第三章③
夏の終わり。
金曜日の八月三十日のこの日も、錦景女子高校の恋の占い師の斗浪アイナはおしゃべりオウムを肩に乗せ、占いの館「マシロの家」の看板の電気を付け、パワーストーンの並べられたショーケースの前に座っている。館の奥でマシロは占いをしている。開店と同時に訪れたのは二十代後半のオフィス・レディ。彼女は春頃から頻繁に訪れては、マシロに高額な料金を払いアドバイスを貰っている。彼女の名前はカオリ。偽名かもしれない。カオリの悩みはずばり恋である。春に人事異動でやってきた部長に恋をしてしまったのだという。しかし、部長は結婚していて、すでに高校生の子供が二人もいる。禁断の恋である。しかもその部長と言うのは女性だという。禁断の恋である。叶わぬ恋。カオリは部長に夢中になり、結婚を約束していた学生時代からの彼氏と分かれてしまったのだという。順調に不幸に進んでいるようだと、斗浪は客観的に判断している。マシロの評価も同じだ。マシロは優しい女じゃない。魔女だ。だからマシロは厳しい評価をカオリに与えた。「アンタ、このままだと、幸せになれないよ、不幸になるよ、その部長のことは諦めて彼氏とよりを戻しなさい、二秒以内に」
そのアドバイスを聞いてもカオリは諦めなかった。諦めないどころか、日に日に恋心を大きくしてやってきてはマシロに部長と沿い遂げるメソッドを聞いてくる。最初のうちは彼女に厳しい言葉を浴びせていたマシロも、何度もやってこられる内に根を上げた。マシロは光を閉じ込めた多面体にカットされた水晶に手の平をかざしながら占う。マシロはカオリの絶望的な未来の絵を見ている。マシロはそして、それらしいアドバイスを送る。それを聞いてカオリは嬉しそうにお金を払う。
斗浪は首を傾けて考える。
アドバイスをされてカオリみたいに喜ぶ女がいる。
そんな女がいれば。
悲しむ女もいる。
怒る女もいる。
苦悩する女もいる。
占いとは何なのか?
「占いは交差点、」マシロは酔ったときに一度、斗浪に言った。「何百万もの可能性が交差する地点、私の前に水晶を挟んで座っている時だけ、人間は交差点に立つ、立って踵で回転して日常では決して見ることの出来ないパノラマを見るのだ、そのパノラマのどこに進むのかはその人間の自由、イッツ・フリーダム、けれど誰も判断なんて出来やしない、選択できる道が多すぎるから、誰しも躊躇う、惑う、苦悩する、苦悩しないのは狂った魔女くらい、私は独善的な判断でその苦悩する人間の背中を押す、人間は私に感謝する、こんなに愉快な職業が他にある?」
斗浪はまだ高校生だから、マシロの言葉の本当の意味のようなものが、きっと分かっていないのだろうと思う。
ただ背中を押す役目を占い師が担うのなら。
幸せな方向へ。
笑える方向へ。
押したいと思う。
そして幸せになってくれたら。
嬉しい。
それが占い師をしている理由だ。
そんなことをぼうっと考えていたら。
目の前にゼプテンバが立っていたことにしばらく気付かなかった。
「うお!」斗浪は危うく椅子から落ちてしまいそうだった。「ちょ、もう、ビックリするなぁ、」斗浪はゼプテンバを上目で見る。錦景の制服姿の彼女はパワーストーンを見ていた。それも珍しく乙女みたいな感情的な目をしている。いつも魔女の目をして殺気を放っているのに、今日は違う。「……ちょ、なに? 何か言ってよ、ゼプテンバ、そういえば、今日は一人?」
「似非占い師、」ゼプテンバは魔女の目で斗浪を睨む。「いや、恋の占い師、効くのを寄越せ」
「寄越せって、随分と横柄で大胆な泥棒だなぁ、」斗浪は苦笑する。「……効くのって、もしかして、あ、まさかぁ、」斗浪は口の前に手の平を広げた。「ゼプテンバ、好きなコでも出来たの?」
ゼプテンバは斗浪の質問を無視してショーケースの中のパワーストーンを指差し言った。「……この白いのがいいな」
「白が好き?」
ゼプテンバは斗浪をギロっと睨み目を逸らす。「……別に」
「あら、朱澄ちゃんの真似?」生徒会の秘書の朱澄エイコの口癖は「別に」という様々な意味を含んだ、表面上は乾燥しているが中身は湿っているというマカロンみたいな言葉だ。
