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一瞬、理解の域を超えていたものの、すぐ我に返る。
「ああああああ、あのぼく、急いでるから、さよなら!」
ぼくは振り返ることなく、一目散に教室から飛び出す。
「あ、待っ……!」
静止しようとするような声が耳に届いてはいたけど、もちろんぼくは止まることなく、暗い廊下を全力疾走して逃げていった。
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一心不乱に階段を駆け下り、下駄箱で靴に履き替え、昇降口のドアを開けて正門まで一気に駆け抜ける。
辺りには他に誰の姿もない、そんな薄暗い正門に、ひとつの人影が……。
うっ……先回り……?
一瞬、足が止まりかける。
正門の前にある電灯の明かりによって照らし出された人影。
身にまとっているのは、ついさっき目にした首から上がない女の子と同じ、学校指定のセーラー服ではあった。
でも、正門の前に立っていたのは、さっきの女の子ではなかった。
「いーちゃん、遅い遅い~!」
腰に両手を当て、プンプンと怒りの声をぶつけてきたのは、ぼくを待っていてくれたのだろう、幼馴染みのクラスメイト、みゃーだった。
みゃー以外の人影は見えない。他のふたりはもう帰ってしまったようだ。
ともかくぼくは、そのままみゃーの目の前まで走る。
その勢いに、さすがのみゃーも少々たじろいでいるようだった。
ただ、腰に当てていたはずの両手を、左右に広げるような形にいつの間にか変えていた。
ぼくはそんなみゃーの目の前で急ブレーキをかけて止まると、自分の膝に両手をついて乱れた息を吐き出す。
なぜだか少し恥ずかしそうにしながら両手を引っ込めたみゃーが、驚いた様子で声をかけてきた。
「なによ、そんなに慌てて。どうしたの? (……っていうか、なんで止まっちゃうのよ、もう)」
後半はなにやらぼそぼそと言っていたので、よく聞こえなかったけど。
「いや、その、はぁ、はぁ……」
ぼくはどうにか答えようとするものの、息が切れて、まったく言葉にならない。
う~ん、もうちょっと持久力をつける必要があるかな~。そんなことを考えつつ、荒い息を吐き出し続けて呼吸が整うのを待つ。
みゃーも微かに首をかしげてぼくを見つめたまま、黙って待ってくれていた。
不規則に乱れていた息も、徐々に規則的な連続動作へと戻っていく。
どうやら、ぼくは逃げきることに成功したみたいだ。
それにしても、さっきのは、いったいなんだったのだろう?
さほど怖いとは思っていなかったはずだけど、閃太郎の怪談が深層意識にまで影響を及ぼしていて、幻を見たということだろうか?
閃太郎の怪談を聞いて叫び声を上げていたみゃーをバカにできないな……。
自分でも知らなかった自分自身の度胸のなさに、苦笑が浮かぶ。からかうのに使えるみゃーの弱みを、またひとつ失ってしまった。
両手を膝についたままではあったけど、ぼくは顔を上げる。
見慣れたみゃーの顔が視界に映った。安堵感が胸いっぱいに広がる。
みゃーはほのかに頬を染め、ぼくの瞳を見つめている。
他に誰もいない静かな正門前で見つめ合う、制服姿の男女ふたり。
ぼくの息が上がっていなければ、それなりにいい雰囲気と言えたのかもしれない。
もっとも、相手がみゃーでは、どうせドツキ漫才が始まるだけだろうけど。
みゃーという存在のおかげもあったのだろうか、普段と変わらない思考に戻りつつあるぼく。
だけど、そのとき。
ぼくをじっと見据えていたみゃーの視線が、不意に上がった。
ちょっと、不自然な様子で……。
「ん~っと……」
心なしか震えているようにも聞こえる、みゃーの声。
大きな彼女の目は、いつもにも増して見開かれている。
もともと若干柔らかさの足りないみゃーの体(とくに胸の辺り)ではあるけど、その身をさらに硬くしているように感じられた。
「……その子……誰?」
「え……?」
その子……?
みゃーは続けて、ゆっくりと右手を上げていき、ぼくの背後の空間に向かって指を差す。
その子……ってことは、女の子……。
…………まさか……。
ぼくは、おそるおそる、ぎこちない動作でゆっくりと首を回し、みゃーの指差している先に視線を送ってみた。
そこには、案の定、
「…………っっ!」
制服姿の女の子が――首から上の空間になにも存在しない、頭のない女の子が、至って静かにたたずんでいた。