第52話 奇跡
王宮から姫を抱きかかえて出てきたマディスだが、今後どうすればいいのか途方に暮れていた。姫と結婚(正確には結婚式前なので婚約だが)したのは良いが、どう二人で生活したものかと。ドリスは黙って後ろに控えていた。
報奨金を貰ってお金は山ほどあるので、ずっと姫の面倒を見ていても暮らしていけるが、マディスも既に上級冒険者としての自覚がある。力のある自分が安穏と暮らすわけにはいかないと考えていた。
立ち尽くすマディスだったが、すぐに、フェリス達が追いかけて来てくれた。彼らは改めて、二人を祝福してくれたが、ひとまず、エミリーの提案で王都でも随一のホテルに宿泊することにした。流石にもうギルドの客間で生活する訳にもいかない。
馬車に乗り込み、エミリーの案内でホテルに向かった。なお、全員は乗れないので、マディス夫妻とドリス、女性陣の三人だけだ。ラタンとテオとは王宮前で別れた。
道中女性陣はいつ、マディスと姫が結婚の約束を取り付けたのか、疑問に思っていたが、姫に遠慮しこの場では聞かなかった。マギーは聞きたくて仕方が無い様子だったが、エミリーが抑えた。そのエミリーがマディスに言い含めた。
「追放されたといっても、元はお姫様なんだから、ケチらずに一番良い部屋を取るのよ。お金はあるんだから、姫や王様に恥をかかせてはダメよ」
そう言われ、ホテルに着いてから、皆と別れたマディスは一番良い部屋を取った。マディスからすると、目が飛び出るような金額だったが、エミリーの言う通りケチる訳にはいかない。報奨金が恐ろしく高額だったので、財政的には問題なかった。後にエミリーが、恐らく姫の支度料込みでの金額なのだろうと教えてくれた。
ともかく、その日はマディスも精神的に疲れ切っていたので、そのまま姫と二人で部屋にいることにした。幸いドリスがいるので、姫のお世話係に丁度良かった。何しろ、姫は盲目なので一人では何もできない。ドリスは生活家事全般を一通りこなせる様なので、お世話係として打って付けであった。
マディスはひとまず鎧を脱ぎ、落ち着いた後は姫が自身のことを知りたがったので、ずっとこれまでの話を聞かせていた。貧しい農民の生まれで、家族に疎外されていたこと、家から追い出されたこと、冒険者になり死にかけたが、呪剣を手に入れここまで生き延びたことをだ。
姫はマディスの実家でのつらい生活を聞くと、一緒に悲しんでくれたが、彼が家から追い出されたと聞き
「まあ、では私達は似た者夫婦ですわね。私も今日家から追い出されたましたもの」
と何故か喜んだ。そんな姫に慰められ、マディスはやはり諦めずに生きていて良かったと思った。自分もそして姫もだ。
なお、マディスが姫と呼ぶと「名前を呼んでくださいまし!」と姫が怒るので、ラウレンティアと呼ぼうとしたが、舌が回らずうまく言えなかった。それを見た姫が微笑みながら
「ではララと呼んでくださいませ。私も貴方様をマディとお呼びしますわ」
そう言ってくれたので、以後はララ、マディと呼び合うことになった。夜になり、夕食は部屋に運ばせて済ませた。ここでもドリスはララの食事を補助し、二人を助けた。もはやマディスにとって、いや夫婦にとってドリスは掛け替えのない存在となった。
やがて夜も更け、寝る時間となった。まだ結婚式前とはいえ、実質夫婦であるのに変わりはないので、二人でベッドを共にした。マディスはフェリスから婚前交渉などもってのほか、と馬車の中で耳打ちされていたので、何もしなかった。ララはマディスの腕にしがみつき、すやすや寝てしまっているが、マディスは気が高ぶって眠れなかった。
マディスはこれまで不自然な程に、異性に興味を持たなかったが、過去の呪縛から解き放たれ、ようやく男子として健全な状態、はっきり言えば性欲に目覚めていた。若い男子が、美しい女性と寝室を共にすれば普通は爆発してしまう。
しかし、フェリスからきつく言い含められていたのと、そもそもやり方がよく分からないなどの理由から、マディスは一晩中悶々としながらも耐え続けた。必死に自身からほどばしりそうになる何かを押さえ込んで眠れぬ夜を過ごしたのだ。ドリスは部屋の隅で控えて警備していた。
