第三夜(十二)
今回は少し長めです。携帯でお読みになられている方は、頑張ってください。
存在
そこが呉羽の家であることに気がついたのは、門の前に立ってからだった。なぜ、少女がこの家に案内したのか、雷童にはさっぱり理解できなかった。だが、少女はご機嫌なのか、門に背をもたれさせながら、にこにこと笑みを絶やさない。
「なぁ……」
雷童は意を決して話しかけた。
「ここ――呉羽っていう人の家なんだけど」
「うん、知ってるよ」
少女はさもあたり前かのように言った。
「だって、お母さんの家でもあるもん、ここ」
「お、お母さんって……あの」
「そ! 常葉のお母さん」
雷童は冷や汗をかいたのが、自分でもわかった。少女の瞳がまっすぐに自分を射抜いてくる。なぜか急に寒気が襲ってきた。目の前の少女が急に恐ろしくなったのだ。
「どうしたのお兄ちゃん?」
「いや……別に」
「なら、お兄ちゃんにやってほしいことがあるの」
「やってほしいこと?」
雷童が反復して訊くと、少女はこくりとうなずいた。
「あのね、この門を開けたいの」
そう言って少女はすっと門を見あげた。
「でも、この石をずらせば入れ――」
「ううん、それじゃだめなの。そうしないと、みんなが出られないの」
「みんな?」
「ううん、なんでもないよ。あのね、あそこに札があるの見える?」
少女は灯りを持ち上げて、必死に照らそうとしていた。
「どこ?」
「もっと上の方なの」
雷童は少女から灯りをもらうと、ひじを最大限に伸ばして札を探した。すると門の屋根に程近い場所になにかが貼りついているのが目に映った。
「あれあれ! あの札をはがしてほしいの」
「はがす――ねぇ。とにかく札をなんとかすりゃいいんだろ?」
「そうだよ」
少女はフフッとほほえんだ。
雷童は眼帯をはずし、じっとその札を見つめた。燃えすぎないように、少しだけ焦げるように――そう念じる。
シュッと白い煙があがった。右上から斜めにかけて焦げ目が走ると、そのまま下半分だけがはらりと落ちてきた。少女はその紙片を空中でつかむと、そのままくしゃり、と握りしめた。
「ありがと、お兄ちゃん! じゃあ、この門から入ろ!」
「ん? ああ……」
雷童は言われるまま、固く閉ざされていた門を押し開いた。キシリ、ときしむ音がする。しかし思っていたよりも難なく開けることができた。呉羽はなぜこの門を使わないのか、雷童が不思議に感じたくらいだ。わざわざ別な場所に入り口を設けなくても、この門を使えばいい話なのに。
「おい、開いたぞ」
「うん、それじゃあ、こっちこっち」
少女は嬉しそうにはしゃいでいる。
雷童はあとに続いて呉羽の家に足を踏み入れた。
すでに慣れた庭先を、玄関に向けて歩いていく。砂利を踏みしめる二人分の音、そして虫の声。灯篭によって明々と照らされた道は、普段より歩きやすかった。
石段をあがり、玄関に入ったところで、雷童は違和感を覚えた。
「どうしたの? お兄ちゃん」
少女が隣で不思議そうに尋ねた。
「いや、なんか……」
気配がする――と、雷童は思った。初めてこの家にあがりこんだとき、風林児もそう言っていたような記憶がある。でも、それはただの気にしすぎだと感じていた。
しかし、いまこうして玄関に立ってみて、言い知れぬ気配を無数に感じる。
(変だな……)
雷童はそばにいる少女を怖がらせないように黙ってはいたが、さかんに廊下のなかを見回していた。
明るく照らされた廊下は、普段よりきれいに磨かれている。
「……ん? あれ?」
そこで雷童は廊下の灯りに視線を移していった。点々と奥まで連なる火は、つきあたりまで続いていた。
(……だれが、つけたんだ? そういえば庭の灯篭も……)
そうして雷童は改めて廊下を見た。なにかが違う――絶対に。
最初にきたときと、必死に頭のなかで比べてみた。
(四人で入ってきて……それで、風林児がなんか見られてる感じがするって言って――氷雨が怖がって蓮華にくっついてて……)
と、そこまで考えて雷童は回りに目を走らせた。
――ない! ないのだ。一つも残されていない。あんなにずらりと並べられていた、大量の人形たちが。
「ねぇ、お兄ちゃん」
