第三章④
夏休みの土曜日の今日はとても暑かった。自転車で中央高校に着く頃には、全身が汗でビッショリだった。船場は職員室で鍵を借り、部室に向かった。土日祝日年末年始はボランティア同好会「エコロジー」の活動はない。部室に着くと真っ先にしたのは冷房をつけること。部室は不快指数が溢れている。船場はパイプ椅子に座り、ストックされていたコーラを飲んだ。冷房が効いてくるのを待つ。それまで微動もしなかった。しばらくして、汗が引くくらい涼しくなった。
船場は部室の東側の壁一面に広がる本棚の前に立つ。
あまり細かく見たことはなかったが、いざ注視してみると様々な百合に関しての本が陳列されていた。純文学、ラノベ、漫画、写真集のようなものまである。船場は適当に抜き取ってペラペラと捲って見る。なんとなく、刺激が強いものが多い。ナオミコが顔をピンク色にして、夢中になっていたわけがなんとなく分かる。
「……何やってんの?」やさぐれた低音ボイスが聞こえた。
「うわっ!」
振り返るとドアにもたれるようにして内海イオリが立っていた。今日のマッシュルームは油っぽい。きっと外が暑いせいだと思う。「……何よ、そのリアクション、失礼じゃないかしらっ」
凸レンズの眼鏡の奥の歪んだ瞳は船場のことを睨んでいた。とても気まずい状況。ただでさえ、内海は船場のことが嫌いなのだ。大嫌いなのだ。何もしてないのに。それに船場の手には驚いて咄嗟に本棚から抜き出した百合の雑誌が掲げられていた。昨夜ナオミコが夢中になっていた雑誌だ。「……えっと、そのぉ、あのぉ」
内海はこちらにゆっくりと歩み寄ってくる。
船場は殺されると思った。
そういう種類のプレッシャを感じたのだ。
内海は二歩手前で立ち止まる。
そこで。
内海の凸レンズが船場の手にある雑誌にピントが合う。内海の分かりづらい表情が怪訝に変化したことが分かる。
「昨日、突然、その、百合に目覚めまして、」純は咄嗟に言い放った。「それで、あの、先輩のコレクションを読ませてもらおうと、思いまして」
「ふうん、」内海は船場から視線を逸らし、いつもの席に座る。「……で、何がきっかけなの?」
「……え?」
「だから何がきっかけで百合に目覚めたかって聞いてんのよ」
内海の声音はヒステリックだった。船場は一歩後退。正直、ここから一刻も早く逃げ出したい気分だった。が、ここで自然な返答をしないと、未来が大変なことになりそうな気がした。大げさかもしれないが、今日の内海からはそういうプレッシャを感じてしまうのだった。本当に訳が分からないけれど。「……その、テスコを見て、テスコとパルコっていいなって、二人がいちゃいちゃしてるのって、いいなぁ、って、その、思いまして、ほら、昨日カンクロウに振られたでしょ、テスコが、それをパルコが慰めているのを見て、来たんですよ」
「あんたはテスパル派?」内海は早口で問う。「それともパルテス派?」
「……ええっと、」これは重大な選択を迫られていると思った。内海が好きな、いわゆるカップリングの方を言わねば、殺される「俺は、断然、パルテス派ですね」
内海は押し黙った。
しくじったと思った。
でも。
「……分かってんじゃん、」内海の禍々しいプレッシャが少し弱まった気がした。「座れば?」
船場は言われるがままいつもの席にゆっくりと座る。内海と船場の間にはいつも、天野が座っているからその分微妙な距離が発生している。とにかく、心を読まれないように少しずつ安堵の息を吐いた。
「今はテスパル派が多勢だけど、」内海は若干船場の方に体を傾け、語り始めた。「でも、私はテスコが好きだし、実際パルコは腹黒だと思うのよね、アニメだと優しくて気の弱いパルコしか描かれないけどでも、実際は虎視眈々とテスコの貞操を狙っているはずだわ、あんたもそう思わない?」
「はい、」船場は歯切れよく返事をした。「テスパル派なんてナンセンスですよね」
「そこまでは言ってないわ、」そう言いながら内海は少し愉快そうだった。「テスパルもアリっちゃアリよ、でも、たまにでいいな、私は」
「はい、そうですね、」船場は下手な愛想笑いをしながら言う。「テスパルも、アリっちゃ、アリですよね」
