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虹色万華鏡  作者: 民メイ
9/32

第二夜(一)

呉羽の家に泊まった雷童たちは――

捜索




 だれかが戸をけたたましく叩いている。

「ねえ、起きて! 大変なのよ!」

 氷雨の声だ。朝に不釣り合いなほど切羽つまっているようだった。

「う……氷雨?」

 雷童よりも先に起きあがったのは風林児だった。雷童は焦点の合わない目をこすりながら、なかなか布団から出られないらしい。顔だけ部屋の戸へと向けていた。

「どうしたんだよ。こんな朝早くから」

 寝ぼけ眼の風林児が戸を開けるのと同時に、氷雨が血相を変えて部屋に踏みこんできた。そして思い切り窓を開け放つ。

 暗かった室内に、金糸のような日光が射るようにして入ってきた。

「うわっ、まぶし……」

 雷童が目を細めながら、そばに立つ氷雨を布団の上から見あげていると、

「見て!」

 氷雨はどこか怒ったような顔で、その場に仁王立ちしている。

「なんなんだよ一体……」

「なにかあるの?」

「いいから、見ればあたしの言いたいことがわかるわよ」

 風林児と雷童は顔を見合わせると、氷雨に言われるまま窓から顔を出した。

 目を疑ったという方が正しいのかもしれない。雷童と風林児は目に跳びこんできた光景に我を忘れて見入っていた。 

 空は青を溶かしたように澄んでいて、ところどころに雲がぼやかしたように浮いていた。入り組んだように建てられた家々の赤い瓦や、交差しあっている道々。人々は洗濯ものを干し、子どもたちは元気に走り回っていた。

