第三夜(二)
今日も四人は朱里の街へ――。
疑惑
街へ繰り出すと、そこは昨日とは一味違っていた。荷車にいくつかの人形を乗せ、南天通りを往復している人々を見かける。一定の距離を置いて舞台が設置されていた。忙しそうに準備をしている人たち。
人形祭りを明日に控え、街はざわめきに包まれていた。互いに自慢の人形を用い、それぞれの人形師たちが演劇をする。その評価を国中の人にしてもらい、今年最も優れた人形師を決めるのだ。さらに今年は伝説の人形師の没後百年とあって、前年とは違う盛り上がりを見せていた。
「それにしても、すごい人形の数だな」
雷童は目の前を忙しそうに通っていった人形師を見ながら、感心した。
「気合が入ってるわね」
「昨日いたおじさんも、出るんかな」
「たぶん、いると思うよ。昨日はりきってたし」
人いきれで空気が濁っているほど、南天通りは人だらけだ。近くでもおおきな声で話さないと、雑踏に混じって聞こえない。
「風林児、今日はどうすんの?」
「えっ――うん、そうだね……決めないと」
そう言うと、風林児はちらっと氷雨を見る。氷雨はうなずき、風林児は咳払いをした。
「雷童、おまえに会わせたい人がいるんだ」
「俺に?」
「そう。だからさ、ちょっとついてきてほしいんだけど」
「なに、俺だけ?」
「それと氷雨も」
「じゃあ蓮華は?」
雷童が風林児に耳打ちすると、風林児は言いにくそうにつぶやいた。
「……満年斎さまが、おまえを連れてこいって――昨日、言われた」
「満年斎って――ああ、あの亀のじいさんか」
雷童は氷雨と話している蓮華と、すぐ隣にいる風林児を見比べた。ふと、昨日、蓮華が追われていたことを思い出す。
「あのさ、風林児」
「なに?」
「昨日なんだか知らねぇけどさ、あいつ――蓮華をつけてるやつに追いかけられてよ」
「蓮華を?」
「そうなんだよ。だからさ、どうせ氷雨も連れてくんなら、まず俺と氷雨が亀のじいさんに会ってくるよ。そんで用件聞いてる間、おまえ蓮華と一緒にいてやってくれねえ? あいつ一人にしとくと、まずいからさ」
風林児は当惑気味に唸り声をあげている。雷童はポン、と風林児の肩に手を置いた。
「それによ、なにかあったとき、おまえならなんとかできるだろ? 風読みで俺たちを見つけることもできるだろうし。な?」
「じゃあ――まず氷雨とおまえが満年斎さまに会って、そのあと、一回戻って俺と合流。あとは、満年斎さま次第ってことか……」
「ま、そんな感じで」
「わかった。蓮華のことは任せといてよ。でも、なんで蓮華を狙ってんだろ」
「さあ。よくわかんねえけど、昨日ちょっとそいつら燃やしてやったから、今日はこないかもしれないぜ」
得意満面で言うと、風林児はがくっと呆れたようだ。
「あのさ、雷童……もうちょっと穏便に」
「大丈夫大丈夫。少し驚かしてやっただけだって」
「まあ、いいや。とにかく雷童は氷雨と一緒に満年斎さまに会ってきてよ。そうしないと――はじまらないから」
「おし、わかった。おーい、氷雨、行くぞ」
そう呼びかけると、氷雨と蓮華が同時に振り向いた。
「え……一体どうなったの」
さっぱり話の筋が見えないらしく、氷雨は風林児に説明を求めた。その横で、蓮華はきょとんとしている。
「んと、まず氷雨は雷童と一緒に行動。それで、そのあといったん四人合流。細かいことは――」
と、そこで風林児は雷童を横目で見た。氷雨はなんとなく察しがついたのか、『ああ』という顔をした。
「じゃあ、ふっくん、よろしくな」
「そうそう。風林児のそばから離れんなよ」
「それじゃ、またあとでね」
雷童と氷雨は南天通りから左に曲がり、西側へと向かった。
そこは一転して、静かな空間が広がっていた。何度も塗り直しされた跡がある土壁。はげかけた屋根瓦。舗装されていないでこぼこ道。昨日歩いた東側とは雲泥の差だった。魚をくわえた猫が前を横切っていく。
「……なんか、だいぶ様子が違うんだな」
「そりゃそうよ。だってここは朱里出身以外の人たちの居住区だもん」
氷雨は見向きもしないで、早足で歩いていく。顔はまっすぐ前を向いたまま、静かに怒っているようにも見えた。
