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「ねぇ、ひっどいと思わない!?」
「う~ん、でも、普通だと思うけどなぁ~」
「な~に言ってんの!? 絶対異常よ、異常!」
「そうかな~」
そんな怒鳴りつけるように言われても……。
だいたい、ぼくに言ったって仕方がないというのに。
若干の不条理さを感じながらも、適当に相づちを打つ。
こういう場合、少し落ち着くまで言いたい放題好き勝手にさせておくほうが得策だ。
長年で得た教訓。この子の扱い方。
ただ、そんな教訓が活かせないのが、ぼくってもので。
「どうでもいいけど、そんなに鼻の穴を膨らませて怒らなくてもいいんじゃない? ぶっさいくになってるよ?」
思わず言わなくてもいいことを口走ってしまう。
「ぬ……ぬわんですってぇ~~~!?」
怒鳴りつけられるだけなら、飛んでくるのは彼女のツバくらいで済んでいたというのに、今は胸倉をつかまれ、こぶしまでも飛んできそうな勢い。
というか右腕を高々と振りかぶっているわけだから、このままだと、飛んできそうな勢い、ではなく、確実に飛んでくるだろう。
そうだ、こういうときは。
「可愛い顔が台無しだよ? ってこと」
ピタッ。
高々と振り上げられ、今にも烈火のごとき勢いで繰り出されようとしていた固くグーに握られたこぶしが、一瞬でその動きを止める。
……どうでもいいけど、女の子が胸倉つかんでグーパンチしようとするなんて、やっぱりちょっと、どうかと思う。
その考えを、今度はどうにか口には出さず、胸の奥にしまい込む。
さすがのぼくでも学習能力はあるのだ。……ほんのわずかだけど。
「あ……あらやだ、いーちゃんったら、可愛いだなんて。もう、そんなホントのこと、わざわざ言わなくてもわかってるわよぉ~!」
赤らめた頬に両手を当てて、もじもじと体をくねらせたあと、彼女は右手でドンッとぼくの胸の辺りを叩く。
結局、叩かれたことに変わりはないけど、グーじゃなくてパーだったし、力の強さも圧倒的に違うから、まぁ、よしとしよう。
素直に喜んでくれている彼女を見て、ぼくも破顔する。
うん。単純な子で助かった。
☆☆☆☆☆
ぼくは霧清水維摘。私立楓坂学園に通う高校二年生だ。
自分ではごくごく普通の男子高校生だと思っている。
……そんなことを言ったら、たぶん隣を歩く女の子からは猛反論を食らうだろうけど。
で、ぼくの隣を歩いている、さっきからぎゃーぎゃーと騒がしく喚いている女の子は、幼馴染みの愛鳩実弥だ。
家が近くて小さい頃からずっと一緒にいるため、今でも「いーちゃん」「みゃー」と呼び合う仲。
幼稚園も小学校も中学校も、そして義務教育外の高校でも、こうして一緒。
高校進学のときも、「一緒に歩いて登校したいじゃん!」というみゃーのお願いを聞き入れ、徒歩で通えるこの楓坂学園を選んだ。
もっともそれは、お願いというより強制とか強要とか、もっと言えば恐喝とも取れるくらいだったわけで。
「みゃーが勉強教えてやるから、いーちゃんは死ぬ気で頑張れ! ってか死ね!」
死ね、は違うでしょ。
そうは思いつつも、グーでぽかぽか殴られながら死に物狂いで勉強して、どうにかこうにか、みゃーの願いを叶えることに成功した。
一応進学校と呼ばれているこの学園。とはいえ、ぎりぎり進学校と呼べるレベルだから、さほどランクが高いわけでもない。
単純に、もともとのぼくの学力が低水準すぎたってだけなのだけど。
「それはともかくさ、やっぱりひどくはないと思うよ?」
ぼくは話を戻す。
「え~? でもさ~、今どきの高校生だったら、ケータイなんて必須アイテムじゃん?」
「そう?」
「そうだよ~。それなのに買ってくれないなんて、信じらんない!」
「お小遣い……じゃ、無理か」
「当たり前よ。たとえ必死に貯金して買ったとしても、毎月の使用料を払えないわ!」
……どれだけ使うつもりなのさ。というのは心にしまっておく。
「ん~、だったらバイトすれば? うちの学校、べつに禁止されてなかったよね?」
「バカね、許してもらえるわけないじゃん! 学生の本分は勉強なのよ、なに言ってるのこの子は! ってな感じで怒鳴り散らされるに決まってるわ!」
「ん、まぁ、そうだよね」
みゃーのお母さんって、すごく真面目だからなぁ……。
だけど、お母さんの言うことをしっかりと守るみゃーも、意外と真面目なんだよね。
こんな喋り方でこんなを性格しているのに。
「あ~もう! どうしてケータイ買ってくんないのかな~! まったく、いつの時代の人間よって感じ! 昭和の人間だって、ケータイくらい持ってたでしょうに!」
「いや、昭和の時代じゃ、ケータイなんてまだ普及してなかったんじゃ……」
「え? そうなの? ん~、ま、関係ないわ! あ~もう、ケータイケータイちょーほし~! 神様プリーズみゃーのもとへ~~!」
なにやら頭の悪そうなことを叫ぶみゃー。
どうしてこんな子が、楓坂学園で学年トップの成績を修めているのか、はなはだ理解に苦しむ。
「まぁまぁ、抑えて抑えて。道往く人が見てるよ?」
「知るか! みゃーはみゃーの道を往く!」
「あはは、でも一緒にいるぼくの身にもなってほしいかも」
さすがに苦笑をこぼしながら、同時に文句の言葉もこぼす。
「うっさい! 文句あるっての!? ここに入院させたろか!」
ビシッとみゃーが指差す先には、月見里総合病院の大きな建物が空を覆い尽くすかのようにたたずんでいた。
この道に面している建物は、確か第一病棟だったかな。
朝日がまぶしすぎるからか、ほとんどすべての窓はカーテンが閉じられているようだ。
ただ一ヶ所だけ、カーテンが少し開いている窓を、ぼくはふと発見した。
なんとなく気にはなったけど、みゃーの大声がぼくの視線を彼女のほうへと引き戻す。
「そんなの嫌でしょ? みゃーだってそこまではしたくないの! だからいーちゃんは、みゃーの言葉に黙って頷いてればいいのよ!」
なんかひどい。とは思っても、もちろん直接の反論をぶつけたりはしない。
それでも不満はついつい口から飛び出してしまう。
「でもぼく、実際に入院させられたことがあるんだけど……」
みゃーと一緒に遊んでいる際、いつものように思いっきり引っぱたかれたり、場合によっては足が出たり、ときには遊びに使っていたおもちゃで殴られたり、そんなこんなでケガを負ってしまうことが多かった。
入院する事態にまで陥ったことも、過去に二回ほどあったのだ。
「あ……そんなこともあったっけ。てへっ☆」
「…………」
てへっ、じゃないでしょ! とゲンコツのひとつでもくれてやりたいところだけど、そんなことをしたら確実に百倍返しを食らってしまうだろう。
と、不意に学校のチャイム音が鳴り響いてきた。
それはホームルーム開始五分前に鳴る予鈴だった。
「あっ、予鈴だよ。急がないと!」
「そうね! いーちゃんのバカ話のせいで遅くなっちゃった!」
ぼくのせいかよ……。
文句は胸のうちに留め、みゃーの手を取る。
「あ……」
なんだかみゃーの顔が不意に真っ赤に染まったみたいだったけど、そんなことを気にしている場合じゃない。
ぼくはみゃーの手を強引に引っ張り、学校へと向けて走り始めた。