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正門を駆け抜け、昇降口で上履きに履き替え、廊下を走り、教室のドアを開け、慌ただしく席に着く。
……よし、間に合った。
ほっと息を吐き出して、ようやくひと休み。
幼馴染みのぼくとみゃーは、学校も同じでクラスも同じ、さらには席も隣同士だった。
うちの学校では、一年生から二年生に上がるときにはクラス替えがない。
そのため、四月の初めというこの時期でも、すでにそれぞれの仲よしグループのような派閥は完全に出来上がっていた。
加えて、担任の先生も変わらない。
慣れが生じているせいか、はたまた投げやりなだけか、男女交互の列になるという決まりこそあるものの、席順は生徒たちの自主性に任せて決めていいとのお達しだった。
そんなわけで、ぼくの隣には「当然でしょ?」と言わんばかりの澄まし顔でみゃーが座っている。
「あっ、おはよう、維摘! それに、実弥ちゃんも!」
席に着くやいなや、パタ、という音と同時に、前の席から挨拶の声がかかる。
修羅閃太郎。ぼくの友人だ。
といっても、幼馴染みのみゃーとは違って、この学園に入学してから知り合った友人なのだけど。
「おはよ、閃太郎くん!」
「おはよう、閃太郎。あっ、今日も怪しげな本を読んでたんだね」
「怪しげ言うな!」
そんな閃太郎の机の上には、『超常現象津々浦々。ほら、あなたのそばにも幽霊が……』なんてタイトルの本が置かれていた。
ぼくたちに気づいて栞を挟み、本を閉じてから後ろを向いたのだろう。
あれ? でも見たことのあるタイトル……。確かあれって……。
と、ぼくの思考を遮るように、さらなる声が飛び込んでくる。
「ふふ、男子ふたりは朝からいいボケとツッコミしてるわね。というわけで、おはよう、維摘くん、実弥ちゃん」
「あはは、おはよう、月見里さん」
「オレたちはお笑い芸人か!?」
男性陣ふたりの対照的な答えに、それでもたおやかな笑みをたたえている女子生徒。
月見里秋子さん。ちょっと変わった名字の彼女も、閃太郎と同じく、高校に入ってからの友人だ。
月見里さんの家は、登校中にそばを通った月見里総合病院。
お金持ちのお嬢様ってことになるけど、それを鼻にかける感じはまったくない。
とはいえ、ただの温和なお嬢様というわけでもなくて……。
恨みを返すときには百倍返しがモットーらしいと言えば、どんな女の子なのかだいたい想像してもらえるだろうか。
みゃーといい月見里さんといい、どうしてぼくの周りには、こんな暴力的な子しかいないのか。
ちなみに閃太郎と月見里さんのふたりも幼馴染みらしく、近所に住むひとつ年上のお姉さんとともに、小さい頃からよく一緒に遊んでいた仲だったという話だ。
「おはよう、あっこ! ねぇ、聞いてよ~! あのね、うちの親ったらね、ケータイ買ってくれないって言うのよ!?」
「ふふ、実弥ちゃんは相変わらず、朝っぱらから元気いっぱいね~」
「そんなこと、どうでもいいってば! それよか、ケータイよケータイ!」
ぼくや閃太郎が挨拶を返すのを遮るかのように、みゃーが騒がしい喚き声を響かせる。
っていうか、またその話題を蒸し返すのか。よっぽど頭に来てるってことかな。
わーわーぎゃーぎゃー喚き散らすみゃーを、月見里さんはいつもどおりの温かな笑顔で、上手になだめすかしている。
う~ん、みゃーの扱い方を心得ていらっしゃる。
ちなみにみゃーは、いつもこんな感じ。「なんだか猫みたいだね」とは、閃太郎の言葉だっただろうか。
「とりあえず、実弥ちゃんのケータイの話は置いといて……」
「や~ん、置かないで、拾って~!」
まだ騒ぎ足りないのか、みゃーが不満を口にするけど、月見里さんは華麗にスルー。
「明日は、実力テストね」
「ふぎゃうっ!」
月見里さんの言葉に、あまり女の子らしくない悲鳴を上げると、みゃーは急に押し黙ってしまった。