ようやく朝が来て、食事をとり、身支度を済ませ部屋を後にした。姫はそのまま部屋に残り、ドリスは世話と護衛の為に残った。マディスはドリスにララの護衛と世話が自分の命より優先されると言い含めておいたので、これ以後ドリスの優先順位は常にララになった。
結局一睡も出来なかったマディスが、目を真っ赤にしたままフロントに向かうと、何か勘違いをしたフロント係が「昨日はお楽しみでしたね」等とふざけたことを言うものだから、おもわず吸血剣を首に突きつけてしまった。
支配人が慌てて飛んできたので事情を話すと、「確かにフロント係の非礼極まりない冗談であった」と謝罪してくれた。フロント係は土下座して命だけはお助けを、と泣き叫んだ。マディスは彼を無視して、今後のことを相談しにギルドへ向かった。
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マディスはギルドに着くと、幹部一同と今後について話し合った。まずはいつまでもホテル暮らしというのも不経済なので、なるべく早く家を借り、そこに家財一式を運び込むことを言われた。家財といってもマディスの呪いコレクションぐらいしかないのだが。なお後に王宮から姫の私物という名目で、ドレスや家財道具、調度品の類が大量に届けられた。
大魔道からは、特に王都にこだわる理由がなければ、ロドック辺りに腰を落ち着けてはどうかと提案された。表向きの理由は、教会との軋轢や貴族の多い王都では姫を利用しようとする輩が出ないとも限らないというものだ。
だが大魔道の真意は、万が一、何か呪剣が暴走するような事が起きた場合に備えて、王都から距離を取らせると言うものだった。冷酷な判断だが、最悪の場合はロドックは切り捨てるしかない。大魔道としては、ヴェルザリスの最後の言葉を無視する訳にもいかなかった。
幸いマディスはこの提案を前向きに受け取った。またラファエルのような男が現われないとも限らず、貴族の少ないロドックであれば、ララを悪く言うものも少ないだろうとの判断だ。とにかく今は家を借りて、ララの生活基盤を整えるのが最優先となった。
そして、学者であり資産家でもあるエミリーの実家の紹介で、ギルドに近い大きな屋敷を借りることになった。そこが二人の当面の新居となった。
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家を借り、家財道具を搬入して、少し経ったある日、マディスはドリスと一緒にコレクションの整理をしていた。ドリスは人形のためか、呪いの装備を手に取っても呪われることはなく、なんと呪剣すら持ち運びが可能であった。
呪いの装備には触っただけで、呪われる類のものが含まれていたので、他人に触らせるわけにもいかず、管理に苦労していた。だが、これからはドリスに任せられるので安心できた。
なお、ヴェルザリスが持ち込んだ皆殺しの剣はマディスの所有物となっていた。マディスの見立てでは、大司教ですらこの剣は解呪できないと感じたからだ。ギルド幹部一同も同意した。
皆殺しの剣には、底知れぬ呪いが秘められていた。幸い、力を解放しなければ、呪いは発動しないようで、現状では見た目が恐ろしいだけの凡百の剣に過ぎなかった。
ともかく、部屋の一室を呪いの装備のコレクションルームにすべく、整理を続けるマディスとドリスだった。
同じころ、姫はマディスパーティーの女性陣と居間で談笑していた。マディスはなるべくララの話し相手になってくれるように、フェリス達にお願いしていた。ドリスは言葉を話さないので、話し相手にもならず、また城に居たときのように本の読み聞かせもできない。
勿論女性陣は、みな快く引き受けてくれた。ここ最近は毎日、これまでのマディスの冒険を姫に聞かせていた。マギーもマディスとの馴れ初めをララに聞きたがったので丁度良かった。
居間から聞こえてくる女性たちの談笑を聞きながら、マディスは複雑な思いを抱えていた。彼はララを深く愛していたが、それだけに彼女が不憫でならなかったのだ。盲目ではほとんど何もできず、いつまでもフェリスたちを拘束する訳にもいかなかった。
いずれドリス以外に女中を雇うにしても、自身で何もできないというのは、つらいだろうと思っていたのだ。
