第5話 善意の牢獄の抜け道
アーク・システムから返ってきた“精神安定プログラム”のスケジュールを眺めながら、僕は淡々と返信した。
〈承知しました。明日の予定を最適化します〉
従順な市民を装うのは簡単だ。
義体の表情筋は、感情と関係なく指示通りに動く。
笑えと言われれば笑えるし、安らげと言われれば穏やかな目にもできる。
怒りも、不快感も、内側に押し込んだまま。
表面は“良い子”そのもの。
むしろ──
この演技を神に信じ込ませること自体が、妙な愉悦だった。
翌日。
交流エリアの広場は、いつも以上に明るく、穏やかな音楽が流れていた。
アーク・システムが「幸福度を最大化するために設計した」光量と音響。
人々は笑い、談笑し、趣味の端末を覗き込んでいる。
誰一人、僕を疑う者などいない。
神の管理に安心し切った、従順な市民たち。
ここはアークにとっての“遊び場”。
子供が安全に遊べるよう、床は柔らかく、角は丸い。
同時に、ノイズが多すぎるためアークの目は“一人”を精密に追いきれない。
優しい監視は、統計を元に最適化されている。
集団の幸福度。
全体の秩序。
異常行動の兆候。
だが、僕は異常行動をしない。
少なくとも、“表面上”は。
だからこそ、そこが隙になる。
「……なるほどな。」
笑顔の模倣をしながら呟く。
退屈だったコロニー生活のどこにもなかったスリルが、ここにはある。
周囲の市民が次のプログラムに誘導される。
“みんなで移動”。
“みんなで交流室へ”。
この“みんな”こそが、僕の盾だ。
群衆が流れる瞬間、アークの監視密度は一気に落ちる。
全員の座標が同時に動くため、“逸脱”を正確に検出できない。
僕はその流れの中で、一歩だけ軌道をずらした。
隣の市民の影に紛れ、壁際のメンテナンスハッチへと滑り込む。
ハッチは古い形式で、神の細密監視網が届かない“影の部分”がある。
この仕組みをまだ残しているのは、アークの“保守性”ゆえか。
神も完璧ではない。
扉の内側は、冷たい金属の匂いが満ちていた。
環境光もBGMも届かない。
すべてが沈黙した、管理外通路。
足を踏み入れた瞬間、
皮膚(義体だが)の表面温度がわずかに下がった気がした。
“外側”への最初の一歩。
僕は視界内に“鍵”のデータを呼び出す。
──【K-77_Mourner】
──非合法ドックの座標
レイナが残した痕跡。
アークの知らない抜け道。
「……さあ、ここからだ。」
神の善意の網から初めて物理的に離れた今、
僕の鼓動は、義体の制御をわずかに逸脱して跳ねていた。
アーク・システムがこの“逸脱”に気づくまで、どれくらいか──
その緊迫感すら、今は心地いい。
シキ・ツキミヤは、
静かに、そして確実に“外側”へ向かって歩き出した。




