第一章①
錦景女子高等学校、一年E組。出席番号二番。
アプリコット・ゼプテンバ。
彼女の初めての日本の夏。
それは錦景市駅第二ビル、地下一階のドラゴン・ベイビーズというメイド喫茶の円形の小さなステージで、エレキギターを持ち、歌を歌うことだった。
「うー、抱きしめなきゃあ♪」
ゼプテンバと、もう一人、隣でアコースティック・ギターを弾きながら歌う久納ユリカとのボイスの相性は最高だった。心地のいい、ハーモニクス。歌ったのは、錦景女子の生徒会長から貰い受けた、「彼女は発電機」という素敵な曲。ゼプテンバの作曲したどの曲よりも、ドラゴン・ベイビーズに集まるご主人様、あるいはお嬢様たちは「彼女は発電機」で盛り上がる。だから、この曲はラスト。この曲で、今日はラスト。今日はお昼過ぎから、予定がある。
「おういえぇ、抱きしめなきゃあ♪」
曲が終わる。
夏休みのお昼に集まった、コアなご主人様とお嬢様からパラパラと斑な拍手を頂く。
「どうもぉ」ゼプテンバは軽く手を上げて、ステージを降りた。その表紙でゼプテンバの頭のウサギの耳が揺れる。
「ありがとぉ、ございましたぁ」久納はその特徴的な、ハスキィなボイスで言って、正面に頭を下げる。その拍子で、久納の頭のパンダの耳が揺れる。
二人が耳のカチューシャを頭の上に装着してメイド服を着ているのは、ドラゴン・ベイビーズがそういうメイド喫茶だからである。お盆を持ち、ホールを歩き回るメイドさんも頭に何かしらの動物の耳を生やしている。開店当初は全員ドラゴンの角を付けていたらしい。しかし評判が芳しくなく、今ではドラゴンの角を生やしているのは、年齢不詳のバイトリーダ、東雲ユミコ、ただ一人だけである。
「今日も素敵な演奏だったわ」
ゼプテンバと久納は東雲の労いを受け、キッチンの方へ向かう。キッチンはお昼時なので戦争だった。キッチンリーダの谷崎モモカはオムライスの上にケチャップのハートマークを投下しながら、通り過ぎようとする二人に向かって言う。「ちょ、お願い、お皿洗って!」
ゼプテンバと久納は一度顔を見合わせ、早足になってキッチンを通り過ぎる。契約にキッチンの仕事は含まれていない。それにこれから、なんといっても、予定があるのだ。皿を洗っている場合ではないのだ。
「ちょ、お前ら、覚えとけよぉ!」
谷崎のホールまで聞こえる怒鳴り声を後ろに、二人は奥の休憩室兼更衣室に逃げ込んだ。そのままの勢いで、ロッカの鍵を開け、頭の耳を取り、メイド服を脱いで、ハンガに掛け、錦景の赤ジャージに着替えた。この赤ジャージこそ、ロックバンド、コレクチブ・ロウテイションの本来のステージ衣装である。
「お皿ぐらい洗ってやってよ」
キッチンとは反対の扉、事務所からオーナの天之河ミツキがキセルの煙を纏いながら現れる。天之河の煙は甘い。とても甘い匂いが、休憩室に充満する。彼女は長い黒髪を束ね、室内の中央にあるベンチに腰掛け、足を組んだ。天之河は赤ジャージの二人を見上げる。天之河は黒い着物を常に着ている。セレモニィというより、極道という感じの黒い着物だ。胸元には深紅の朱雀、腰回りに青龍、背中に白虎、膝下に玄武が描かれている素敵な着物だ。英国出身のゼプテンバが初めてその着物を見たときは、これがジャパニーズ・カルチャかと感動したが、久納に言わせると趣味が悪い、ということらしい。その基準がゼプテンバにはよく分からない。ともかく、この天之河というオーナの誘いで、ゼプテンバと久納は、このメイド喫茶で歌を歌うことになったのだった。
「すみません、その、」久納は自慢のマッシュルームヘアを整えながら言う。「これから、ライブがあるんです、産業会館で、小さなイベントなんですけど」
「ああ、そう、そうなんだ、」天之河はキセルを吸いながらゆっくりと瞬きをして、煙を吐く。また、甘い匂いの濃度が上昇する。「・・・・・・まあ、頑張って」
「はい、」久納は頷き、ゼプテンバの手を触る。「行こ、ゼプテンバ」
二人はギターを背負い、キッチンに通じる扉の方へ歩く。
その折り。
扉が手前に開かれた。
女性が現れた。
犬耳の女性。
白とピンクの横縞の薄手のセータ。
黒くて太いベルト。
ベージュのスカートから白い素足が見える。
ゼプテンバは彼女と目が合う。
顔立ちは久納よりもゼプテンバに近い。つまり、ヨーロッパ系。色はアッシュブラウン。ゼプテンバはシルバブロンド。ゼプテンバの方が輝いているが、女性の方が長い。腰までふわふわとした髪の毛が伸びている。
彼女は胡乱な目をしていたが、ゼプテンバと目が合って、少し表情を変えた。
ゼプテンバは短く息を吐き、目を逸らした。
「ああ、来たね、来た、」天之河は立ち上がって女性に近づいた。「二人とも、今日から、うちで働いて貰うことになった」
「アメリです」霞むような細い声で言って首を前に傾けた。
「よろしくお願いします、」久納は笑顔を作ってアメリと握手をする。ゼプテンバは目を合わせないようにしていた。それを見かねた久納はゼプテンバの手首を掴む。「ほら、ゼプテンバも、どうしたの、怖い顔して? ちゃんと挨拶しなきゃ駄目だよ」
「どうも」ゼプテンバは久納にそう言われて仕方なく、アメリと握手を交わす。アメリの手は暖かい。
「魔女ですか?」アメリは流暢な英語で聞く。
「いいえ、」ゼプテンバも英語で答える。「違います」
「私は犬です、」アメリは耳を動かす。「ただの犬です」
「それは見れば分かります」
「あなたが魔女だって言うのも分かります」
「他をあたってください、私は忙しいんです」
「知り合いの魔女がいるなら、誰か、いませんか?」
「この街に来て、まだ浅いんですか?」
「はい、昨日」
「よく匂いを探して見てください、このいい鼻で、」ゼプテンバはアメリの鼻先を触る。「この街は魔女ばかりですよ」
アメリはキョトンとゼプテンバを見つめていた。
そして。
小さく頷いて。
天之河の前に立った。
「はい、ロッカの鍵、」天之河はアメリに鍵を渡す。「メイド服は中に入っているから」
アメリはロッカの前に立ち、鍵を開けて、服を脱ぎ始めた。尻尾が生えている。
「へぇ、尻尾も生えているんだぁ、」天之河はアメリのお尻のラインを見ながら言う。「最近、そういうアクセサリ、流行ってるの? そんなことより、とても綺麗なお尻、触っていい?」
アメリはお尻を両手で隠して首を振った。「・・・・・・駄目です」
その仕草はとても可愛いと、ゼプテンバは思う。
「ゼプテンバ、・・・・・・えっと、英語で何を話していたの?」久納がゼプテンバの袖を掴んで耳元で小さく言う。「それと、どうしてアメリさんの鼻を触ったの?」
「貴様には関係のない世界だ」ゼプテンバは片言の日本語で言って、歩き出す。
「ええ、ちょ、」久納は頬を膨らませる。「それ、どういうこと!」