少女はどこか冷たい声を出した。
雷童はゆっくりと少女に視線を落とした。
「知りたいの? 知りたくないの? どっちなの?」
「そ、それは」
「知りたいなら、いま止まってる時間がもったいないよ、お兄ちゃん」
にっこりと笑う少女は、どこか大人びて見えた。
「……そうだな」
ぎこちなく返事をした雷童の袖を、少女はぎゅっと握った。
「行こ! もうすぐなんだから」
雷童はうなずきもせず、ただ少女に歩かされているような変な気分になった。廊下を進みながら下を見ると、少女の黒い真ん丸の瞳とかち合う。そのたびに、雷童は言葉に詰まるのだった。
「あそこだよ」
少女が急に止まって指し示した場所は、呉羽から絶対に入ってはいけないといわれていた部屋だった。
「あそこ……入るなって」
「いいの。もともとはお母さんの部屋だったんだから」
そう言うなり、少女はずかずかと階段を降りていく。雷童は後ろめたさを覚えながら、そろりそろりと部屋に近づいた。
「この鍵はね、順番があるの。まずこの錠をはずしてー」
少女は一番右にある錠前に鍵を差しこんだ。そして次に上の錠前、今度は下の錠前、左、上、右、下――という風に、慣れた手つきで次々と錠をはずしていく。
そうして最も大きな錠前が現れた。
「これは特別なの。鍵を入れたらお兄ちゃん下に引っぱって。いくよ」
少女に急に言われ、雷童は慌てて準備した。
「えい!」
バキリ、と大きな音を立てて錠前が外れた。雷童は壊れたのではないか、とひやりとした。
少女は鎖を取り払うと、
「さ、お兄ちゃん入って」
雷童にそう促した。
「あ、うん……」
おそるおそる足を踏み入れると、そこはこぢんまりとした室内だった。
ほこりっぽいような書物特有の匂い。床の上には雑然とものが置かれていた。白磁器の碗、黒い塗料がこびりついたような平皿、乾ききった土、そして太さも長さもばらばらな筆。まるでついさっきまでそこに人がいて、なにかを作っていたような――そしてその途中で、どうにもならない事情があって、慌てて部屋から出ていったような印象を受ける。とにかく、どのくらい放置されたのかわからないが、長い間だれも部屋に入っていないことは確実だった。雷童が歩くたび、積もったほこりによってその足あとがくっきりと残る。
「しかし、すっげぇ量の書だな……」
雷童はしげしげと部屋を見ながら、感想を述べた。人形の作り方、服のぬい方、人形図鑑……など、すべてが人形に関するものだ。
ふと筆のすぐそばにある、一番ぶ厚い書に目が留まった。
「なんだこれ」
手に取り、表面のほこりをはらうと、表紙に書かれている文字を読んだ。
「んーと、『徒然日誌』? なんだ日記かよ」
雷童は興味なさ気に表紙をめくったが、その途端雷童はそこにある文字に目を奪われた。
安寿へ――そう書かれてあったのだ。
心臓が警鐘を打ち鳴らしはじめる。手に汗が滲んできた。指先に震えが伝わり、その先を見たいような見たくないような、相反する気持ちに板ばさみになってくる。
雷童はごくり、とつばがのどを移動したのがわかった。
一度目を強くつむり、思い切って次の項を開いた。
丁寧に書かれた丸文字が並んでいる。
月が見えない日
これでもう十冊目になるかしら。われながらよく日記を書いたと思うわ。でも、今日はなぜだか気ぜわしい。古代の樹も散りはじめている。どうしてだろう。地割れがひどいのもそのせいかしら。私にはよくわからない。あまり外に出たことがないから、こういうとき困るのよね。姉さんなら知っているかしら。でも、姉さんは占いで疲れているから、あまり迷惑はかけられないわ。あとでこっそり外に出てみよう。そういえば、作った人形は、今日で百体目になったのよ。いまでは人間そっくりに作れるようになって、自分でも少し怖いくらい。でも、姉さんが私の作った人形が一番好きって言ってくれたから、もっとうまくなろう。
明るい日
昨日外に出てわかったことなのだけれど、やっぱり古代の樹の様子が変みたい。姉さんの占いによると、これから大変なことが起きるって。なにが起こるのかしら。怖いわ……。でも、土の民は古代の樹と一緒に生きてきたんだから、きっと平気よね。それから、今日は満年斎さんが訪ねてきてくれたわ。少ししかお話できなかったけれど、それでも嬉しかった。つい先日完成したばかりの人形を見て、褒めてくれたの。緑色の瞳がきれいだねって。早く出歩けるようになるといいな。
