録音してるだろ?
とあるオフィスにて――。
「だからさあ、わかんねえことあったら聞きに来いよ!」
思わず耳を塞ぎたくなるほどの低く太い声が室内を震わせる。課長に呼び出された部下は、うつむいたまま「はい……はい……」と力のない返事を繰り返していた。
「もう何度も言わせるなよ。遠慮なんか……」
はたと課長の声が止まった。唐突な沈黙に、叱られていた部下が顔を上げる。周囲の同僚たちも異変を察し、そっと様子をうかがう。課長は部下をじっと見据え、低く言った。
「お前……今日、なんか変だな」
「はい?」
「どっか具合悪いのか?」
「いえ、別に普通ですけど……」
「そうか……。まあいい、もう戻っていいぞ」
「はい……いいえ」
「ん?」
「どうぞ続けてください」
「は? 続けるって……説教を?」
課長が声を潜めて訊ねると、部下は真剣な眼差しでこくりと頷いた。
「いや、続けるって……ほら、もういいから戻れよ」
「いえいえ、いい説教ですから。ぜひ続けてください」
「お前、何言ってんだ? やっぱりどっか変じゃないか?」
「い、いや、ど、どこも変じゃないですよ」
「なんか落ち着きないし、何か隠して――」
「いいから、もっと僕を怒って!」
「はあ!?」
「いつもみたいに、さあどうぞ!」
「いや、どうぞじゃねえよ。どうしたんだお前……」
「そうそう、その低くてドスの利いた声で、さあ、もっと!」
「いや、お前……」課長は一度息を呑み、目を見開いた。
「……録音してるだろ」
「はい?」
「録音して、おれをパワハラで告発するつもりなんだろ!」
課長は椅子を蹴るようにして立ち上がり、ずいと部下に迫った。
「そ、そんなことあるわけないじゃないですか!」
「ほんとだな……?」
「はい……だから、どうぞ怒鳴って! ほら!」
「いや、絶対録音してるだろ! ちょっとポケットの中を見せろ! あんだろ、ボイスレコーダー!」
「あっ、あっ、セクハラだ!」
「うるせえよ!」
「あ、いいよ! そういうの、もっとちょうだい! いつものあれは!? “馬鹿野郎”って!」
「そんなの言ってねえだろうが! あっ、いや、言ってませんからね!」
「いつもの感じでガンガン来ましょうよ! 来い! 来いよ!」
「だからパワハラなんてしてねえ、いや、してませんからね! ははは、どうもこんにちは!」
「どうしちゃったのお! いつもは、そんな高い声じゃないでしょう! さあさあ、いつも通りに! あの脅すような感じで!」
「だ、だから、地声が低いだけだし、言葉遣いもこんな感じなんだよ! おれは頑固オヤジなんだよ!」
「頑固オヤジを自称するやつは、ろくでもない!」
「うるせえな! お前、いい加減出せ!」
「あっ、あっ、あっ」
課長が部下のズボンのポケットに手を伸ばした、その瞬間だった。
「パンッ!」
乾いた破裂音が響き、部下の手からクラッカーが飛び出した。課長が思わずのけぞると、「パン!」「パン!」「パン!」と次々に炸裂し、オフィス全体にこだました。
「課長! 誕生日おめでとうございます!」
「おめでとうございます!」
「おめでとうございます!」
「た、誕生日……?」
拍手が巻き起こる中、廊下からケーキが運ばれてきた。部下はにっこりと笑みを浮かべ、言った。
「サプライズです! すみません……本当は叱られ終わったタイミングで、僕が合図のクラッカーを鳴らすはずだったんですけど……でも課長が鋭くて、違和感を持たれちゃって……。それで、なんとかごまかして元の状態に戻そうと思って、つい……」
照れくさそうに頭を掻きながら、部下は一礼した。課長は目を瞬かせ、困惑の色を滲ませていたが、やがて口元がほころんだ。
「……じゃ、じゃあ、おれをパワハラで告発しようとか考えてたわけじゃないんだな」
「当然じゃないですか! 僕、物覚えが悪くていつも怒られてばかりですけど、課長が思いやりのある人だって、ちゃんとわかってますから!」
「そうそう。口は悪いけど、よくよく聞けば優しいこと言ってんだよな」
「まあ、お前は叱られすぎだけどな」
「はははは!」
笑いが弾け、オフィスの空気が柔らかくほどけていく。課長もようやく肩の力を抜き、照れくさそうに笑った。
「ははは! まったくよお、お前は!」
「あはは! すみません、課長。ははは!」
「はははは、お前は、この、この!」
「あははは!」
「ははは! このやろっ!」
「うっ!」
「えっ」
「お、おい、大丈夫か?」
「殴った……よね?」
「顎に入ったぞ」
「立てるか……?」
「課長、これって……」
「パワハラ……」「パワハラ……」「パワハラ……」「パワハラ……」