学年トップの成績を誇るみゃーではあるけど、勉強やらテストやらが大嫌いなのだ。
それなのにどうして学年トップが取れるのか、ぼくとしては神様の不公平さを呪うことしかできないけど。
ともかく、実力テストか……。
「ぐ~……。中間と期末だってあるのに、どうして実力テストなんてやらなきゃならないんだか」
閃太郎が愚痴をこぼす。
最下位付近を行ったり来たりする閃太郎にとっても、テストは当然ながら忌み嫌うべき行事なのだろう。
だけどそれは、ぼくとしても同意できるところだった。
なんたって、ぼくも閃太郎と最下位争いを演じている、好敵手のひとりなのだから。
……こういう場合、好敵手とは言わないか。
「ふふ、進学校に入った身の上を呪うのね。得意のオカルトで」
「べつにオレは、こういう本を読むのが好きなだけで、実践しようなんて思ってないっての!」
閉じたオカルト本を右手でポンポン叩きながら、閃太郎は月見里さんに反論する。
「でも、そういうのを読んでるってだけで、キモい」
みゃーは素直だ。
余計なことでも、口からこぼれ落ちる前にせき止めるなんて、一切できない。
「キ……キモいって、そんな……」
明らかに「ガーン」という効果音を背負い、机の上に指で「の」の字を書く閃太郎。
もっとも、キモいなんて言いながらも、みゃーは本気で閃太郎のことを気持ち悪がったりはしていない。
おそらく一般論としてそう言ったまでだ。
だいたいみゃーが、オカルト本を見てキモいなんて言うはずがないのだ。
みゃーのお父さんが、そういった本も書いている作家だったのだから。
ようやく思い出したけど、閃太郎の手もとにあるオカルト本も、実はみゃーのお父さんの書いた本だったりするわけだし。
閃太郎のほうもわかっていながら、それでもいじけて見せているのだろう。
「あ、いや、その……! べつにね、閃太郎くんがキモいとか悪いとかって言ってるわけじゃなくってさ? んっと、あのね? どう言ったらいいのかな、う~~~~……」
友人を傷つけてしまった、と思って弁解の言葉を必死に探し、みゃーはしどろもどろになって慌てている。
閃太郎はその様子を楽しみたいだけなのだ。
うん、確かにみゃーが焦ってる姿って、なんだかとっても可愛いんだよね。
微笑ましくて、まるで本物の猫を見てるみたいな感じだし。
そんな愛らしいみゃーに視線を向けながら、閃太郎は素早く席を立ち、そして――、
がばっ、と抱きついた。
「う? にゃ……にゃ~~~~~!? ななななな、なにしてんのよ~~~! こら放せ、離れろ、どっか行け、死ね~!」
暴れて必死に逃れようとするみゃーと、さほど苦もなく押さえ込んでいる閃太郎。
そんなふたりの絡み合いを、ぼくも月見里さんも微笑みを浮かべながら眺めている。
高校生の女子に男子がいきなり抱きつくなんて、普通ならちょっと問題があると思う。
実際ぼくが月見里さんに抱きついたりなんかしたら、女子全員が束になって責め立ててくることだろう。
ともあれ、相手がみゃーだとなんだか全然問題なく思えてしまう。そういう役どころ、とでも言えばいいのかな?
みゃーのほうも、嫌だ離せくっつくな暑い苦しい汗臭いバカたれ死ねてかこっちが死ぬ、などといろいろと喚いているにもかかわらず、微妙に楽しんでいるようにも見えるし。
……そう見えるだけで、本人は結構必死なんだろうな~とは思うけど。
どちらにしても、こんなじゃれ合いなんて、ぼくたちの中ではよくある日常の光景でしかなかった。
「ま、それはともかく……」
ひとしきり騒いだあと、場を取りまとめるように月見里さんが口を開き、
「実力テスト対策も兼ねて、放課後、図書室で勉強でもしない?」
と提案する。
なお、この人の場合、提案=強制だ。
穏やかな笑顔のままでありながら、絶対に自分の意見は押し通す。いくら抵抗したって無駄。
それがこのグループ内での月見里さんの立ち位置なのだ。
ぼくたちには、『うん、いいよ』と声を揃えて答えるしか、選択肢は残されていなかった。