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チョコレート・ムース・レシピ  作者: 枕木悠
第三章 ザ・テラス・ドール・シスターズ・イズ・バック!
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第三章④

太陽が天高く昇る時刻。午後一時、五分前。

 暑い。とても暑い。汗が止まらない。船場の意識は朦朧としていた。足元のナオトもグッタリと舌を出している。

ナオミコは錦景市駅北口を出てすぐの恐竜の前にいた。錦景市出身の考古学者の提案によって作られた巨大なトリケラトプスのオブジェが駅前にはある。恐竜の化石も出土していないのにトリケラトプスを駅前に設置するのはどうか、という反対勢力もあったが今ではすっかり駅前のシンボルとなっていた。そのトリケラトプスを囲む高価な石材の上にナオミコはちょこんと腰を降ろしていた。手鏡を見ながら前髪を直している。本当に、本当に、彼女を待っているのかもしれない。

船場とナオトはナオミコから遠く離れた物陰に身を寄せていた。バスターミナル脇のポストと自転車と目線の高さに緑を落とす背の低い木が絶妙に配置された場所だ。おそらく船場のことは向こうからは全く見えないはずだ。「ナオト、どう思う?」

「待ち合わせをしている、」ナオトは率直に言う。「それ以上でも、それ以下でもない」

ここに来るまでにナオトには事情を説明していた。ナオミコの前ではただの犬のナオトによれば、今までも何度か、ヒロミ以外の女の子と待ち合わせをしていると推察される電話があったのだと言う。初めて聞いた。ナオミコが誰と待ち合わせをしようが、別に何も問題はないだろう、というナオトのドライな意見も聞いた。確かにそうだ。恋は自由だ。船場もそう思う。だがしかし、その恋がナオミコにとって正直でないものだとしたらどうだ? 歪んでいるものだとしたらどうだ? 母親のマナミが怒鳴ったように、船場は兄の立場として、なんとかしなければいけないと思うのだ。この気持ちは、ナオトとも共有したい。ナオトはなんてたって、船場の使い魔なのだから。「ナオト、俺はナオミコに幸せになってもらいたいんだ」

船場は気持ちを声にして、ナオトに伝達する。

「幸せを定義するのは難しい、少年が思う幸せが、彼女の望む未来とは違うかもしれない」

「確かにナオトの言う通りだ、でも」

「同時に少女の望む未来が、幸せではないかもしれない、この判断は難しい、」ナオトは前足で首を搔く「だから、まあ、頑張れ、儂は今まで幸せな恋というものを見たことがないから積極的なアドバイスは送れないが、まあ、頑張れ、儂も儂の出来ることをしよう、君の使い魔として最良を尽くす」

「悪いな、ナオト、まだ前の主人を見つけてやれていないのに」

 この夏休み、船場とナオトは錦景市の様々な場所に行って、マルガリータという魔女を探していた。錦景山にも登頂した。そこから見下ろす錦景市は綺麗だった。綺麗なものを船場はナオトと一緒に見た。

「いいさ、」ナオトは厭世的に笑う。「気長に探そう、すぐに見つけられるとは思っていない、長い旅は覚悟してきたし、それに、今のままでも支障ない、元々儂らは契約を解除されたただの犬なのだ」

「……ナオト」船場は少し涙腺が緩んだ。思わず抱き上げて背中に頬を擦りつけたい衝動に駆られたのでそうした。

「あ、おい、少年」ナオトが吠える。

「なんだ、嫌か?」

「少女の方を見ろ、」ナオトは小声で伝える。「誰か近づいている」

 言われ、船場はナオミコの方へ視線を戻す。

 ナオミコに近づく女性を確かめようとした。

 一体誰なんだ?

船場はナオトを地面に降ろし、袖を捲くった。

 しかし。

 男?

意外にもナオミコの目の前に現れたのは女性ではなく、男たちだった。髪の色を派手に染めた三人組だ。一瞬に嫌な予感が過る。が、ナオミコの様子を見ると、彼らたちはどうやら待ち人ではないようだった。ナオミコは彼らから目を逸らし、露骨に拒絶した。そんなナオミコの手首を男の一人が掴んだ。船場は妹の危機だと思って前のめりになる。それは束の間のことだった。瞬きをしている間にナオミコは三人組をいとも容易く男たちを叩きのめした。ナオミコは男の柔らかい部分を狙うのが得意だ。幼い頃から船場の柔らかい部分を狙い続けてきたからだと思う。とにかく、男たちは情けない姿勢でその場から逃げた。

ナオミコは何事もなかったように、トリケラトプスの前に座り直す。

そして。

トリケラトプスの上の時計が午後一時を差す。

待ち合わせの時間通り。

誰かがナオミコに接近する。

今度は。

女性だ。

 落ち着いた雰囲気を持った女性。

 大学生くらいだろうか?

