第60話 目覚めしモノ
突然、人様の敷地に踏み込んで来た大司教の言葉に、マディスの教会関係者への殺意が最高潮に達し、呪剣がカタカタと震えはじめた。マディスは、呪剣の異変に気づき必死で殺意を抑えた。大魔道の指摘もあったが、嫌な予感がしたのだ。何かとてつもなく恐ろしいことが、起きてしまうのではないかと危惧した。
マディスの態度を勘違いしたのか、ガリアン大司教は余裕そうに問いかける。
「どうやら観念したようだな。おとなしく投降せよ。奥方は悪いようにはせぬ。大聖堂にて日々過ごせば、きっと姫の呪いも解けよう」
「お黙りなさい!」
ガリアン大司教の身勝手な言い分に、ララが激怒した。ドリスが無言で扇子を差し出し、ララが受け取る。二人の呼吸はピッタリだ。ララは立ち上がると、優雅に扇子を構えながら、生まれながらに持つ王者の貫禄を存分に発揮し、ガリアン大司教の無法を糾弾し始めた。
「妾を、ラウレンティア・ゾム・ラディアと知っての狼藉か! 教皇猊下の勅命と言ったが、その証拠がどこにある! 証を立てて見よ! 恐れ多くも教皇猊下がこのような無法を許すものか! どうせそなたの独断であろう! そちはラディア王家と冒険者ギルドを敵に回すと、そう申すのだな!」
「あ、貴女は既に王家を追放された身! ラディア王家と敵対するつもりなど毛頭無い!」
その回答を聞いたララは、ほほほ、と扇子で口元を隠しながら嘲笑した。
「いかにも、妾は叔父である国王の一声で追放された身、なれど斯様なことは叔父上が一言取り消すとさえ言えばどうとでもなる。大司教ともあろうものが、その程度の建前が分からぬとは愚かなこと。……付き合わされた兵たちも哀れなものよ。上司の暴走に突き合わされ、かような暴挙に加担せざるを得ないとは。仮に我が夫を討ち取ったとしても、教皇猊下よりお叱りを受けることは免れぬ。破門も覚悟せねばならんな」
それを聞いた周囲の兵達はざわつき始め、不安そうだ。ララの大喝が功を奏し、戦意が衰え始めたようだ。マディスはこの隙をついて、ララだけでも逃がせないか、周囲の様子を伺う。
「だ、黙れ! 夫が夫なら、妻も妻だ! この呪われし夫婦め! 者ども! この女の、魔女の言葉に惑わされるでない! 今ここで呪剣士を討たねば、世界は破滅するであろう! 呪剣士! 貴様は絶対に逃さぬ! 神の奇跡を見よ!」
ガリアン大司教は、魔力を集中し始め、ぶつぶつと聖言を唱え始めた。聖言とは要するに呪文のことだ。教会関係者は神聖魔法を唱えるのに使う呪文のことを聖言と呼ぶ。本質的には呪文と大差ない。
「おお、神よ! 悪しき者どもより、この地を守り給え! 聖域!」
ガリアン司教が魔法を放つと、マディス邸を光りの膜が覆いつくした。最高位の防御魔法、『聖域』だ。広範囲を結界で守護する魔法だが、今回はマディスを封じ込めるのに使ったようだ。ガリアン大司教は考え方は偏っているがその実力は本物だ。ガリアン大司教はそのまま両手を上げ、結界を維持している。
その時、騒ぎを聞きつけ、ティアンナとグレイ、そしてマディスパーティーの一同、さらには領主であるグトランス卿まで衛兵と共に駆けつけた。
「これはどういうことです! いかに大司教閣下といえど、我が領内での斯様な無法! 許されることではないぞ!」
街の中で刃傷沙汰どころか、戦争をし始める勢いの教会勢に激怒するグトランス卿。それに追従する冒険者幹部一同。
「大司教閣下、領主殿の言う通り、このような無法が通ると思いますか? 今ならまだ閣下おひとりの責ですみましょう。おとなしく投降なさい」
「ティアンナ……情けをかけることないぜ。このクソ坊主どもが、冒険者を舐めるなよ。お前ら全員死ね!」
一同の中で最も血の気の多いグレイが、バスタードソードで結界を斬りつけた。しかしビクともしない。
「無駄だ! 神の奇跡の前には、冒険者の剣など通用せぬ! そこで正義が執行されるのを大人しく見ておれ!」
ガリアン大司教は、方々からの抗議にも耳を傾けず、マディス討伐に異常なまでに執着していた。何が彼をここまで駆り立てるのか、一同には全く理解できなかった。
「ダメです! 聖域はあらゆる攻撃から身を守る最高の防御魔法! 術者の魔力切れを待つしかありません!」