雷童はゆっくりと周りを見渡す。雷の里の出身者もいるのだろうか。父親と兄の二人と血が繋がっているというのなら、一度会ってみたいという気もする。一体どんな人なんだろう。そして少しだけ胸が痛んだ。
「なあ」
「なによ」
ぶっきらぼうに短く氷雨は答える。
「なんでこんなに静かなんだ? まだ昼にもなってないだろ。人の気配がしないんだけど」
氷雨は口を尖らせたまま、
「みんな――強制労働に狩り出されてるからね」
「強制?」
「そうよ。なにかの力がある人は、その力を使ってこの国のために働くの。例えば、水だったら、水脈を探る――とか」
「なら、力のない人はどうすんだ?」
「とにかく体を使って働くのよ。もちろん、子どももね。これも不死鳥の決まり」
「だから、こんなに人っ子一人見あたらないってわけか」
雷童は静まり返った民家を見た。人のいない家というのは、どこか寂莫感が漂っているものだ。
「それにしても、あの亀のじいさん、俺になんの用なんだろうな」
「……さあ。これから会うんだから、本人に聞いてみた方がいいと思うけど」
「それはそうだけど――おまえ、そんなに不機嫌そうなとこ見ると……本当はなんとかの決まりっての嫌いだろ」
「不死鳥の決まり、ね。もちろん――大っ嫌いよ。でも仕方ないじゃない、決まりなんだから」
「でもさ、おかしいとは思わねえ?」
「なにを?」
氷雨はようやく雷童を振り返った。あきらかに気分を害しているようだった。深々とため息をつくと、続きの言葉を待っている。
「だからさ、不死鳥って古文書によれば、不死鳥っておまえら宮の力で支えられてんだろ?」
「そうよ。それが?」
「つまりー、なにもおまえらが、いちいちわけわかんねえ決まりなんてもんに従う必要ないってことだよ」
「――どういうことよ」
「要は、朱里のやつらとおまえらは立場が逆ってこと。考えてもみろよ、おまえらがいないと不死鳥は生きていけないんだぞ? っていうことは、だ」
雷童は語気を強めた。
「おまえらは不死鳥の命を人質にできるってこと。違う?」
氷雨は考えこんだまま、
「そんなこと――思いもよらないわよ」
と、小さく答えた。
「俺が思うに、もっと別な理由があるんじゃねえの?」
「別な、理由?」
「そう。別な理由。おまえら宮の力がどうしても必要で、なんとしてでも縛りつけておきたいって思えるほどの理由が、さ」
雷童はすたすたと歩きはじめた。
「あんたって」
「ん?」
ちょうど真横に並んだとき、氷雨がふっと顔をあげた。
「なにも考えてないって思ってたけど、案外考えてるのね」
「――なんか、ちっとも褒められてる気がしないんだけど」
「あら、褒めてるのよ。すっごい」
「だから言ったろ? 俺は『慎重』なんだって」
にやり、と笑うと、氷雨は呆れたように肩をすくめた。
「その話は置いといて、行きましょ。ここ抜ければすぐだから」
そう言って、氷雨が前の林を指差そうとした。
そのときだ。
ふわり、と深緑の布が進行方向をふさぐように現れた。氷雨は目を見開き、固まったまま動かない。
風にあおられて布がはためいていた。見え隠れするのは茶がかかった金色の髪。そして片目には黒い眼帯。男は布を携えるようにして仁王立ちしていた。
「……あんた――」
氷雨が低く唸るようにつぶやいた。ぎりっと歯を食いしばる。
「よくものこのこあたしの前に出てこれたわね」
氷雨の周囲にキラキラと光る氷の塊が浮遊しはじめた。
「お、おい……氷雨――知り合いか?」
するとキッと氷雨は雷童をにらんだ。その気迫に雷童は一歩うしろに下がる。
「知り合いもなにも……こいつなのよ、あたしの――水の谷を襲ったのは!」
「じゃ、じゃあ、俺と間違えたやつって――」
「そう、こいつ! ……許せない。谷をめちゃくちゃにしたあげくに、母様に怪我を負わせるなんて――絶対許さないんだから!」
キン、と空気を切り裂く音がする。
雷童は一瞬、言葉を忘れた。
「つららの舞!」
男の背後にあった木の幹に、氷の破片が突き刺さる――だが、男はいない。
二人はすばやく周囲に目を走らせた。
パキ、パキ、と小枝の折れる音が上に遠のいていく。どうやらてっぺんまで移動しているらしい。そのことに気づいたのか、氷雨は照準を上方に合わせた。
枝が凍っていく。