その人はおそらくバスを降りてきた。

一直線に、ナオミコに近づく。

素晴しい姿勢。

遠くから見ても。

分かる。

少ししか確認できなかったが。

とても。

綺麗な人だ。

 美人だ。

 ナオミコにしか興味がない。

船場でさえ、思わず息を呑んでしまうほどだった。

 艶のある黒髪は長い。紅い唇。濃い目元。透き通る白い肌。

 スタイルがいい。

 ブルーのワンピースがとても似合う。

 その美しさに船場は見とれる。

 そんな自分が俄かに信じられなかった。

 首を振る。

 首を振って、自分を頑なにする。揺るがないようにする。

 彼女はナオミコを惑わせる。

 罪な人なのだ。

 船場からすれば彼女は。

 敵だ。

 ナオミコはその大学生風の女性をその円らな瞳に映すと、ぱあっと明るい表情を浮かべた。そして船場が注視していることなどお構いなしに、ふわっと跳躍して女性の腕に自分の腕を絡めた。

 船場は言葉を失った。

 予測してはいた。

 ある程度は、予測していたことなのだが。

これは。

この事実を。

俺はどう理解したらいい。

……いや、それにしても。

一体どうやって。

彼女になったんだ?

ナオミコはどうやって、彼女と知り合ったんだ?

まるで。

ミステリィ。

……まさかエンコウか?

援助交際なのか?

お金を貰って付き合っているのか?

いや。

相手は女性だ。

そんなこと。

いや、分からない。

俺には何も。

分からない。

とにかく。

ショックを受けていることを。

船場は認めなければいけないと思った。

「……ナオト、あれは一体なんだ?」船場の揺れる人刺し指は、きゃっきゃといちゃつく二人に向けられた。指差す船場に構わず、ナオミコは嬉しそうにいちゃついている。船場の知らない顔をするナオミコがいる。船場は汗を搔いている。

「いちゃつく二人、」ナオトは淡々と言う。「少年、コレは思いも寄らぬほどに、」

「皆まで言うな」船場は声を出して遮る。

「お似合いだ」

「言うなって、言ったじゃないか」

 船場も同じ気持ちだった。いちゃつく二人はお似合いだった。素敵な二人に見えた。お似合いな二人に見えた。悔しいがそうだ。声で聞いてさらにそう思う。

 しかしでも、

 認めたくない。

 認められない。

 ナオミコはヒロミと、幸せにならなきゃいけないんだ。

「……おい、少年、」ナオトは船場の顔を覗き込む。「大丈夫か?」

「コレは、」船場はナオミコの方に向かって歩き出す。「戦争だ」

「おい、少年、」ナオトは船場の足元で吠える。「何を考えているんだ?」

「止めるなよ、ナオト」

「待て、少年、待てって」

「いいや、待てない、」船場は声に出して訴える。「早くしないと取り返しのつかないことになる、そんな気がする、いや、すでにもう、ナオミコは駄目かもしれない、駄目かもしれないから、だから!」

「少年、今は駄目だ、そんな気がする!」

「コレはナオミコの危機だ、厳戒態勢なんだ!」

 ナオトは船場の左手を噛んだ。

 船場は絶叫した。

 痛い。

 痛い。

 痛みに、涙が出て、目が覚める。

 周囲の通行人の動きが少し、不規則になり、二秒後には元に戻る。

 誰も男子高校生の左手の些末な怪我には興味はない。

「……何するんだよ、」船場は痛みを堪えながら涙を拭う。「痛いじゃないか」

「安心しろ、甘噛みだ」

「……悪い、」船場は左手にくっきり残る傷跡を見ながら言う。それを見て頭が冷静になった。「……助かった」

「まだ情報が足りない、何もかも足りない」

「そうだな、ナオト、」ナオトは自分で噛んだ船場の傷を舐めた。「……お前はいい犬だ」

「後を追うぞ、少年」ナオトは船場の先を行く。

「ああ、」船場は頷き、並んで歩く。「行こうぜ、相棒」



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