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虹色万華鏡  作者: 民メイ
18/32

第三夜(四)

謎の男の正体は――

真相の鍵 

 



 屋敷ということから、平屋の邸宅を思い浮べていたが、それはある意味で違っていた。邸宅ではあったのだが、すべて幾層にもわたる高楼だったのだ。西の対、東の対――左右対称に建てられた三層の楼閣。その中心に横たわる大庭園。寸分の狂いもなく刈りこまれた観賞用の木々。赤い花に周囲を縁取られた楕円形の池は、青と緑を深い場所で混ぜ合わせたようだった。その表面に、水生植物なのだろうか、桃色の花がいくつも浮かんでいる。そこに魚が住んでいるのか、のぞきこまないとわからなさそうだった。

 その庭を真正面に迎える形で建っている七層の大高楼がある。これが春山の住居兼この国の政を行う場所だ。百年に一度という最大の祭りを控え、せわしなく人が出入りしていた。神官だろうか――白い絹織物に金糸で鳥の刺繍が施されている着物と、春山と同じ黒烏帽子を被っていた。そして春山を見るなり、丁重に頭を下げる。なかには、春山に駆け寄って、意見を聞いている者も目にした。

 大の男二人がかりで、ようやく開けられる重厚そうな扉。その表面には不死鳥をかたどったものだろうか、鳥の絵図の彫刻に彩色がほどこされている。貝や珍しい虫の甲羅も使用されていると、春山が鼻を鳴らしながら自慢げに説明した。だれが見ても圧倒されるほど、綿密で繊細に作られたものだった。

