第三夜(十四)
幼なじみ
目の前に常葉がいた。
薄桃色の襦袢をまとい、子守唄を奏でている。
「ゆんゆんゆらゆら、夢うつつー」
腕には赤子を抱き、常葉は慈しむように見つめている。
「どうすれば成長するのかしらねぇ」
ゆすりながら、赤子に話しかける常葉。
雷童はその光景をどういうわけか、少し離れた場所から見ているのだ。
「やっぱり、次元を歪ませた場所にいると、だめなのかしら」
常葉と赤子、会話をのぞけば本当の親子のようだ。
「でも、ずっとこのままでいるわけにはいかないでしょう? 七十年かけてやっとその右目に適合する体を作れたのにね、もったいないじゃない。お母さんがいくら不死身だとしても、七十年は長いの。それにね、十年も赤ちゃんでいるなんて、人間では考えられないのよ? だからね、いい子だから大きくなって」
するとそこへ満年斎が現れた。
「ほら、あなたと一緒にいたいからって、死ぬ間際に満年斎も人形になってくれたのよ」
満年斎は赤子をのぞきこんだあと、ふとその顔に笑みを浮かべた。
「長かったですな」
「そうね。てっきり不死鳥の一部分を入れれば、人形が完成するって思っていたけれど……瞳を入れた途端、体が燃えてしまうんだもの。でもようやく完成したわ」
常葉は嬉しそうだった。
雷童はその横顔を見ていて、なぜか心がズキンとした。
同情しているわけではない。ただ、常葉がかわいそうと一瞬思ったのだ。
ずっと自分という存在に縛られて、それ以外に生きる道を失った常葉が、哀れでならなかった。
「常葉さま、一度人間の手に預けたらいかがかの?」
満年斎が思いついたように言うと、常葉は眉をひそめた。
「人間に?」
「うむ。もしかすると人間と共に暮らせば、成長するかもしれませんぞ。それに次元も時間がここでは歪んでおりますし」
「そうねぇ」
常葉は考えこむようにして唸った。
「安寿? あなたはどうしたい?」
常葉の言葉がズンと深くのしかかってきたように感じた。
――安寿。
その名前がなにかの呪いのように雷童を縛りつける。自分が人形であるという証。人間としての雷童を黒く塗りつぶしていく。
雷童は耳をふさいだ。これ以上聞きたくなかった。
「安寿と離れるのは寂しいけれど……」
雷童はぎゅっと目をつぶる。
(呼ぶな……その名前で、俺を呼ぶな――)
「でも安寿のためになるのなら……」
耳を覆っても目を閉じても、名前がつきまとうように脳裏に響いてくる。
(俺は……俺は……安寿じゃない――)
「安寿、あなた人間に育ててもらう?」
(雷童って、だれか呼べよ――!)
「おい、雷童!」
その瞬間、がくんと体がゆれ、常葉も満年斎もかき消えた。
「あ……」
おぼろげな視界に映るのは、風林児の顔。髪を結ってないせいか、いつもと違うように見える。
風林児は灯りを持ったまま、雷童の前にしゃがみこんだ。
「おまえ、なにやってんだよ。こんなとこで」
風林児を見た途端、雷童は大きな安心感に包まれるのを感じた。
雷童がぼんやりと風林児を見ていると、風林児は心配そうに首をかしげた。
「本当に大丈夫か?」
「………夢、か」
雷童は確認するようにつぶやいた。
風林児はがくっと肩から力が抜けたようだ。
「はー、なんか心配して損した……ほんとのんきなやつ」
風林児はなんの気なしに言ったのだろう。普段なら、雷童だってなにも感じないはずだ。だが、いまの雷童にとって、その言葉が妙に突っかかった。
(のんき? 俺が? なにがあったのかも知らないくせに……)
風林児はそんな雷童の心中を知る由もなく、
「あのさ、いくらなんでも街外れの木の下で、熟睡するなよ」
と、額の汗をぬぐってため息をついた。
本当に心配して探し回ってくれたのだ。暑いらしく緩ませた襟から、傷を覆う布がかいま見えた。
「風邪引くぞ」
(だからなんだよ……)
風林児の言葉すべてに、言いようのない反感が芽生える。
「……別に、引いたっていい」
すると風林児は呆れたような顔で、うつむいたままの雷童を見た。
