第三夜(十三)
兄と弟
満年斎が灯りを投げたせいで、眼下は火の海が広がるばかりだ。
「呉羽さま! どこに向かえばいいんですか!」
空雷は亀の背中に乗りながら、呉羽に向けて叫んだ。
うしろからは、同じように亀に乗った満年斎たちが追ってきているのが見える。
「呉羽さま!」
もう一度呼びかけると、呉羽はやっと先見の石から目を離した。
「おかしい……」
呉羽は深刻そうな面持ちで言った。そして器用に亀の甲羅の上を歩いている。
「どうかしたんですか?」
「先見が利かないのさ」
空雷はじっと前を見据えた。
ここは夢幻十字路のなか――少しだけずれた世界。その世界にわざわざ誘い入れたのだ。
空雷はきゅっと手を握りしめ、空をにらんだ。
「やめときな」
ふと呉羽が制止の言葉をかけた。
「ここは、人形たちの意思で作られた世界なんだ。やつらの思いのまま、世界は変えられる。あいつらが望めば、この世界を消滅させることだってできるんだ」
「でも、これじゃなんのためにここにきたのか――」
「それなりの収穫はあったさ。とにかくいまは、出口を探すことが先決だよ」
空雷は苦い顔をしながら、仕方なく同意しようとしたその瞬間、
「うわっ!」
満年斎の乗る亀が、急に炎を吐き出したのだ。
すんでのところで避けたが、空雷の髪の先端がこげていた。
そして息もつかせずに、再び炎が襲ってきた。すばやく旋廻し、回避する。
と、また炎が噴き出された。
「ちっ……!」
空雷はパン、と両手を合わせた。
「あんた――」
呉羽の言葉を遮って、背後で稲妻が落ちた。
ほとばしる閃光と轟音。
ばらばらと人形たちが落ちていくのが見えた。
呉羽は耳を押さえてよろめきながら、
「ま、止めてもやるとは思ってたけどね」
「どうして、亀が炎を吐いたりするんですか?」
すると呉羽は皮肉っぽく笑った。
「おおかた、どこかで炎でも吸いこんでいたんだろ。再利用してるだけさ。それよりも」
呉羽がおもむろに辺りを見渡した。
「早いとこ出る場所を探さないと」
再び、炎が襲ってくる。
烈火のごとく吹き荒れる炎は、一向に凄まじさを衰えさせない。
真横を通る炎を見ながら、呉羽はぼそっとつぶやいた。
「……あの色、どっかで――」
「呉羽さま、なにか向かってきます!」
空雷は鋭く叫ぶとともに、前方を指差した。
無数の発光体だった。
それはさまざまな色に変化しながら、まるで流星群のように向かってくる。
夢のような光景だ。
空雷はその流れを目で追いかけながら、見とれたように言葉を失っていた。
だが、呉羽は発光体を見た途端、顔を引きつらせた。
「出口の場所がわかったよ! この光る玉が来た方向に向かっとくれ! 早く、急いで!」
空雷が満年斎の方を振り返ると、もう追ってはこないようだった。どんどんその姿が小さくなっていく。
風を切りながら、発光体がやってくる源へと急いだ。ばさばさと着衣が膨らみ、空気の抵抗が強くなる。
「……してやられた」
呉羽が歯を食いしばりながら言った。
「どうかしたんですか?」
「……あの光る玉は、私が封じこめといた人形たちの魂さ。かけていた封印が解かれたんだよ」
「もしかして」
空雷はこわばった表情になった。
「そう、雷童が解いちまったんだ。そしてなにより、あの子の身が心配だよ」
その言葉を聞いて、空雷はぎゅっと拳を握りしめた。
二人とも無言になる。
光る発光体の数は次第に少なくなり、玉を吐き出している空間のゆがみが現れた。
ふと空雷が下をのぞくと、草原のなかを一人の少女が立っていた。赤い着物におかっぱ頭。顔など小さすぎて見えないのに、空雷にはなぜか笑っているように感じた。
だが、少女の姿もすぐに見えなくなった。
夢幻十字路から元の世界へと脱出したのだ。
「ゆんゆんゆらゆら、夢うつつ……おまえの兄さんどこにくるー、妹かついでどこで見ゆ……足元照らせば底なしでー、目の前灯せばなにもない……」
