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虹色万華鏡  作者: 民メイ
21/32

第三夜(七)

常葉とこはの家から飛び出てきた雷童らいどうは――

居場所 




 どこまで走ったのだろう。

 追いかけてくるような雨粒から、逃げるようにひたすら足を動かした。とにかく、あの場からなにがなんでも立ち去りたかったのだ。そうしなければ、自分が飲みこまれていきそうな気さえした。

 雷童らいどうはだいぶ朱里しゅりの中心まできたはずだと思い、ようやく速度をゆるめた。

 のどはからからだ。おまけに衣服はしっとりと湿っている。できはじめた水たまりの上を歩いたのがまずかったのか、足のすそが泥で汚れはじめていた。

(ついてない)

 そんなことを思いながら、ふと見あげると、余計に気分が滅入ってきた。黒と灰色を混ぜたような雲から、絶え間なく細かい霧雨が降り注いでいたし、雲は頭上で姿形を変えながら、どんどん膨らんでいた。

 サアサア、と雨足が強まっていくのがわかる。

 雷童は周囲を見渡し、春山はるやまの屋敷である高楼を見つけようと目を凝らした。屋根に小さくつけられた飾りが目に入る。

「遠いな……」

 雷童はしだいにぬれてくる服に気づき、とりあえず軒先で雨宿りすることを決めた。

 それにしても、静かな路地裏だ。

 気づかなかっただけかもしれないが、ここにくる途中だれかとすれ違った覚えはない。ただ、家の換気口から湯気が出ていることで、そこに人が住んでいるということがわかる。

 雷童の口から、勝手にため息がもれた。

 いましがたあったばかりのことを、こうして思い出すだけでも全身が泡立つようだった。

 めぐる常葉とこはの言葉。自分という存在が溶けていきそうだったあの感覚。そして常葉のやけただれた顔。自分が『希望』だといわれたこと――。

(俺に一体、なにをしろってんだ)

 不死鳥の大樹が視界に入ってくる。不死鳥なんていらない――そう常葉がつぶやいたことを思い出した。

 どうしてだろう。不死鳥はこの国の象徴のはずだ。その象徴がいらないなんてことは、この国を否定することではないのか。

 雷童はそびえる大樹をじっと見つめたまま、ぼそりとつぶやいた。

「古代の樹……」

「あれぇ?」

 そのとき、すっとんきょうな声が雷童の耳に入った。

 そちらに視線を向けると、見覚えのある少年が立っている。朱里の子どもたちに集団でいじめられていた少年だ。布包みを胸に抱き、赤い油紙でできた傘を差していた。大人用なのか、少年にとってかなり大きいらしい。まるで傘自体が歩いているようだった。

「あれ、おまえ……」

「やっぱりこの前のお兄ちゃんだ」

 少年は小股で近づいてくると、

「どうしたの? こんなとこで」

 と、不思議そうに雷童を見あげた。

「うん? ちょっと雨宿り。で、今日も一人なのか?」

「そうだよ。僕んちのお店でつくったおもちゃを、見せに行ってたんだ」

 少年は大事そうに包みを持ち直した。

「それで――おまえもどうしたんだよ。こんなとこで」

「だってここ、僕んちだもん」

 雷童は背後の壁を見あげたあと、指差した。

「ここが?」

 力強く首を縦に振り、肯定する。

「お店は南天通りのとこにあるけど、家はこっちにあるんだよ。めんどくさいけど」

 再び少年は荷物を持ち直した。すると思いついたように口を開いた。

「お兄ちゃん、僕んちくる?」

「そりゃいくらなんでも迷惑だろ」

「平気だよ。いま、家には僕しかいないから」

 弾んでいる顔をむげに断ることができずに、雷童はぽりぽりと頭をかいた。

「ま、いっか」

 すると少年はにししっと小さな歯をのぞかせた。 

 しとしとと降り注ぐ雨は当分止むことはなさそうで、雨がもたらす湿気は、少年の家にあがったとき床から漂ってきた。どこか土っぽい独特の匂い。雨だれの音が屋根の上で弾けていた。

 小さな工房のような家だ。居間と隣接している作業部屋は、細かい木くずが床に散らばっていた。部屋中に見たこともない道具がところ狭しと並んでいる。一見区別がつかないが、先端部分が微妙に違っていて、どうやらこれで木に細工をほどこすらしい。年季の入ったものばかりだ。