「なにばかなこと言ってんだよ。ほら、早く立って帰る――」
風林児が強引に雷童の腕を引っぱったとき、
「うるさい!」
風林児の腕を振り払うと同時に、雷童は立ち上がった。
「俺のことなんか、放っておいてくれよ! いちいち構うな、わずらわしいんだよ! 俺が風邪引こうがなんだろうが、おまえには関係ねぇだろ!」
「は? おまえ急になに言って――」
「おまえはむかしからそうだったよな! こっちが頼んでもいないくせに、心配しやがって――おせっかいなんだよ!」
雷童はなぜこんなことを言ってしまうのかわからなかった。どうしていいかわからない感情が、目の前にいる風林児に向かって吐き出される。もう、止められなかった。
風林児が不愉快そうに顔を曇らせたのは明らかだった。
「……悪かったな」
不機嫌そうな風林児の低い声。
二人の間を、冷えた空気が流れていった。
雷童はぐっと手を握りしめながら、
「……おまえにゃ、わかんねぇよ」
「なにがわかんないんだよ」
「おまえみたいに、いつも周りの目ばっか気にしてる――いい子面したやつにはわかんねぇよ!」
言ってしまってから、雷童はハッと口を押さえた。
風林児の髪が、さらさらと風に乗ってゆれている。
「……おまえこそ、俺のなにがわかってるって言うんだよ」
風林児は静かにそして悲しそうに言葉を落とした。
「おまえはいいよな……なんにもないんだからさ。宮だの跡取りだの務めだの――なにも背負ってないやつが――知った風な口を利くな!」
風林児がどれだけ頑張っていたか、雷童はずっと見てきた。厳しい修行にも耐えて、周囲に迷惑をかけないように、どんなときでも笑っていたことを知っていた。空雷の真似をして髪を伸ばすと言ったときも、宮になるための儀式のときも、いつもそばにいたのだ。
お互い、最初にできた友達で、大事な幼なじみだった。
「……おまえなら、わかってくれてると思ってた……」
風林児がぽつりとつぶやいた。
「……だけど、そんな風に思ってたなんてな――がっかりした」
雷童は急に風林児が遠いところにいるように感じた。
心が痛かった。
「……帰るぞ」
「……帰らねぇ」
「――いい加減にしろよ」
「……俺の勝手だろ」
「おまえなぁ」
風林児はいらいらしたように、雷童の前に詰め寄った。
「みんな心配してんのが、わからないのかよ! 氷雨も蓮華も、おまえのこと心配してんだぞ! 空雷さんなんか、大怪我して帰ってきたっていうのに――おまえ一人で世のなか回ってると思うなよ!」
「知らねぇよ、そんなこと! 兄貴が怪我してようがだれに心配されようが、俺の知ったこっちゃねぇ! いい迷惑なんだ!」
「……おまえ、それ本気で言ってるのか?」
風林児の声色が変わった。
「ああ! だったらどうした!」
風林児は雷童の胸ぐらにつかみかかった。
「ふざけんなよ! おまえはいつからそんなやつになったんだ!」
雷童はクッと鼻で笑った。
「おまえの目が節穴だったんじゃねぇの? だれも俺のこと心配しろなんて、頼んでねぇよ! 野たれ死にしようがだれかに殺されようが、俺なんか……俺なんかとっととこの世からおさらばした方が――」
雷童の左ほおに衝撃が走った。そのまま背後にある木の幹に、後頭部がぶつかった。その拍子にどうやら口のなかを切ったらしい、血の味がする。
雷童はほおに手をあて、じろっと風林児をにらんだ。
風林児も同じように雷童をにらみつけていた。
「……殴ったこと、謝らないからな」
風林児はそう言ったあと、くるりと背を向け歩き出した。
その背中がどんどん遠くなっていく。
雷童は幹に拳を突き立てた。
「……ちくしょー……こんなに痛ぇのに……なんで、なんで――人間じゃないんだよ……」
ずるずると地面に座りこむと、何度も地面を叩いた。
ぽつぽつと地面に涙が落ちていく。
「……ちくしょー……」
山の端が白み、もうすぐ夜が明けようとしていた。
次回は第四夜に入ります。
楽しみにしていただけたら、嬉しいです!