 朱里という国の象徴である不死鳥の樹。数え切れないほどのつるが絡み合って幹と成していることが、いまははっきりと目で確認できる。

 そしてそのまま首を伸ばしていくと、生い茂った葉が空を分断するように存在しているはずだった。

「……おい、確かおまえ言ったよな。不死鳥の樹はどんな山よりも高くて、葉が散らない大樹だって」

「そ、そうだけど」

「じゃあ、なんで散ってんだ?」

 風林児はなにも答えなかった。

 そこにあるのは、変色した葉を散らせている大樹。時折、風に吹かれて一片飛んでいく。夜には見えなかったが、朱里の国中に大樹の葉が落ちていた。

「なんでこんな……」

 風林児は唖然としたまま、ぼそりとつぶやいた。

「ね。あたしだって今朝見たときは、びっくりして言葉が出なかったわよ」

「つまりー、おまえら宮がお尋ね者になってんのって、これが理由なのか?」

「それは……わかんないけど、とにかく大樹がまずいことになってるってのはわかったわ」

「……なぁ、みんな、朝ごはんもうすぐやで」

 戸から様子をうかがうようにして蓮華が顔を出した。

 どうやら、しばらくそこにいたらしい。大樹の異変に気を取られていて、蓮華がやってきたのにだれも気がつかなかったようだ。

「あっ、うん。すぐ行く――って、なんか焦げ臭いけど」

 氷雨はうなずきながら、鼻をひくひくさせた。

「あ! 火ぃつけっぱなしやった!」

 蓮華は言い終わらないうちに、慌てた様子で下へと降りていった。

「大丈夫かよ、あいつ」

 雷童はひょい、と肩をすくめると、同じように階下へと向かった。 


 蓮華が台所に入ると、すでに鍋は吹きこぼれていた。

 火を消し、厚い布を手に取ると、そろりとふたを開けた。真っ白な湯気が辺り一面に広がっていく。

「熱っ……あーもう、なんでこううまくいかんのやろ」

 耳たぶを触りながら蓮華はぼやいた。

「うわっ、こげ臭ぇ」

 雷童は大げさに顔をしかめながら、蓮華の後ろから鍋をのぞいた。

「あー、見てらんねぇ。ちょっと布、貸して」

 煮え立った鍋を見ながら、雷童は蓮華に手を出した。

「え、ああどうぞ。せやけど、うちがやる――」

「火傷したらまずいからさ、それに、この鍋重いからよ。蓮華は皿、並べといて」

 そう言いながら味見をしていると、

「雷ちゃんって」

「ちょっとしょっぺぇな……ん、なに?」

 蓮華を見ると、彼女は満面の笑みを輝かせていた。

「どうか、したかよ」

 雷童は何事だろうと思い、一歩下がった。

「ううん。優しいんやなぁて思ってな」

「は? 優しいってだれが?」

「そんなん雷ちゃんに決まっとるやろ。うち、いつも失敗ばっかしててな、怒られてばっかりいたんやけど、そんなん言うてくれる人、雷ちゃんが初めてや。しかも男の人で」

 にこにこしながら蓮華は続ける。

「だからな、雷ちゃんは優しいなぁって。うちのこと心配してくれてん。ありがとな」

「……お、おう」

 雷童は耳まで赤く染めながら、気まずくなって鍋の表面だけを見つめていた。

 舌がじんじんする。どうやら、さっき思わず聞き返したときに舌を火傷したようだった。

 けれどそんな雷童にはお構いなしに、蓮華は上機嫌で円卓に皿を並べていた。

「へー、雷童って料理できるんだ」

 氷雨が部屋に入ると同時に、感心したように言った。

「あいつの作る料理、結構おいしいよ」

「風林児、食べたことあるの?」

「ときどきね。炒め飯とかかなりうまいよ」

「そうなの! じゃあ、あたしも食べたい!」

「あ、うちも食べる!」

 雷童はがっくりとうなだれながら、三人分の料理を作りはじめた。

「……ところでよぉ、呉羽のおばさんどこ行ったんだ?」

 野菜を混ぜ合わせながら、雷童がだれともなく訊いた。

「さぁ……なんか、用があるから――って、朝早くに出かけて行ったわよ。ね、蓮華?」

「そやそや。うちらが起きたときには、もう呉羽さん起きとって、すぐに帰ってくる言うてたんやけどな」

「へー。そのうち帰ってくるかもな。ほれ、いっちょできあがり」

 ひょいと炒めたものを引っくり返すと、そのまま大皿に移し変えた。

「いや、おいしそお!」

 蓮華は湯気に包まれた料理を前にして、喜々とした声をあげた。

 大評判の炒め飯を四人が食べていると、玄関の方が騒がしくなった。

 だれかが大きな足音で四人のいる部屋へと近づいてくる。床に穴が開いてしまうと思えるほどの、踏み鳴らしようだった。

 ガラリ、と戸が開けられる。

「……ふん。ちんけなもん食っとるわい」

 現れたのは呉羽ではなかった。

 急に引き戸を開け、図々しく入ってきたのは小太りの男。金糸で編まれた上衣を紺の下袴に入れ、そして頭上には黒い烏帽子を被っていた。ぴしゃぴしゃと笏で自分の手のひらを叩いている。

 男はぎょろりと室内を見渡した。

「おい、そっちのガキども――見ない顔だな。この国の者か?」

 小豆大のいぼが真横にある大きな鼻を鳴らしながら、男は雷童と蓮華を見比べた。

「え、ちゃうよ。うちも雷ちゃんも、朱里出身じゃないねん。な?」

「あ、ああ」

 雷童は生返事をしながら、その目はずっと男の唇に釘づけになっていた。

 真四角の顔に、常人よりも二倍ほどある目や鼻や太い眉毛。だが、その顔の各部分よりもはるかに人目を引くのは、その唇だった。

 たぶん、上唇だけで人の両唇を覆うことができそうだ。

 雷童は見るつもりはなかったが、ずっと視線をあてていると、男のぶ厚い唇が意地悪そうに歪んだ。

「小僧。さっきからなにを見とる。そんなにわしの顔が珍しいか? ん?」

 そう言うと、男は雷童の胸ぐらに手をあてがった。

「わしはな、読心術を体得しておるこの国で最も偉い人間なんだぞ。そんなわしの顔を見て、なにを思ったか、とくと拝見させてもらうからな」

 男はぐっと手を押しつけると、両目を閉じた。雷童は突っ立ったまま、

「い、いや。あんまり俺の心、読まない方が……」

 と言いかけていると、雷童の口が勝手に動き出した。

「う、うわー。すっげぇ厚い唇だな……本当にあったんだな。たらこ唇って。でも、たらこよりも厚いかもしんねぇな」

 雷童ははっとして口をふさいだ。自分が思っていたことが口から出てしまったのだ。

 無意識的に発せられた自分の心。しかも全て本心だったから、まずいことこの上ない。

 目の前の男の顔色がみるみる変わっていく。

 男は額に青筋を浮かべて、雷童をにらみつけた。

「……この、クソガキ。このわしをだれだと――」

「うるさいよ、春山はるやま。あんたを家に入れたのは、くだらない小競り合いをするためじゃなかったはずだけどねえ。それに、あんたが勝手に心を読んだんだろ。それで雷童を怒るってのは、ちょっとばかしお門違いじゃないのかい?」