「いいから黙って値段を言え」
「二千万円になります」斗浪は首を傾けて言った。
「……高いな」ゼプテンバは真面目な顔で言う。
「ああ、嘘々、冗談だって、二千円」
ゼプテンバはニヤリと笑う。「冗談だ、古典的なジョークに乗るのもたまにはいい、たまにはな、でも、高いな」
「いいから二千円寄越せ、」斗浪はゼプテンバの口調を真似して、ショーケースから白いパワーストーンを取り出し、首から下げられるように紐を付けた。「ほいよ、ゼプテンバの恋が叶いますように」
「やっぱり高い、」ゼプテンバは二千円札を斗浪に渡し、パワーストーンの材質を確かめている。「どこ、錦景山の高い所?」
「うーん、メーカに聞いてみないと産地までは分からないな」
「ふうん、まあ、」ゼプテンバは不満そうにしながらも首から白い石を下げる。「構わないか、それじゃあ、占い師、またな、あ、コレ、貸してくれ」
ゼプテンバが手にしたのは斗浪の所有している魔具の黒いタンバリンだった。この黒いタンバリンの音色を聞くと、心が穏やかになる、と言われている。
「構わないよ」
「センキューベリーマッチ」ゼプテンバはネイティブの発音で言ってタンバリンの音色を確かめている。
「占おうか?」斗浪はウインクしながら提案する。「私は恋の占い師、ゼプテンバの恋を彩る素敵なアドバイスを送るよ」
「ノウセンキュー、」ゼプテンバはネイティブの発音で言う。「アイキャントビリーブフォーチュンテイラ」
「む?」斗浪は眉を潜める。「なんて言った?」
ゼプテンバは斗浪に素敵なウインクを返す。
そして颯爽と斗浪の前から姿を消した。
まだ館の奥ではマシロがカオリにアドバイスしている。
その五分後。
斗浪とおしゃべりオウムは同時に泡が出そうな程呑気なあくびをした。
そのとき。
「やあ、」大森テルヨシが登場した。今日はストライプの入った紺のスーツだった。紳士度がこの前よりも三十パーセント増しだった。「眠そうだね」
「ああ、惜しいなぁ、とっても惜しい、」斗浪は指を鳴らす。「もう少し早足でココに来てくれれば」
「え、何が?」
「いいえ、あ、それよりお見合いはどうなったんですか?」
「ああ、君のアドバイスに従って、一緒にキネマを見てから、断った、いや、断られた、向こうの方が少し早かったかな、向こうも乗り気じゃなかったみたいだ、最初から僕に牙を見せていたよ、いろいろ考えたのがバカみたいだった」
「大森さんの顔を見ていると、それが正解だったと思います、やはりずっと彼女のことを思っているんですね、彼女のことを考えていたら何でも頑張れるという精悍な顔付きをしていますね、不惑をまさに体現なさっている、つまり幸せそうです」
「難しい本でも読んだの?」大森は言う。
「いいえ、」斗浪は微笑み、首を横に振る。「それで今日は?」
「今日は金曜日、そして僕の誕生日だから、何か特別なことがあってもいいと思ってね」
「ああ、そうでしたね、お誕生日おめでとうございます」
「ありがとう、」大森はさわやかに微笑む。「それで、今日は彼女に何かプレゼントしようと思うんだ」
「それは素晴らしいですね、」斗浪は手の平を合わせる。「自分の誕生日に誰かにプレゼントするなんて、とってもスペシャルなことだと思います」
「何がいいかな?」
「そうですね、」斗浪は口元に手を当て言う。「……色は白がいいですね」
「……白か、」大森は顎を触る。「白いもの、難しいなぁ」
斗浪は目を瞑る。
魔法を編んでみた。
見える絵がある。
素敵な一枚の絵画が見える。
斗浪はまだ何枚もの絵画を見ることは出来ないけれど。
見えた絵画に。
斗浪の心は幸福になる。
目を開ける。
「……白い花なんて、どうでしょうか?」
「……凄い、」大森はわずかに目を大きくして息を吐く。「君はやっぱり、その、本当に見えてるの?」
「ええ、もちろん、」斗浪は優雅に微笑む。「でも、学校の女の子たちは私のことなんて全然信じてないんです、そのくせピンチのときには私に頼るんです、全く、わがままな女の子たちですよね、そう思いませんか?」