 扉をくぐり抜けると、真ん中に階段があり、それは最上層まで続いていた。白い塗り壁に、黒で統一された階段が印象的で、なかでも目にも鮮やかなのは、朱色の楼閣の梁だ。

 階段を上りながら、背筋を正されるような厳格さを覚える。風の流れに沿って、遠くの天井を見あげると、金箔をふんだんに使って描かれた鳥の壁画があった。

 三層目までくると、春山の足が止まった。ずらりと並んだ部屋の数々。ざっと目を走らすと、階段を囲うように部屋が七つある。それらすべてが客室らしい。 

「両方別々の方がいいだろう。これ以上なにかあっちゃたまらんからな」

 春山は部下に隣同士の部屋を笏で指示し、そこに運ぶように命じた。

「……あたし、風林児についてるね」

 氷雨はかぼそい声でだれとも目を合わせずに、風林児が運ばれていく部屋へと入っていった。

「雷ちゃんは――どうするん?」

 蓮華が遠慮がちに訊いた。雷童はちら、と氷雨の背中を見送った。

「俺は……こっちについてる。風林児には氷雨がついてるし……蓮華は?」

「うちは――先に安寿さんの方見て、そのあとふっくんの方に行く」

 雷童は無言で兄が寝かされている部屋へと足を踏み入れた。

 隅々まで手入れの行き届いた室内。細工ものの家具と円卓と椅子が二脚。床は黒味がかった赤色の絨毯が敷きつめられていた。

 窓側に横たわる男。天蓋つきの寝台のそばには、黄色い花が生けてあった。

 雷童は男のすぐ横に椅子を持っていく。

 どう見ても、兄に間違いはなかった。

 そっと兄の眼帯をはずす。そもそも、なんのために眼帯をしているのかわからない。傷があるわけでもないし、目が悪いというわけでもない。

 雷童は、じっとすり傷だらけの兄の顔を見つめていた。

「……なあ、雷ちゃん」

 蓮華がおそるおそる声をかけた。雷童は返事をせずに振り向く。

「雷ちゃんも安寿さん、知っとるん?」

「安寿、さん?」

 雷童は怪訝そうに言った。

「この人、安寿さんやないの?」

「そう名乗ったのか?」

 蓮華はどぎまぎしながらも、小さくうなずいた。

「この人は『安寿』なんて名前じゃねえ。なんで蓮華にそう言ったのか、わかんないけど本当の名前は『空雷』ってんだ……そんで、俺が探してた――兄貴」

「お兄さん……?」

「俺だって、なんかの間違いかと思ったんだ……。でも、さっきの爆発で確信した。この人は、俺の兄貴で――轟宮なんだ」

「もしかして、前にひーちゃんが言ってた……宮同士は触れへんっていう決まり?」

「そうなんだ。あんなにでっかい弾かれ方をするのは、宮しかいない。でも」

 雷童は自分の拳で、自分のひざを叩いた。

「なんで兄貴が水の谷を――氷雨の故郷を襲ったのか……それがわかんねえ――わかんないんだよ……!」

 雷童は手先に力をこめた。怒涛のような感情が、体中を逆流しているようだった。  

「あんな……」

 しばらく黙っていた蓮華が、小声で話を切り出した。

「……もしかしたら――呉羽さんが知っとるかもしれへん」

「呉羽のおばさんが?」

 蓮華は一度口をつぐんだあと、床を見つめながら、細い声で言った。

「うちに言づてを頼んだの、安……――じゃなくて空雷さんやってん」

「兄貴が?」

 雷童はおもむろに立ちあがった。

 蓮華の話からすると、兄は呉羽のことを知っていたということになる。『安寿』と名乗っていたにしろ、呉羽は宮の顔を知っていると言っていた。それなら、轟宮の顔も知っているはずなのだ。なんだかこの朱里で蓮華と出会ったのも、偶然ではない気がしてくる。そしてなにより信じられなかったことは、兄がどこでなにをしているのか――それを知っておきながら、呉羽がいままで自分に黙っていたということだ。

 考えるより早く、雷童は部屋の戸口の前に立った。

「ちょっと……呉羽のおばさん、探してくる。蓮華、兄貴を頼んだ」

 雷童は駆け出していた。蓮華が自分の名を呼んだ気がしたが、走り出した足は止められない。一刻も早く、絡まった謎を解き明かしたかったのだ。

 階段を滑るように降りていく。入ってきた重そうな扉は、ちょうど客を入れるために開けられたところだった。人の隙間をくぐるように外に出る。うしろで文句が交わされていたのを耳にしたが、そんなことに気を取られている場合ではなかった。

(呉羽のおばさん……なにか言えないことでもあったのか?)

 南天通りまでくると、さすがに走るわけにはいかなかった。自然にできた人の道。流れに逆らって動くことはできそうもない。雷童は焦燥感を覚えながら、人を交わすようにどんどん抜いていく。もたついている自分の足取りに、苛立ちを覚えていた。

 食堂街から流れてくる風の匂いで、いまがちょうどお昼時だということに気がついた。朝からもうそんなに時間が経っていたのかと、あまりの目まぐるしさにお昼という余裕すら忘れてしまっていた。

 どうりで――と、雷童は内心うなずきながら周りを見た。人形祭りの前日の昼とあれば、浮き足立った人々や、準備に追われる人の休息とあって、昨日よりはるかに人の出が多いのは簡単に予想できることだ。

 雷童は仕方なく、人ごみに並ぶように歩くことにした。

 前で交わされる他愛のない会話。そんな日常の一部から切り離されたように感じながら、雷童ははやる気持ちを抑え、もしかしたらここに呉羽がいないかと、半ばあきらめたように見回した。

 そのときだった。

 女が路地裏に入っていく。覚えのある端正な横顔。女は鮮やかに群集のなかで際立っていた。世界が女にだけ収斂しゅうれんされたように、目が釘づけとなった。

 雷童は気がつくと追っていた。人を押し分け、流れに逆行するように早足で横断していく。幾度人とぶつかったかわからない。それでも歩みを止めることはできなかった。とにかく神経すべてが彼女だけに集中したようだ。

 こんな雑踏に紛れながら呼びかけたところで、呉羽の耳に届くか自信がない。かかとをあげ、思い切り背伸びをした。できる限り首を高く伸ばす。

「……あれ?」

 雷童は目に映った光景に、思わず声をあげた。

 呉羽の手を引くように、隣で歩いている少女――あれは、この前見失った少女だった。おかっぱ頭に紅色の着物。カランコロンと鈴の音を響かせながら、少女は呉羽と歩いていた。

 雷童は声をかけるのをやめ、黙ってあとをついていくことにした。あたりをうかがいながら、足音を押し殺す。物陰に隠れながら、息を忍ばせ一定の距離を保っていく。

 どこまで行くのだろう。

 だんだんと人気がなくなってくる。自分の勘が正しければ、南天通りの反対――つまり北に進んでいるようだ。大樹が目前に迫って、顔をあげれば視界いっぱいに太くでこぼこした幹が入りこんでくる。複雑に絡み合った蔓のような幹が束になって、大樹の『幹』となっているらしい。曇天を貫くほどに、その頂を伸ばしていた。

