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虹色万華鏡  作者: 民メイ
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第一夜(三)

水の真珠



「おかしいのう」

 満年斎は困惑気味の声をあげた。

「確か、ここで待っとるように言ったはずなんじゃがな」

「だれかと待ち合わせしてたんですか?」

 きょろきょろとあたりを見回している満年斎に風林児が訊いた。

 そこは湿原だった。

 丈の長い草がところ狭しと密生しており、どちらかといえば沼に近い印象を受ける。そして一面群青色だった。水の色もさることながら、そばに生えている大木の幹も、水面に浮かぶ花もほとんどが青一色でまとめられているようだった。世界の青が目の前の風景のためだけに集まってきたと思えるほどだ。

 鈴のような虫の音が聞こえる。周囲を飛び交う発光する虫――たぶんこの虫が鳴いているのだろう。薄青の光があまり差しこむことのない日光さえ、青く染めているようだ。

 雷童は幹につく苔を指で剥ぎ取った。それさえもかすかに青い光を放っている。

「それは青花苔あおはなごけといってな、ここらが青いのはそのせいじゃ。虫も草もその苔を食べ、そこから生えてくる。もちろん水が青いのも水底の苔が光に反射しているせいでな、しかもその苔はここでしか生えることができんのじゃ。珍しいじゃろ?」

 雷童は満年斎の説明を聞きながら、指に乗せた苔を眺めていた。ぼこぼこと細かく隆起しており、表面は波打っている。ここが青いのがこの苔のせいだと考えると、なんだか苔がものすごい力を持っているように感じた。

「それにしても、どこに行ったんじゃろうな」

 満年斎は白いひげをなでた。

「どっかうろうろして迷ったんじゃねえの? 探してこようぜ、風林児」 

 そう言うと、雷童はすたすたと歩きはじめた。そのあとを少し離れた距離を保ちながら、風林児が足を運んでいる。

「ちゃんと、探すってわかってるよな?」

 釘を刺すように風林児が言うと、雷童は空笑いをした。

「なに言ってんだよ。探すに決まってんじゃん」

「ふぅん。なら、いいけど。おまえのことだからてっきり探検でもしようとしてるのかと思ったよ」

「……参りました」 

 ずばりと心の内を見透かされ、雷童は探索をあきらめることにした。

 どこまで亀に乗ってやってきたのはわからないが、見たことのない植物だらけだった。黄色いきのこは、表面に紫色の斑点を浮かべ、わさわさとうごめいている。顔ほどの大きさもある蝶が幹に貼りついて、口先を木肌に突き立てていた。

 湿気の多い空気のせいで、じっとりと汗ばんでくる。自分たちがとおることで、折れていく草の独特の匂いが充満しているなかを、二人の少年はしばらく進んでいった。

「見つからねえな……」

「そうだな」

「おまえの風読みの技で見つけることできねえの?」

 ふと振り返りながら言うと、風林児はひょいと肩をすくめた。

「風読みは、俺が知ってる気配じゃないとわからないんだ」

「ふぅん、じゃあ無理か」

「そういうこと」

 雷童はがさりと身の丈ほどもある草を掻き分けた。そのときだった。

 急に目の前が開けたのだ。

 奥の方には二つの切り立った崖が、ぎりぎりのところで接しておらず、その隙間はまるで洞窟のように存在していた。縦に細長く伸び、上部の方はほとんどくっついていると言ってもいいほどである。

