第50話 決着
グレーターデーモンを前に、身構えるマディス達だが、ここで思わぬ事態が発生した。
「もうイヤ! あなたも姫も! 呪われた者などこの国には要らないわ! この娘を連れて、迷宮に魔物の王国でも何でも作ればいい!」
「きゃあ!」
デーモンの咆哮で、心が折れたのか、突如王妃が半狂乱となり、姫をデーモンに向けて突き飛ばしてしまった。突然のことで誰も対応できず、姫はデーモンの腕に捕らわれてしまった。国王が慌てて王妃に詰め寄った。
「王妃! 何てことをするのだ!」
「何よ! だから私はこんな西の辺境の国に嫁いで来たくなかったのよ! 冒険者風情が迷宮から汚れた宝を持ち帰り作ったような汚らわしい国に! あの娘もやはり呪われているのだわ! ラーズ! さっさとその娘を連れて出ていきなさい!」
「お、王妃、我が国をそんな風に思っていたのか……」
どうも王妃は潔癖症らしく、魔物や呪いどころか国ごと嫌っていたらしい。国王は、弟からも妻からも散々な言われようで、実に気の毒だった。一部の魔物の咆哮には人の心を壊す作用があるが、その影響なのかもしれない。
デーモンはその化け物じみた顔を、腕に抱いた姪に向けた。姫は目は見えないが、その恐ろしさを肌で感じ取ったのか、失神してしまった。
だがデーモンは姫を傷つけようとはせず、魔物らしからぬ憐憫の情を見せた。
「……身内に斯様に扱われるとは、我が姪ながら哀れなことよ、まるで女衒に売られる娘のようだな……」
「……売られる?」
諸悪の根源が無責任に言い放ったが、その言葉にマディスが反応した。なにか、なにか、大切なことを忘れているような、そんな気がしたのだ。
この非常事態に、マディスはその違和感を解消すべく、必死に記憶を辿って唸り始めた。そして思い出してしまったのだ。忘れてしまっていた悲しい過去を。
その少女はマディスと同じくらい貧しい家の子で、まだ幼なかったが、成長すれば村一番の美少女になるだろうと皆が噂した。マディスは彼女と話したことも無かったが、いつも遠くから様子を伺っていた。
だが、ある時、マディスの知らない大人達が、彼女をどこかへ連れて行こうとしていた。少女は泣き叫んで抵抗したが、大人達に無理やり連れられ、どうにもならなかった。彼女の母親が地面に倒れ込んで、泣いていたが、村の大人たちは見て見ぬふりであった。
結局、少女は村から連れ出され、二度とマディスの目の前に現われることはなかった。マディスは彼女がどこへ行ったのか。母親に聞いてみた。母は一言だけ答えた。
「……売られたのさ。……あの家の亭主も馬鹿なことをしたもんだよ。くだらない博打に手を出して、娘をはした金で売るなんて」
それ以外、母は何も答えてくれなかった。マディスは母の言っていることが良く分からなかったが、少女が二度と戻らぬことを理解した。そして何か大切な者を奪われてしまった様な気がしたのだ。それはマディスの初恋の記憶だった。
マディスは今まで忘れていた過去を思い出し、目の前の悪魔に抱えられた姫を見ていた。彼女を見ていると、あの時の少女と重なった。その瞬間、マディスの心の内に、言いようの無い激情が渦巻いた。
――この怒りは、憎悪はなんだ!? 誰に向けての何に対しての怒りだ!? 彼女を売った親か? 理不尽な世の中に対してか? 違う! 自分だ! 力のない自分自身が憎くて憎くて仕方がないのだ!――
マディスは自問自答し、少女を救えなかった自分を責めた。
――だが、今は違う。自分には今、力がある。皆が恐れる、呪いの力だが、何もしてくれない神様に比べればよほどマシだ!――
マディスは自問するうちに、呪いの力に頼る自分と王弟がどう違うのかと、自嘲的になった。そのとき、ふとマディスはグレイやレオンの言葉を思い出した。
(呪いの力は邪悪でも、お前自身は邪悪ではないだろう)
(お前のその力を持って魔物達を倒し、邪悪を打ち破れ)
(僕は、もっと強くなりたい、誰にも虐げられず、大切な者を奪われない為にも)
マディスはグレイの言葉から自信を、レオンの言葉から力の意義を、そして自分自身の言葉から力を振るう目的を見出した。そして呪剣に心の内で語りかけた。
(呪剣よ……お前の力を全て僕に貸せ。僕に従い敵を滅ぼせ。お前の邪悪なる力によって、立ち塞がる者どもに、破滅を与えてやれ!)
