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虹色万華鏡  作者: 民メイ
19/32

第三夜(五)

風林児ふりこたちに明かされた真実とは――。

仙桃果せんとうかと真実

 



 春山はるやまの屋敷は高楼であるせいか、よく風があたるらしい。窓枠が小刻みにゆれ、そのたびに、静まり返った室内に音を残していった。

 氷雨ひさめは虚ろな目で、横たわる風林児ふりこの横に座っていた。両手をきつく握りしめ、凝った細工がなされている椅子の背もたれによりかかっている。天蓋てんがいから垂らされている薄い布は紐で高く吊られ、風林児の様子がよく見えるように配慮されていた。あちこち火傷だらけの風林児の胸が、少しだけ上下している。

 キイ、と遠慮がちに部屋の戸が開いた。氷雨は少しだけ首を動かし、音がした方を見る。おずおずと、蓮華れんかが静かに顔をのぞかせた。

「ひーちゃん、ふっくんは……」

 氷雨は力なく首を横に振った。蓮華はしゅんとしたまま、そっと氷雨の隣に立つ。

「宮同士は触っちゃいけないって、こういうことやったんやね」

「宮だけじゃないのよ――本当は」

 氷雨はぼんやりと口を開いた。

「本当はね……宮だけじゃなくって、風の谷に生まれた人と雷の里に生まれた人とが手をつないでも、力の反発は起こるんだ」

「そうなんか?」

「うん。でも、力が弱いから静電気しか起こらないし、風を感じたりするだけで、爆発まではいかないのよ――だけど、宮になったらそんなもんじゃない。お互いの力が強ければ強いほど、反発する力も大きくなる、死ぬことだってあるかもしれない」

 そこまで言うと、氷雨は大きく息を吐き出した。

「じゃあ、雷の里の人が、ふっくんに触れたらどうなるんやろ」

「それは、風林児の力の方が強いから、反発は起こらないわ」

 氷雨は早口で言い終えると、ちらっと風林児を見た。

 そして小さく自嘲的な笑みを口の端に浮かべた。

「なんか――よくわかんなくなっちゃった」

「ひーちゃん?」

「ごめん。こんなこと、蓮華に言っても蓮華が困るだけなんだけど」

 途端に氷雨は口ごもる。

「ええよ。うちでよかったら、話して?」

 蓮華のその言葉に安心したのか、氷雨は瞳で笑った。

 ぽつりぽつり、と話しはじめる。

「……あたし、このまま宮でいていいのかな……って、このまま水の谷を導いていけるのかなって――自信がないんだ。それにね」

 氷雨はいっそうか細くつぶやいた。

「ちょっと、風林児が羨ましいんだ」

「ふっくんが?」

「だって、あたしとは全然違うんだもん。ちゃんと宮としての自覚がある」

 そう言うと、氷雨は天井を見あげた。

「あたしの家は、もともと力が弱い家系でね、いっつもばかにされてた。あたし――悔しくてさ。そんな風にばかにされて、あきらめきってる周りも嫌でね、いつかみんなを見返してやろうって――そう自分に誓って、自分でいうのも変だけど、とにかく修行したんだ。ずっとずっと内緒で、いろんな術を覚えて、それで宮を決める儀式のとき――あたし、志願したの。……もちろん、元宮もとみやの子どもも出てたよ。だから、みんなあたしなんか眼中になかったみたい。あたしが、宮に選ばれたとき、狐につままれたみたいな顔しちゃってさ」

 氷雨はフフッと寂しそうに笑った。

「でもね、あたしが一番びっくりしたのは、両親が泣いてたこと。最初、嬉しくて泣いてるのかと思って、喜んでたのに……――でも、違った」

 かすかに氷雨の目が潤みを帯びた。

「嬉しくて泣いてるんじゃない。悲しくて泣いてたんだよ」

「悲しくて? なんで? 宮に選ばれたことって、いいことやろ。そうやないの?」

「ううん。宮になったら、まずしなくちゃならないこと――だれをこの国……朱里しゅりに行かせるかってことを決めることなんだ。それは一族がばらばらになるってことで、朱里で辛い目に合わせるってことで……あたし、全然知らなかった。宮になってやるって目先のことしか考えてなくて、結局みんなに迷惑かけちゃうんだ。父様は急に宮の父親になったことで、環境が変わって大変だし。母様は――もともと体が弱かったんだけど、心労が重なって倒れちゃうし」

