第三章⑧
「以上、ご静聴ありがとうございました」
芹沢は滞りなくナオミコに関する問題を説明すると深々と天野に頭を下げた。
一方で説明を聞き終わった天野は見事なまでのノーリアクションだった。事情を聞く前のあの激昂は一体なんであったのかと問いたくなるほどの平静さをその理屈っぽい顔から振りまいている。
「何か言えって、」船場は天野を睨んで言う。「お願いだから、何か言ってくれって」
「……いや、カオス過ぎて、はは、」天野は無理して微笑んだ。唇の半分しか笑っていなかった。「これはフィクション?」
「これはノンフィクションです」船場は即答する。
「……要は船場の妹がアブで、幼馴染の女の子のことが好きで、でもその子には振り向いてもらえない、自分の気持ちをごまかして大学生のお姉さんと付き合っている、それはとても大変だってこと? あってる? 大丈夫?」
「うん、」船場は頷く。「心配だろ?」
「船場が心配する気持ちも分からなくはない、けど、でも船場の妹がアブだからって大学生のお姉さんがアブてことでもないだろうし、いや、まあそうだったとしても、船場が口を挟む問題じゃないんじゃないの?」
「さっきまでの威勢はどこ行ったんだよ」
天野は首を竦めてクリームソーダを飲む。「話が変った、なんつうか、難しいよ、複雑、アブだなんて、妹がアブだなんて、脈なし、手が届かない、なら放っておくのが一番、それが俺にスタンスだし、それにどうしようっていうの? 二人を探し出して分かれろって、もう二度と会うな、とか強要すんの? それは船場、お前の勝手なわがままじゃねぇの?」
「そうかもしれない、でもな、俺には分かるんだよ、ナオミコの気持ちが、ナオミコは本当はヒロミの彼女になりたいんだよ、それなのにあの人の彼女をしてるんだ、それはなんていうか、間違っていることだ」
「っていうかさ、アブの時点で間違っているんじゃね?」
「お前、もう一度言ってみろ!」船場は天野の胸倉を掴むとそう怒鳴りつけた。「間違ってねぇ、アブは間違いじゃぇねよ、っていうか、アブじゃねえんだよっ! 百合だよ。百合!」
「ちょ、落ち着けって、」天野は船場の手を振りほどき、襟を正す。「百合だろ、百合、気をつけるよ、全く、」天野は息を吐く。「……会長はどう思います?」
芹沢は淡々と話始める。「天野の意見と同じ、船場の主観を取り除いて、話を腑分けする限り、船場の妹はあまり、危険ではないと思う、ノウ・ハイ・アラートだ、いちゃつく二人を見て頭に血が昇る船場の気持ちはよく分かるが、とてもよく分かるが、放っておいて構わないんじゃないか?」
船場は返事をせず、コーラに口を付けた。
確かに。
芹沢と天野が言うように別にこのままでも何も、問題はないだろう。
大学生風のお姉さんとナオミコが並んで歩く姿は本当に似合っていたし。
ナオミコも笑顔だった。
しかしでも。
ナオミコの気持ちは。
ヒロミへの気持ちは。
「船場、」芹沢は肩を叩く。「そう、暗い顔をするなよ、協力しないと言っているわけじゃない、せっかく三人の人間が揃っているんだ、船場の問題を一つ一つ洗って、取り除いていこうじゃないか、焦っても問題は解決しないだろ?」
「か、会長、」船場は芹沢の手をとって、ひしっと握り締めた。「俺、やっぱり好きです、大好きなんです」
「……は?」芹沢は目を点にした。「え、俺のこと?」
その反応に慌てて言い直す。「ち、違います、妹のことです、俺、妹のことが大好きです」
「ああ、そうだよね、」芹沢は船場から手を離して息を吐く。「ビックリした」
「ほんと、ビックリした、」天野も胸を撫で下ろしながら言う。「頭がおかしくなってアブになったのかと思いましたよ、沙汽江が喜ぶシチュエーションが完成したのかと思いましたよ」
「おい、ふざけたこと言ってんじゃないよ、」船場は鋭く天野を睨んだ。「こっちは本気なんだよ、マジなんだよ、アブとか、いちいちうっせんだよ、人間の価値は性癖で決まるもんじゃねぇ、そうだろ?」
天野は「は、はい」と静かに頷く。「すげー正論っす」
そこで芹沢は一つ咳払い。「えーっと、まあ、話を進める前にだな。……前提としてそもそも僕たちはアブについてよく知らない、ということでアブに造詣の深い内海をここに呼び出して色を付けて説明してもらおうと思うのだが」
そう提案しながら芹沢は自分のスマホを取り出して、内海が机の上で腹ばいでドラゴンのポーズを取っている謎の恐怖画像と一緒に電話番号を画面に映し出し、船場と天野に見せた。「いい?」
「あの、とりあえず、アブじゃなくて百合って言ってもらえませんかね?」
「ああ、すまんな、……百合だな、百合」
「気を付けてくださいよ、俺らには小さなことかもしれないですけど、そういった小さなことが紛争の引き金になったりするんですよ」
「それは宗教にも言えることだな」なんだか高尚な議論をしている風に芹沢は言う。
「確かに内海先輩ならその辺も心得てそうですしね、」天野はなぜか顎をしゃくりながら、角砂糖でピラミッドをちまちまと建設している。すでに議論に飽きたのだろう。「じゃ、来てもらいましょうよ、俺、内海先輩の私服姿見たことないんですよね、ちょっと楽しみかも」
「俺も賛成です、確かに俺には今、内海先輩のアドバイスが必要なのかもしれません」




