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【アップ✨】2026年10月4日主日公同礼拝/讃美歌とMynoteもあります☕️

初めまして、天川裕司です。

ここではシリーズでやってます『夢時代』と『思記』の原稿を投稿して居ります。

また、YouTubeドラマ用に仕上げたシナリオ等も別枠で投稿して行きます。

どうぞよろしくお願い致します。

少しでも楽しんで頂き、読んだ方の心の糧になれば幸いです。

サクッと読める幻想小説です(^^♪

お暇な時にでもぜひどうぞ♬


【アメーバブログ】

https://blog.ameba.jp/ucs/top.do


【男山教会ホームページ】

https://otokoyamakyoukai.jimdofree.com/


【YouTube】(ユメノ記)

https://www.youtube.com/@%E6%98%9F%E3%81%AE%E3%82%AB%E3%82%B1%E3%83%A9-v5x/videos


【ノート】

https://note.com/unique_panda3782



【YouTubeドラマにつきまして】

無課金でやっておりますので、これで精一杯…と言うところもあり、

お見苦しい点はすみません。 なので音声も無しです(BGMのみ)。

基本的に【ライトノベル感覚のイメージストーリー】です。

創造力・空想力・独創力を思いっきり働かせて見て頂けると嬉しいです(^^♪

出来れば心の声で聴いて頂けると幸いです♬

でもこの条件から出来るだけ面白く工夫してみようと思ってますので、

どうぞよろしくお願いします(^^♪



【本日のメッセージ】

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=mO-1_ds_hvw&ra=m


【ブログ】

https://ameblo.jp/yujiteiou/entry-12981293961.html

聖書と讃美歌も閲覧できます(^^♪お気軽にお立ち寄りください♪



聖書


『申命記』(第八章一〜一〇節)

『ペテロの第一の手紙』(第二章一〜一〇節)



讃美歌♫


讃美歌58番

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=-S37vnEeaX8&pp=ygUS6K6D576O5q2M77yV77yY55Wq&ra=m


讃美歌284番

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=TFIWwaptF6s&pp=ygUV6K6D576O5q2M77yS77yY77yU55Wq&ra=m