 ぎゅうっと氷雨は拳を握りしめ、

「あたし、宮になんてなるんじゃなかった……! 今回だってそう。雷童らいどうを傷つけちゃったし、あたしが……あたしが、風林児につかまえてって言わなければ、こんなことにならなかったのに……! あたし、きっと宮になっちゃいけなかったんだよ」

「そんなことない」

 蓮華がきっぱりと断言した。氷雨は弱々しく抵抗する。

「そんなことあるよ」

「ううん、ない」

 蓮華は静かな口調だった。 

「……どうしてよ。あたしは、あたしは風林児みたいに自分を殺せない。いつも冷静でなんかいられない。わかるでしょ? あたしは宮として失格なんだよ」

「なんでふっくんと比べなあかんの?」

「え……」

 氷雨は固まったように蓮華を見あげていた。

「ひーちゃんはひーちゃんやろ。そんでふっくんはふっくんや。全然違う人間が、同じになんてなれるわけないし、それにな、ふっくんだってひーちゃんにはなれんのやで? だから、うちはひーちゃんなりの宮になっていけばええと思うんよ」

「でも――」

「ええやん。一人くらい、自分に正直な宮がいても。うちはひーちゃんが影宮かげみやさんでよかったと思っとるし」

 蓮華は顔をほころばせた。それにつられたかのように氷雨もほほ笑んだ。

 氷雨は手を組みなおす。どこかすっきりした顔をしていた。

「……あたしは、あたし――か」

「そうや。ええ言葉やろ?」

「うん……」

「その言葉な、雷ちゃんに言われたんや」

「雷童に?」

 うなずきながら蓮華は窓の外に目を向けると、

「『蓮華は蓮華だろ』――って。うち、なんかそれで救われた気がしたんや。いまのままで、ええんやなって」

 優しい声音だった。

「そうだね……」

「だからな、ひーちゃんにも言ってみた」

 くるっと蓮華は氷雨の顔を見る。

「うん、ありがと」 

 そしてお互いにっこりとした。

「う……」

 ハッとして二人は風林児に釘づけとなる。

 ようやく風林児の口が声を発した。風林児はもぞっと布団から右手を出すと、そのまま額に手をあて、二人の方に寝返りを打った。

「風林児……気が、ついたの?」

 氷雨がおそるおそる問いかける。しばらく小さくうめいていたが、やがて閉じていたまぶたを重そうに持ちあげた。

 風林児の視線はしばらく宙をさ迷ったあと、ようやく氷雨と蓮華に焦点があったらしい。

「あ……れ? 氷雨、それに、蓮華?」

 自分の身になにが起こったのか分からない様子の風林児は、二人を交互に見比べていた。

「やったぁ! ふっくんの意識が戻った! な、ひーちゃん……ひーちゃん?」

 蓮華も風林児も一瞬、言葉を飲みこんだ。

 大粒の涙が、氷雨の手の甲に落ちていく。甲を滑り落ちていく涙は、衣服にしみを残していた。降りはじめの雨のように、ぽつぽつと涙のあとが点在する。

「ごめ……ね、ごめん……ね」

 嗚咽を交えながら、氷雨は肩を震わせ泣きじゃくった。

「う、うち、春山さん呼んでくる」

 なにかを察したらしい蓮華は、慌てて部屋から出て行った。

 風林児はぽかんとしながら、しばらく戸口の方を見つめていたが、そのまま視線を氷雨に戻した。氷雨はずっと、必死に声を押し殺して泣いている。

「ね、ねえ……氷雨」

「ごめ……」

 風林児は困った顔をした。

「あの……なんで謝られてるのか、わかんないんだけど」

「だって……っ」

 氷雨は息を整えようと、深呼吸をした。

「あたしが――風林児に、つかまえてって……言わなければ」

「でも、氷雨はあの人が轟宮とどろきのみやだって、知らなかったわけだから」

「だけど」

「それに、気づかなくちゃならなかったのは、どっちかっていうと俺の方だったんだよ。眼帯をしてたにしろ、空雷くうらいさんには何度も会ってるわけだからさ」