 そして雷童が目を戻したときだった。

 ハッと小道のど真ん中に躍り出る。

 いない。

 一瞬目を離しただけだったのに、二人の姿が見えなくなってしまった。

「……あー、くそっ!」

 雷童は地団駄を踏みながら、悪態をついた。大樹なんて見ている場合ではなかった、と後悔が襲ってくる。

「仕方ねえ……まだこの辺にいるかも――」

「また会えたね、お兄ちゃん」

 カラン、と音がする。  

 雷童は自然と振り向いた。人の顔よりも大きい葉を持った少女がそこにいた。少女はにこにこと屈託のない笑みを浮かべている。耳ぐらいで切りそろえられた髪が、風にゆれていた。

「これね、あのおっきい樹の葉っぱなんだよ。ときどき落っこちてくるから、こうやって拾ってるの」

 満足そうに少女は言う。雷童はきょろきょろしながら、少女に視線を落とした。

「あの、さ。聞きたいことあんだけど」

「なぁに? お兄ちゃん」

「さっき、一緒に歩いてた人、どこ行ったか知ってるか?」

「お母さんのこと?」

「お母さん?」

 雷童がたまらず復唱すると、少女は断言するようにうなずいた。

「うん。みんなのお母さんなの」

 雷童は呉羽から一度も子どもがいるということは聞いたことがなかった。相づちを打ちながら、どこか腑に落ちない。

「それでね、おじいちゃんから、お兄ちゃんをお母さんの元に連れて行ってあげなさいって言われてるの。だから、行こ!」

 そう言うなり、少女はぐいっと雷童の裾を引っぱった。雷童はあわあわしながら、

「おじいちゃんって――だれ?」

 と言うと、少女は仕草をつけながら、声を変えて真似をした。

「おまえらは、わしがいないと、いたずらばっかりするでのう。困ったもんじゃわい」

 少女はあごの下をなでている。どうやらひげを表現しているらしかった。

「それが、おじいちゃん?」

「みんなのおじいちゃんなんだよ。ときどき、どっか行っちゃうけど」

 口を尖らせながら、ほおを膨らませた。

「じゃあ、そのお母さんって人のとこに、連れてってくれよ」

「うん! こっちこっち!」

 少女は軽やかに走っていく。鈴の音が空気に溶けこんでいく感じがした。

 誘われるように雷童は少女の後ろを歩いていた。

「知ってる? ここ曲がると、お兄ちゃんと初めて会ったとこに出るんだよ」

「初めて会ったとこ?」

 少女は得意そうにうなずくと、「ほら」と言って角を指差した。自分の目で見てみろ、ということらしい。雷童は半信半疑のまま、角まで歩いていく。

 雷童は曲がるなり、息が詰まった。

 ごくり、とつばを飲みこむ。

「ね? あったでしょ?」

 少女は満面の笑みを浮かべた。

「なんで……ある? これ、十字路?」

 うまく言葉にできない。

 確かに、そこは少女を初めて見た場所だった。いつの間にか消えていた十字路。腰くらいの高さの低い塀。寸分たがわずそこにある。向こうに広がる林が、無造作にゆれていた。

「どうしたの? 早く行こうよ」

「……そう、だな」

 雷童はどこか異世界に迷いこんだ気分になっていた。

 静かだ。足音を出すのがはばかられるほど、静寂に満ちている。

 林のなかの細く長く続く石畳の道を、雷童は少女と一定の距離を保って歩いていた。少女は機嫌がいいのか鼻歌を奏でていた。ふと、耳に覚えのある旋律。

「なあ、その歌って」

「このお歌は、いつもお母さんが寝る前にうたってくれるの。みんな知ってるよ」

「ふぅん」

 曖昧な返答をし、雷童はぼんやりと歩いた。

 こじんまりとした橋にさしかかる。半円に湾曲した木の橋だ。手すりは朱色の塗料がはげかけていた。その下を流れる小川をのぞく。透明なせせらぎと、穏やかな清流が眼下を過ぎていった。魚は一匹も見あたらない。