そう念じると、呪剣は怪しく黒く輝きだした。錆びはそのままだが、マディスは本能的に呪剣に秘められた恐るべき力を感じ取った。
その時、グレーターデーモンが姫を片腕に抱いたまま、強力な瘴気を放った。その悍ましい力はその場にいた者たちの動きを封じ、みな動きが取れなかった。グレイでさえ、盾の影に隠れ、瘴気を防ぐのがやっとであった。
唯一、魔物の鎧と呪剣の呪力によって守られたマディスだけが、その場で行動することができた。
マディスは一人、グレーターデーモンと対峙した。呪剣の輝きはいよいよ強さを増し、マディス自身も黒い靄のようなオーラに包まれ始めた。マディスは姫を見た。気を失っているが無事のようだった。
(私は必ず、あなたを守ります)
――彼女にそう約束したのだ。あの子がどうなったのかは分からない。悲しいが、過去はもうどうにもならない。だが今は違う。この力によって姫を救うのだ。姫の過去も、自分の過去も、忌まわしき記憶も、悪魔と共に切り捨てる!――
マディスは両手で呪剣を構えた。あの冒険者の教えの通りに。あれ以来、欠かさず行ってきた素振りのように。
デーモンは瘴気ではマディスを封じ込められないと悟ると、呪剣を警戒してか、翼をはためかせ飛び立った。そして右手に魔力を集め始めた。
「ば、爆発魔法だよ! あれ! あんなの食らったらこの辺みんな吹き飛んじゃうよ!」
マギーが力の正体を見抜き、悲痛な声を上げた。
「…………」
この状況でもマディスは構えを解かず、微動だにしない。必ず奴を仕留め、姫を救う! 今の彼にはその思いしかなかった。
その時、意識のない姫の目から一筋の涙が零れ、形見の首飾りの宝石に落ちた。その瞬間、姫の思いに反応したのか首飾りから、優しく清らかな力が発せられた。邪を祓うという王妃の言葉通り、その聖なるオーラは、デーモンの動きを封じ込めた。そして空中で制御を失ったのか、ふらふらと落下し始めた。
「この期に及んで、またしても姫にしてやられるとは!」
デーモンが吐き捨てると、姫を空中からゴミのように投げ捨ててしまった。
「ドリス! 姫を救え!」
呪剣を構えたまま、マディスは叫んだ。その言葉に反応したドリスが即座に走り出し、途中で飛び上がると姫を空中で抱きかかえ、見事に着地した。ドリスもまた、瘴気の影響を受けずに行動できる唯一の存在だった。
そのまま不安定な姿勢で落下してきたデーモンが、その右手の魔力を直接マディスにぶつけようと急降下してきた。デーモンは右手を突き出した状態で一直線にマディスに向かった。
デーモンがマディスに衝突する直前に、マディスは迷わず上段から剣を振り下ろした。呪剣はそのオーラにより、刀身から伸びる不可視の刃を産み出し、その刃によってデーモンを真っ二つに切り裂いた。
マディスに激突する直前に、デーモンの体は二つに別れ、壁に衝突して止まった。
デーモンが倒されると、瘴気が晴れ、皆行動できるようになった。離れて戦っていたティアンナは影響を受けていなかったが、ようやくデーモンの群れを殲滅した所だった。彼女一人によって何百匹ものレッサーデーモンが倒されていた。
マディスは、ドリスに抱かれた姫を見ると安堵した。特に怪我は無さそうで、意識は無いが、どこかやり遂げた様な顔をしていた。彼女も両親の仇に一矢報いたことを、無意識に悟ったのだろうか。
マディスは姫の安らかな顔をいつまでも見ていた。彼は約束を果たし、今度こそ、大切な人を守り通したのだ。とにかく、ここでの戦いは終わったのだ。
●
マディスとグレーターデーモンの戦いが終結したころ、王都上空での戦いも終わりを迎えつつあった。大魔道とヴェルザリスは互いに爆裂の魔力が込められた光球を打ち合い、幾百もの爆発を巻き起こしていた。
その戦いの様子は王都の人々を恐怖のどん底に叩き落とした。一つでも街中に落ちてくれば大惨事である。
大魔道はともかく、意外にもヴェルザリスは街中に落ちぬ様にうまく魔法の向きを調整していた。市民を人質にするように戦えば、彼の有利に事は運んだはずだが、彼の矜持か、それとも単なるきまぐれか、そのような真似はしなかったのである。