 すると氷雨はスン、と鼻をすすった。

「やっぱり、あの人が轟宮だったんだ……」

 風林児は慎重に体を起こしながら、相づちを打った。

「そうなんだけど、空雷さんが氷雨の追ってた人?」

 氷雨は顔を下に向け、小さくうなずいた。

「そっか……いたた」

「だ、大丈夫!」

 肩口を押さえ眉をひそめた風林児に、氷雨は悲壮な声で叫んだ。

「あ、平気平気。それより空雷さんの方が深刻だと思う」

「そう、なの?」

「うん。空雷さんは俺からすぐに手を離したんだ――でも、俺はずっと空雷さんの腕をつかんだままで、俺が空雷さんだって気づいた頃には、俺も意識が薄れてきて」 

 氷雨はうなだれたまま微動だにしない。慌てて風林児は言葉をつなげた。

「でもそれは氷雨には関係ない。それにほら、もう平気だから。そんなに気にしないで」

 風林児は明るい声で言う。氷雨はぎゅっと手を握りしめていた。

 そのとき、部屋の外が騒がしくなった。氷雨はごしごしと目をこすり、大きく息を吐き出している。

 戸が開くと、あの印象的な顔が現れた。そして風林児を見るなり、太い眉をぴくり、とあげた。

「ほぉ、鳴宮なりみやの方が先に目を覚ましたのか」

「春山さま……」

 風林児はようやくここが春山の屋敷だということを知ったらしい。興味深げに室内を見渡している。

「どうだ、怪我の具合は」

「あ、大丈夫だと――」

「嘘をつけ」

「いっ……!」

 春山は風林児の背中に手を置いた。風林児の顔が苦痛に歪む。氷雨が青ざめた顔をして、立ちあがった。

「ちょ、春山さま!」

「そう大声を出すな。わしは軽く手を触れただけなんだからな……まったく」

 春山は腰に手をあて、深々とため息をついた。

「おまえら、あんな端の方まで行って、なにしようとしてたんだ?」

「それは……」

 風林児も氷雨も口ごもる。

 春山は訝しげに二人を見た。

「まさか、この国から出ようとしてたんじゃないだろうな」

「そんなことないわ! ただ……」

「ただ、なんだ?」

 氷雨は再びうつむいた。すると風林児が意を決したように口を開いた。

仙翁せんおうさまに会いに行こうとしてたんです」

「なに? 仙翁だ?」

 途端に春山はげらげらと大笑いをしはじめた。呆気に取られたように風林児と氷雨は顔を見合わせた。

「だははは、おまえらなにをだまされたんだか知らんが、仙翁なんぞいるわけがない」

 春山は目じりに涙を浮かべていた。

「で、でも……彼は大樹の木の実を食べたって」

 氷雨が弁解すると、

「だははは、そんなわけあるまい。よいか、『仙』と名乗るためにはあの大樹になる永遠の実を食べにゃならんのだぞ」

「それはそうですけど……」

 風林児が曖昧に返事をする。

「その永遠の実っちゅうのは、仙桃果せんとうかというんだが、それを食べられるのは世界にただ一人。つまり、『仙』といわれるのは世に一人っちゅうことだ」

「ですから、その『仙』といわれる人に会いにいこうと――」

 風林児が言いかけると、春山は鼻で笑い飛ばした。ぶ厚い唇を意地悪そうに湾曲させる。

「なにを言うとるんだ。会いにいかんでも、もう会っとるではないか」

「は?」

 風林児と氷雨の調子はずれの声が響く。

「もうすぐくるんじゃないのか」

 すると、まるで頃合を見計らったように戸が開かれた。

「おや、気がついたんだねえ」

呉羽くれはさん!」

 風林児と蓮華は同時に叫んだ。呉羽は少し驚いたような表情をする。

「思ったより、元気そうでよかったよ、本当に」

 呉羽は両手に大きな壺を持っていた。茶色の地に花の文様が描かれている。木のふたを取ると、ツンとした刺激臭が鼻についた。呉羽は壺に手を入れると、山吹色に染められた布を取り出した。小さく折りたたまれていたらしく、広げると大判の布だった。

