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静かな平和に乾杯

よろしくお願いします。

 翌日から、王都には奇妙な空気が漂い始めた。


 表向きは、「魔王の呪いで勇者が死んだ」という話が広まっていた。

 しかし、誰もがそれを額面通りには受け取らなかった。


「おかしいと思わないか?」


 市場で、人々がひそひそと話していた。


「祝宴で、突然って……」

「しかも見た?、あの時の上の人たちの様子……」

「準備ができていたような」


 噂は、静かに広がっていく。


「もしかして」

「いや、まさか」

「でも、確かに勇者様は恐ろしかった」


 誰も、はっきりとは言わない。

 しかし、皆が同じことを考えていた。


 我々が恐れたから。

 我々が拒絶したから。

 だから、上の人たちが……。


 罪悪感が、人々の心を蝕んでいく。子供たちは、もう勇者ごっこをしなくなった。


 酒場では、男たちが杯を前に沈黙していた。


「なあ……」


 一人が口を開いた。


「俺たち、間違ってたのかな」

「何が?」

「英雄を望んだこと」


 重い沈黙が流れた。


「でも、魔王は確かに脅威だった」

「そうだ、誰かが倒さなければ……」

「でも、その誰かは……」


 言葉が途切れた。


 その「誰か」は、ただの青年だった。

 ただの田舎のパン屋の息子だった。

 聖剣になんて選ばれなければ、近所の宿の幼馴染と結婚して平和な人生を歩んでいたであろうただの青年。

 

 そしてそれは、人間の祈りや希望が作り上げた怪物になった。


「俺の息子と同い年だった」

 

 誰かが呟いた。

 

「十八歳で旅立って、二十一でって……人生これからだったろうに」


 


 アルトの埋葬は、ひっそりと行われた。

 

 王都の外れ、風の通り道となる丘の上。

 小さな墓石が建てられた。


『世界を救った英雄、ここに眠る』


 簡素な墓碑銘。

 本当は、もっと書きたいことがあった。

 しかし、何を書けばいいのか。


「世界を救い、世界に殺された英雄」

 

 そんな真実は、書けなかった。


 墓石職人は、震える手で文字を刻んだ。

 本当は『ごめんなさい』と刻みたかった。


 埋葬に立ち会ったのは、家族と、ごく少数の者だけ。

 アルトの父親は、息子の墓前でパンを供えた。


「お前の好きだった……。ごめんな、作り方も教えてやれなくて……」


 声が詰まった。


 母親は、ただ泣いていた。

 息子の名を呼びながら。


 リナは、小さな花を供えた。


「お兄ちゃん……」


 まだ、兄の死を受け入れられていない。


 王は、遠くから見守っていた。

 近づく資格はないと思っていたからだ。


 ガレスが、王の横に立った。

 

「陛下……」

「言うな。分かっている」

 

 二人は、ただ墓を見つめていた。


 風が吹いた。

 まるで、誰かの魂を運ぶかのように。


 ――――


 国境近くの、小さな酒場。


「勇者が死んだってよ」


 旅の商人が、新しい噂を持ち込んだ。


「ああ、魔王の呪いで、な」


 皮肉な口調で、誰かが答えた。


「本当に呪いだったのか?」

「さあな……」


 男たちは、顔を見合わせた。


 真実は、もう公然の秘密となっていた。

 証拠はない。

 しかし、皆が知っている。


 勇者は、殺されたのだと。

 そして、その責任は全員にあると。


「正直……」


 一人が口を開いた。


「ほっとした」


 重い沈黙の後、別の者も頷いた。


「俺もだ」

「最後の方は、魔王より恐ろしかった」


 しかし、その安堵の裏には、深い罪悪感があった。

 誰かが、静かに杯を掲げた。


「勇者を殺してくれた者に、乾杯を」


 異様な言葉に、皆が顔をしかめた。


「なんだそれは」

「彼を……苦しみから解放してくれた者への、乾杯さ」


 その目に、深い悲しみが宿っていた。


「そして、俺たち全員への乾杯でもある」

「どういう意味だ?」

「俺たちが彼を作った。俺たちが彼を壊した。そして、俺たちが――彼を殺した」


 その言葉が、真実を突いていた。

 一人、また一人と、杯が掲げられていく。


「勇者の……安らぎに」

「もう、戦わなくていい彼に」


 最後に、酒場の主人が新しい杯を酒場に旅の商人に差し出した。


「あんたも、乾杯するか?」


 旅の商人は、じっと杯を見つめた。

 その瞳に映る自分の顔は、深い罪悪感に歪んでいた。


 彼もまた、あの夜、会場にいた一人だった。

 彼もまた、悪を滅ぼせと叫んだ一人だった。

 彼もまた、勇者を恐れた一人だった。


「ああ……乾杯しよう」


 震える手で、杯を受け取る。


「平和に……いや」


 旅人は首を振った。


「我々の罪に」


 杯が重なるたび、静かな音が酒場に響いた。

 それは祝福の鐘ではなく、罪と後悔を告げる弔鐘だった。


 王都のあちこちで、同じような乾杯が行われていた。

 誰も祝っていない。

 ただ、罪を分かち合っていた。

 読んでくださりありがとうございます。

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