 戸口に腕をかけながら、気だるそうな呉羽がいた。

 すると氷雨が血相を変えて呉羽に駆け寄った。

「く、呉羽さん! どういうことなんですか!」

「ああ。それはねえ」

「おい、そこの影宮。それに鳴宮の小僧。おまえら、このわしに会ってなんのあいさつもなしか? わしは宮の頂点に立つ宮司――春山だと知っとるはずだがのお? おまえらは自分の立場ってもんを相っ変わらずわかってないのな」

 どっかりと椅子に座りこみふんぞり返った春山を見て、氷雨は不機嫌さをあらわにした。するとその二人の間を割って入るように、風林児が立った。

「どうもご無沙汰いたしておりました、春山さま。あいさつが遅れまして申し訳ございません」

 深々と頭を下げた風林児を見て、氷雨もしぶしぶお辞儀をした。

「お……お久しぶりです。春山さま」

 雷童が蓮華と顔を見合わせると、自分と同じように呆気に取られていることがわかった。

 どう見ても理不尽だと思った。朝食中に図々しく入ってきて、さらにまるで自分の家のように居座っている――この春山という男。

 雷童は友人二人が明らかに見下されているのを感じて、だんだんと腹が立ってくるのを覚えていた。ふと、氷雨が朱里に行きたくないと話していたことを思い出す。

「それで、宮はおまえら二人か? 輝宮はどうした」

「……なんのことですか?」

「とぼけるでない!」

 すかさず訊き返した風林児の前髪を、春山は強引につかんだ。

「おい、おっさん!」

「ちょ、春山さま! やめてください!」

「黙れガキども! いいか? 輝宮と一緒なのはわかってるんだ。我らの不死鳥さまの危機なんだ。輝宮は、どこにいる?」

 腹から響いてくるような重低音で、春山は苦痛に顔を歪ませている風林児に言った。

「で、ですから……輝宮がどこにいるかなんて、知りませ――」

「嘘をつくでない! おまえらがどうやって朱里の関門をくぐり抜けたか、そんなことはとっくのむかしにばれとるんだ。門に火をつけたのは、輝宮だろう? どこにいるんだ」

「だから、本当に――」

「春山! いい加減にしな。その子の言ってることは嘘なんかじゃないよ。そんなに疑うんだったら、あんたのお得意の読心術でのぞいて見てみれば言い話だろ? それにねえ、こっちも輝宮を探してるところなんだ。早くその子から手を離しな」

 呉羽が整った眉間にしわを寄せ、じろっと鋭い視線を投げつけると、春山は悪態をつきながら風林児を離した。

「……ふん。まぁいい。どうせおまえら宮は、この国から出られんのだから」

 春山の皮肉めいた言葉に、風林児と氷雨に緊張感が走っていったのを、雷童は感じた。

「お尋ね者にした理由は、そういうことだ。つかまえて逃げられんようにするために、わざわざ手を回したんだからのお。認めたくないが、不死鳥さまに会うためには、おまえら宮の力が必要なのでな」

「春山さま。お言葉ですが、ぼくらは変なやつらに追われてこの朱里にきたんです!」

「そんなこと知らん」

「あーもう! あたしたちがここにいたら、朱里まで危なくなるかもって言ってるのよ!」

 ついに氷雨が声を荒げて抗議すると、春山は鼻で笑い飛ばした。

「ばかを言うでない。ここは朱里だぞ? 不死鳥さまの加護を受けているこの国を、おまえらのちんけな故郷と一緒にするでない!」

 下品な笑いを飛ばしながら弁舌する春山に、氷雨はぐっと唇を噛んだ。

 風林児は苦々しく春山を見つめ、蓮華はその場に漂う険悪な雰囲気におろおろしているようだった。

「……うるせえよ、たらこのおっさん」

 ぴたり、と春山の笑い声が止まった。引きつった顔を雷童に向ける。

「おっさん、仮にも宮司なんだろ? おっさんが知らねぇ輝宮を、俺たちが知ってるわけねぇし、それに顔知ってんだったら自分でさっさと見つけりゃいいじゃん。それとも、おっさんも顔知らねぇの?」