「しびれは残ってないかい?」

「は、はい」

 呉羽は風林児が座る寝台のそばに椅子を持っていくと、風林児の両腕を交互に軽く揉みはじめた。風林児と氷雨はじっと呉羽のすることを見つめている。

「うん、平気みたいだね」

 呉羽は安心したように言った。そして広げた布を手に持つと、

「どれ、ちょっと脱ぎな」

「はい?」

 風林児が唖然としていると、呉羽は問答無用とばかりに風林児の襟に手をかけた。

「どうせあんたのことだ、やせ我慢でもしてるんだろ? ほら、さっさと脱ぐ。あんたの裸見たって、なんとも思いやしないよ」

 風林児が躊躇しながらも、もそもそと袖から手を抜きはじめた。その横で、氷雨が慌てて後ろを向いた。

「しかし、すごい数の火傷だねえ。傷は浅いみたいだけど、一番ひどいのはどうやら背中みたいだね」

 呉羽は現れた風林児の上半身を見て、顔をしかめながら言った。形のよい眉が、不快そうに歪む。赤く腫れあがった場所と、皮のむけている箇所が交互に混じり、だれの目にも痛々しく映った。

 その傷に、呉羽は手に持った布を直に貼りつけた。

「痛っ――」

「我慢しな。最初はちょっとしみるだろうけどね。この軟膏はよく効くから、数日で前みたく動けるようになるよ」

 次々と布に覆われていく。背中全体が黄色に染まっていくようだった。軟膏がしみた布の上から、純白の布がぐるぐると巻かれていった。

「あの、呉羽さん……聞いてもいいですか?」

 風林児が白い布で覆われていく自分の体を見ながら言った。

 呉羽はぎゅっときつく結ぶと、腕の方にも取りかかった。

「なんだい」

「あなたが『仙』の名を持つ人なんですか?」

 呉羽は黙ったまま、なにも言わない。すると春山が偉そうに鼻を鳴らしながら、自慢げに話しに割りこんできた。

「言ってやったらどうなんだ? 『私が仙女せんにょだ』とな。まったく、こいつらまんまと偽の『仙』にだまされおって」

 呉羽はぴたり、と手を止めると、

「ちょっと、その話、詳しく聞かせてくれるかい?」

 と、妙に優しい声で言った。

「えっと……彼と初めて会ったのは、雷童の里が襲われたときだったんです。たまたま僕も雷童の里にきていて、二人で一緒に逃げたんです。そのとき、僕らを助けてくれたおじいさんが、仙翁とそう言ったので……」