 その前に人影がポツンとあるのに、雷童は気がついた。

「お! もしかしてあいつじゃねえ?」

「そうかもしれないな。声かけてみよう」

 ざくざくと短い草木を踏みながら、その人物に近づいていく。

 藍色の布を頭からすっぽりと被り、じっとたたずんでいる。

「おーい、そこの人さぁ、白いひげのじいさんの知り合い?」

 大きな声で呼びかけると、ゆっくりとその人物は振り向く。

 そして風林児もなにか言おうと口を開きかけたとき、

「ようやく見つけたわ! 姿を隠してなにしてるのかと思ったら、仲間を呼びに行ってたなんて――あたしが谷の仇を取ってやる!」

 そう言った瞬間、少女の周囲になにかキラキラしたものが無数に浮きあがった。

「つららの舞!」

 その少女が手を前に突き出すと、小さな塊が雷童と風林児目がけて飛んできた。

「うわっ!」

 二人はすんでのところで避ける。風を切る音が耳のすぐ横を駆け抜けていった。

 見ると鋭いつららがそばにあった幹に突き刺さっているのが目に入った。 

 そのとき、雷童はほおに鋭い痛みを感じた。

 そっと手をやる――血だ。

 いまのつららがかすったらしい。

「痛ってえな。なにすんだよ!」

「うるさいわね! いまさら泣き言こぼしたって無駄なんだから!」

 再び少女の周りをつららが取り巻く。

「なあ、俺をだれかと間違えてんじゃねえ?」

 雷童が嫌気の差したように言うと、

「そうみたいだな。おまえみたいのがほかにもいることが不思議だけど」

「おい、風林児。それどういう……」

「いい! 覚悟しなさい! 今度こそ仕留めてやるんだから! つららの舞!」

「風の糸」

 少女の放ったつららが、風林児の起こした風によって起動を変えられ空中を飛散した。パラパラと氷の塊が落ちていく。

「あんた――風の丘の人間? だったらどうして邪魔するの。そいつは、あたしの谷をめちゃくちゃにして、母様に大怪我を負わせたのよ!」

「……だから違うってーの」 

 雷童がふてくされたようにぼやいていると、風林児は一歩進み出た。

「君は、だれかと間違えてるよ。こいつはずっと俺と一緒にいたし、俺たちはここに初めてきたんだから」

 少女はムッとしたらしく、ずかずかと近寄ってきた。

「間違えるはずなんてないわ! 他にだれがいるっていうのよ。片目に眼帯してて、髪が……髪が……」

 少女の声がだんだんとしおれていく。じっと見つめられて、雷童は居心地が悪くなってきた。布の下からのぞく瑠璃色の瞳。その瞳は動揺を隠せないようで、ゆらゆらとゆれていた。

 すると少女は開き直ったように雷童のすぐそばに立った。

「……な、なんだよ?」

「あんた、髪の色変えた?」

 その質問の意味がわからず、黙ったまま少女を見ていると、

「なんで金色じゃないのよ。いつの間に赤い色に変えたのよ!」

 理不尽な物言いに、雷童はついに口を挟んだ。

「はあ? なに言ってんだよ。俺は元からこの色だ!」

 途端に、少女はしゅんとした顔になった。

 雷童は戸惑いの視線を風林児に向けた。風林児は首をかしげながら苦笑いを浮かべている。

「じゃあ、人違いってこと?」

「そういうことだろ」

「そう……」

 急に少女は黙りこんでしまった。

「ま、まあだれにでも間違えることはあるから」

 風林児がたしなめても、少女は一向に顔をあげようとはしない。がっくりとうなだれたまま、雷童の目の前に立っている。

(どうしたもんか……)

 心のなかでどうすればいいか考えていると、急に片手を握られた。

「なっ――!」

「ごめん! てっきり谷を襲ったやつと間違えて、関係ない人を怪我させちゃうなんて。本っ当ごめん!」

 雷童は顔が爆発しそうだった。真っ赤になっていくのが自分でもわかる。

「あ、の……」

「だって、なかなか眼帯してる人なんていないじゃない? もうそれだけで決めつけちゃって。あーもう! なんか自分に腹が立つわ」

 そう語る少女の前で雷童は泡を食っていた。呂律が回らない。握られている右手がじんじんする。そこだけ神経が集中したようだ。

 風林児に目で助けを求めても、風林児は意地悪そうな笑みを浮かべながら楽しそうに見ている。

(あいつ……わざと無視してる)

 そんな雷童の変化に、ようやく少女は気づいたようだった。

「どうかした? なんか顔が赤いわよ」

「い、いや……」 

 風林児は笑いをこらえながら、横目で雷童を見ていた。

「大丈夫?」

 そう言って少女が顔を覗きこむ寸前で、雷童は手を振り払った。驚いて目を丸くしている少女に、雷童は大きく息を吸いこむと、

「しょ、初対面で、手なんか握るなっ!」

 全速力で走ったように息を切らし、雷童はきっぱりと言い切った。

 少女はしばらくぽかんとしていたが、

「あははっ、なにあんた照れてるわけ? 手を握ったくらいで?」

「う、うるせえなっ!」

 ついに風林児も噴き出し、雷童は二人に笑われることになった。ムスッとして風林児をど突くと、風林児は悪びれもせずに目に涙を浮かべている。

「雷童は、女の子が苦手なんだよ。な? 雷童?」

 風林児がそう言うと、少女はにやにや笑いながら風林児の隣に立った。

「へー、雷童っていうんだ。あたしは氷雨ひさめ。あんたは?」

「俺は風林児。俺たち幼なじみでさ」

「ふーん……。あ、もしかして風の鳴宮に会ったことある? 風の丘の人なんでしょ」

 すると風林児は少しためらいがちに、

「いや、鳴宮は俺なんだ」

 と言った。

 すると氷雨は嬉しそうに笑った。ほおにえくぼができている。

「じゃあ、鳴宮と影宮かげみやのご対面ってことね」

「それじゃ、氷雨が水の影宮なんだ」

「そう。三年前になったのよ」

「そっか。俺なんてなったばかりだよ」

 そんな会話を横で聞きながら、雷童はどうにも話に置いていかれているようだと確信した。けれどどうやって割りこんでいいのかわからない。仕方がないので、雷童は風林児の腕をひじで突っついた。