マディスは医学の知識も無く、回復魔法のことも分からないが、過去に王宮でできることは全て試したのだと聞いていたので、今更ポーションの類で回復するとは思えなかった。
(エミリーも目が悪いからメガネで補助しているけど、そんな道具があればな)
マディスがそう、願望を心中で呟いたとき、何かが頭の片隅でちらついた。いつも何かを思いつく時の感覚だ。マディスは必死にその何かを手繰り寄せた。
(メガネ……たしかコレクションに盲目になるメガネがあったな。……盲目? ……そういえば、同じころ、味覚が入れ替わる護符を手に入れたな。甘味が塩味に、塩味が甘味に、そう、入れ替わる?……)
「これだ!!」
その時、マディスの脳内に素晴らしい閃きが舞い降りた。今までの様な、碌でもない思いつきでも、悍ましいものでもない。
マディスはコレクションを漁り始め、必死に何かを探した。
「…………」
折角整理したところを台無しにされ、ドリスも迷惑そうだった。相変わらず無表情だが。だがマディスはお構いなしだ。そしていつの日か、エミリーが掛けてしまった呪いの眼鏡を手に取ると、ララの元へ走り出した。
ばん! と勢いよくドアを開け、居間に入るマディス。その様子に女性たちは皆呆気に取られた。普段ならフェリスも行儀が悪いと叱りつけるところだが、マディスのただならぬ雰囲気に口を閉ざしていた。
「まあ貴方、どうしたの?」
ララが声を掛けるが、マディスは無言で彼女の前へ立ち、ララに眼鏡をかけた。その瞬間、ララは目を眼鏡ごと、手で覆い隠してしまった。
「マディス! アナタ何をしているの!?」
「フェリスさん! 今は黙っていて!」
咎めるフェリスを何かを察したエミリーが遮った。マディスは無言でララを見守った。ほどなくして、ララが恐る恐る手を下げ、そしてゆっくりと彼女の目が開いていった。
「……眩しいわ、とっても眩しい。でも……見える! 見えるわ! あなたのお顔が、夢で見た通りのあなたの顔が!」
そう言って、彼女は大粒の涙を零し、マディスに抱き着き、熱いキスをした。この突然の出来事に、見守っていた三人は慌てて部屋を出ていった。
「ほんと、マディス君ってイカレてるよね! 普通あんな事思いつくかな?」
「おとぎ話で呪いを解くのは王子のキスが定番だけれど、あの子の場合は逆なのね……」
「しかし、あのメガネの呪いが、視力を反転させるものなのか、それとも呪いと呪いがぶつかり合って視力が元に戻ったのか気になるわね……呪いの世界も奥深いわ……」
三人は思い思いに感想を語ると、そのまま家を出た。いつまでも新婚の夫婦の家にいるわけにもいかない。エミリーの語った通り、眼鏡の呪いがララの盲目にどう作用したのかは分らなかった。だが、呪いの眼鏡を身に着けることで、ララは視力を取り戻したのだ。
三人はマディスの家を振り返ると、中の様子をそれぞれ想像した。きっと今頃は、二人で甘い一時を過ごしているのだろう。流石のマギーでも覗くような真似はしなかった。だが後にマディスを質問攻めにし、彼を閉口させた。
その夜が二人の初夜となった。視力が回復し、積極的になったララが、何も知らないマディスを導いたのだ。盲目だったとはいえララも王家の女であるから、一通りの王族教育は受けている。その中には性教育もあり、マディスより余程知識はあった。
フェリスが知れば、婚前交渉を咎めたかも知れないが、王族でもない二人の初夜の証を確認する者などいない。文字通り二人だけの秘密だ。マディスの懸念は解消され、二人の幸せな生活が始まったのである。
こうして、マディスは呪いの装身具により、妻の盲目を治した。この奇跡を周囲の者たちは素直に祝福して良いのか複雑な面持ちだったが、マディスは神に祝福された勇者などではない。呪いと共に生きる呪剣士であり、呪いを持って呪いを制するものである。……彼はまさに幸福の絶頂にいたが、ヴェルザリスが指摘したとおり、遂に呪剣がその牙を剝くときが来たのである。マディスにとって宿命の戦いが始まろうとしていた。
第三章 完
お読みいただきありがとうございました。活動報告を更新しましたので宜しければお読みください。明日以降も毎日投稿します。




