第十話『束の間の休息』
ブラック・ネブラの深部、濃厚なガス雲の中で、スカベンジャーは慎重に静止状態に入った。外の光はほとんど届かず、窓の外には漆黒の闇だけが広がっている。
船内は静かで、ようやく訪れた束の間の休息に、緊張していた空気も少しずつ和らぎ始めていた。
「ひとまずここなら安全だな」
ディランが座席に深く座り込んで息を吐いた。彼の表情には長時間にわたる緊張と疲労が滲んでいる。
「ああ、マーカスが味方でよかった。こんな偶然、二度とはないだろうけどな」
ルカは操縦席に座り、星間調停機構から送られてくる情報を慎重に確認していた。安全保障局の艦隊はすでに動き出しているが、連邦軍と企業との交渉は難航しているという。
「まだしばらくは動けそうにないな」
「だが、焦って動けば追い詰められるだけだ。今は待つしかない」
カイルが冷静に付け加えると、アイラも頷いた。
「その通りね。ここで少しでも休んでおきましょう。みんな疲れ切っているわ」
ルカは肩をすくめて苦笑した。
「確かに、こんなに逃げ回る羽目になるとは思っていなかった。俺たちも休息が必要だ」
* * *
船内の簡易食堂エリアで、ルカは椅子に深く腰を下ろし、コーヒーを啜っていた。香り高い飲み物が、張り詰めていた神経をようやく落ち着かせる。
「いい香りだな」
ディランが向かいの椅子に座りながら呟いた。
「ああ。コーヒーくらいは贅沢させてもらわないとな」
「そうだな。それにしても、昔からお前とはこういう厄介ごとばかりだな」
「嫌ならいつでも降りていいんだぜ?」
ルカが軽く冗談を言うと、ディランは笑いながら肩をすくめた。
「残念だが、お前を放っておけない性分らしい。最後まで付き合うさ」
そのやり取りを横で聞いていたアイラが微笑んだ。
「あなたたち、本当に昔からの仲間って感じがするわね」
「そうでもないぜ。昔はもっとお互いに警戒していた。今も完全に信用してるわけじゃない」
「俺も同感だ」
ディランが皮肉げに返すと、船内が笑い声で包まれた。
* * *
その後、ルカは船内の個室で横になり、短い休息を取ろうとしていた。目を閉じると、すぐに過去の記憶が蘇ってきた。
燃える宇宙ステーション、仲間たちの叫び声、逃げ惑う人々――その中で自分だけが生き延びた、苦々しい記憶。
ルカは苦痛に顔を歪めながらも、必死に記憶を振り払おうとした。
その時、個室のドアが軽くノックされ、アイラが顔を覗かせた。
「大丈夫?」
「ああ……問題ない。ただ、昔のことを思い出しただけだ」
「辛い過去なのね」
「そうだな。でも今は過去よりも、未来のほうが心配だ」
「あなたらしい答えね」
アイラは静かに笑うと、少し躊躇った後で口を開いた。
「ありがとう」
「何が?」
「あなたがいてくれてよかった。正直、ずっと一人で抱えるには重すぎる問題だったから」
「感謝されるようなことは何もしてないぜ。俺だって逃げてるだけだ」
「それでもよ。あなたは何度も私を助けてくれた」
「偶然だ。深い意味はない」
ルカはぶっきらぼうに答えたが、その表情には微かな照れが見え隠れしていた。
* * *
数時間後、船内の通信端末が小さく鳴った。星間調停機構のクレイン調停官からだった。
『ルカ、状況が少しずつ動き出しています。安全保障局が軍内部の協力者を確保しました。もうすぐ証拠の公開が可能になるでしょう』
「本当か?」
『ええ。ですが、公開前に連邦軍が最後の抵抗をする可能性があります。油断はしないでください』
「分かった。こちらも準備しておく」
『それでは、また連絡します』
通信を終えると、ルカは仲間たちを呼び集めて状況を伝えた。
「いよいよ最後の局面だな。もうすぐ証拠が公開される」
ディランが力強く頷くと、カイルも安堵の息を吐いた。
「これでやっと終わりが見えてきたか」
「まだ油断はできないけど、確かに状況は好転しているわね」
アイラの言葉に、ルカも微かに微笑んだ。
「だが、連邦軍やマクスウェルが簡単に諦めるとは思えない。最後まで気を抜くなよ」
仲間たちが静かに頷く中、フィズが淡々と補足した。
『最悪の場合、また逃げる準備も必要だな』
「お前は本当に楽観的だな、フィズ」
『事実を述べただけだ』
全員が笑い声を漏らしながらも、船内に再び静かな緊張感が戻った。
ブラック・ネブラの深い闇の中で、スカベンジャーの乗組員たちは最後の戦いを迎える準備を整え始めた。長い逃亡の末、ようやく掴みかけている希望を手放すわけにはいかなかった。
(第二章『錆びついた記憶の鎖』完)
これにて第二章終了となります。
第三章は、来週頭より再開予定です。
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