「ん? どうかした?」

 雷童は二人とは顔を合わせないように、

「じいさんとこ、行くんじゃないのかよ」

 と、ぼそぼそとつぶやいた。

「ああ、そうそう。満年斎さまが探してたのって氷雨?」 

 風林児は思い出したように、氷雨に訊いた。

「うん、そうよ。待ってるように言われたんだけど、谷を襲ったやつが現れてね、そいつを追いかけてるうちにここまできちゃったのよ。おじいさん心配してた?」

「うん、まあね。とにかく戻らないと」

 雷童は話がまとまったのを見て、一人先に歩き出した。

 しばらくしてちらっと後ろを見ると、氷雨が被っていた布を頭から下ろしたところだった。空の色をそのまま映したような髪の色だ。短い髪は肩につくかつかないあたりで無造作に切られており、高い襟と袖元に細かな刺繍が施されている着物らしいものをまとっていた。着物とは違うところはひざ下の裾がなく、そこに紺の脚絆を履いていた。

 風林児と氷雨はすっかり話に花を咲かせていた。宮どうしで盛りあがっているのだろう。

 雷童はふと空を見あげた。

 森の隙間からのぞく空は、ぽつぽつと白い雲を浮かべはじめていた。合間をぬうようにして鳥が群れをなして飛んでいる。

 雷童ががさっと長い草を掻き分けようとした瞬間、だれかがその前に草から顔を出した。

「うわっ!」

 雷童が思わず飛び退くと、

「おお、そこにおったのか」

 満年斎が頭に亀を乗せながら、安心したように言った。

「び、びっくりさせんなよ。じいさん」

「雷童! あんたね、仙翁さまにどういう口の利き方してんのよ」

 氷雨は大股で雷童の隣までくると、じろっと雷童をにらんだ。

「う、うっせえな。どうだっていいだろ……」

「よくないわよ。目上の人に対する態度が、あんた悪すぎ」

 ずばりと本当のことを指摘され、雷童は反論する余地もなかった。

「ま、まあまあ。そんなにらみ合いしたってどうにもならないだろ」

 なだめに入った風林児の横で、雷童は悪態をついた。

 雷童は満年斎に向き直った。

「で、じいさん。これからどうすんの?」

 氷雨がムッとした顔で見るなか、満年斎は亀の甲羅をさすった。

「おまえさんたちに話さないといかんことがあっての。亀の上で話そう」

 ぐんぐん広がる甲羅に、氷雨、風林児、そして最後に雷童が飛び乗った。

 ふわり、と足元が浮いた感触が伝わってくる。

 不思議なことは、亀の乗る雲が草木を一本もなぎ倒していないことだった。仙亀の持つ雲というのはそこら辺のものとは違うのだろうか、雷童は黄みがかった雲を見下ろしながら思った。

