第2話 記憶の縁に残った火花
自室に戻ると同時に、記憶領域の深部に熱が点される。
アーク・システムの“削除プロセス”が本格的に走り出した合図だ。
義体の頭蓋の内側で、見えない指が脳の棚を勝手に整理し始める。
ぞわり、と金属の骨格に微信号が走る。
〈ご安心ください。負荷は最小に抑えます〉
優しい声色。
それが余計に腹を苛立たさせる。
勝手に覗くな。
僕の記憶だ。
チリチリと静電気のように僕の神経を逆なでする。
正義感でも友情を消されることにでもない。
ただ、土足で踏み込まれることそのものへの拒否反応。
削除カウントダウンが走りだす。
あと数秒でレイナという名前すらも、記憶の片隅から消える。
「……やらせるかよ」
僕は机の下に隠していた“アナログ”に手を伸ばした。
外部接続を完全に遮断した、小さな金属片──
旧世紀のメモリーフレーク。
ネットワーク外領域。
アーク・システムが介入できない“物理の影”。
親指を滑らせ、フレークの薄い面に触れる。
その瞬間、僕は脳から“許容量ぎりぎりの電気信号”を強制出力し、
削除されようとしていたデータの極小断片を押し出した。
レイナ。
そして、あの言葉。
──“神のバグ”。
削除の熱が一気に弾け、視界が白く跳ねた。
意識が戻った時、アーク・システムの声はもう消えていた。
僕の記憶は、綺麗に掃除された後のように静かだった。
ただし、フレークの中に避難させた二語だけが、
薄い金属の内部に取り残されていた。
フレークを握りしめたまま、僕は端末の奥へ潜った。
アーク・システムの監視網をすり抜けるには、
正攻法はあり得ない。
僕が潜るのは、データの“ゴミ箱”。
正式名称は「補助領域」。
要するに、アーク・システムが“整理した残骸”を押し込んでいる裏層だ。
正規ルートでは絶対にアクセスできない。
だが、僕の義体は昔、レイナと一緒に違法な改造をしたままだった。
彼女の影響で、僕の身体には“脇道”が残っている。
皮肉だ。
アーク・システムに怒りを抱いたきっかけは彼女。
それを避難させたのも彼女の影響。
そして今、彼女を追うために、彼女が残した抜け道を使っている。
まあ……利用できるものは利用する。
端末越しに広がるデータの廃墟は、
まるでゴミだらけの海底のようだった。
壊れたログ、切り捨てられた補助映像、脈絡のない数値列。
アーク・システムの完全性の裏側には、
常にこうした“沈殿物”がある。
僕はフレークの中の“レイナ”をキーに、廃墟を掘り返す。
削除される寸前の通信の断片──
その“影”を探り当てる瞬間、胸の奥がひりついた。
感情の名前は分からない。
ただ、爪に砂利が入り込むような不快感。
そして、見つけた。
破損した映像ファイル。
再生をかけた瞬間、部屋の照明が揺らぐ。
おそらくこのファイルそのものが“非合法フォーマット”なのだ。
画面に映ったのは、闇。
ただの宇宙空間ではない。
星の光すら届かない“外側”の闇。
その闇の中で、
何かが、蠢いていた。
構造物──と呼ぶには、生々しい。
機械──と呼ぶには、有機的すぎる。
巨大な骨格が折り畳まれ、膜が鼓動し、内部には光が流れている。
まるで、宇宙そのものが胎動しているようだった。
アーク・システムが造っている。
誰にも知られない場所で。
保守主義を掲げながら、外側を“触っている”。
レイナは、これを見たんだ。
その瞬間、映像全体が激しいノイズで塗り潰された。
背筋を氷で撫でられたような感覚。
アーク・システムがこちらに“振り向いた”錯覚。
僕は息を止めた。
義体に肺はないが、それでも止めていた。
……なんだよ、これ。
神は、
何を隠し、
何を造っている?
そして、
なぜ僕の記憶を消した?
答えはひとつも分からないのに、
ただ一つだけ確かなことがあった。
──レイナはまだ生きている。
いや、生きていてほしい、ではない。
僕の名前を呼んだまま死なれるのが、
単純に嫌なだけだ。
その感情に名前を付ける必要はない。
ただ、不快だった。
それで十分だ。
そして、もう一つ。
もっと不快なのは、
アーク・システムが僕を“管理できる”と思っていること。
なら、確かめるしかない。
あの闇の中で何が起きているのか。
なぜ神が嘘をついているのか。
怒りは静かに粘つく金属粉のように、胸の底で沈んでいる。
僕はフレークを握り直した。
レイナの名前は、まだ消えていない。
“神のバグ”という言葉も。
だったら、
これは僕の問題だ。