曇りの日
私知らなかったの。古代の樹の根っこが、いろんなところで暴れているって。姉さんが言うには、力を集めているらしいわ。そのせいかしら。水の谷の人や、風の丘の人、火の山の人と雷の里の人たちが、朱里にやってきて話し合っているみたい。そういえば、お父さまもどこかへ出かけて行ったわ。どうなってしまうのかしら。今日は満年斎さんに会えなくて、残念でした。
雷童はそこまで読んで、普通の日記と変わらないと思った。自分の知りたいことが本当に書いてあるのか―そう疑問を抱きつつ、ぱらり、とめくる。
「あれ?」
そこにはなにも書いていなかった。
真っ白な紙がどんどん続いている。
そしてなにも書いていない紙の量が、小指の爪くらいの厚さまできたとき、急に日記の続きが現れた。
だが、それは打って変わったような印象を雷童に与えた。角ばった文字に、乱雑な字、線からはみ出た文章――まるで別人が書いたように思える。
雷童は急に緊張感を覚えた。勇気を持って、日記に目をとおしていく。
白の日
許さない……許さない。虫けらのようにみんなを殺したあんたたちを、許さない。ここは私たち土の民の国よ? あんたたちは、一体なんのつもりできたの。憎い……憎い……。
黒の日
なんかもうどうでもいい。私が信じてきたことも、守ってきたものも、全部全部、いらない。あの鳥が、なにをしているって言うの。ただ古代の樹をねぐらにしているだけじゃない。あんな鳥さえこなければ、あんな鳥さえいなければ、ずっとずっと幸せだったのに。
灰色の日
一人にしないで、姉さん……。
「うわっ!」
雷童は思わず日記を落としてしまった。
めくった瞬間、全面に血のような赤黒いものがべったりとこびりついていたのだ。乾いてはいたが、その生々しさは目を背けたくなる。なにかが起こった、ということは容易に想像できた。
雷童はそばに転がっていたかちかちに乾いた筆を取ると、そっと次の項を開いた。
そしておそるおそる読み進める。
赤の日
思ったとおりだったわ。姉さんと私は双子だもの。姉さんが口にできる永遠の実――仙桃果を、私が食べられないわけがない。食べた瞬間、体のなかが焼けるようだったけれど、いまはもうなんともない。姉さん、これで私も不死の身なの。姉さんの知らない間に食べたから気づいていないでしょうけど、私にだって考えがあるのよ。
青の日
姉さん、不死の身ってすごいわね。改めてそう思うわ。私はいま、ある人形について研究しているの。それはね、人間を超えた人形よ。人はいつか死ぬでしょう? でも、人形なら永遠に生き続けることができる。でも、ただの人形じゃだめ。人間と同じように血を流して、人間と同じような感情を持ち、そして人間みたいに成長しなくては。きっと最高の人形になるでしょうね。
黄色の日
ずいぶんと間が空いてしまったわ。どのくらい経ったかしら。一年? 二年? ずいぶんと外に出ていないから、わからないけれど。でも、そんなことはどうでもいい。あれから研究して、私は人間と同じような感情を持った人形を作ることができるようになったわ。私もこれには驚いたのよ。古代の樹から掘り出した木材で、仙桃果のかけらを少し混ぜてやるの。そうして私の髪の毛を入れるのよ。そうすれば、私の思うとおりの人形ができあがる。でも、成長する人形はまだまだ。なにか足りないのだけれど、なにかしら。
緑の日
姉さん、明日初めてあの鳥に会うんですってね。本当にそれでいいの? 私たち土の民を殺したやつらの手先に成り下がるなんて。姉さん、あなたが許しても私は絶対に許さない。ねえ、私思いついたのよ。この数年ずっと追い続けてきた――成長する人形の秘密を。
雷童はそこでふと読むのを止めた。
なんだか手紙のようになっている――そう感じた。
それに人形についてばかり書き連ねているのだ。それに、なぜか永遠の実を口にしたという文を読んだとき、どこかで聞いたことのある話だと思った。
(成長する人形って――?)