 にやり、とばかにしたように笑うと、春山が真っ赤な声で怒鳴った。 

「なにを言うか! そもそも悪いのは輝宮の方なのだぞ! 世代交代をすると連絡までよこしておいて、一向に次の輝宮を差し向けなかったのだからな!」

「へえー。ってことは、おっさんも顔を知らないってことか」

「黙れ小僧!」

 春山は雷童の胸ぐらにつかみかかった。だが、雷童は顔色ひとつ変えず、鼻から荒く息を吐き出している春山の手首を握った。

「黙った方がいいのは、おっさんの方じゃねぇの? さっきから聞いてりゃずけずけ言いたい放題言いやがって。なにが宮司だよ! おっさんこそ、そこら辺のガキと変わんねえじゃねぇか!」

「……小僧、貴様……!」

「やめな!」

 互いに一歩も譲ろうとはしない雷童と春山の間に、呉羽がいらいらしたように割りこんできた。

「これじゃ、少しも話が進まないじゃないか。春山、さっさと輝宮についての情報を教えな。それが宮と会わせた条件だろ?」

 春山はわなわなと震える手を、雷童を突き飛ばすようにして離した。

「……ふん。わしがわかっとることは、二つだけだ。まず、元輝宮には隠し子がいたってこと」

「ふぅん。男か女かわかんないのかい?」

「そこまで知るか。それで、輝宮は念じたものを燃やせる力があるってことだ」

 雷童は体が硬直したのがわかった。

 春山の言葉が、頭を反芻する。

「雷ちゃん、どないしたん?」

 蓮華が眼帯に手をあてている雷童の顔を、心配そうに覗きこんだ。

「え、ああ……なんでもない」

 チリっとした痛みが、瞳に走った。

「この二つがわしの知っとることだ」

「そうかい。わかったよ」

 呉羽はやれやれと肩をすくめた。すると春山はぐるり、とその場にいる全員を見渡した。

「いいか。この情報をもとに、おまえら四人は輝宮を探すんだぞ」

「蓮華は関係ないでしょう!」

「ほう……影宮。わしに刃向かっていいのか? 朱里にいる水の谷出身のやつらがどうなってもいいのかのお?」

 にやにやと笑う春山と対照的に、氷雨はぎりりと言葉を飲みこんでいるようだった。

「とにかく、月があと三回昇る間に、輝宮を探し出せよ。轟宮は……そう言えば、文が届けられていたな」

「なに! 兄――」

 雷童の口をすかさず風林児がふさいだ。

「なんか言ったか? 小僧」

「い、いえ……なんでもないです。では、輝宮のことがわかりましたら、伺いますので」

 うーうー、唸っている雷童を尻目に、春山は部屋から出て行った。

 足音が遠くなったのを見計らって、風林児は雷童を開放した。

 途端、雷童は風林児に食ってかかっていった。

「なにすんだよ、風林児!」

「おまえ、さっき『兄貴』って言おうとしたろ。そんなこと言ったら、あの宮司、雷の里出身の人になにするか……わかったもんじゃない」

 風林児は苦々しく床板を見つめた。

「あのたらこのおっさん。宮の出身地の人を人質に取ってんのか?」

「そういうことだろうね。俺たちが少しでも逆らえば、俺たちの故郷の人に迷惑がかかる」

「あー質悪ぃ」

 雷童が天井を見あげながらぼやくと、

「それより」

 氷雨が急に噴き出した。

「あんた、よく言ってくれたわ『たらこのおっさん』なんて。あー、すっきりした」

「そうそう。まさか、雷童があの人の唇について言うとは思わなかったよ」

 風林児も賛同して笑いはじめた。

「だって、ありゃどう見てもたらこだろ。こーんなにぶ厚くてさ」

 雷童が自分の唇をつまみながら言うと、蓮華まで腹を抱えて笑い出した。

「あーおかしい。あ、そうそう蓮華。ごめんね、厄介なことに巻きこんじゃって」

 氷雨が涙をぬぐいながら言った。

「ううん。心配せんでええよ。輝宮さん探すのおもしろそうやし、それよりみんなとまだ一緒にいられる方が嬉しいねん」

「でも、なんで輝宮を必死こいて探してんだ?」

 雷童が思いついたように呉羽に訊いた。

「それは――もうすぐ不死鳥が炎に飛びこむ時期だからさ」

「不死鳥が?」

「ちょうど次の満月で百年を迎えるんだ。そのとき、不死鳥は自らの火に飛びこんで、新しく生まれ変わる。だから、巣には中身のない卵が転がってるんだ。だけど、あんたたち大樹を見たかい? 絶対に枯れない葉が、散る――これは、不死鳥の身になにか起きてるんじゃないか――って思ってね」

