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チョコレート・ムース・レシピ  作者: 枕木悠
エレクトリカル・ミーティング
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エレクトリカル・ミーティング

日付が一秒前に変化したばかりの、夏の日曜日。

日々のルーチン・ワークを終わらせた船場マナミは錦景女子大学の北側の駐車場にムーヴを停め、理学部の実験棟に向かった。土曜日の深夜にも関わらず、大学の建物の窓からは明かりがチラホラと見える。深夜まで研究、あるいは実験をしている光景は大学では日常である。日中の様々なタイミングで挿入される邪魔を考えると、深夜に研究を行うのはとても合理的である。一度思考が中断されると、再び元に戻るためには時間と膨大なエネルギアが必要だ。浪費しているとも言える。今年の春、マナミは人事異動で開発部の部長に昇進した。昇進してから、この浪費が多くなった。中断、中断、中断、中断の繰り返しで、結局最後まで辿り着いた思考は皆無である。けれど、時間が勝手に進むように仕事も勝手に進むものだった。開発部の部下は六人しかいないが、皆、優秀な女の子(といっても皆二十代後半から三十代前半のレディだが)で、マナミの中断した思考によって生じた空白を埋めてくれていた。最初、それは不本意だった。それは自分の仕事だ、君たちは君たちの仕事をすればいい、マナミは声に出さずともそう思っていた。そう思っていたのだが、一カ月もそこにいたらそれに慣れてしまった。彼女たちに頼っている自分がいた。なるほど、これが部長のあり方なのかと気付いたのは、つい最近のことである。

そんなことをぼうっと考えていたら、理学部の実験棟の前に着いた。

光の弱い外灯の下に待ち合わせをしていた人物の姿を発見する。

マナミは微笑んで手を軽く持ち上げた。

「ああ、先輩、ご無沙汰ですぅ、」白衣姿の内田アヤコがマナミを出迎える。「相変わらずお綺麗ですね、うふふっ」

 内田は理学部の准教授で、確か年齢は二十代後半だった。二十代後半にしては、顔立ちは幼く、大学生に混じって語学の講義を受けても誰何されることはないだろう。ただ、ツーンと香る、お酒臭さとピンク色の顔は要注意だ。内田はアル中で、臨界を突破すると、色んなことが起こる。

「私ももう四十よ、内田、久しぶりね」

「先輩みたいな人のことを魔女って言うんですよね?」

「うん、まあ、間違ってないと思うけど、」マナミは内田に近づき、顔をしかめた。「ああ、やっぱりお酒臭いなぁ、今日は何本?」

「そんなに飲んでませんよ、きちんと呂律も回っているし、ほら、ちゃんと先輩と見つめ合うことも出来ますし、ジャック・ダニエル一本くらいで、バランスが上手く取れなくなる、なんてことはありません」

 そんな内田はピンヒールを履いている。確かにバランスを上手く取っている。バランスを上手く取る必要があるということはつまり、内田はゆっくりと左右に揺れている。「それじゃあ、行きましょうか?」

 内田の案内で、彼女の研究室に向かった。六年前に建て変えられた理学部の実験棟はとても不思議な構造をしていた。まず外見がドーム状で、周囲の施設と比べ高さがない。出入り口は南北にあって、中央の螺旋階段を登って二階に上がることが出来る。そして二階に上がった天井の梯子を登った、いわゆる屋根裏にある四つの部屋の一つが内田の研究室だった。きちんと建築基準を精査されたのか、疑問が残る造りである。

 内田の部屋はとてもお酒臭かった。ライタの火を付けたら、破裂してしまうのではないかと思える濃さだ。部屋はドームの屋根の真下に位置しているため、奥に行くに従って天井が緩やかに低くなっている。部屋の形は円を四等分しているため、小分けされたバウムクーヘンといった具合である。そんな不便そうな空間だったが、意外と圧迫感もなく、机、テーブル、書棚など、配置されるべき場所に配置されている、という感じで、仕事場として悪くないな、というのがマナミの評価だった。

「それで、内田、」マナミは中央のテーブルに向かって腰かける。「噂の香水は?」

「コーヒー飲みます?」内田は聞く。

「うん、ありがと」

内田は壁際の冷蔵庫を開けた。中から缶コーヒーを取り出してマナミに渡す。それと一緒に渡された。「はい、コレです、コレが噂の香水ですよ」

「コレが、ねぇ、」マナミは缶コーヒーをテーブルの上に置き、噂の香水を手にした。「へぇ、いい瓶を使っているんだ」

「はい、錦景ロフトで八百円です」内田はマナミの対面に腰かけ、日本酒を飲んでいる。

「ちょっと、外でいい?」

「ええ」

マナミは香水を持って部屋を出た。内田のアルコール濃度の高い部屋にいて、きっと嗅覚は莫迦になっている。部屋を出て、一度大きく深呼吸をして、鼻孔の空気をクリアにしてから、瓶の蓋を開け、鼻先を近づけた。

マナミは驚く。

すぐに瓶に蓋をする。

「……コレは」

 でも。

 どうして?

