5 井戸の中
三角屋根の家々が連なる路地の先に、かつて村人が共同で使用した古い井戸があった。
現在は新しい井戸が作られたために使われなくなった古井戸には、青々としたつたが絡んでいた。
その古井戸の中から発見されたのは、口の裂かれた女性の遺体だった。
見開かれた黒い瞳は光を失っていた。
遺体の近くに立つスタンフォード警部補は振り返って問う。
「カメリア嬢、こちらの女性の顔に見覚えは。」
「昨日2時に私の屋敷にきた女性で間違いありませんわ。」
「そうですか。
こちらの遺体はバスカビル家の女中アンネであると確認が取れています。
やはりバスカビル子爵夫人になりすましたのはアンネだったのですね。」
バスカビル子爵夫人を語り事件を錯乱させた黒い瞳の女は、何も語らないまま狂犬の牙にかけられてしまった。
「遺体が発見されたのは今日午後3時ごろ。
発見したのはこの路地の近隣に住む男性です。
散歩中、山高帽を被った男が大きなズダ袋をこの古井戸に捨てるのを目撃し、不審に思い袋を取り出し中を確認したところ遺体が入っていたと証言しています。
遺体を捨てた男は行方がわからなくなっており、山高帽と襟の高いロングコートで顔がよく見えなかったと語っています。」
「アンネは、狂犬に協力してバスカビル子爵夫人になりすましたのち、口封じのため狂犬に殺されたのでしょうか。」
私の発言に、スタンフォード警部補は「我々もそのように考えています。」と同意する。
「山高帽の男が一連の事件の犯人、狂犬であるとみて捜索をしています。」
3人の犠牲者のうち、2人がバスカビル家の関係者だ。
当然、ヒューゴ・フォン・バスカビルに疑いの目が向けられた。
しかし行方不明だった彼は意外な場所で目撃されたのだった。
私とカメリアがその情報を知り得たのは、アンネの遺体を調べていたスタンフォード警部補の元に部下が報告に来たときだった。
「スタンフォード警部補、今連絡が入りました。
ヒューゴ・フォン・バスカビルが見つかったそうです。」
「奴は何処にいた。」
「それが…王都で発見されたのです。」
王都まで、この村からは汽車でも2時間かかる。
山高帽の男が遺体を捨てたのが今日午後3時、今から1時間前だ。
ヒューゴが今王都にいるのならば、1時間前にアンネの遺体を遺棄したのは別人ということになる。
さらに調査が進み、ヒューゴは一週間前から王都の宿に滞在していたことが判明した。
宿の従業員はヒューゴ・フォン・バスカビルという青い目をした頬に傷のある男が部屋を借りていることを証言したのだ。
狂犬による連続殺人が行われたとき、ヒューゴは村にいなかったことが証言されたのだ。
ヒューゴの居所を聞いた後、カメリアはアンネの遺体が捨てられた井戸を見つめていた。
少しの沈黙の後、カメリアは「ヒルダ。」と私を呼んだ。
「あの黒い瞳の女性は私に、夫を見つけ出すことと、狂犬の正体を明らかにすることを依頼しましたわね。
彼女の狙いがなんであれ、私は依頼をお引き受けしました。
お約束はきちんと果たさなくては。
私が狂犬に首輪をつけて差し上げますわ。」
こちらを振り返り、「手を貸してくれますか、ヒルダ。」と聞かれた私は「もちろんでございます、カメリア様。」と頭をたれた。
カメリアと私は事件の調査を続けるため、屋敷には戻らず村に残ることにした。
村の小さなコテージを手配し、今夜はそこで宿泊することにした。
緑豊かな森の景色が望めることを売りにしたコテージは平家で、寝室は森側と路地側のふた部屋あった。
森側の寝室をカメリアが、もう一つの窓が路地に面した寝室を私が使った。
その日は風もなく、ごく静かな夜だった。
異変が起きたのは真夜中だ。
ちかちかと光がさすのを感じて目が覚めた。
見れば、窓の向こうでゆらゆらと光が揺れている。
路地から誰かが灯りをこちらに向かって振っているのだろうか。
私はカーテンを開け、外を除いた。
「こんばんわ、お嬢さん。」
「うわぁ!」
思わず声を上げた。
窓のすぐ近くに、口の裂けた男の顔が蝋燭に照らされて闇の中から浮かび上がっていたのだ。