雷童は再び本に目を戻した。
霧の日
ここまでくるのに、どれだけの人形たちを犠牲にしたかしら。でも、できそこないの人形でも使い道はあるわ。困ったことに、仲間と敵の分別がつかないのだけれど。それにしても長かったわ。今日が姉さんがあの鳥に会う日なのよね。そう、私思いついたのよ。もし不死鳥の一部分でも人形に取り入れたら、その人形はどうなるのかしら。不死鳥は不死なのに雛から成長するのでしょう? なら、それを人形にもあてはめることができるんじゃないかって――そう、思ったの。もうすべて用意されているわ。あとは、あの鳥のところに行って、一部分拝借してくればいいのよ。まさに、私の最高傑作だわ。それに、名前も決めてあるのよ。安らかな寿命を――安寿って。いい名前だと思わない?
そこで日記はおわっていた。
あとは白の中身が続くばかり。
持っていた筆が、音を立てて落ちていった。
雷童は言葉を発するのも忘れ、ただ呆然と立ち尽くしていた。
なにがなんだかよくわからない。
不死鳥……最高傑作……安寿……日記に書かれてあった言葉が、螺旋を描くようにずっと頭のなかで回り続けている。
「わかった?」
声のする方に顔を向けると、少女が雷童をじっと見あげていた。
「……わかったって――なにがだよ」
「なにがって、自分のことよ」
少女はなにごともないかのように言った。そして一歩、雷童に近づく。
「もう一度言ってあげようか? お兄ちゃん。それはお兄ちゃんのことなのよ」
少女の声がやけにはっきりと聞こえる。
「……なに、ばかなこと言ってんだよ」
「じゃあ、単刀直入に言うね。不死鳥の片目を持つお人形さん」
少女はにこりと言い放ったが、瞳は少しも笑ってなどいなかった。
「知りたかったんでしょ? なんで思っただけで燃えるのか。それは不死鳥の力なの。わかる?」
「……やめろ」
雷童は一歩うしろにさがる。すると間を詰めるように、少女が一歩近づく。
「だからみんながお兄ちゃんのこと尊敬してるのよ」
「やめろ……」
「お母さんが丹精こめて作った最高傑作なんだよ」
「やめろよ」
「羨ましいなあ。そんなすごい力を持ってるなんて、お兄ちゃんだけ――」
「やめろって言ってんだろ!」
ドン、と背中が壁にぶつかった。
雷童は荒く息をつき、目の前の少女をにらんでいた。
少女は顔色一つ変えず、黙ったまま突っ立っている。
「……ふざけんな」
「ふざけてないよ」
雷童は壁を握りこぶしで叩きつけた。
「ふざけてるだろ! 俺が人形とか、最高傑作だとか!」
「だって、本当のことだもん」
雷童はずるずるとしゃがみこんだ。
怒涛のような感情の渦を、どうしていいのかわからない。
ぎりり、と雷童は歯を食いしばった。
「いいかげん認めたら? 不死鳥の片目を持ったお人形のお兄ちゃん」
「俺は人形なんかじゃない!」
「じゃあ、なんだって言うの?」
「俺は、人間――」
「まがいもののくせに」
少女の声は凍りつく響きを持っていた。
「あんたに流れてる血も、あんたが考えてる心も、見ているもの、聞こえるもの、すべてまがいもののくせによく言うわ。白々しい。あまり聞き分けがないと、お母さん怒るわよ。ねぇ、安寿」
「なっ……」
姿は少女のままだったが、その声音は常葉のものだった。
「やっぱり、外の世界に出すんじゃなかったわ。人間臭くなりすぎちゃって。教育のしなおしが必要かしらね」
少女の姿をした常葉は、雷童のすぐ目の前までやってきた。そしてトン、と雷童の胸に人差し指をあてると、
「知ってる? あなたのここ――とくとく脈打っているでしょう? これ、心臓っていうのよ」
「……それくらい、知って――」