 満年斎は亀になにか耳打ちしたあと、三人がいる甲羅に上ってきた。

「さて、まず最初に言わなければならないことは」

 そう言うと、満年斎は風林児の顔をじっと見た。

「おぬしの風の丘も襲われたことじゃ」

 一瞬のうちに風林児から血の気が失せた。

 さっと青ざめていく。

「ど、どうして丘が……?」

「どうやら狙いは鳴宮だったらしいな」

 その言葉で、雷童も氷雨も風林児の横顔を見つめた。

「もしかして、水の谷を襲ったやつらと同じやつですか?」

 氷雨はゆっくりと訊いた。こくりと満年斎はうなずく。

「そうじゃ。水の谷、風の丘、雷の里、そして火の山もな」

「火の山まで!」

 氷雨は鋭く叫んだ。

「人の姿をした化け物みたいな輩は、四人の宮を探しまわっておる」

「じゃあ、あと一人ってこと……」

 氷雨は周りを見渡しながらつぶやいた。

 風林児はずっとうつむいたまま、じっと目を開いていた。

「おい、大丈夫かよ」

 雷童が肩をゆすると、ハッとしたように風林児が顔をあげた。その瞳には不安の色が浮かんでいた。

 雷童は肩をつかんだまま、

「丘にはおまえの親父さんがいるんだろ? そう簡単にどうこうなんねえって」

 風林児は小さく笑っただけだった。

「そうじゃ、いまおまえさんが丘に帰ったところで、やつらは宮を狙っておる。逆に、丘を危険な目に合わせることになってしまうでの。帰らん方がいいじゃろう」

「……そう、ですね」

 風林児が苦い顔をしているのを見ながら、雷童がぽりぽりと頭をかいた。すると氷雨が目を丸くして二人の間に割って入った。

「な、なんだよ」

 雷童は驚きの眼差しを向けてくる氷雨にたじろいだ。

「あんた……なんで風林児に触れるの?」

「は?」

 言っている意味がわからず黙っていると、氷雨は風林児の肩に置いてある雷童の手を見た。

「なんで弾かれないの? 風と雷でしょ? 宮どうしなら力が反発して触れないはずなんだけど」

 不思議そうに尋ねる氷雨の言葉に、雷童は妙に納得した顔をした。

「そりゃあ、俺は轟宮じゃねえからな」

 雷童があっけらかんと言うと、氷雨は力が抜けたようにしゃがみこんだ。

「じゃ、じゃあ轟宮はどこにいるのよ?」

「どこにいるっていってもねえ……」

 雷童はちらりと風林児を見て、ひょいと肩をすくめた。

「雷童の兄さんなんだ。いま行方知れずになってるけど」

 風林児が代わりに答えると、雷童は軽くうなずいた。

「だ、大丈夫なの?」

「平気だろ。兄貴すっげぇ強いんだから、くたばるはずないって。宮にだって十二のときになったぐらいだしよ」

 すると氷雨は少し安心したような顔をしてため息をついた。

「ってことは、輝宮を探さないといけないってことだよね」

「そういうことじゃ。だから、おぬしの水の谷には、どこよりも大勢の輩がせめこんできたというわけじゃ」

 今まで三人の話を聞いていた満年斎が、諭すように言った。

「そっか……炎の輝宮に触れないのは、水の影宮のあたしだけだもんね。あたしが輝宮を探す唯一の手段――ってわけか」

 確認するように言いながら、ぎりっと唇を噛んだ。

「ところで、雷童。おぬし轟宮ではない――と申したな」

 神妙な口ぶりだ。

「え、ああ。そうだけど」

「ならば、あの火事はどうやって起こした? 雷を使ったのではないのか?」

 風林児と雷童はどちらともなく顔を見合わせた。

「うー、それは……」

 雷童はどもりながら満年斎を見ると、再びその瞳から、心がざわつく光を見た気がした。

「ん? どうしたんじゃ?」

「……え? ああなんでもない」

 ハッと我に返ると、満年斎だけではなく、氷雨も雷童の言葉を待っているようだった。

 じっとこっちを見ている。

 雷童は苦笑いを浮かべながら、眼帯に手をのばそうとした。

 そのときだ。

 一瞬の出来事が、目の前を駆け抜けていく。

 白く光る閃光と鼓膜が破れるほどの音。

 なにかが、どこからか亀の甲羅に落ちてきた。それは仙亀のぶ厚い甲羅を割るほどではなかったが、乗っているものに衝撃を与えたことは確実だった。

 突然のことに驚いた仙亀は、首と手足を縮め、身の防御に走る。満年斎はすんでのところで甲羅のへりに手をかけた。

 三人は空中に投げ出される。雲の端から満年斎がなにかを叫んでいた。

 雲から落ちる。空がどんどん遠くなっていく。

 鳥の群れを突っ切り、白い霧状のものを突き抜けると、そこは一面の緑の大地だった。

「風林児! さっきからなにやってんだよ! 落ちてんだぞ!」

 雷童は落下しながら声を張りあげた。さっきから風林児はじっと目をつぶったまま、ぶつぶつとつぶやいている。雷童の声も届いていないようだ。

 すると、視界の向こうにすくっと天に向かって伸びている大樹が目に入った。周囲のどの山よりも高く、頂はもやがかかって見ることはできない。

「なんだあれ」

「あれ、不死鳥の巣がある樹よ」