二人にもその歌は聞こえていた。
首飾り
空雷は地面が近くなるなり、亀から飛び降りた。そしてそのまま走り出す。
その背中に向けて、呉羽が叫んだ。
「ちょっとそっちは私の家じゃないよ!」
「雷童のことです。きっと呉羽さまの家にはもういないでしょう。一度、春山さまの屋敷に戻って、風林児に探してもらった方が早いと思うので!」
空雷は呉羽の方に顔だけ向けて、走りながら答えた。
お互いの距離は見る間に遠くなっていた。
「……すまないね」
呉羽は小さく独り言をこぼした。
「私が、あんたの父親に頼まなけりゃ、あんたの父親は死なずにすんだのかもしれないのにね……本当に、すまないことをしたよ……」
闇夜に紛れていく空雷に、そっと呉羽は頭を下げた。
空雷は駆けていた。ただ、前だけを見据えて。
規則正しく、荒い息が落とされていく。
ふと右の肩口を押さえる。傷が痛み出してきたのだろう。眉間にしわを寄せていた。
空雷の頭のなかは、六つ歳が離れた弟のことでいっぱいだった。だからこそ、敵の気配に気づくのが遅れたのだ。
「――っ!」
押さえていた肩に、気を失いそうなほどの鋭い痛みと衝撃を覚えた。前に倒れそうになるのを必死で押しとどめる。
「へー、よくこらえたもんだ」
どこからか知らない男の声がした。
空雷は弾かれたようにざっと周りを見渡した。
囲まれている。
暗闇のせいで何人かはわからないが、多勢に無勢だった。
「おまえにゃ、昨日そうとう痛めつけられたからな。たっぷりその倍は返させてもらうぜ」
空雷は『昨日』と聞いて、ちょうど昨晩のことを思い出した。雷童と蓮華を追いかけていた男たちを、路地裏で阻止した記憶がある。
「殺せ!」
その声と共に、男たちが空雷に襲いかかってきた。
空雷はぎゅっと袖を噛むと、肩の付け根に深々と突き刺さった小刀を引き抜いた。
飛び散る鮮血と響く金属音。
小刀の先から血がぽたぽたと滴り落ちる。
「どうしたよ、この間の半分も力が出てねぇなぁ」
男は組み合った刃を空雷の顔の辺りまで近づけ、下賤な笑みを浮かべた。空雷は間近にせまった男の顔を見て、ようやく昨日最後にのした男だということに気がついた。
「……また、おまえか……」
ぎりぎりと刃が擦れあう。
空雷は一度小刀で弾くと、ちょうど真後ろから襲ってきた男のみぞおちを蹴り飛ばした。
そして振り向きざまに、パチンと指を鳴らす。刹那、小さい電流が空雷の周りを取り巻いた。周囲から呻き声とともに地面に崩れ落ちる音が響いていく。
空雷が汗をぬぐおうとした瞬間、ズキン、と肩口がうずき、目の前がぶれた。
触らなくてもわかる。風林児との力の反発で受けた傷が、開いてしまったのだ。べっとりとした生温かいものが、布をつたい腕の方に垂れてくる。さっき受けた刀傷からも、どくどくと血が流れ出ていた。
一瞬注意が反れた空雷ののどもとに、長刀が突きつけられた。
「おまえら宮ってのは、あれだなぁ、おい。なんていうか、かわいそうになぁ」
ばかにするように男は言った。
空雷はフンと鼻で笑うと、
「よく、避けれたな……」
「二度もくらうかよ」
男はそう言いながら、わざと空雷の傷口をつかんだ。
「――っ……」
「俺たちゃ知ってるんだぜぇ? 宮ってのは、朱里にいる人間を絶対に殺しちゃいけねぇっていうお約束」
額に脂汗を浮かべながら睨みつける空雷に、男は楽しそうに言った。
ひたり、と冷たい刃の感触が、空雷のほおにあてられた。
「ま、最期に教えといてやるよ。俺たちが追ってたのは、蓮華じゃねえ」
「……前も、聞いたさ」
男はぎゅっと空雷の傷口に力をこめた。激痛をこらえる空雷を、男はほくそ笑んで見つめている。
「まあ、聞けって。蓮華を追ってるわけじゃねえが、結果的に蓮華を追うはめになってるってだけだ」
男は不意ににやりとした。