互いに飛翔しながら、かつ魔法障壁を展開し、さらに魔法を撃ち合うという魔道を極めた者のみが到達する領域での戦いであった。しかし、ついに大魔道の放った、光の矢が障壁を貫きヴェルザリスの片腕を吹き飛ばした。彼は敗北を悟ったか、戦うのをやめた。彼は再び大魔道に話しかけた。彼女もこれに応じた。
「全く……人間を捨ててまで手に入れた力ですら君に敵わんとは……才能の差というものがいやになるな」
「ヴェルザリス……今回の件、一体何が目的だ? 王家を裏から支配するのが目的だったのか?」
「大した理由ではないさ。後援者から支援を求められれば答えないわけにもいかんだろう。組織を運営するにも金がかかる。全く何のために禁忌に手を出したのやら……さて、向こうも決着が着いたようだな。残念ながら今回は私の負けのようだ。大口の支援者を失ったのはなかなか大きな損失だ」
「……お前ほどの男が何故禁忌に手を染めたんだ。下らん野心にでも憑りつかれた訳でもあるまい」
「……君にも分かるはずだ。才あるものの孤独というものが。まあいい、君はいずれ年老いて死ぬが、私は既に寿命の軛から解き放たれている。残念だがもう会うことも無いだろう。……エリー、昔のよしみで忠告してやる。この国から離れろ。あの小僧の近くにいれば死ぬぞ」
「……マディスの呪剣のことか? お前一体何を知っている?」
ヴェルザリスは大魔道の答えを聞くと、大げさに肩をすくめた。
「全く君は相変わらず実技一辺倒だな。少しは本を読め。いい機会だから大聖堂の図書館にでも行け。さて、私はそろそろ行くぞ」
「待て! ヴェルザリス! まだ話は終わっちゃいない!」
「……さらばだ。私が生涯でただ一人愛した女」
彼が話し終えると、ヴェルザリスの体は黒い球の様な物に包まれ消えてしまった。大魔道は普段の様子が嘘のように肩を落とした。
「……ヴェル。一体どうしてこんなことになっちまったのかね。あたしらは」
大魔道の呟きは、誰にも聞かれず、ただ風に流されていった。
●
王国から悪魔崇拝者達は一掃され、平和は戻った。だがその後始末は大変なものだった。何しろ王弟が悪魔崇拝者の支援者だったのだ。下手をすれば、ラディア王家そのものが教会によって糾弾されかねない。
幸いにして関わっていたのは王弟のみで、彼の傘下の貴族たちは何も知らないようだった。例の屋敷の貴族も地下で秘密裏に何かしているのは知っていたが、屋敷を提供しているだけで、諜報部隊の拠点として説明されていたそうだ。悪魔崇拝者とのつながりなど微塵も無かった。
そういうわけで、王家としては、王弟の不祥事を全力で隠蔽に走った。大魔道も、この状況でラディア王家が倒れるのは本意ではなかった。国の混乱しか生まないからだ。
その為、あくまで主犯はヴェルザリスであり、王弟は近衛同様に魅了され操られていた事にした。実際、その可能性も否定できない。心の闇を利用され、操られていたのかも知れない。教会へは王家と冒険者ギルドが口裏を合わせその様に説明した。
また、王妃は心を病み、実家にて静養することになった。彼女の出自は、聖地にもっとも近い、世界一の大国の王族だ。聖地に近いだけあって皆教会の敬虔な信徒だが、それだけに冒険者上がりのラディア王家とは相性が悪かったのかもしれない。
国王は今回の件で、大変に心を痛めた。王妃の間には既に王子が二人いるので、跡取りに困ることはない。王子たちには今回の件を打ち明け、今後の範とするようにした。幸い兄弟は仲が良く、性格も能力も似たりよったりだ。
国王としては兄弟が仲良くしてくれれば、それだけで良かった。実務など家臣に任せれば良く、王とは最後に責任を取るのが仕事なのだから。
そして、国王は今回の件を大々的にマディスの功績として発表することにした。無論、首領を退けたのは大魔道だが、姫の呪いを解き、呼び出されたデーモンの首魁を打ち取った若き英雄として祭り上げることで、今回の王家の醜聞を隠すのが狙いだ。
また呪剣士を厚く遇することにより、王妃の様な潔癖な者はラディア王家への輿入れを敬遠するようになるはずだ、と考えたのだ。息子達には自分のような思いをしてほしくないという親心だ。国王はマディスに褒美を与えるとともに、一代限りではあるが、名誉騎士として叙勲することを発表した。
そして式典の日がやってきた。
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