「おまえんちって――なんだっけ?」

「おもちゃ屋だよ。僕が生まれるずっと前から」

 少年は工具と木片をしまいながら、

「あーあ、明日は晴れてくれないかなぁ。このままじゃ、木が湿気ちゃうってお父さんも言ってるのにさ、お祭りに出せなくなっちゃうじゃん」

 と、ぶつぶつ文句をこぼしている。

「そっか。明日、人形祭りとかいうのやるんだもんな」

「……そのお祭り嫌いだけどね」

 急に少年の声が低くなった。

「……なんか、あったのか?」

「ううん――そうじゃないけど……」

 少年は口ごもった。そのままストンと床に座りこむ。

「お兄ちゃんって、秘密とか守れる方?」

「秘密? うーん、まぁ……言うなってんなら言わないけど」

 少年はうつむいたまま、しばらく黙りこくった。

 作業台に程近い場所に座っているせいか、空気には木の粉っぽさが含まれている。雷童は、少年が話し出すまで外の雨を聞いていた。

「あのね――ほんとは、朱里は、僕たちの国だったんだって」

 少年は小さな声で口火を切った。

「僕たちの――国?」

 さっぱり意味がわからず繰り返すと、少年は小さくうなずいた。

「おばあちゃんが言ってたんだけど、ここにずっと住んでたのは土の民っていって、僕たちの方だったんだって」

「土の民って――」

「よくわかんないけど、その人たちは手先が器用で、いろんなものを土とか木から作れたりするみたいなんだ」

「じゃあ、おまえもその『土の民』とかいうやつなのか」

「うん、そうみたい。だからね、あの大きな木は僕たちの大切なものだったんだって。それでね、おばあちゃんが、むかしは違う名前で呼ばれてたんだ――って言ってた」

 そのとき、呉羽くれはの言っていたことを思い出した。不死鳥の樹ではなく、もうひとつの名前――世界の中心に立っていて、大地の裏側まで根を張っているかもしれないという大樹の別名。

「……古代の樹」

 ぼそりと雷童がつぶやくと、少年はパッと顔に驚きを浮かべた。

「お兄ちゃん、知ってるの?」

「え? いや……そ、それで続きは?」

 少年はちょっと不思議そうに首を傾げていたが、すぐに話を再開した。

「うん。でね、おばあちゃんの話だと――僕たち土の民は、あとから入ってきた人たちにここから追い出されそうになって、嫌だって言ったら、たくさんの人が殺されたんだ」

「生き残った土の民はどのくらいなんだよ」

「……わかんない。でも、土の民の人は絶対自分が土の民だってこと、言わないんだよ」

「なんで?」

「だって――そんなこと言ったら、朱里から仲間はずれになっちゃうもん。いまより、ずっと大変になっちゃうんだ。だから、僕たちも土の民だってこと隠して、こっそり土の民の歴史を受け継いでいかなきゃならないんだって――おばあちゃん、そう言ってた」

 そこで雷童は初めて理解した。少年の秘密が持つ重さを。そしてそれを自分に話してくれたのだ。寄せられた信頼に思わず体が固くなった。

「明日は、土の民が負けた日なんだ」

「……だから明日の祭りが嫌いなのか」

 少年はかすかに相づちを打った。

「そりゃそうだろうな。負けた日が記念日じゃあな。……でも、どうして人形祭りなんて名前になったんだろ」

「それは、えっと……土の民の一番偉かった人の子どもは、双子だったんだって。それで、一人を不死鳥の見張り番にして、大樹の実を食べさせたんだ。それがいまの仙女せんにょさま。でね、残されたもう一人は悲しんで、一晩にたくさん人形を作って、大樹の周りに置いたんだよ。それが朱里で有名になった人形師の常葉さまっていうんだ」

「常……葉」

「その人形がすごくきれいで、朱里の人たちも気に入ったから、それを記念にして人形祭りって言うようになったんだって。すごいでしょ。土の民のなかで、常葉さまだけ朱里の人も尊敬してるんだよ」

 雷童は急に体が冷えたような気がした。

 顔に面が吸いつく場面が、頭のなかで鮮やかに再現される。そしてにこり、と笑うのだ。目を細め、自分の手を取りながら――耳によみがえるあの子守唄。

「お兄ちゃん、大丈夫?」

 少年の声にハッとすると、

「あ、うん。平気平気……なんでもねぇよ」

 そう言いながらため息をついた。

「おまえ、ほんとによく覚えてるよなー」

「だって、ずぅっと聞かされてたんだもん。覚えちゃうよ」

 少年はけらけらと笑う。すると少年は急に思いついたような顔をした。

「そうだ、お兄ちゃん。これあげる」

 少年は懐から小さい筒状のなにかを出した。花柄の赤い布が丁寧に巻かれてあり、底の方には穴が開いていた。

「なんだこれ」

「これ、僕が作ったおもちゃで――万華鏡っていうんだよ」

「万華鏡……ふぅん」

「光の方を向いて、この穴から覗くの」

 雷童は試しに覗いてみた。薄暗くて見えにくかったが、それでもキラキラとなにかが輝いているのがわかった。

「へぇ、きれいだな」

「それね、晴れてる日が一番よく見えるんだよ」

 少年は屈託なくほほ笑む。

「そっか。ありがとな――」

「ほんとに眼帯小僧はここにいるんだろうな!」

 雷童と少年は外から聞こえてきた大声に、同時に戸口を振り返った。

 ドンドン、と数回戸が叩かれる。

「おい、眼帯小僧! さっさと顔を出せ」

 雷童はがくりと肩の力が抜けた。この声が思いあたる人物は一人しかいない。重い腰をあげると、雷童は戸を開けた。

「よぉ、たらこのおっさん。なにしてんの? こんなとこで」

 すると春山はぶるぶると唇を震わせ、

「ばっかもん! こんなとこまでわしが足を運んだというのに、なんだその言い草は! いいか、こんな雨のなかでだぞ? わざわざ宮司ぐうじのこのわしがやってきてだな――」