それから内海と船場は百合談義に花を咲かせた。いや、九割九部は内海がしゃべっていたが、とにかく船場は熱心に耳を傾けていた。内海の百合に関する考察はまるで色が付いているみたいに分かりやすかった。リリィ・コレクション(内海は背中の書棚をそう読んでいた)の中から初心者向けの本を船場のために選び、解説してくれた。船場は初めて百合の素晴らしさが分かった。百合作品に触れ、感動もしていた。
心境は変化する。
心から。
ナオミコを幸せにしたいと思った。
ナオミコとヒロミに幸せになって欲しいと思った。
それから。
徐々に内海への印象が変化するのは当然のことだった。彼女は外見を除けば、非常に魅力的で優しい女性であることに船場は気付く。たまにヒステリックで、百合に関しては多少行き過ぎだと思うところもあるが、それだって彼女の魅力的な要素であるに違いない。
なんて。
そんなことを考えてしまった。
ナオミコ以外の女性のことを熱心に考えたことなんてなかったから船場は、少し自分自身に戸惑っていた。自分の心の細かいことが、よく分からない。
とにかく。
船場は思った。
ナオミコのために。
何か、妙案を得られるのなら。「……あの、先輩、すいません、急に、その、俺の話を聞いてくれませんか? 実は俺には一歳年下の、妹がいるんですけど、」
船場はナオミコがヒロミの彼女になりたいことについて、内海に説明した。船場の説明は要領よくまとまっていなかったが、内海は真剣に聞いてくれた。
「……私も昨日寝ないで考えてたんだけど」
「え?」
「あ、いや、なんでもない、」内海は眼鏡を取って、向こうを向いて目を擦りながら提案してくれた。「……パジャマ・パーティとか、どう?」
「パジャマ・パーティ?」
「うん、その娘、ヒロミちゃんだっけ? ヒロミちゃんをあんたが呼び出してさ、それで上手いことナオミコちゃんとヒロミちゃんと二人っきりにしてさ、ムードを作ってあげたらいいんじゃない? ヒロミちゃんに告白させようっていうのはさ、無理だよ、魔法でも使わない限り無理よ、魔法を使ったってそれが解けちゃえばお終い、だったらナオちゃんが頑張らなきゃ、彼女になんてなれないよ」
「……ナオちゃん?」
「ううん、ナオミコちゃんだったわね、ああ、覚え憎い名前ね」
「……パジャマ・パーティか、」船場は下唇を噛んで考える。それしかないと思う。恥ずかしがり屋のナオミコには悪いが、告白はしてもらおう。「……パジャマ・パーティ、やりましょう、今夜」
「え、今夜?」
「え、何か問題でも?」
「ううん、」内海は首を小刻みに横に振って、口元を微笑ませる。「……べ、別に、いいんじゃない、今夜、思い立ったが吉日っていうし」
「上手くいったら報告しますよ」
「……うん、」内海はなんだか元気がない感じで頷いた。「……そろそろ帰るね、私」
「ああ、俺も、帰ります」
船場と内海はきちんと戸締りをして部室から出て、鍵を職員室に届けた。自転車を押して、二人で正門まで並んで歩く。部室ではあんなに饒舌だったのに、終始無言だった。
内海の家は船場の家とは真逆だ。
「じゃあ、また」内海は自転車に跨り、軽く手を上げる。
「あ、そういえば先輩はどうして部室に?」
内海は押し黙る。
「……あ、いや、答えたくなかったら、別に」
「大したことじゃないんだけどさ、」と内海は大きく息を吐く。「会長、今、お見合い中なの」
「会長って、藍染先輩のことっすか?」
「うん、」内海は苦笑した。「どう、驚いた?」
「はい、いや、でも、藍染先輩だったら」
「うん、そうだよね、会長だったら、何だってある気がする、だから別に、そこまで驚いてはないんだけど、心がざわつくっていうか、少し、うん、なんとなく、部室で過ごそうと思って、それで部室に来たらあんたがいて」
「あ、すいません、」船場は後頭部を擦る。「一人になりたかったんですね」
「船場の癖に何、気障なこと言ってんだよ、」内海は優しく船場の心臓付近をパンチした。優しいけど、かなり衝撃的な一撃だった。「じゃあね、さぁーて、家に帰って課題でもするかな」