ラタンが解説するが、みな大人しく待ってなど居られない。人垣が邪魔で中の様子がわからないため、冒険者達は城壁に移動することにした。マディス邸は城壁に近く、そこから中の様子が伺えた。グトランス卿は正面で待機を続けた。
一行が城壁に辿り着くと、屋敷の中庭が一望できた。やはりマディス夫妻とドリスが包囲されている。教会の手勢は優に百を超えている。囲まれた状況ではマディスといえど危うい。
「マディス君! とにかく時間を稼いでください! いずれ大司教の魔力が尽きれば、結界は消えます!」
「その時が貴方たちの最後よ! 雷に打たれて死になさい!」
ラタンが助言し、ティアンナが魔力を集中し始めた。グレイも結界が消えれば飛び込むつもりなのか、無言で屈伸を始めた。これにガリアン大司教が焦ったか、遂に攻撃命令を発した。
「皆の者! とにかく呪剣士を討て! 魔女は生かして捕らえよ! けっして殺してはならぬぞ!」
「この痴れ者めが! 貴方! ドリス! 構わないから殺っておしまいなさい!」
いよいよ覚悟を決め、攻撃に移る教会兵達に、マディス家の女主人が扇子を振り下ろして迎撃命令を発した。後方の兵士がララを捕らえようと襲い掛かるが、ドリスが迎え撃った。
ドリスは手の甲から、長い爪のようなものを突然生やし、敵兵を切り裂いた。さらに肘からも刃が生え、肉薄してきた敵を斬る。ドリスは一旦爪を格納し、怖じ気ついた敵兵の集団に飛び込み、逆立ちの姿勢から、足を開脚して回転させ、敵を薙ぎ払った。
よく見れば踵からやはり刃が飛び出しており、逆立ちしたままで動き回り、次々と敵は倒れていった。ドリスの体にはまだまだ秘密が一杯だ。
このドリスの活躍に、城壁の冒険者達は喝采を上げた。ララはドリスに任せれば安心だ、とマディス自身は正面の敵に集中することにした。どうやら自分の方に精鋭を集めているらしく、いずれも大兜を被った重装備の兵士達だった。
マディスはいまだ震えが止まらぬ呪剣を警戒し、吸血剣で対応することにした。この剣ならば、疲れ知らずで戦闘できる。マディスは襲い掛かる重装兵たちを冷静にいなしながら、鎧の隙間を吸血剣で刺した。
この時、マディスは違和感を覚えた。いつもなら体力を吸収した感じがするのだが、今回はそれが無い。疑問に思いながら戦い続けると、その答えをガリアン大司教が教えてくれた。
「無駄だ呪剣士! お前のその剣のことは調査済みだ! 我が兵達はいずれも神のご加護によって守られておる。その剣の呪力は通用せんぞ!」
マディスがよく見ると、大司教の側に控える司教と思しき一団が、なにやら呪文のようなものを唱え続けていた。マディスは彼らが防御魔法の類で吸血剣の力から身を守っているのだと理解した。これにマディスは舌打ちし、やはり教会と自分の相性は最悪だ、と心中で毒づいた。
マディスはひたすら敵を倒し続けるが、数が多く、また後方の司祭や神官たちが回復魔法で兵を癒してしまうため、キリが無かった。ドリスは大丈夫そうだが、自分は疲労が蓄積し始め、このままではマズイとマディスは危機感を覚えた。
やはり呪剣で確実に殺すしかないかとマディスが悩み始めた頃、マディスの疲労を見抜いたか、ガリアン大司教が新手を繰り出してきた。
「見よ、呪剣士が弱り始めている! 装甲兵、一気に勝負をつけるのだ!」
すると、奥から全身を分厚い鎧に包んだ兵が三人現われた。手には斧槍を持っている。鎧には隙間が無く、鈍重そうだが吸血剣では歯が立ちそうにない。マディスはベンチに置いてあった双刃剣を構えた。
三人の装甲兵が斧槍で攻撃を繰り出してきた。マディスは意を決して、相刃剣を振るった。剣の威力は凄まじく、さしもの装甲兵達も鎧ごと、無残に切り裂かれた。そして反動がマディスを襲った。
「ぐは!」
マディスの体に大きな傷ができた。マディスは苦しみながらも素早くポーションを立て続けに二本飲み、傷を癒した。幸いダメージは回復できたが、体が血に濡れて不快だった。
マディスは吸血剣を自分の鎧下に差し、その血を吸わせた。血は残さず剣に吸い取られ、快適になった。更にわずかだが体力を回復できたようだ。自分の流した血からどうやって体力を吸い取っているのか疑問だが、今のマディスには都合がよかった。
「じ、自分の血を吸い取り、回復したのか……?」
「な、なんと悍ましい……」
「やはり、呪剣士は悪魔の手先だ! 打ち取らねば世界が破滅する!」