「そのじいさんの名は、『満年斎まんねんさい』とそう言わなかったかい?」

「知っているんですか?」

 風林児が尋ねると、呉羽は無言でにっこりと笑った。

「それで、続きは?」

「あ、はい。それで朱里にくる最中にいろいろとあって、彼とははぐれてしまったんです。それが昨日……偶然再会して――雷童を連れてこいって、そう言われて……」

「で、いまに至るというわけだね」

 呉羽が納得したように言った。風林児はこくりとうなずく。

「ようやくわかったよ……。なんで『仙』と名乗ったのか」

 呉羽は苦々しく舌打ちをした。

「どうかしたんですか?」

 ずっと黙って聞いていた氷雨が、呉羽の様子が変わったことに懸念の色を示した。

「まさか、『仙』を使うとは思わなんだよ」

「呉羽さん?」

 氷雨が小首を傾げて尋ねたときだった。

 だれかが戸に体あたりをしたらしい。けたたましい音が、部屋中に響き渡った。

 その場にいた全員が、戸口の方に注目する。

「ちょ、ちょっと、だめやねん。まだ動いちゃあかん」

 蓮華の必死な声が聞こえる。

 そして戸が開くと同時に、だれかがどさりとなだれこんできた。腹部を押さえながらうめいている。

「ちょっとあんた。そんな傷でなにしようとしてるんだい」

 呉羽が呆れ果てたように言った。

「あれっ、呉羽さん、なんでここにおるの?」

 蓮華が目を丸くした。

「春山から伝達があってねえ。鳴宮と轟宮が力の反発を起こして、怪我をしたって聞いて飛んできたわけさ」

「そうなんか……なら、雷ちゃんと入れ違いになってしもうたな」

「雷童が……危ない……」

「空雷さん! 傷が開いちゃうやろ!」

 蓮華が止めるのも聞かず、空雷はおぼつかない足取りで立ちあがった。じわりと肩に血が滲みだしていた。金糸のような髪が、鎖骨辺りをゆれている。

 その様子を見ていた呉羽は、ずいっと空雷に顔を近づけ、

「いい加減にしな!」

 と、一喝した。

「でも」

「でもじゃないよ。そんな体で助けにいこうなんて、大ばかものがやることだよ。わかるかい? 弟が心配なのはわかるけどね、いまのあんたじゃ、助けにもならないよ」

 呉羽はそこまで言うと、苦々しく床を見つめている空雷の腕を、そっとつかんだ。

「とにかく、傷を見せてごらんよ」 

 一転して、優しい口調だった。

 空雷はしぶしぶその場に座ると、ぐいっと上半身をさらけ出した。

 蓮華も風林児も氷雨も、そして春山も息をのんだ。

 両腕から裂傷が走り、肩周辺が最もひどいものだった。深くえぐられたような傷口から、とめどなく血があふれ出ていた。血の跡が胸にまで達し、なおその軌跡を延ばしている。

「まったく、こんなにまでなって……ばかだよ、ほんと」

 呉羽は茶色の壺から、今度は赤い布を取り出した。それを丁寧に貼りつけていく。空雷はぐっとこらえ、痛みに眉をひそめていた。

「……空雷さん」

 風林児が寝台の上から、目を反らしながら声をかけた。

「あの……」

 風林児が言いよどんでいるのを見て、空雷はフッと笑う。

「よぉ、風林児じゃんか。久しぶりだな」

「は、はい。久しぶりです……」

「なんだよ、元気ねぇな」

 そう言う空雷の額には、汗が滲んでいた。傷に呉羽が触れるたび、歯を食いしばって耐えているのが一目瞭然だ。

「あの、その傷は」

「ん? ああ、これか。まあ気にすんな。それより、おまえも強くなったんだな。まさかこんなに反発するとは思わなかったよ」

 にやにやと空雷は笑う。

「すいません……」

「いいっていいって。そういうとこ、全然変わってないな」

 しょげている風林児とは反対に、空雷はあっけらかんとしていた。

「あの!」

 ガタン、と椅子から立ちあがり、氷雨は厳しい顔つきで、空雷を見下ろした。

「ちょっと聞きたいことが、あるんですけど」

 空雷は黙って氷雨を見あげている。

「どうして、あたしの谷を襲ったりしたんですか」

 すると呉羽がくるりと氷雨に顔を向けた。

「それはね、私が――」

「いいですよ、呉羽さま。俺の口から説明しますから」

 呉羽を押しとどめ、空雷が氷雨に続けるよう目で促した。

「それに、母様まで傷つけた――なんでですか! 轟宮なのに!」

「それを聞いて、どうするつもり?」

「答えによっては」

 氷雨は低く唸った。

「水の裁きを加えます!」

「お、おい氷雨」

「ひーちゃん、待って」 

 風林児と蓮華があせったように止めに入った瞬間、

「君のお母さんを傷つけたのは、俺じゃないよ」

 いやに落ち着いた空雷の声が遮った。

「じゃあ、だれだって言うんですか」

「君はもう会ってるよ。いや、君たちかな」

