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「う~ん、まだ春だってのに、暑いなぁ~……」
図書室の長テーブルに突っ伏し、閃太郎がぼやく。
「確かに……。クーラー入れてほしいよね~。私立でたくさんお金を巻き上げてるっていうのに設備が貧弱よね、この学校!」
みゃーも、なんだかひどい物言いで文句たらたら。
不平不満をこぼしつつも、教科書や参考書を見てノートになにやら書き写したりしているあたり、さすがは学年トップだ。
嫌でもやるべきことはやる、といったところか。
一方、涼しい顔で余裕そうなのは月見里さん。
余裕なのは気温のほうか勉強のほうか。……きっと両方だろうな。
そうはいっても、ぼくたち四人はみんな、ブレザーの上着を脱いで椅子の背もたれに引っかけている。
さすがの月見里さんも、着込んだままでいられるほど暑さに強くはないようだ。
「クーラーがないのはちょっと残念だけど、この楓坂学園って設備は整ってるほうよ? 県立高校に通ってる中学時代の同級生に話を聞かせてもらったことがあるんだけど、随分ひどい有様みたい。壁にヒビが入ってたり、トイレの鏡が割れてたり……。水飲み場も石でできてるから崩れて散々な状態らしいわよ?」
「ふぇ~、そんなの学校じゃないわ! 強制収容所よ! 県立高校って、牢獄みたいなとこなのね!」
月見里さんが穏やかな声で語った別の高校の話に、みゃーはとても失礼な感想を叫ぶ。
全国の県立高校に謝ったほうがいいかも。
「だけどさ~、実際こう暑いと勉強もはかどらないよね~。七月に入ったら、暑いのを通り越して灼熱地獄になっちゃうわけだしさ~」
テーブルに突っ伏したままの閃太郎も、便乗するように再びぼやき声を重ねる。
もっともその意見には、ぼくも賛同したいところだ。
「私立高校ってさ、教室にクーラーあるのが当然じゃないの~?」
「あはは、いや、そんなことはないと思うよ」
まだまだ文句を言い足りなそうなみゃーの言葉に、ぼくは苦笑を返す。
どちらかといえば、教室にクーラーのある学校ほうが少数派だと思う。
それなのに職員室はほぼ確実にクーラー完備だったりするのは、ちょっと納得がいかなくもないけど。
「ま、文句を言ったって、実力テストがなくなるわけじゃないんだから。そろそろちゃんと勉強したら?」
「そう言われてもさ~……。そうだ、月見里さんの家で勉強すればいいんじゃない? 広いしクーラーもあるしさ!」
「却下」
ピシャリ。
言いきられてしまえば、月見里さん相手に反論なんてできるはずもない。
「む~……ケチ」
ポツリとつぶやき、閃太郎はテーブルから身を起こす。
と――、
「うおっ!?」
その目の前にシャープペンの先端が迫り、目と鼻の先、数ミリの位置で止まる。
「あらやだ、手が滑ってしまったわ」
にこにこにこ。笑顔で言ってのける月見里さん。
その心の中には般若が身をもたげていると思われる。
……なんて考えていることはおくびにも出さず、ぼくは提案してみた。
「閃太郎、諦めて勉強したら? 暑いならとりあえず、なにか涼しくなることでも考えるとか……」
「おっ、それいいな」
なにげない提案だったけど、どうやら妙に食いつかれてしまったらしい。
☆☆☆☆☆
「夜中の学校にね、忘れ物を取りに戻ってきた女子生徒がいたんだ……」
いきなり声のトーンを落として喋り始める閃太郎。
唐突すぎて目を丸くするぼくたちだったけど、すぐに理解する。
怪談で涼しい気分になろう、というわけか。
安直すぎて微妙に感じられなくもないけど、せっかく閃太郎が話してくれているわけだし、ここは黙って見守ることにしよう。
月見里さんもみゃーも、手を止めて黙り込んでいる。
じっと閃太郎を見つめ、その話に耳を傾ける姿勢のようだ。
――ん?
なにやらみゃーが、ぼくのワイシャツの袖をぎゅっと握ってきた。
どうしたのかな?
それはともかく、閃太郎の怪談話は続く。
「上履きの音がコツーン、コツーンと廊下に反響してね……。なんだか、ひとりだけの足音のはずなのに、何人かで一緒に歩いているようにすら感じられたんだ……」
袖をつかんでいるみゃーの手に力がこもる。
そんなに強く引っ張られたら、ワイシャツが破けてしまいそうだけど。
ともあれ、今ここで声を上げるのはマズいだろう。
閃太郎の邪魔をしないよう、ぼくはみゃーの手を振りほどいたりもせず、そのまま話を聞き続けた。
「階段に差しかかる。踊り場を越えて……二階……そして、そのまま三階へ……。電気も点いていない階段は、いつもより段数が多く感じてしまう。気のせい気のせい……。自分に言い聞かせながら、彼女は階段を上り終えた」
ごくり。
みゃーがツバを飲み込む音が聞こえる。
「あとは廊下を一番奥まで歩けば、自分の教室だ。
非常ベルの赤いランプだけが照らし出す廊下はとても不気味で、まるでこの世とあの世をつなぐ死者の回廊のようにも思えた。
ぷるぷる。女子生徒は左右に頭を振り、恐ろしい考えを振り払う。
早く忘れ物を取って帰ろう。
ついつい足早になる。コツンコツンコツンコツンコツン、ヒタ……。
ふと足を止めたその刹那……足音が、ずれる――。
怖い……けど、振り返るのはもっと怖い……。
彼女はキッと正面を見据え、教室の前まで一気に走った。
教室のドアを、一瞬ためらいながらも開け放つ!
中には、暗い教室の風景が広がるだけだった。
ふぅ……。軽く息を吐き、彼女は急いで自分の机に向かう。
机の上を確認、机の中も確認……。
あれ? 忘れ物が……ない……? あれれ? わたしの勘違いだったのかな?
そう思ってかしげた首筋を、冷たい風がくすぐる。
ぞくぞくぞく……。
震える女子生徒の視界の端を、不意に影が横切った。
ひっ。息を呑む。
だけど意を決し、彼女は思いきって顔を上げた。
すると、そこにあったのは……!
……なんだ、カーテンか……。
誰かが窓を開けっぱなしにしてたのね。
ほっと胸を撫で下ろす彼女。
ともかく、忘れ物はなかった。
やっぱり勘違いだったのかな。帰ってカバンの中とかを、もう一度探してみよう。
そう考えた彼女の耳もとに、突然こんな声が聞こえてくる。
忘れ物は、これ……?
女性の声だった。
振り返る女子生徒。
視線の先には、女性の手の上に乗せられた忘れ物のノートがあった。
あっ、これよ、ありがとう!
お礼を述べて視線を上げていく……。
目の前に立っているのは、長い黒髪の女性。
でも――。
そこには、あるべきものが、なかった。
その女性の顔には……なかったのだ! 目も鼻も口も、すべてが!」
「ぎにゃ~~~~~~~~っっっっっ!!!!!!!!」
突然真横から大声が轟く。それは、みゃーの悲鳴だった。
ぼくはここでようやく、みゃーがさっきからずっと怖がっていたことを悟る。
とはいえ、今さら口を塞いだところで、なんの意味も成さない。
すでに飛び出した悲鳴は、図書室の中に響き渡り、そして――、
「お前ら、さっきからうるさいぞ! 静かにしろ!」
図書室にいた他の生徒たちから、一斉に抗議の声をぶつけられる羽目になるのだった。