「俺たちが追ってるのは、あいつが持ってる首飾りよ」
「……首、飾り……?」
空雷が復唱すると、
「そうだよ。ありゃあ、すげぇ代物なんだぜ。あいつの命が危なくなるとな」
男はそこでいったん言葉を切り、もったいぶった口調で言った。
「周りを全部消しちまうのよ」
男は突然、刀を振った。
空雷の前髪が、はらはらと散っていく。
「あいつ――自分の母親、殺したんだぜぇ」
男は嘲笑って言った。
「ま、俺たちにとっちゃあ、便利なやつだったけどよお。どんな使い方してたか知ってっか? まずあいつをわざわざ敵陣に放りこんで、死にそうな目に合わせるだろ? そうすっと勝手にあいつの周りが死んでくんだよ。便利なやつだろ? こっちがなにも手を下す必要なんか、ねぇんだよ。あいつがいりゃ、まさに敵なしってとこだ」
空雷はぎりっと食いしばった。
「……蓮華は、俺がおまえらから買ったはずだ……」
すると男はますます顔を、笑いで滲ませた。
「その買ったやつを殺せば、取り引きはなしってことだ。母親殺した危ねぇ女、どこにも行くあてなんかねぇんだしよ。一生、暗殺の道具としてこき使われる方が身のためになるってもんだ! 人形のようにな!」
男は力任せに刀を振った。空雷は首の真横でかろうじて受け止める。
「はっ、このくたばり損ないが! 右手も使いものにならねぇくせに、あがくんじゃ――」
「知ってるか? 金物ってのは、電流をよく通すってこと」
「ああん? てめぇ、なに言って――」
空雷はキッと男を見据えた。
「雷の――龍!」
空雷が言い終わるより早く、小刀から長刀へ――そして男の体へと電流が走っていった。男は白目をむき、痙攣したようにびくびくと体をのけぞらせ、口から泡を吹きだした。
カラン、と音を立てて男の手から長刀が滑り落ちた。焦げ臭い匂いがあたりに充満していく。
空雷は深緑色の布を肩に巻きつけると、汗をぬぐった。
「……人形は……こき使うもんじゃない」
空雷が背を向けた瞬間、浅黒く変色した塊と化した男は、地面になだれ落ちた。そして再び、空雷はよろめく足取りで、春山の屋敷へと向かっていった。
空雷が屋敷の門番に連れられて帰ってきたとき、その姿を見ただれもが言葉を失った。
春山は早急に医者を手配するように小間使いに言い渡し、そして空雷を寝室に運ぶよう門番に命じた。
「一体どこでなにをやってきたんだ」
春山は血染めになった着衣を見ながら、そう言葉をこぼした。
空雷は横たわりながら苦笑いを浮かべる。
「呉羽はどうしたんだ? 一緒じゃないのか?」
「……呉羽さまは……自分の家に帰ったと……思います……」
息切れを繰り返しながら、空雷が答えると、
「あー、もうしゃべるでない。見てるこっちが痛くなるわ」
そのとき、バタンと扉が慌ただしく開けられた。風林児、氷雨、蓮華の順で飛びこんでくる。
「空雷さん!」
風林児が血相を変えて叫んだ。
「な、なんでこんな血だらけなんですか! いままで一体どこに」
空雷は力なくほほ笑むと、
「……風林児、悪いんだけどよ……ちょっとおまえに頼みがある……」
「なんですか?」
「雷童を……探してくれ……」
「雷童を?」
空雷は小さく首を縦に振った。
「一緒じゃ、なかったんですか?」
「……ああ」
風林児はそれ以上なにも聞かずに、くるりと空雷に背を向けた。
「これから雷童を探しにいくの?」
氷雨がうかがうようにして訊いた。
「うん。ちょっと行ってくる」
「大丈夫?」
「うちも行こか?」
心配顔の氷雨と蓮華に、
「平気だよ。雷童を探すのは、むかしから俺の役目だったしね」
と笑って言った。
「二人は空雷さんを頼むよ。朝までには雷童を連れて帰ってくるからさ」
蓮華はうなずきながら、ちらっと氷雨を見た。どこか浮かない顔をしている氷雨は、少し視線を泳がせたあと、
「……気をつけてね」
と、かぼそくつぶやいた。