2026年10月4日 礼拝説教 聖書箇所


だから、悪意、偽り、偽善、ねたみ、悪口をみな捨て去って、生まれたばかりの乳飲み子のよう

に、混じりけのない霊の乳を慕い求めなさい。

ペトロの手紙一 2章1,2節


人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きることをあな

たに知らせるためであった。

申命記8章3節


はじめに

主の晩餐にあずかる今日、生けるキリストの霊による養いと成長をたしかに覚えたい。


1

《真実の愛に反することを捨てる》・・・理由もなく十字架に引き渡されたお方を見て

使徒ペトロは、先に「あなたがたは、真理を受け入れて、魂を清め、偽りのない兄弟愛を抱くよ

うになったのですから、清い心で深く愛し合いなさい」と命じた。愛において大切なことは、裏表

のない真実であること。その具体的なあり方は日常の言葉において求められる。「悪意、偽り、偽

善、ねたみ、悪口」は、他者のためにならず、かえって他者を貶(おとし)め、傷つけるもの。偽

善は本心を隠して表向きの善行を装う。しかしながら、主イエスは、そのような偽善を見抜かれて

いた。「この民は口先でわたしを敬うが、その心はわたしから遠く離れている。人間の戒めを教え

としておしえ、むなしくわたしをあがめている」(マルコ7章6,7節、イザヤ29章13節)と預言者イ

ザヤの言葉をもって、事柄の真実を明らかにされた。肉から完全に自由になることはできない。し

かし、わたしたちにとって大切な日常の言葉は、愛の言葉においてその証しが求められる。「人々

は理由もなく、わたしを憎んだ」(ヨハネ15章25節、詩編35編19節)と主イエスはご自身の十字架

に至る道における悪意には「理由がない」と証しされた。とすれば、最高法院の、ローマ総督の裁

きは何であったのか。推して知るべし。理由はあとづけであり、ピラトは自ら責任を放棄した。


2

《混じりけのない霊の乳を慕い求めよ》・・・罪のない神の小羊の中に清さを見て

愛に反する悪事は、良いものを生み出さない。わたしたちが求めるべきは、「混じりけのない、

純粋な霊の乳」。「生まれたばかりの乳飲み子のように」にとってそれは無心で求めるものである

ように、無垢な思いで御言葉を慕い求めるように命じられる。「これを飲んで成長するため」(救

いに入るは意訳)。霊によって新しく生まれた者は、自然に霊的に成長するのではなく、絶えず、

聖霊の働きの中で、御言葉を慕い求めなければならない。主イエスは、「ファリサイ派のパン種に

注意しなさい。それは偽善である」(ルカ22章1節)と言われた。「混じりけのない」ことは、そ

の後の成長の過程の中で明らかにされていく。たとえ、もっともらしい教えであっても、悪意や、

人の教えが混じれば、それは純粋な教えとは言えない。使徒パウロも、「いつも新しい練り粉のま

までいられるように、古いパン種をきれいに取り除きなさい。現に、あなたがたはパン種の入って

いない者なのです。キリストが、わたしたちの過越の小羊として屠られたからです。」(コリント

一5章7節)云々と命じた。それは、かつての罪にまみれた生活から、キリストの唯一完全な犠牲に

よって贖われた者であるなら、混じりけのない新しい練り粉をもって聖なる交わりに生きよ、と命

じるもの。聖餐式は、キリストの贖いのゆえに、聖なる交わりを共にする者たちの信仰をたしかに

するサクラメント(聖なる誓い)。


3

《主の慈しみをたしかに味わう》・・・十字架の「主」こそ、完全な愛と合致するお方

御言葉を味わうとは、「主」ご自身の「慈しみ」を心から受け入れること。ペトロは、それを

「主が恵み深い方(元の言葉は「合致する」の意味)だということを味わいました」と言う。苦い

食事もあれば、甘い食事もある。キリストの苦しみを知ることは、肉によれば、避けたい食事と言

える。しかし、わたしたちは、十字架の苦しみを恵みとして受け入れるとき、「主」が、その苦し

みにふさわしい方であったことをたしかに認める。これからも、味わっていく日常の中に招かれて

いる。洗礼と聖餐という二つのサクラメント(礼典)は、わたしたちに、聖霊の導きの中で、神を

知る、信仰の認識(良知)を励ます。キリストを告白するに至ることに合致する信仰を求めたい。

おわりに・荒野の旅路において、神からの「マナ」による養いは、民に御言葉によって生きる恵み

を覚えさせた。主イエスはこの御言葉によって悪魔の誘惑を退けた。主の言葉によって生きよう。


(My note)


二〇二六年一〇月四日(日曜日)、今日も兄弟姉妹共に礼拝を守れる事を神様に感謝する。

(子供メッセージ)

『スコットランド教会新カテキズム』

「私達の信仰はどの様な手段によって確かにされますか。」

「聖霊の働きの中で、御言葉に聞き、礼典(サクラメント)を正しく用いる事によってです。」

(※)スコットランド教会新カテキズム(一一五)、「主(しゅ)の晩餐について」〜サクラメントとは〜、それぞれを参照の事。

(公同礼拝)

『申命記』(第八章一〜一〇節)

『ペテロの第一の手紙』(第二章一〜一〇節)

『ペテロの第一の手紙』のこの箇所では、信仰の真髄、原点に就いて記されてある。

「だから、凡ゆる悪意、凡ゆる偽り、偽善、そねみ、一切の悪口(あっこう)を捨てて、今生まれたばかりの乳飲み子の様に、混じり気の無い霊の乳を慕い求めなさい。それによって生い育ち、救いに入る様になる為である。あなた方は、主が恵み深い方である事を、既に味わい知った筈である。主は、人には捨てられたが、神にとっては選ばれた尊い生ける石である。この主の身許に来て、あなた方も、それぞれ生ける石となって、霊の家に築き上げられ、聖なる祭司となって、イエス・キリストに依り、神に喜ばれる霊の生贄を、捧げなさい。聖書にこう書いてある、『見よ、私はシオンに、選ばれた尊い石、隅のかしら石を置く。それに依り頼む者は、決して、失望に終わる事が無い』。」『ペテロの第一の手紙』第二章一〜六節)