 マナミはすぐに部屋に戻る。

「どうでした?」内田は愉快そうに聞く。「いい匂いだったでしょ?」

「ええ、そうね、とてもいい匂いだわ、」マナミは早口で言って、腰かけ、テーブルに香水を置く。「ティーンネイジャの心を迷わす、強すぎる、いい匂いだわ」

「取引に応じてくれます?」内田は片目を細めて言う。

「ええ、応じるわ、」マナミは頷く。「応じる、……この話は他の企業にいってないわよね?」

「はい、先輩が最初に気付いてくれましたから、この香水の存在に」

「そう、よかった、」マナミは息を吐く。「うちの優秀な女の子たちに感謝しなきゃ」

「その反応は、つまり、上々、ということですか?」

「ええ、まあ、そうね、私が最初でよかった、専売契約を結ぶのに、やぶさかではないわ」

「ありがとう、ございます、」内田は姿勢を正した。「そう言って頂けると、私の研究室の女の子たちも喜ぶと思います」

「ただその前に、」マナミは内田の方に顔を近づけて聞く。「この香水について細かいことが知りたい、いえ、その、一番知りたいことは、この原材料」

「さすがです、先輩、最初にその質問をなさると思っていました」

「どこにあるの?」

「沢山ありますよ」

「沢山?」

数がある。

この事実に、マナミは驚く。「……沢山、あるの?」

「見たいですか?」

「ええ、見せて」

「それじゃあ、準備しなきゃ」

「準備?」

 内田は立ち上がり、机の引き出しからスプレを取り出し、そしてマナミに近づいて噴霧した。

「え、何?」

「何を驚いているんですか?」内田は楽しそうに言って、自分の腕と足にもさっと噴霧した。「ただの虫除けですよ」

「なぜ?」

 強い明かりを放つ懐中電灯を持った内田は、マナミを錦景女子高校の裏山に案内した。内田は確かな足取りで緩やかな山道を登って行く。その足取りは通い慣れた、という感じだった。懐中電灯の明かりに虫が集まる。耳元を虫が飛ぶ。虫除けスプレは確かな効果を発揮していた。満天の夏の夜空を見渡せる、頂上に出た。そしてそこから来た道とは違う道に進路を変える。道と言うには少し、緑の量が多い。

 どれくらい歩いただろうか?

 時間の感覚はすでにない。

 暗闇が続いている。

 マナミは内田が頼りだ。内田と繋がっている右手だけが、現実的な体温を感じ取っている。

 内田が足を止めた。「ここです」

 次の瞬間。

 フラッシュが焚かれたように周囲が明るくなる。

 内田がスイッチを入れたのだ。

 木の高い場所に設置された照明の電源のスイッチ。

 照明の数は四つ。

 四つの照明が、現実を浮かび上がらせる。

 目の前に見えるものに、マナミは息を飲む。

 信じられない。

 白い花が咲き乱れている。

 ココだけに。

 緑の中にココだけに。

 咲いている。

 その数は、数えきれない。

「驚きました?」内田はマナミの表情を覗き込む。

「……ええ、」きっと今、自分はとても素直な表情をしているとマナミは思った。「驚いたわ、驚いたってどころじゃない」

 失われたもの。

 魔女の失われた遺産が。

 それがココにある。

 マナミは白い花まで歩く。

 白い花の中に入る。

 夢じゃない。

 夢なものか。

 花の匂いを嗅ぐ。

 花の形を観察する。

 違いない。

 間違いじゃない。

 こんな近い場所に、あったんだ。

「先輩ってば、」内田はきっと何も知らないから、マナミの感激を過度なものだと思っているに違いない。「急に、どうしちゃったんですか?」

 その時だった。

 突然、内田が白い花の中に倒れた。

「ちょ、内田!?」

 マナミは慌てて駆け寄って、顔を覗き込む。顔はピンク色。呼吸は正常。

飲み過ぎ?

いや、そんな。

内田の足取りはしっかりしていた。

バランスも上手く取っていた。

それなのに……。

マナミははっと顔を上げた。

しばらく回転をさせていなかった脳ミソのセクションを稼働させる。

いる。

近くにいる。

どこ?

「後ろですよ」

 マナミはその声に振り返る。

 緑色の髪の魔女が。

 花の匂いを嗅いでいる。「……やっと来てくれました、秘密を分かち合える人、どうぞ、髪の色を変えてください、大丈夫、その人は私の粉で眠っているだけです、さあ、始めましょうか」



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