表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

『怪異叛乱世界:神別執行断簡』

『澱みの街のハウンド・ドッグ』

作者: 飛田丸
掲載日:2026/01/14

 夜のコインパーキング、佐藤はピックアップトラックの運転席で、膝の上に置いたコンビニ弁当の蓋を開ける。太い指が割り箸を割り、冷めたハンバーグを口に運んだ。商社マン時代に接待で肥えた腹が、シートベルトに食い込んで微かに呻く。

「……バロン、そんな目で見るな。お前の分はさっきやっただろ」

 助手席で、ジャーマン・シェパードのバロンが黄金色の瞳で佐藤を凝視していた。警察犬の試験で「猛襲の制止不能」という烙印を押され不合格となり、今は俺の相棒になっている。

 その時、ダッシュボードに据え付けられたスマートフォンが、耳を刺すような高音を奏でた。アプリ「八咫烏」の緊急通知だ。

『緊急:特定怪異駆除。〇〇市三丁目住宅街。丙級発生。』

 佐藤は間を置かずに「受領」のアイコンをタップした。早い者勝ちだ。迷えば他のハンターが掠め取り、その間に被害が広がる。

 佐藤は弁当の蓋を閉め、レジ袋に押し込む。代わりにグローブボックスから一欠片の干し肉を取り出し、半分に割って自分の口へ、もう半分をバロンの口へ放り込んだ。集中力を高めるための、一人と一頭の儀式だ。

「仕事だぞ。……住宅街だ。今日は『長い方』は留守番だ」

 佐藤は後部座席に鎮座する、厳重な結界ケースを撫でた。中には460ウェザビーマグナム・マークⅤが眠っている。一発で象をも倒すその破壊力は、密集した住宅地では「凶器」以外の何物でもない。流れ弾一発で人生が、あるいは他人の命が終わる。

 トラックを走らせて数分。現場に近づくにつれ、闇を裂いて鳴り響く音が聞こえてきた。

 カン、カン、カン、と甲高い金属音。

 寺の重厚な鐘ではない。火の見やぐらに吊るされた、地域が危機を知らせる「半鐘」の音だ。かつては火災を知らせたその乾いた音が、今は「人ならざるもの」の出現を住民に警告している。

 現場の路地には既にパトカーの赤色灯が回っていたが、警官たちは盾を構えて立ち往生していた。

「おい、ハンターか! 中に子供が一人取り残されている。だが銃は使うなよ! 跳弾で隣の家がハチの巣になる!」

 若い警官の声に、佐藤は空調服のスイッチを「強」にして応えた。

「分かってるよ。素人と一緒にするな」

 佐藤はトラックの荷台から、一本の重厚な大型鎌鉈と、鈍く光る投げナイフを数本ベルトに差し込んだ。そして、腰のポーチから「聖別塩散布弾」が二発あることを手探りで確認する。

「バロン、捜索。……殺してもいいが、食うなよ」

 佐藤の低い声に従い、バロンが低く唸る。警察を追われた狂犬と、社会から弾かれた元サラリーマン。二人の「仕事」が、半鐘の鳴り響く闇の中へと踏み出していった。

 玄関を跨ぐと、家の空気は不自然に冷え切っていた。

 佐藤は左手のフラッシュライトを点した。鋭い光の柱が、廊下の壁を舐める。壁紙はぐっしょりと濡れ、黒いカビのような模様が急速に広がっていた。

「……バロン、前へ」

 佐藤の短い促しに、バロンは鼻にシワを寄せ、家の中を先行する。二階へ続く階段見つけると、顔を上へと見上げた。バロンの尾に緊張が張り詰め、喉の奥で微かな震動が鳴っている。怪異がどこにいるか、相棒の鼻が告げていた。