「この石は、依り頼んで居るあなた方には尊いものであるが、不信仰な人々には『家造り等の捨てた石で、隅のかしら石となったもの』、又『躓きの石、妨げの岩』である。しかし、彼等が躓くのは、御言葉に従わないからであって、彼等は、実は、そうなる様に定められて居たのである。しかし、あなた方は、選ばれた種族、祭司の国、聖なる国民、神に付ける民である。それによって、暗闇から驚くべき御光(みひかり)に招き入れて下さった方の御業(みわざ)を、あなた方が語り伝える為である。あなた方は、以前は神の民でなかったが、今は神の民であり、以前は、憐れみを受けた事の無い者であったが、今は、憐れみを受けた者となって居る。」(『ペテロの第一の手紙』第二章七〜一〇節)

イエス様は、当時のパリサイ派の人達、高位に就く信仰者、律法学者達から大いに妬まれ、その妬み、悪意、欲望、即ち、罪によって十字架に付けられた。イエス様が裁かれたピラトの下(もと)での裁判は、この「人々の妬み・罪」により行われたものに在り、イエス様を裁ける罪は無かった。実際にピラトもイエス様に罪を見出せず、許そうと努めた(『マタイによる福音書』第二七章一八節、『ヨハネによる福音書』第一九章一二節、『ルカによる福音書』第二三章二二節、『マルコによる福音書』第一五章一〇節等を参照)。

人々(罪人)がイエス様を罪に定め、十字架に付けて葬った理由は、全て己の罪人としての妬み・悪意・欲望すなわち罪であり、イエス様を裁判に掛けた理由は全て後付けである。その後付けの理由も、自分達の立場が危うくなるからで、また人々の注目・崇める心が自分達でなく、イエス様の方へ変わる事を恐れ、それを喰い止める為に計略を以てユダを買収し、過越しの時にサタンがそのユダに入り、ゲッセマネの園からピラトの下での裁判、そしてゴルゴダの丘への経過と結末とを、全ての人達は見知る事になった。これ等の事は全て神様の御計画の内に在り、この様にして、イエス様が十字架から全ての罪人の罪を贖う為に陰府(よみ)に下られ、三日目に死人の内より甦り、これに依り罪人がその罪から救われ、信仰に依り、天の御国へ入れる様に定められたのである。これ等の事は、神様がイエス様を通して、全ての人(罪人)に教えた確約である。「以前は神の民でなかったが、今は神の民であり、以前は、憐れみを受けた事の無い者であったが、今は、憐れみを受けた者となって居る」全ての人(罪人)が、この神様が確約した正しい信仰に依り救われる様に。正しい信仰に立ち返る事が出来る様に。


【日本キリスト改革派 男山教会】

https://otokoyamakyoukai.jimdofree.com/


【最寄りの教会検索用】

https://www.rcj.gr.jp/



Table Café~


榎本保郎牧師 ミニ説教10 「明日はどんな日か 私は知らない」

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=rJUFXbbJves


「悪者には心の痛みが多い。しかし、主に信頼する者には…」

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=Ga_fOD9y5SY&t=301s


【ハーベストタイム】

https://m.youtube.com/@HarvestTimeMin


ユメノ記

https://www.youtube.com/@%E3%83%A2%E3%83%8E%E3%83%A6%E3%83%A1-v5x/videos

(お暇な時にぜひどうぞ)

少しでも楽しんで頂き、読んだ方の心の糧になれば幸いです。

サクッと読める幻想小説です(^^♪

お暇な時にでもぜひどうぞ♬

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