結晶の花が咲いていく。
男は放たれた氷の塊をすり抜けるようにして、木の頂に立つ――その瞬間、氷雨は巨大なつららを投げつけた。
粉々に砕け散る。
男の体重を支えきれなくなった枝が、ミシリ、と音をたてて折れはじめた。
男が宙に舞った。深緑の布が男の体を取り巻き、ふっとその姿をかき消した。
「……どこ」
氷雨は荒く息をつき、汗をぬぐった。
いない。二人の視界から消えたのだ。
雷童はハッとして、氷雨に声をかけようとした。
そのとき、雷童の視野に緑色の煙が入った。
動きが遅く映る。すぐ横を過ぎ去っていく。
雷童が顔を向けた途端、
「雷童」
と、煙が囁いた。
雷童は体が硬直したのがわかった。耳に残るなつかしい響き。
煙は少し離れた場所で、男の形を取った。そしてそのまま走り去って行く。
「――待ちなさいよ!」
氷雨は全速力で追いかけていった。
雷童も引きずられるようにして走りはじめたが、頭は真っ白だった。
さっきのあの声。間違いなく、自分がこの一年間探し求めていた声の持ち主だった。聞き違えるはずがない。心は疑問と不安に支配されはじめていた。
もしも、自分の確信があたっていたら――その人物は、氷雨の故郷を襲ったのだ。ということは、里を襲ってきた変な連中と仲間だということになる。
雷童はぐっと拳を握りしめた。
どうして水の谷を襲ったのだろう――わからない。考えるだけでも、頭がまるで迷路になったようだ。そしてなぜ眼帯を? それも見当がつかない。すべてが謎に包まれていた。
「……どうなってんだよ――兄貴」
雷童は小さくつぶやくと、氷雨の背中を追いかけた。
展開
その頃、風林児と蓮華はのんびりと南天通りを歩いていた。明日が人形祭りということも手伝って、買い物に出ている人が多い。生地屋、小物屋、菓子屋などから店主の大きく張りあげた声が響いてくる。さらにその横では、朱里で商売をしにきた露店が数多く出されていて、まるで交差するように値段交渉の話題が飛び交っていた。
そんな街の一角の水場に、風林児と蓮華は腰かけた。水路をうまく利用して、水圧によって水が高く打ちあげられている。
朱里は平らな土地にあるわけではなかった。大樹に近づくにつれ、根によって大地がもりあがっている。そのせいで、根元ちかくから湧き出る水脈が、どんどん下がっていくのだ。地下から汲み出る水は、どの季節も一定の温度に保たれ、手を浸すと心地よい冷たさがわかる。
「ふっくん、あの建物なんやろね?」
「ん? どれ?」
蓮華は大樹の根元近くにある高楼を指差していた。朱色に塗られた屋根と白い壁が印象的だ。そしてどの建築物より豪華な装飾が施されていた。
「あれは――宮司の家だよ」
「宮司って――昨日きた偉そうなおじさんか?」
「うん、春山さまのお屋敷。あそこで不死鳥に関する全ての祭事を取り行うんだ」
「ずいぶん立派なお屋敷なんやね」
「――ここでは、生まれが全てなんだ。司祭、神官、宮司の順で地位が高くなっていって、同じ朱里出身でも、彼らは扱いが全然違う」
「ふぅん……」
蓮華はむすっと黙りこんだ。
「あ、ごめん……こんな話楽しくなかったよね」
「ううん、気にせんといてな。うちが訊いたことやし、ふっくんはなにも悪くないんやで」
にこり、と蓮華は笑みを漏らした。風林児はほっと胸をなで下ろす。
「そういえば蓮華、あのメノウの首飾りどうしたの? ほら、初めて会ったとき、お金に換えようとしてたやつ」
「ああ、あれな。ちゃんと持ってるで、ここに」
そう言うと、蓮華は襟から首飾りを引っ張り出した。
真紅に白が浮いている。それにしても、吸いこまれそうな色彩だ。
「これ、おもしろいねん。見るごとに模様が違うんやで」
「模様が違う?」
まじまじと風林児は首飾りを見た。二人はそろって首飾りに釘づけとなる。
「――そう言われてみると……赤が少し多くなってる?」
「うん、これな。ほんとはほとんど白やったんや」
「ってことは、赤がどんどん増えてるってこと?」
風林児が驚きと感心の入り混じった声をあげた。
「こんな珍しいもの、だれにもらったの?」
すると蓮華の顔に翳りが走った。風林児は慌てて言葉を濁す。
「あ――言いたくないならそれでいいんだ。また変なこと言っちゃったけど」