「だから、あたしたち四人の宮の力を借りて、不死鳥さまに会おうってことなんだ」

 氷雨が納得したようにうなずいた。

「でも、呉羽さん。俺たちは変なやつらに追われてきたんです。だから、俺たちがここにいたら朱里まで……」

「大丈夫さ。ここにやつらはこない」

「――え?」

 風林児の真摯な言葉に、呉羽はやんわりとほほ笑んだ。

「そんなことより氷雨、ちょっとこっちにきてくれるかい?」

「え、はいっ」

 呉羽は二つの水晶を円卓の上に置いた。少し先のことが見えると言った石だ。

 雷童が身を乗り出して覗きこむと、透きとおった表面に湾曲した自分の顔が映っていた。

「なにするんですか?」

「手を」

 氷雨は呉羽に言われるまま、手を差し出した。

 その手首を呉羽は握ると、そのまま片方の水晶の上に置いた。

「さて、どこに輝宮がいるかどうか――見てみるとしようか」

 ぐらり、と空間が歪んだ気がした。

 水晶が淡い光を放ちはじめる。それは氷雨の指の隙間から漏れ出した。

「氷雨。ちょっとだけ、驚くかもしれないよ」

「驚くってなにに?」

「いいかい。見えたものを、できるだけしっかり覚えていてくれるかい? これはあんたの影宮の力なしにはできないことなんだ」

「わ、わかったわ。頑張ってみる」

 氷雨は意を決するように深呼吸をした。そしてじっと水晶を見つめる。

 呉羽は静かに瞳を閉じた。

 だれもがこれから起こることに、緊張感を覚えていた。

 物音すらしない。

 シン、と張りつめたような空気が部屋全体を包んでいるようだった

「過去より未来の者に告ぐ。果てなき地から果てなき夢へ、旅するものは影宮なり。その力――相反するものに応えよ」

 呉羽が厳かな口調でそらんじると、一瞬まばゆく水晶が光を放った。

 ふわり、と氷雨の青い髪が揺れた。風のない部屋で空気が動く。

 そのときだ。

「――きゃっ!」

 強烈な破裂音とともに、氷雨の体が大きく弾かれた。まるで見えない壁に跳ねのけられたようだった。

 体勢が崩れた氷雨を、すんでのところで風林児が支えた。

「だ、大丈夫だった?」

「……うん。なんとか、ね」

 まじまじと突き放された手のひらを見ながら、氷雨が言った。

「それで、なにか見えたかい?」

 氷雨は身振り手振りを交えながら、説明しはじめた。

「えっと……あれは――赤、かな。こう血みたいに赤い色してるの。それであとは男の子みたいだったわ。なんか叫んでるみたいだったけど……そこで途切れて見えなくなっちゃって……」

 うつむき加減の氷雨の頭を、呉羽は優しくなでた。

「それだけ見られれば十分さ。いまのは輝宮に関しての情報とでも言えばいいのかねぇ――とにかく、あたしは知らない人物のことは占えないから、だから影宮――あんたの力を貸してもらったんだよ」

「つまり輝宮につながるものは、いま氷雨が見た『赤』と『少年』だってことか」

 風林児があごに手をあてながら、確認するように言った。

「ふーん。んじゃ、それっぽいやつを徹底的につかまえて、片っ端から氷雨が触りゃ見つかるってことなんだろ」

「あのね、そう簡単に言わないで――」

「ひーちゃん、大変やなぁ」

 蓮華がしみじみとつぶやくと、氷雨はがくりと力が抜けたようだった。

 すると急に氷雨が「あ」と短く声をあげた。

「どうかした?」

 風林児が訊くと、

「呉羽さん! 輝宮、朱里にいると思うわ!」

「朱里に? それは本当かい?」

「うん! 言い忘れてたけど、頭に景色が浮かんだとき、不死鳥の大樹が見えたの。だから、輝宮はここにいるはずよ」

 確信するように氷雨は力強くうなずいた。

「そうか……それじゃ、早いとこ輝宮と合流しなくちゃならないね。見つけたら私に報告しとくれ。輝宮を春山に会わせるとしても、私を介して会うのと会わないとでは全然違ってくるからねぇ」

「そういや、あのたらこのおっさん、おばさんに頭があがんねぇみたいだったよな」

 にやり、と雷童は笑った。

「ま、春山は私には逆らえないからねえ。いいかい四人とも、あと三回月が昇るまでに、頑張って見つけるんだよ。一度不死鳥の巣の様子を見てこないと」

 呉羽はたおやかな笑みを浮かべ、落ち着いた口調で言った。


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