 階段を一段ずつ進む、佐藤の体重に合わせて古い木材が軋む。その音が、上から響く「ピチャリ」という水の音に掻き消された。

 踊り場に、それはいた。

 人一人を包み込めるほどの大きさがある、黒い水の塊。それが不規則に脈打ち、苦悶する顔のような凹凸を表面に浮かび上がらせている。

 佐藤は即座に腰のポーチから円筒形のデバイス―聖別塩散布弾―を引き抜いた。

「バロン、アフッ!」

 佐藤の声と同時にデバイスを投げつける。スプリングが弾ける音とともに、室内に高純度の塩が爆発するように撒き散らされた。

 怪異が、声にならない悲鳴を上げてのたうち回る。塩が触れた端から、黒い水が蒸発し、嫌な臭いのする白煙が上がった。

「バロン、アタック!」

 佐藤の号令で、バロンが宙を舞った。バロンの牙が怪異の中央にある、硬質化した「核」を捉える。

 佐藤は鎌鉈を握り直した。

 バロンが怪異を壁際へ押さえつけ、怪異の動きを止めた。そのわずかな隙に佐藤は全力で鎌鉈を怪異の「核」へ叩き込んだ。

 鎌鉈が核を砕いた瞬間、嫌な手応えと共に黒い水飛沫が弾けた。怪異は形を保てなくなり、断末魔のような音を上げて霧散していく。

 佐藤は荒い息を吐きながら、鎌鉈を下げた。踊り場には、ただ黒い染みが残っているだけだ。

「バロン、待てっ」

 短い指示で、昂るバロンをその場に待機させる。佐藤は二階の奥へ続く廊下へ向けて、フラッシュライトの鋭い光を飛ばした。

「……警察だ! 誰かいるか! 終わったぞ!」

 佐藤はあえて「ハンターだ」とは言わなかった。恐怖の最中にいる者には、公的な響きの方が薬になる。

 一拍置いて、奥の部屋のドアがわずかに開く音がした。小さな泣き声と、安堵の混じった物音が聞こえる。佐藤はそれで十分だった。助けに行って穢れを移す必要はない。

 階段を降りると、一階の玄関で盾を構えていた若い警官たちが、強張った顔で佐藤を見上げた。

「怪異は二階の踊り場で片付けた。子供は奥の部屋だ。……あとはあんたらで確認しろ。俺は穢がついている。近づくなよ」

 警官たちが慌てて二階へ駆け上がっていくのを背に、佐藤は家を出た。

 門の外では、神祇省の役人がタブレットを手に待っていた。佐藤は無言で首に掛けたボディカメラを操作し、データを転送する。

「……確認しました。丙級、駆除完了。お疲れ様です、佐藤さん」

 役人の淡々とした言葉に応じることもなく、佐藤は役人の差し出した端末に指で電子サインを済ませた。

 ピックアップトラックの荷台に戻ると、佐藤はまず、ご神水の入ったスプレーをバロンに吹き付け穢れを落とす。次に鎌鉈に吹き付けた。

「……酷いな。明日は朝から砥石を当てなきゃならん」

 ウェスで入念に刀身を拭き上げる。商社マン時代、ゴルフバッグを磨いていた頃より、今のこの時間の方がよほど性に合っていると佐藤は思った。

 ご神水で体を拭いているとスマホが短い通知音を鳴らす。報酬確定の通知だ。

 額面を確認し、頭の中で素早く計算を弾く。今回使った聖別塩散布弾の補充費用、ガソリン代、そしてなにより、今日一番の功労者であるバロンへの「上等な肉」の代金。

「……フン。サラリーマン時代の残業代よりはマシか」

 佐藤は自嘲気味に笑い、運転席に戻った。

 食べかけのコンビニ弁当の固くなったハンバーグを最後の一口として口に放り込み、助手席でこちらを見つめるバロンの頭を一度だけ、乱暴に撫でた。

「帰るぞ、バロン。明日は肉だ」

 ピックアップトラックのエンジンが重厚な音を立てて始動する。佐藤は夜の住宅街を後にし、次の現場を待つ「澱みの街」の闇へと車を滑り込ませた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