蓮華は小さく首を横に振ると、やがてかすかな声で、
「これ、形見やねん」
と囁いた。
「うちのお母さんがくれたんよ――顔も知らないお父さんのものだって言って」
そしてきゅっと唇を噛みしめる。
「だけどそれ――形見を換金しようとしたけど……それはなんで?」
「それは――」
そのとき、ふっと二人の頭上が暗くなった。風林児も蓮華も同時に顔をあげる。
その瞬間、蓮華の顔が引きつった。
周りを五、六人の男たちに囲まれている。
彼らのなかで最も体格の大きい男が、にやりと嘲笑を浮かべた。
「おーおー、蓮華ちゃん。久しぶりだな」
蓮華はぎゅっと首飾りを握りしめたまま、蒼白になっていた。
「おろ? もしかして俺らの顔忘れちまったってか? ひでぇなぁ、一味の仲間をそう簡単に忘れちまうなんてなぁ」
げらげらと笑いが起こる。蓮華はうつむいたまま、罵声にも似た笑いを浴びていた。
「蓮――」
風林児が声をかけようとすると、急にがしっとその頭がつかまれた。太い指が、すごい力で風林児のこめかみに食いこんでいる。
「離せっ!」
思い切り腕を振り払うと同時に、今度は首をしめられた。ミシッと骨がきしむ音がする。
「よお、ぼっちゃん。どうやらいいとこの出らしいが、あんましこいつと関わんない方が身のためだぜえ? なんたって、こいつは俺らの――」
「違う!」
蓮華が鋭く叫んだ。キッと周囲の男たちをにらみつける。けれど蓮華のひざはがくがく震えていた。
「うちはもう一味やない! もう……もう関係ないんや! それに――」
「そうだ。おまえはもう俺たちの仲間じゃねえよ。そんな俺たちとおまえの関係は、追われる者と追う者ってわけだ。おまえにゃ人質になってもらうぜ!」
一瞬、蓮華に気を取られ、首の力が緩められたのを風林児は見逃さなかった。すぅっと息を吸う。そして目の前の男の胸に手をかざした。
「風、の――」
ザワリ、と木の葉が揺れる。
「あん?」
男が風林児に目を戻した。
「壁っ!」
その瞬間、風林児の手から男に向かって風が吹き出した。
男はすぐ後ろにいた仲間を巻きこんで、飛ばされていく。砂ぼこりが立ちのぼり、そして少し離れたところで、男二人が頭を抑えながらふらふらと立ちあがった。それを見た他の仲間が、一斉に短刀を引き抜く。
その様子を見て、周囲の人々が一様にざわめきはじめた。
騒動に巻きこまれないように、風林児と蓮華、そして男たちの周りからさっと人が散っていく。
男はとりわけ長い刃物を取り出すと、
「この国で力を使えることを許されてるってことは――てめえ、宮だな!」
「蓮華、走って!」
風林児は蓮華の腕を取ると、一目散に駆け出した。
「待ちやがれ、てめえ!」
男たちが頭に血を上らせて追いかけてくる。
「ね、蓮華、昨日追われてたのって、あいつら?」
蓮華は力なく首を横に振った。
「そっか……また別のやつらなのかな」
手あたりしだいの角を曲がっていく。何度も人とぶつかりそうになる。背後では突進してくる男たちが、街の人と小競り合いを起こし、悲鳴が鳴り止まなかった。
「違う」
ぽつんと蓮華は言った。
「昨日追ってきたのも、いま追ってきてるのも、みんな仲間や」
いまにも蓮華は泣きそうだった。
こんなとき、雷童だったらどうするだろう――風林児は考えながら、足を走らせていた。
時折、自分も踏みとどまらずに、思うとおりに行動できたら、と思うときがある。でも自分は宮で、自分の肩に風の丘のみんなの命運がかかっているのだ。もし、朱里の人に被害を及ぼせば、必ず宮司の耳に入るだろうし、そんなことがあったら、父親の顔に泥を塗ることになってしまう。それだけはなんとしてでも、避けなければならない。
風林児はいまにも追っ手を蹴散らしてしまいたいのを抑え、雷童を探すことにした。
「蓮華、まだ走れる?」
「……うん」
ぐいっと汗をぬぐうと、風林児は雷童の姿を思い浮べた。赤い髪、右目の眼帯、黒い服。よく知っている気配を風に乗せる。
「雷童のとこに連れていって」
風が寄り集まり、一本の糸を紡ぎだした。ゆるゆると先端が延びていく。それを手繰るように、風林児と蓮華は走った。
楽しんでいただけたら、うれしいです!