになんてなってない、……今の私はとっても、とっても、」散華は鼻をすする。「なんていうか、ああ、もう、なんていうかね、」散華の赤い眼が見える。「嬉しいんだよ、嬉しくてしょうがなくて、ああ、もう駄目だ、ああ、涙が止まらない」


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