第四夜(二)
久々の更新です! お待たせしてごめんなさい。
喜びと悲しみと
雷童は春山の屋敷の庭をうろうろしていた。
風林児の『空雷が大怪我をした』という言葉が気にかかっていたのだ。けれど、屋敷に入るのはためらわれた。さんざん屋敷には帰らないと断言しておいて、万が一風林児に出くわしたら――と考えると、どうにも足が進まなくなる。
人形祭当日で、屋敷には人の出入りが激しかった。人の往来を眺めながら、雷童は取り残されたようにため息をついた。
まだほおがひりひりする。
「思い切り殴りやがって……」
ぼやきながら、木の根元に座りこんだ。そしてぶちぶちと草を引きちぎって放り投げた。青臭い匂いが漂う。
「あー、くそっ……」
雷童は悪態をつきながら、どうすることもできない気持ちをもやもやと胸に抱えていた。
朝の光が、異様に眩しくそして遠く感じられた。
そのとき、ふっと暗くなったかと思うと、
「雷、ちゃん……?」
そう声が降ってきた。
逆光で顔は見えないが、声だけでだれだかわかる。
「……ああ、蓮華か」
「どないしたん?」
「……別に」
雷童がぶっきらぼうに答えると、蓮華はなにも言わずに隣に腰を下ろした。
そよそよと風が吹いている。暖かい優しい風だ。
「ふっくんと、けんかでもしたんか?」
「……ただ意見が食い違っただけだ」
すると蓮華はふわりとほほ笑む。
「ふっくんと同じこと言うんやね」
「けっ、気持ち悪ぃ……」
「空雷さんな、昨日すっごい血だらけで……朝方まで熱にうなされて、雷ちゃんの名前、ずっと呼んでたんよ」
雷童は口をつぐんだまま、ぐっと手を握りしめた。
「だから、雷ちゃんが戻ってきたの知ったら、空雷さん喜ぶと思うんよ」
「……なんで、おまえがそんなことまで心配――」
「うち、雷ちゃんのこと大好きなんやもん」
雷童は思わず蓮華を見た。
陽だまりのような言葉に、冷えていた体が溶けていくようだった。
「うちだけじゃないねん。ふっくんも、ひーちゃんも、空雷さんも、みんなみんな雷ちゃんのこと好きなんやで。だからな」
蓮華はそこで一息つくと、雷童に優しい笑みを向けた。
「一人で悩みを抱えこまんでほしいねん。うちが言える立場じゃないんやけど……雷ちゃんは一人じゃないんや。雷ちゃんがうちを助けてくれたように、うちも雷ちゃんを助けたい」
「あー、もう……」
雷童は急に立ちあがった。
不覚にも泣きそうになってしまった。
自分は人と違うのに、自分は人間じゃないのに、それなのにこの居心地のいい場所から離れたくないと思ってしまう。自分が人間だと錯覚してしまう。
悲しさと嬉しさが混ざり合って、心に染みこんでいった。
「ほんとおまえらって――どうしようもないお人好しだよ」
雷童は無理やり笑顔を作ると、懐に手を突っこんだ。そして小さな筒を取り出す。
「ほらよ、これやる」
「なんや?」
「万華鏡だってさ。この前もらったんだ。けど、やるよ」
すると蓮華はパッと顔を輝かせた。
「ありがと! うち一生大事にする!」
そう言いながら、蓮華は万華鏡を覗きこんだ。
感嘆のため息をこぼしながら、くるくると万華鏡を回す。その横で、雷童はぼんやりと空を見あげていた。細い雲がゆっくり流されていく。
「うち、輝宮なんやって」
突然、蓮華が言葉をこぼした。
「まだ信じられないんやけど、空雷さんがそう言ってたんや」
すると蓮華は首飾りを引っ張り出した。
「これがな、なんか――輝宮の力を閉じこめてるらしくて……うちはそれを解かないと輝宮になれんのやって。でもな」
蓮華はほうっと息を吐き出す。
「もう、だれも死んでほしくないから、頑張るんや」
その横顔に、意思の強さが見て取れた。
「そっか……驚いたけど、まぁ頑張れ――」
『輝宮の心臓を――あなたが食べるのよ』
刹那、常葉の言葉が頭を駆けめぐった。
ハッとして蓮華を見つめる。
風にゆられて、蓮華の黒髪がなびいていた。
(俺が、食べる? こいつの心臓を?)
と、そこまで考えて、雷童は動悸と胸焼けを覚えた。呼吸もうまくできない。
雷童の異変に気づいたのか、蓮華が驚いたようにひざ立ちになった。
「だ、大丈夫なん? 雷ちゃん、顔真っ青――」
「触んな!」
伸ばされた蓮華の手を、雷童は振り払った。
「あ、ごめん……でもうち――」
「おまえ、輝宮なんだろ……っ」
「う、うん……そうやけど」
『輝宮を殺せば、あの鳥の力が弱まる……そして輝宮の心臓をあなたが食べれば、月の色の戸が開く力が得られるのよ』
蓮華の言葉と常葉の言葉がかぶる。
雷童はぎゅっと体全体に力を入れ、
「俺と関わるな」
と、ひどく冷たい声を出した。
「え――ら、雷ちゃん、なに言って――」
「いいから! もう俺の前に顔出すな! 俺は――俺はおまえなんか嫌いなんだ!」
雷童は、糾弾した。
サアッと風が吹き抜けていった。
なにかの花びらが、二人の間を舞い散っていく。
雷童は、放心状態の蓮華を見ていられなくて、その場から走って逃げた。
どうしてこうなってしまったんだろう。
朱里に来た当初は、こんなことになるなんて思ってもみなかったのに。
蓮華の純粋な気持ちが、雷童には重かった。
まっすぐな眼差しが、針のように感じられた。
「……もう、いやだ……」
雷童は人気のない路地裏までくると、ようやくその足を止めた。
「蓮華が輝宮なんて――……」
「お兄ちゃん、あんなひどいこと言っちゃだめだよ」
カラン、と背後から音がした。
おかっぱ頭の少女は、にこやかな笑みで立っている。
「おまえ……」
「一・番だよ!」
「一番、おまえ聞いてたのかよ」
雷童がにらみながら訊くと、少女はさらに嬉しそうな顔をした。
その表情に、雷童は思わず頭に血がのぼった。
「てめぇ!」
少女の首をしめると、
「あいつらには手ぇ出させないからな! あの女には絶対言うな!」
すると少女はフフッと笑う。
「無理だよ、お兄ちゃん。だってこの目はお母さんの目なんだもん。見てるもの全部が、お母さんに通じてるの。だから無理」
雷童は少し力を緩めた。
「へっ……そうかよ。それなら話が早ぇな」
「なにが?」
「いまからあの女のとこに連れて行け! 案内しろ、いますぐに!」
少女はその場にはふさわしくないほど、にっこりとした。
「いいよ。お兄ちゃんなら、大歓迎だよ」
そう言うと、少女はすたすたと歩き出した。
雷童は少女以外のすべてが、視界には入らなかった。音も香りもすべて、遮断されたようだった。自分に開かれているのは、灰色の世界、冷たい世界。
ただ前を行く少女だけが、鮮やかな色を持って映し出される。
雷童は一瞬足を止め、大樹を見あげた。
(もう、戻ることなんか――できねぇんだ)
はらりと大樹の葉が弧を描いて散っていった。
楽しんでいただけたら、嬉しいです!