「なら、水の谷も、風林児の風の丘も、そいつが襲ったっていうんですか」

 氷雨は疑わしい目を空雷に向ける。

「そう、ちなみに俺の里も――そして火の山もね」

「一体だれが……?」

 空雷はちらりと呉羽に目をやった。呉羽はなにかを承諾するようにうなずく。二人の間で、合図が交わされたようだった。

 空雷は一呼吸置くと、はっきりと言った。

「君たちに、『仙翁』だって、言った人物さ」

 氷雨と風林児の顔色が、一瞬にして変わる。

 するといままで黙っていた春山が、得意げに腕を組んだ。

「だから言ったではないか。だまされとるってな」

「嘘よ! そんなことないわ。だって、あたしたちを助けてくれたのよ?」 

「助けた? まさか」

 空雷は挑むような口調だった。氷雨は狼狽を隠せない様子で、視線を泳がせていた。

「よく考えてみるんだ。本当に助けられたのかどうか――まず、なにをしてくれたのか」

「どういうこと?」

「俺が駆けつけたとき、君のお母さんは手傷を負っていた。そこに現れたのが、君だった」

「それなら、どうしてそのとき、逃げたりしたんですか。ちゃんと言ってくれれば、勘違いせずにすんだのに!」

 空雷はかすかに笑みを浮かべた。

「ごめん、君の優しさを利用させてもらったんだ」

「え……?」

 空雷は布で覆われた両腕を見て、ため息をついた。そして視線を氷雨に戻しながら、

「そうすれば、君は俺を追ってくるだろ? 谷と母親を傷つけた憎い相手として」

 氷雨は言葉を失っていた。困惑と不甲斐なさの間を行ったりきたりしているようだ。くしゃり、と頭をかいた。

「そしたら俺は、まずいことに彼と出くわしたんだ」

「まずいことに?」

 風林児が氷雨にかわって尋ねた。

「俺と彼は、仲間――いや、家族ということになってる」

「なんでまた?」

 風林児は首を傾げた。

「その話は、いまはできない。とにかく、彼とは家族という設定になってるんだ」

 空雷は急に厳しい顔で言った。

「でも、おかしいと思うわ」

 急な話の展開に、氷雨は戸惑っているようだ。親指の爪を噛みながら、疑問を口にした。

「だって、もし――満年斎さまが、宮を狙ってる犯人だとしたら――なんであたしたちは、いままで殺されなかったの? 数回顔を合わせてるのよ? いくらでも殺す機会はあったじゃない」

「そこで、誤算が起きたんだ」

「誤算?」

 風林児と氷雨は同時に復唱した。蓮華は所在なさ気に、空雷の顔と呉羽の顔を交互に視線を移していた。

「そう、思いもよらなかっただろうね。雷童が――轟宮じゃなかったってこと」

「そういえば、雷童にいろいろと聞いていたような……」

「だけど、本当にあたしたちを狙ってるんだとしたら、そのとき殺せたはずでしょ?」

「ただ殺すだけじゃだめなんだよ」

 呉羽が唐突に口を開いた。一斉に呉羽を見る。

「風の鳴宮と雷の轟宮は、二人一緒に殺さなくちゃ目的は果たせないんだ……絶対に」

 空雷の治療を終えた呉羽は、すっと立ちあがった。

「つまり、だ。氷雨――あんたが殺されなかった理由は、輝宮てるみやを探させるため……それだけさ」

 氷雨の顔からサッと血の気が消え失せた。

「そして風林児――あんたも理由は同じだ。たまたま雷童が轟宮じゃなかっただけ……」

 淡々と語っているが、その内容はとても納得のいくものではなかった。

 風林児がおそるおそる口を挟んだ。

「でも呉羽さん、雷の里が襲われたとき、変なやつらは、初めから宮を殺すと言っていましたが」

「ま、おおかた予測はついていたんだろうよ。宮が一人になるってことがね」

「……どういうことですか?」

「じゃあ風林児。ちょっと考えてごらん。自分が狙われてると知ったら、あんただったら故郷の人と一緒にいるかい?」

「いえ、故郷から離れ――」

 そこで風林児はハッとしたようだ。

「わかったかい? 宮の取る行動なんて、わかりきってることなんだ。やつらはそこを狙ってたのさ――必ず、宮は一人になるってね」

「あの……」 

 氷雨が空雷に尋ねた。

「襲ってきた変なやつらはなんなの?」

「ああ、あれはできそこないの人形の集団なんだ」

「できそこないの、人形?」

 氷雨は怪訝そうに繰り返した。

「あれは特殊な炎でしか、殺すことはできない。切っても突いても無駄なんだ」

「そこまでして、なにがしたいの?」

 すると空雷は一瞬目を伏せた。呉羽も目を落とし、小さくため息をついている。

「やつらのなによりの狙いは」

 空雷はしかめっ面で、くっと唇を噛んだ。

「雷童なんだ」





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