このマディスの行動に、教会の者どもは、恐れと嫌悪感を抱き口々に非難した。危機は乗り越えたが、敵の戦意が上がってしまった。マディスもこのままでは持たないと悲壮感を漂わせ始めた。
「お師匠! このままではマディスが! まだ大司教の魔力は切れないのですか!」
「ウーム。マズいですな。聖域は消費魔力が大きく、そう長いこと使えるものではないのですが。ガリアン大司教の魔力が思った以上に大きいのか?」
「わわ! よく見て! 周囲の連中が大司教に魔力を送ってるよ! あれじゃそう簡単には魔力切れにならないよ!」
「こういう時だけずいぶん手際がいいのね。あの生臭坊主ども」
フェリスが悲鳴を上げ、ラタンが首を傾げる中、マギーがからくりに気づいた。エミリーは毒づいて教会への嫌悪を示した。テオは狼狽えるばかりで声も上げられない。
マディスがいよいよ呪剣を解き放つことを決心しかけた時、教会側は遂に奥の手を出してきた。
「こうなれば、切り札を出すのみよ! ラファエル、お前の出番だ! 聖剣にて呪剣士を討ち取るのだ!」
そう大司教が叫ぶと、かつてマディスと決闘をしたラファエルが奥から姿を見せた。その手には立派な大剣を持っている。
「マディス! 久しぶりだな! 今日こそ君を倒し、君の悍ましい呪いを断ち切って見せる! 見たまえ、これこそが『栄光の剣』! この聖剣でその呪剣ごと叩き切ってくれる!」
高らかに宣言しながら、ラファエルが聖剣を掲げた。以前ラファエルが自分の剣を聖剣と称したが、あれはただの自称だ。この剣こそ、教会の誇る正真正銘の聖剣であった。剣には十字のような柄があしらわれ、中央には美しい青い宝玉が飾られている。どこかララの首飾りの宝石と似ていた。
「いけません! マディス君! その聖剣の力は本物です! まともに食らえば鎧やミスリルチェインごと容易に断ち切られてしまうでしょう! とにかく逃げ回ってください!」
「クソ! せめて俺の盾をあいつに渡せれば!」
ラタンが聖剣を警戒するように叫んだ。グレイは自分の盾であれば聖剣に対抗できると悔しそうだ。
マディスは聖剣を見て、何か不吉な予感に囚われた。何故かは分からないが、呪剣を使うとマズイ気がしたのだ。ラファエルやラタンの言う通り、あの剣の聖なる力で呪剣が破壊される恐れがあるせいだろうか、と心の中で考え込む。
「さあ! これで君もこれまでだ! 受けよ我が聖剣を!」
「クソ! 借り物の聖剣で調子に乗るなよ!」
ラファエルが自慢げに聖剣を振りかぶり、思わず悪態を返すマディス。ラファエルの動きは素早く、ラタンの言うように逃げることはできない。止む無く双刃剣で迎え撃つ。
一気に片をつけるべく双刃剣を一閃するが、聖剣は双刃剣の威力をモノともせず、剣がぶつかり合った瞬間、マディスは吹き飛ばされてララの足元に転がった。双刃剣はポッキリと折れてしまった。
「マディ!」
「大丈夫! 怪我は無いから心配しないで!」
心配するララを不安がらせまいと、慌てて立ち上がるマディス。怪我が無いのは事実だが、後が無かった。マディスはここにきて、ようやく呪剣を抜き両手で構えた。先ほどからずっと恐ろしい予感が続いているが止むを得なかった。
両手で聖剣を構えるラファエルと相対するマディス。みな息を飲み、固唾を飲んで戦いを見守っている。だがその沈黙を、見知らぬ男の大声が切り裂いた。
「やめよ! 双方とも剣を引け!」
城壁をドカドカと大慌てで走る大男がいた。その装いはラファエルと同じで、聖堂騎士のようだ。ただ豪奢な赤いマントを羽織り、ずいぶんと高位の騎士に見えた。立派な髭を蓄えた禿頭の男で、人の良さそうな顔つきだが顔面に大きな傷があり、歴戦の武人らしい風格だ。
「ディーン団長!」
「ラファエル! 勝手に聖剣を持ち出しおって! 許されると思っているのか!」
「は? 私はガリアン大司教より聖剣の解放を許可されたと聞きましたが……」
「ガリアン! やはり貴様の仕業か! この不始末どう責任を取るつもりだ!」
「ディーン団長! 聖剣の解放は御前会議で決まったこと! 咎められる謂われはない!」
