第一話『ネオン・ハーバーの退屈な一日』
小惑星帯に隣接する星域の片隅に、巨大な鋼鉄のリングが浮かんでいる。それがこの宙域唯一の宇宙ステーション『ネオン・ハーバー』だ。
星間企業の華やかな広告やネオンサインに覆われたステーション内部には、所狭しと雑多な商店や飲食店が軒を連ね、あらゆる人種が入り乱れ、猥雑な空気を放っていた。宇宙の辺境とはいえ、常に何かしらのトラブルが持ち込まれる騒がしい街だ。
そのネオン・ハーバーの中心からやや外れた一角。騒がしい歓楽街から距離を取った場所に、小さな酒場『ブラックホール』があった。薄暗く、いかにも場末といった雰囲気を漂わせる店で、ろくな客は集まらない。
この日も店内は閑散としており、中央のカウンターには、だらしなく肘をついてグラスを傾ける男の姿があった。
ルカ・ヴァレンタイン。宇宙の漂流物を漁るジャンク屋にして、金さえ積まれれば危険な任務でもこなす傭兵。29歳という若さに似合わず、眼差しはどこかくたびれていた。ボサボサの黒髪に無精ひげ、いつ洗濯したのかも分からないジャケット。整った顔立ちをしているのに、生活の荒れがそれを台無しにしていた。
「フィズ、もう一杯頼む」
ルカは空のグラスを振り、気怠い声で背後に言った。
「人を雑用係みたいに使わないでほしいんだが?」
不満げな声が返ってくる。彼の背後にいたのは人間ではなく、球形の浮遊ドロイドだった。小型ながら高性能なセンサーを搭載し、船内業務を手伝ったり、状況把握をしたりと万能な相棒だ。
ルカはドロイドに目も向けず、面倒くさそうに手をひらひら振った。
「頼むよ。どうせ暇だろ」
「暇だな。ここ数日、まともな依頼が来ていない。そろそろ貯蓄も心許ないぞ」
フィズはルカの言葉を受け入れつつも、軽くぼやきながらカウンターの奥に向かった。店主がいない時、こうしてドロイドが勝手に酒を運ぶのは、この店の常連たちの間では暗黙の了解となっていた。
やがて新しいグラスがルカの前に置かれる。琥珀色の安酒を口に含み、ため息を漏らした。
「まったく、退屈で仕方ないぜ。こう暇だと、金もだけど腕が鈍りそうだ」
「君は暇なら寝て過ごすタイプだろう?」
「お前、いちいち痛いところを突くのやめろよな」
ルカは皮肉を込めて笑ったが、その目に生気はなかった。
ネオン・ハーバーに流れ着いてもう五年。ジャンク漁り、運送、修理、傭兵稼業と、金になることなら何でもやってきた。腕は立つから仕事に困ることはないが、この街は気まぐれだ。依頼が途絶えることもよくある。
「せめて、ちょっとくらい面白い事件でも起きねぇかな」
ルカが呟いた直後だった。酒場の入口が軽い音を立てて開き、意外な客が現れたのは。
「事件……ってほど大げさではないですが、お仕事なら持ってきましたよ」
凛とした、それでいて柔らかな女性の声だった。ルカがカウンターからゆっくり視線を上げると、そこに立っていたのは驚くほど美しい女性だった。
艶やかな栗色の髪を肩のあたりで揺らし、落ち着いた淡いブルーのコートを羽織っている。整った顔立ちに浮かんだ微笑は、どこか謎めいていた。
ルカはグラスを持ったまま、不躾に視線を送った。
「誰だ?」
「あら、女性に対してそれが第一声ですか?」
女性は軽やかに微笑む。彼女の目線がフィズに向かうと、フィズはすぐに対応を始めた。
「失礼。ご用件をお聞きしましょうか?」
「よかった、話が早くて助かるわ。私の名前はアイラ。あなたがルカ・ヴァレンタインさんね?」
アイラと名乗った女性は、ためらいなくルカの前に歩み寄ると、隣の席に腰掛けた。ほんのりと漂う香水が、無骨な店内には不釣り合いだった。
ルカは肩をすくめた。
「ああ。何の用だ? 見ての通り暇してるから、依頼なら歓迎するぜ」
「助かるわ。実は乗っていた船が故障してしまって、積荷もろとも漂流しているの」
「漂流ね……」
よくある話だが、わざわざこんな場末の酒場まで本人が足を運ぶことは珍しい。普通はもっとマシな業者に連絡を入れるものだ。ルカはわずかに目を細める。
「どこで?」
「クロノス-7という廃棄されたコロニーの付近。星域的に厄介な場所だから、皆さん尻込みしてしまって」
「クロノス-7……ね」
ルカは口の中で地名を転がした。彼にとって馴染み深い場所ではないが、名は知っている。荒れ果てた宙域で、違法業者や宇宙海賊が集まる場所として知られていた。
「確かに、わざわざそこまで出向く奴は少ないな。で、積荷は?」
ルカが問うと、アイラは意味ありげに微笑んだ。
「ただの貨物よ。少しばかり価値のある物資だけど」
その言葉にルカは肩をすくめた。フィズが小声で囁く。
「怪しいな」
「ああ、分かってる。だが金になりゃいいさ」
ルカはアイラのほうに向き直り、笑った。
「いいぜ。だが、少々割増料金になるぜ?」
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