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幼い頃は見るものすべてが珍しく、どんなことにでも興味を持ってしまうもの。
オカルトマニアは、る菜先輩や閃太郎の専売特許だけど。
馬鹿げた消したい過去だと思ってはいるのだけど、実はぼくとみゃーも、幼い頃に黒魔術の儀式なるものを試してみたことがある。
もちろん、本に書いてあったことを見よう見まねで試してみただけ。
しかも幼稚園くらいだったぼくたちには、正確に怪しい道具を揃えたり、正確な魔法陣を描いたり、正確に呪文を唱えたり、そんなことができるはずもなかった。
ただ、あれはなんだったのだろう?
今でも思い出すたび不思議に思う。
記憶は微妙にぼやけているから、詳細に思い出すことまではできないけど、不思議な体験だったという感覚だけは残っている。
黒魔術の本を持ってきて、
「こういうぎしきに、もってこいのばしょがあるのっ!」
と叫んだみゃーは、問答無用でぼくの腕を引っ張り、引きずるように連行した。
今と大して変わっていない感じではあるけど、嫌だな~と思っていた記憶はあるから、当時の内気な自分にダメ出ししたい気分だ。
もっとも、ぼくは今でもみゃーには逆らえないのだから、ダメ出しなんてする資格はないような気もする。
というか、今では逆らえない人が増えているのかも……。月見里さんとか、さらには、る菜先輩まで……。
……いけないいけない、思わず脱線してしまった。話をもとに戻そう。
ともかくその日、ぼくはみゃーに引っ張られて、とある空き地にやってきていた。
定かではないけど、確か月見里総合病院のすぐ隣だったと記憶している。
それからしばらくして、その空き地は立ち入り禁止になったはずだから、おそらく、今建っているマンションの建設予定地だったのではないかと思う。
このときはまだ空き地という認識だったことから考えると、簡単に入り込める状態だったのだろう。
そんな状態にあったわけだから、とくに危険な場所ではなかったはずだ。
にもかかわらず、ぼくは言いようのない不安めいたものを感じていた。
とはいえ、満面の笑みを浮かべて楽しんでいるみゃーに水を差すようなことなんて、できるはずもなく。
結局その不安は、心の中に押し留めるしかなかったのだけど。
ぼくの苦悩など知るよしもないみゃーは、空き地の中に入るなり、手ごろな木の棒を見つけて地面に大きく円を描き始めた。
そしてその円に、細かな模様を描き加えていく。
みゃーは片手に本を持ち、ときおり確認しながら徐々に模様を増やしていった。
その様子を、ぼくはただ黙って見守るしかなかった。
目的もなにも知らされていないぼくには、汗を浮かべて必死になにやら描いているみゃーを手伝うことすらできない。
だけど、みゃーが手にしている黒魔術の本に載っているのを、以前に見たことがあった。
この円は、魔法陣ってやつだ。
とすると、悪魔かなにかを呼び出したりするつもりだろうか?
みゃーから見せられていた本の種類が偏っているためか、思考の方向もいまいち偏ってしまっているようだった。
でも、魔法陣といったら、だいたいそういうものだろう。
怖さはあったけど、逃げるわけにもいかない。逃げたらみゃーに殺されかねないし。
みゃーはこんな幼い頃から、ぼくを怒鳴りつけるとき、今でも口癖のように使っている「死ね」という物騒な言葉を口走ることが多かった。
だからぼくは、みゃーに逆らえなくなってしまったのだろう。
しばらくすると、みゃーは不意に木の棒を放り投げ、ぼくに向かってこう言った。
「いーちゃん、じゅんびはいい?」
準備ってなにさ?
そう思わなくもなかったけど、みゃーに逆らえないぼくは、黙って頷き返すことしかできない。
辺りはすっかり薄暗くなっていた。
夕陽も沈み、夜が迫っている時間だ。
「よっし、それじゃあ、いっしょにこのまるのなかに、はいって~」
「……うん……」
薄暗くなって静けさが空き地を包み込んでいたからか、なんか怖いな、という思いはあったのだけど。
何度も言うように、みゃーに逆らうことなんて許されない。
ゆっくりと、ぼくは魔法陣に近づく。
「そんでね、こっちにもっと……ちがう、もっとこっち。ほら、くっついて。んで、ぎゅって……」
とかなんとか、言われるままに近寄ると、ぼくは両腕をみゃーの背中に回した。
視界いっぱいに、みゃーの顔が映り込む。
そのとき、みゃーはぼそぼそと、なにやら聞き取れない言葉を放った。
魔法の呪文とか、そういった類のものだろうか。
やがて、その呪文かなにかが止まった。
と思った瞬間――、
光が、溢れた。
「やった! せいこうだよ!」
みゃーが飛び跳ねて喜ぶ。まだ腕を回したままだったから、自然とぼくも一緒に飛び跳ねる。
光っているのは、目の前の空間だった。
空中に亀裂のようなものが走り、その亀裂の中からは激しい光が漏れてきている。
よく目を凝らして見てみると、どうやら亀裂の内部には、渦巻くような異様な空間が広がっているようだ。
「な……なに、これ?」
「ん~。さあ?」
ぼくの言葉に首をかしげるみゃー。
「みゃーも、よくわかんない。ほんにかいてあるもじ、むずかしくてよめないもん」
当たり前といえば当たり前だったかもしれない。
みゃーはただ本に載っていた魔法陣を真似て描いてみただけだったのだ。
……あれ? でもそうすると、さっきの呪文みたいなのは……?
不思議に思ってはいたけど、すぐにそんな疑問は吹き飛んでしまった。
亀裂の奥から、なにやら声が聞こえてきたからだ。
「なにここ? 光ってない?」
「面白そうじゃん、手、入れてみない?」
「やめようよ」
くぐもってはいるものの、それは女性の声のように思えた。
「なに言ってんの。こういうときは、ユイが突撃するに決まってるでしょ?」
「えっ? ちょっと、やだ、押さないでよ、マキ!」
「あははは、問答無用だ! ほら、トモコも手伝え」
「ラジャー! ユイ隊長、先頭を頼みます~!」
「やだってば、ちょっとやめ……、あ~、手が~!」
なぜかこのときの声だけは、鮮明に記憶に残っていた。
さらに、そんな声が響き渡ると同時に、空中に浮かんだ亀裂から、ぬっ……と、手のような影が伸びてきて……。
「きゃあっ!」
みゃーがぼくをドンと突き飛ばし、一目散に逃げ出す。
危険を感じたら、手近にある物体(つまりぼく)をおとりにして、自分だけ助かろうとする。
それがみゃーって女の子だ。
……ほんと、ひどいな……。
ともかく、みゃーが魔法陣から飛び出した途端、光は急激に収束を始めた。
そのまま亀裂は閉じ、すーっと暗くなっていく。
気づけば周囲の風景は、なにもない薄暗い空間が広がるだけの静かな空き地へと戻っていた。
逃げていたみゃーも、その変化に気づいて足を止めると、こちらに視線を戻す。
みゃーの目には涙がいっぱいに溜まり、今にもこぼれ落ちそうだった。
ぼくとみゃーはそのあと、ひと言も会話を交わさず、とぼとぼと家に帰った。
それ以降、みゃーは二度と黒魔術の儀式をやろうなんて言い出すことはなかった。