第一章②
船場ナオズミは水色のゴム手袋をして、白い長靴を穿いて、錆びついた金属のハサミを持ち、空き缶を探していた。近くに同じ格好で、同じ作業をしている天野ミツルと芹沢ホヅミがいた。彼らがゴミ拾いをしているのは、中央高校から自転車で二十分ほど東に行った場所を流れている一級河川。ビニルハウスとガラスのない平屋、そして様々な虫の住処になっている緑がこの川の風景。この一級河川は船場たち、エコロジーのメンバがたびたびゴミ拾いに訪れていた。水質は綺麗だ。魚も気持ちよさそうに泳いでいる。ゴミもあまり落ちていない。川にゴミを捨てるほど、人は暇ではないのだろうなと、青い空を見ながら船場は厭世的に思う。
「もういいだろう、」声優の戸松ハルカのフェイスタオルで汗を拭いながら芹沢が言う。芹沢はアイドル声優オタクだ。「写真を撮って、戻ろうか」
天野は四十五リットルのビニル袋に空気を入れて膨らませた。そのビニル袋を中心に、三人は集合。芹沢はデジカメのセルフタイマを起動させ、離れた場所に置く。三人は真面目な顔をレンズに向ける。シャッタが切られる。これで完成。生徒会に提出する、活動写真の完成である。
「よしよし、」芹沢はデジカメのデータを確認する。「よく撮れてる、ビニル袋に沢山のゴミが入っているように撮れてるよ」
「アイス食べましょうよ、」天野は膨らんだビニル袋を畳んでいる。「アイス食べて、熱を冷ましましょう、今日は熊谷よりも暑いらしいですよ」
「賛成」船場は頷いた。
三人は自転車を停めた場所に戻り、近くのロウソンに向かった。アイスを買って、駐車場で封を開けてかじった。この瞬間だけ、ささやかな労働をしてよかったと思えた。
本来だったら、今頃、冷房の効いた部室でアニメを見て、ニヤニヤしていたはずなのだ。この炎天下、率先してゴミ拾いに出向こうなどと提案するロリコンはエコロジーにはいない。いるはずがない。それじゃあ、なぜ三人がこんなクソ暑い青空の下にいるのかと言えば、部室塔を巡回していた生徒会書記、二年の御崎ミヤビという女子のせいなのである。
御崎は毎日毎日萌えアニメを見ながらニヤニヤしているエコロジーの三人のことを嫌悪している。このまま何も活動らしい活動をしないならばエコロジーは解散だ、解散させたくなかったら、ゴミ拾いでもしてこい、今日はそう脅迫された。今日の彼女は一段とヒステリックだった。
船場たちはアイスを食べ終え、国道沿いの大型書店に入った。冷房の効いた店内で立読みをしていると汗が引いて、快適になった。時間を確認すると、そろそろ夕方だ。船場と天野はラノベを立ち読みしていた。いつの間にか芹沢は姿を消している。しばらく店内を探し回ると、芹沢はアイドル写真集のコーナにいた。アニメオタクの三人にとってはあまり興味も馴染みもないジャンルだ。芹沢は露出の多いアイドル写真集の表紙を睨むように見ていた。芹沢は近づく二人を見ると、気障に苦笑する。「この本屋にはハルカスの写真集がない、」ハルカスというのは戸松ハルカの愛称らしい。「駄目だ、話にならない」
三人は書店を出て、一度部室に戻り、戸締りをして、夕日の空の下、校門前で解散した。
三人とも、方向はバラバラだった。船場は自宅へ向かう途中の赤信号で、カバンからポッド的な音楽プレイヤを取り出した。アニメソングを聞きながら、帰ろうと思ったのだ。
そんなときだった。
どこからか声が聞こえたのだ。
「ハロウ、ボーイ、」低くて、細い、しかし、丸みのある声だ。「この声が聞こえるか?」
船場は周囲を見回した。
しかしけれど。
見回してみても。
近くにそれらしきボイスの持ち主は見当たらない。
そもそも船場の近くに人はいなかった。
向かいの信号の下にいるのは買い物袋を自転車の籠に乗せた女性。
だから。
気のせいか?
そう思って、イヤホンを耳に入れようとする。
しかし、また。
「ハロウ、ボーイ、」低くて、細い、しかし、丸みのある声が、また聞こえる。「聞こえているんだろう?」
船場は再び周囲を見回してみる。
信号を青になった。
向かいにいた女性が船場の横を通り過ぎる。
船場はまだ見つけられない。
「ここだ、ここだよ、」と声がする。「下だよ、少年」
そう声がして下を見た。
犬がいた。
「やっと、目が合ったな、少年、」犬は尻尾を振っている。「その鈍感さは改善の必要があるな、大いにある」
船場の口は半開きになった。
どうやら犬がしゃべっているらしい。
信じられない。
ビックリだ。
首を振って、息を吐いて、目を瞑って、開けてもまだそこにいる犬がしゃべっているらしい。
船場はとりあえず、自転車から降りて、犬を抱き上げて、顔を近づけて、睨みつけて言ってみる。
「余計なお世話だ」
「アドバイスは素直に聞くものだよ、少年よ」
どうやら会話が成り立っているらしい。
犬と話すのは。
初めてだ。