「だれのものだと思う?」
雷童は意味がわからず、少女の黒い瞳を見つめていた。
「これ、私のなのよ」
少女はほほ笑みながらさらり、と言った。
しかし、雷童は姿の見えないなにかがズン、とのしかかってきたように感じた。
(心臓が……俺のじゃない――)
「……おぇ……っ」
雷童は急に吐き気を覚えた。
気持ち悪い。すべてが。自分の目の前にあるもの――なにより、自分自身が気持ち悪い。浴びせられた言葉を反芻するだけでムカムカしてくる。
「ちなみに、私が姿を借りているこの『一番』の人形は、私の目を入れたのよ。でもね、心臓があるのはあなた――安寿だけ。あなたはすべてにおいて特別なの」
雷童はぎゅう、と両手を握りしめた。
特別なんて言葉はいらなかった。ただ、告げられていることが嘘だと、そう言ってほしかった。
なにも吐くものがないせいか、涙だけが浮かぶ。
「でも、まだ完成はしてないのよ。完成させるのは、あなた自身なの」
少女はそっと雷童のほおに手を寄せた。だが雷童はその手を突っぱねた。そして思い切り少女をにらみつける。
「そんな怖い顔したって、どうにもならないのよ。あなたは私の大事な息子。それは変えられない事実なの」
「……うるせぇ……」
「まぁ、どうでもいいわ。そういえば、水の影宮は元気かしら?」
雷童は口をつぐんだ。
少女は気にも留めず話し続ける。
「影宮にはもう少し元気でいてもらわないと。なにせ輝宮を探し出すには、彼女の力が必要なのだから。それに、あなたには輝宮が必要なのよ」
「……へぇ……」
無関心を装ったが、雷童はその理由を知りたいと思った。
すると雷童の心中を知ってか知らずか、少女はにたっと笑った。
「輝宮の心臓を――あなたが食べるのよ」
ゾクッとした悪寒が、雷童の背中を走っていった。
「輝宮を殺せば、あの鳥の力が弱まる……そして輝宮の心臓をあなたが食べれば、月の色の戸が開く力が得られるのよ」
甲高い声で少女は笑いはじめた。
「……月の、色の、戸……」
どこかで聞いたことがある。何度もその言葉を繰り返した。しかし、笑い声のせいで思考が乱れてしまう。
雷童はぶんぶん頭を振った。
「ま、あなたにはこの家にかけられていた封印も解いてもらったし、人形たちも自由にすることができたから……もう少しだけ時間をあげるわ」
「……俺は――あんたんとこには、絶対行かねぇ」
低い声で反論すると、少女は鼻で笑った。
「好きにしなさい。でもね――あなたはいずれ、自分から私のところに帰ってくる。絶対にね」
そう言いおえると、少女は目をつむった。そして再度開くと、その口から常葉ではない声が出た。
「みんな、帰りを待ってるんだよ、お兄ちゃん」
雷童は少女を突き飛ばし、そのまま部屋から飛び出した。どこからともなく、歌声が聞こえてくる。
『ゆんゆんゆらゆら、夢うつつ……おまえの父さんどこに行くー、母さん背負ってどこ消えた……ゆんゆんゆらゆら、夢うつつ――』
雷童は門まで走り、それから朱里の夜をめちゃくちゃに駆け回った。
なにも考えたくなかった。
夢から覚めてほしかった。
雷童は肩で息をしながら、ふらふらとそばにあった木の根元に座りこんだ。
「……そっか……」
ぼそりとつぶやく。
「どっかから聞こえてくる変な声は……人形の声――だったんだ」
雷童は虚ろに空を見あげた。
今宵は月も出ない。星すらもない。ただ無限に広がる黒い天井が、地上にふたをしているだけだった。
大樹が見える。
きゅっと口を強く噛むと、すーっと生温かい雫がほおを伝っていった。
(……その声が聞こえたのは……俺が――人形だから、か……)
そしてそのまま目を閉じた。