 すぐ隣を落ちていた氷雨が真剣な面持ちで言った。

「あんなでっけえ樹に巣なんか作ってんのか」

「あんた、なにも知らないの?」

「う、うるせえなっ」

 ぷいっと顔を背けると、

「……よく、平気だな。空から落っこちってんのに」

 と、ぼそりとつぶやいた。

 すると氷雨はふっと風林児を見た。

「だって、風林児が助けてくれるみたいだもの」

 信頼を帯びた口調だ。

 風林児の周りに風が集まりはじめていた。風の糸よりもずっと数多くの空気が、白い布のように絡みついていく。

 そのとき、ぐっと腕をつかまれた。

「雷童、氷雨の手を握って」

「げっ! お、俺がか!」

「そんなに恥ずかしがらなくたっていいでしょ!」

「早く! このままじゃ、地面に激突するから!」

 雷童はしぶしぶ手を差し出した。そして氷雨の手を取ったと同時に、空気の抵抗を重く感じた。落下速度が緩やかになっていく。

「なにやったんだ?」

 雷童が不思議そうに訊くと、

「まさか、やっと覚えた技をここで使うことになるとは思わなかったよ」

「これが鳴宮の条件なのか?」

「うん。風に乗れるようになることだったから。でも、そんなに長く乗ってられない。早いとこ、降りる場所見つけないと……」

「そうね……」

 氷雨は髪の毛を押さえながら、こくりとうなずいた。

 バサバサと音を立てながら、空気が背中に入ってくる。

「おーい、おまえさんたち平気かー!」

 はるか上空から、満年斎の声が響いてきた。

「お、じいさんじゃん!」

「よかったぁ! 風林児、満年斎さまに助けてもらおうよ」

「そうだね。拾ってもらおう!」

 三人がそろって空を仰いだとき、満年斎の乗る雲と三人の間に、厚く赤黒い雲が割りこんできた。まるで引き合わせないようにするため、わざと現れたようだった。

 雷童は顔をしかめた。

「な、なんだこの雲」

「気味悪いわね……」

 そのとき、風林児が焦ったように「あ」と短く声をあげた。

「どうしたんだよ」

 すかさず雷童が訊き返すと、風林児は苦い顔をしながら周りを取り巻いていく雲をじっと見つめていた。

 目まぐるしく動く雲の波。

 不気味なほどの積雲が、増幅するように三人を包んでいく。

「風の流れが……変わった」

「は? なんでまた――」

「吸いこまれる! 手を離しちゃだめだ!」 

 風林児が珍しく鬼気迫る声で叫んだ。

 一瞬、雷童は頭が回らなかった。風林児の言葉が耳元でがんがんした。

 なにをそんなに張り詰めているのだろう。それに突然叫んでどうしたというのだろう。

 時の流れが遅くなったように、すべての動きがゆっくりと雷童の目に映った。

 空気の抵抗がなくなる。

 周りを覆う雲が一瞬光る。

 目の前の雲に穴が開く。

 その穴が空気を吸いこみはじめた。

「うわっ! な、なんなんだよこれ!」

「風林児、どうにかならないの!」

 空気の渦に巻かれながら、必死で三人は体を丸めていた。

「無理だ! 流れがぐちゃぐちゃで……あの雲が乱気流を起こしたみたいなんだ! このままだと」

「このままだと、なんだよ!」

 雷童が目をぎゅっとつぶりながら、風林児に向かって叫んだ。

 三人を護るように存在していた風の布が、引きちぎれるようにはがれていく。

「乱気流に飲みこまれる! みんな固まって! なんとか抵抗を少なくするから!」

 三人は輪になるようにして手を組んだ。その周りを風の糸がやんわりと包みこむ。

「おまえさんたち! いま行くから頑張っとれ!」

 雲の向こうから満年斎の声が聞こえてくる。風の糸が切れた途端に、風林児がすぐにより戻す。

「風林児、もうちっと踏ん張れよ」

 雷童が声をかけると、歯を食いしばっている風林児は力強くうなずいた。

 その瞬間、

「きゃっ!」

「氷雨!」

 短い悲鳴に、二人の少年は一斉に顔を向けた。

 そこには雲に飲まれた氷雨がいた。氷雨の手が強い力で引っぱられていく。氷雨のすぐ背後からまるで腕のように彼女をとらえている。

 氷雨はもがきながら、

「風林児、雷童、あんたたちもうしろっ……!」

 引きつった声で叫ぶ前に、氷雨の両手が雷童と風林児の手からすり抜けた。

「氷雨っ!」

 青ざめた二重の声が、目の前の雲の塊に向かって発せられた。が、すぐに雷童も風林児もうしろからなにかにつかまれた。

「げっ! なんだこれ!」

「これ、雲――うわっ」

「風林児!」

 引き離された風林児に向かって手を伸ばした瞬間、雷童も白い視界に包まれた。

 手は宙をかき、雷童はどこかへ落ちていく感覚に襲われた。

(一体、なにがどうなってんだ? あの二人は平気なのか? それにどこへ……)

 雷童は意識が自分の体から遠のいていく気がしていた。


近日中に、次回更新です!




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