 そういえば、と雷童は林に目を移した。

 鳥も一羽たりとも飛んでいない。それだけではない。猫や犬でさえ、どこにもその影はない。ただ、自分と少女の二人だけが空間を動いている。雷童は奇妙な恐怖を覚えた。背筋から、ひたひたと音を立てて、不気味さが忍び寄ってくる。

「あのさ」

 雷童は急に恐ろしくなって、少女に声をかけた。くるっと少女は振り向く。

「ん? どうかした?」

「えっと……ここって俺たちのほかにだれもいないのか?」

 少女は黒色の瞳をくるくるさせ、

「ううん。ちゃんとみんないるよ。お兄ちゃんのこと待ってるの」

「そ、そっか」

「そういうのって、『家族』って言うんだ――っておじいちゃんが教えてくれたよ」

 軽く笑いながら、少女はしたり顔をした。

 この先に、少女の家族がいるのだと思うと、かすかに安堵した。 

「そういや――おまえの名前ってなに?」

 唐突に訊くと、少女はあっけらかんと言い放った。

「名前なんてないの。名前を持ってるのは、二人だけだよ」

「二人って?」

「おじいちゃんと、お兄ちゃん」

「は? 俺?」

 雷童はわけがわからず、素っ頓狂な声を出した。けれど、少女はさして気にする様子もなく、こくんとうなずく。

「じゃあ他のやつは、おまえのことなんて呼んでるんだよ」

「んーっとねぇ……」

 少女は人差し指を口元にあて、

「みんな『一番』って呼ぶよ」

「一番?」

「うん。他にも二番、三番っていう子もいるの」

 少女の目は真剣そのものだった。嘘をついているようには見えない。けれど、順番が名前になっているなんて、聞いたこともなかった。

「……一番……」

 雷童はぼそっともう一度つぶやくと、少女に歩調を合わせた。

「ほら、あれだよ!」

 林を抜けると、急に目の前が開けた。

 一面に咲く黄色の花。草の海に浮いているように、ぽつんと屋敷が鎮座していた。藁葺き屋根に、黄土色をした土の壁。木が一本、寄り添うように生えている。風が泣くように、すぐそばを吹きぬけていった。どこまでも広く、そしてときが止まったような世界。

 雷童はすくんだように、そのまま突っ立っていた。

 再び、奇妙な既視感にとらわれていたのだ。足が動かない。朱里にきてからというもの、こういうことが頻繁に起こるようになった。ある光景を目の前にして、体が言うことをきかなくなる。

(俺は知らない。初めてきたんだ。なのに――)

 雷童はきゅっと胸を押さえた。息が苦しい。変な風に脈を打っている感じがする。

「大丈夫かの?」

 少女とは違う、しわがれた声に、雷童は弾けるように振り返った。

「おじいちゃん!」

 少女は嬉々として叫んだ。

 白いひげを携え、悠然と構えている。いつも頭上に乗せている亀はいない。

「亀のじいさん」

 いつの間に背後に立ったのだろう。気配に気がつかなかった。

 満年斎は細く閉じたまぶたをさらに細め、

「やはり、おまえさんが安寿だったんじゃの」

 と、意味深げに言った。

「安寿って――兄貴が言ってた名前のこと?」

「やっぱりそうか……案じていたとおりじゃったわい」

 満年斎は低く、そして大きくため息をつきながら語った。

「さて、と。一番、おまえさんのお仕事はここまでじゃ」

「えーっ、一緒に行きたい!」

「だめなんじゃ。ほれ、これをやるから、あっちでみんなと遊んでなさい」

 満年斎は懐から両手いっぱいの飴玉を取り出した。キラリ、と少女の瞳が輝く。

「わかった! お兄ちゃん、またあとでね」

 少女はカラコロ、と音を立てながら、屋敷の方へ駆けていった。そのうしろ姿を見送ったあと、満年斎はゆっくりと雷童に向き直った。

「おまえさんに、会いたがっとるお人がいるんじゃ。こっちについてきてくれんかの」

「え、ああ……」

 雷童はぎこちなくうなずきながら、満年斎より一歩後ろを歩いた。

 ますます灰色の雲が、その位置を占めている。昼間だというのに、どんどん薄暗くなってきた。

 雷童は、どこから沸いてくるのかわからない胸騒ぎを打ち消そうと、必死になっていた。



続きもぜひ読んでください。

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