「あー、わかったわかった、わかりました。どうもありがとうございました。……でも、よくここにいるってわかったな」

「そんなもん、鳴宮なりみやに案内させたに決まっとろうが!」

 春山は口のなかのつばをまき散らしながら、くいっと後ろを指した。

 そこには四人の大柄な男たちに囲まれた少し大きめの籠があった。人二人は十分入れるだろう。その豪華絢爛な籠の布がそろそろと持ちあがっていく。

風林児ふりこ!」

 雷童は現れた顔に、思わず声をあげた。風林児の額には白い布が巻かれてある。それを見て、雷童は眉をつりあげた。

「おまえばかだろ。力なんか使ってる暇あったら、布団で寝てろよな!」

 風林児は苦笑いを浮かべた。まるでそう言われることを予想していたようだった。

「でも、この方が早く見つかるしさ。それに雨降ってきたし、風邪引いたら困るだろうし」

「へっ。怪我人に心配されたくないね。だいいち俺は、風邪なんか引かねぇよ」

「あっ、そうだった。なんとかは風邪引かないって言うんだよな。ごめん、すっかり忘れてた」

 わざとらしく肩をすくめた風林児に安堵を覚え、雷童は自然とほおが緩んだのがわかった。

「まったくよー、いちいち案内役買って出なくたって、俺にゃ足があるんだから、ちゃんと帰れるってーの。おまえはほんと、お人好し――」

 減らず口をきく雷童の後頭部を、春山がぴしゃりと笏で叩いた。

「それだけ急ぎの用だってことだ。っとに、少しは礼を言ってやれ」

「いや、いいんです春山さま。こいつが礼なんて口にしたら、ますます雨がひどくなりますよ? なぁ、雷童」

「お、よくわかってんじゃん。それに約束があるんだよ」

「そう、約束なんですよ」 

 二人の会話に、春山は大きなため息を落とした。

「わけがわからんやつらだな。まぁいい、早く乗れ。おまえを待っとるんだからな」

 笏で雷童の腰の辺りを突きながら、籠に入るよう促した。

「……お、お兄ちゃん」

 背後で所在なさ気な声がした。振り向くと、少年がおろおろしながら戸の前で立ち尽くしている。

「あの……さっきの――」

「あーあ、おっさんたちが早くきたせいで、なんにも話す暇がなかったな」

 雷童は少年に意味深な笑みを向けた。目をぱちくりさせながら、少年は一瞬ためらっていたが、すぐに小さくうなずいた。

「う、うん。なんにも話せなかったね」

「んじゃ、とにかく世話んなった」

 雷童はにやっと口角をあげながら片手を挙げ、籠のなかに頭だけ突っこんだ。

「うわ、狭っ」

 そうぼやくと、春山が雷童の背を押した。

「あたりまえだ。本来二人しか乗れんのだからな。我慢しろ」

 春山に半ば強引に押しこまれるようにして、雷童は風林児と籠の壁の隙間に身を縮めると小さく座った。そこに春山もきつそうに体を屈めながら、押し入ってきた。ちょうど風林児と雷童は、春山と向かい合った形になる。

「おっさん、もうちっと痩せた方がいいんじゃねぇ?」

「水溜りのなかに落としてやろうか」

「いや、けっこうです」

 フンと不機嫌気味に鼻を鳴らした春山とは対照的に、雷童は落ち着いた気分になっていた。

空雷くうらいさん、目を覚ましたよ」

「ああ……そっか」 

 ホッと胸をなで下ろしつつ、おもむろに風林児の腕を見た。なにかの薬が塗られているのか、肌のところどころが山吹色に変色していた。

 その視線に気づいたのか、風林児が申し訳なさそうにつぶやいた。

「軽い火傷だってさ。呉羽さんがそう言ってた。でも、俺なんかより空雷さんの方がひどかったんだ。俺がもっと早く空雷さんから離れてれば……」

「いいんだよ、そんなこと。それより――ほんとよかった」

 雷童はひざの間に顔を埋めた。

「しかし驚いたな、おまえが轟宮とどろきのみやの弟だとはなあ。しかもおまえがどこに行ったかわからんと知ると、血相を変えておまえを探すと言い出しおって……」

「兄貴が……?」

「そう、空雷さんがおまえを探したいって言ってさ」

「ふぅん」

 雷童は籠を構成する縫い目をぼんやりと見つめていた。

 あなたは私の息子――そう常葉に言い聞かせられたことを思い出した。

 ぎゅっと腕に力をこめる。

(俺はあんたの息子じゃない……轟宮の弟なんだ)

 籠を運ぶ男たちの走りによって、一定の振動が生まれていた。小さな掛け声も外から聞こえてくる。撥ねる水の音。かすかに香る雨の匂い――。

 雷童は籠のなかという空間の狭さが、妙に心地よく感じていたのだった。




楽しんでいただけましたら、幸いです。

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