「詭弁を申すな! たしかに聖剣の使用は許可されたが、貴様にそれを使う資格などない! そもそも呪剣士を討つなど御前会議で決まっておらぬ! まずはロドックに我々聖堂騎士団を駐屯させ、様子を見る手筈だったはず! それが聖剣を勝手に持ち出した挙句、ラディアに着けば、聖堂は空で、兵達を連れロドックに向かったと。貴様の暴走は明らかで、大魔道殿に頼み込み、転送装置で私だけここに来れたわ!」
「そうだよ! この糞坊主が! うちの若いもんに手を出したからには死を覚悟しな!」
ディーン団長に続いて大魔道がふわふわ空中から下りてきた。王都でディーン団長の話を聞き、大慌てで転送装置を充填し、ここまで来たのだ。魔力を貴重なマナポーションをがぶ飲みして何とか持たせたせいか、流石の彼女も疲れているようだ。
ガリアン大司教はやはりララの指摘した通り、独断で兵を動かしていていたようだ。教会兵達が困惑するなか、ガリアン大司教が吠えた。
「甘い! 甘すぎるのだ! 教皇猊下は! 神託が世界の破滅を予言した今、一刻を争うのだ! 静観する余地は無い! 今ここで呪剣士を討たねば、必ず危機が訪れる! それが何故分からぬ!」
「貴様と問答するつもりはない! 申し開きは審判の場でするのだな! とにかく兵達は武器を捨てよ! 悪いようにはせぬ!」
ディーン団長の投降命令に、兵たちは戦意を無くし、みな武器を捨て始めた。しかしガリアン大司教とラファエルだけは従わなかった。
「団長! 申し訳ありません! これは男と男の勝負なのです! お咎めは後でいくらでも! この勝負だけはこのラファエル! 最後までやり遂げます!」
「この馬鹿者が! そんな低次元の話ではない! 世界の存亡に関わるのだ!」
ラファエルは団長の制止を無視し、マディスに斬りかかった。マディスは止む無く、呪剣で先ほどと同じように聖剣を迎え撃った。
そして、呪剣と聖剣が交差し、鍔迫り合いの形となった瞬間、呪剣と聖剣が輝きだし、まばゆい光りと衝撃波が生じた。ラファエルとマディスは互いに吹き飛ばされ、尻もちをついた。
光りが晴れた瞬間、みな、マディスに注目した。いや正確に言えば呪剣にだ。
「あ、あなた、剣が、剣の錆が!」
「こ、これは!」
ララが指摘し、マディスが呪剣を見て驚く。剣を覆っていた錆がすっかり取れ、呪剣は本来の姿を取り戻していた。真っ黒な直剣で、錆びに覆われ気付かなかったが、柄の中央には赤い宝玉が埋め込まれていた。大きさは違うが、どことなく聖剣に似ていた。その呪剣を見たディーン団長が大声で叫んだ。
「あ、あれは! もしや『災厄の剣』では! 何ということだ! 神託の聖と邪が交わる時とはこれを示していたのか!」
「あんた! 知っているのかい! あの剣を!」
「……大魔道殿と有ろうお方がご存じないので? かつて存在したと伝わる伝説の呪われし古代遺物ですぞ! 聖剣と対を成し、強大な力を与える代わりに、災厄を齎し、持ち主を破滅させるという……まさか呪剣士の手に渡っていたとは」
「クソ! ヴェルザリスの言っていたのはこれのことか! あんたらどうするんだい! この始末!」
ディーン団長が呪剣の正体を見抜き、大魔道が癇癪を起こし始めた。周囲の人間は何か恐ろしいことが起きてしまったと硬直している。ただ、ラファエルだけは空気を読まずに己を貫き通した。
「マディス! 正体を現したな! 我が聖剣によって、その剣ごと貴様を断つ! 覚悟しろ!」
「そんなこと言っている場合か! 話を聞いていなかったのか!」
ラファエルが周囲の状況を無視して斬りかかった。マディスもいよいよ怒りが頂点に達し、思い切り呪剣を振るった。先程の双刃剣とは逆に、呪剣は聖剣を弾き飛ばし、今度はラファエルが吹き飛んだ。
ラファエルは聖剣を手放してしまい、聖剣は空中でくるくると回転しながら、倒れ込んだラファエルを目掛け落下し、彼の心臓を貫いて静止した。ラファエルは一瞬呻いたがすぐに絶命した。
聖剣の宝玉が一瞬だけキラリと光り、その後は沈黙した。聖剣は伝承の通り、試練を乗り越えなかった者に死を齎した。マディスは聖剣の謂れを知らなかったが、この美しい剣が、何か悍ましいモノに見えた。
かつてのダグド同様に、聖剣が墓標のようにラファエルの胸に聳えていた。
そして、マディスの脳内に忌まわしくも懐かしい声が聞こえてきたのだ。
『……久しいなマディス……またお前と話せて嬉しいよ……』
明日、最終話とエピローグを投稿します。




