第48話 告白
マディスが意識を取り戻すと、そこは一面真っ白な世界だった。壁も天井も存在せず、床も真っ白で、自分が大地に立っているのか、それとも宙に浮いているのか判別できない不思議な感覚がした。はるか彼方まで何もない空間が広がっていた。
混乱しつつもマディスは、自分の周囲をぐるぐると見回した。そして、遠くの方に何かがあるのを見つけた。遠くて良く分からないが人だろうか、とそれに向け歩き出した。
その物体の方へ歩いていく途中で、マディスは何か違和感を覚えた。自分の手を何気なく見ると、いつの間にか手に草刈りガマを握っていた。
何だこれは! と驚き、腰の呪剣を確認すると、自分が呪剣どころか鎧すら身に着けておらず、着ているのはボロボロのシャツとズボンだけという事に気づいた。
マディスは、自身が一体どうなってしまったのか困惑したが、今の格好が農民の時の姿であると気が付いた。マディスはここが夢のような、心の世界なのではないかと思い至った。
自分は姫の心の中に迷い込んでしまったのか、と気づいたのだ。そしてマディスが物体に近づいていくと、やはりそれが人であると分かった。女性が蹲くまっていたのだ。顔は見えないが、銀色の髪をしているので姫に間違いない。耳を澄ますと、すすり泣く声が聞こえた。
「あの……姫様? 何故泣いているのですか? どこか痛むのですか」
「…………あなたは誰?」
泣いていた姫は顔を上げ、マディスを見た。盲目のはずだが不思議なことに、目は開いておりマディスが見えている様だ。涙に濡れた姫の美しい顔を見て、マディスは赤面してしまい、姫の顔を直視できず俯きながら話を続けた。
「わ、私は呪剣士のマディスと申します。王様に頼まれて、姫様の呪いを解きに来たのです」
「そう……でも、もういいの。……私はこのままで……このまま天に召されるのを待つわ」
そう言うと姫は俯いてしまった。マディスはこの状態でどうやって呪いを解けばいいのか困惑したが、一旦落ち着いて集中すると、姫から発せられる呪いの波動を感じ取った。呪いは姫の手元から感じられた。
よく見ると姫は何かを握りしめているようだった。マディスは恐らく首飾りであろうと思い、それを壊してしまえば呪いは消え去ると考えたが、無理やり姫から奪うわけにもいかない。マディスは姫に首飾りを渡すように説得を試みた。
「姫様、呪いの源はその首飾りだと思います。大事な物だとは思いますが、私に預けてはくれませんでしょうか」
「放っておいて頂戴……今まで生きてきて、つらかったわ……でも、それももうお終い。ようやくお父様とお母様の許へ行けるの。邪魔をしないで……」
姫はそう言うと、地面に顔を伏せ悲嘆にくれた
「お父様とお母様……もう一度、もう一度でいいから会いたい! 私を置いてどこに行ってしまわれたの! もう一度、ララと呼んで、抱きしめてほしいのに!」
姫の悲壮な訴えに、マディスはどうすることも出来なかった。すると突然姫が身を起こし、マディスに話しかけた。
「ねえあなた。聞いてちょうだい。私ね。もうお父様とお母様のお顔をはっきり思い出せないの。お声もね。私って目が見えないでしょ? だから肖像画も見れないのよ。あんなに愛していたのに、可笑しいでしょ?」
ふふふっと妖しく、壊れたような笑みを浮かべる姫。それを聞いたマディスの胸が痛んだ。マディスも母が死んでからだいぶ経つ。姫の気持ちは痛いほど分かった。しかし姫の希望を叶えてやる訳には行かない。マディスは必死に考えた。
(ダメだ……彼女は過去に囚われてしまっている。何とか未来に目を向けさせないと)
マディス自身もつらい過去を持つが、死の淵から呪剣の助けも借りて生還した。これまでに様々な人々と出会い、彼らに助けられ、仲間を得て、ここまで来れたのだ。
(生きていれば、きっと良いことがある)
いつか誰かに言われた言葉がふと蘇った。
――そうだ、生きていくのはつらいかもしれないが、世の中には悪意だけが存在している訳では無い。姫も生きていれば、未来にきっと新たな出会いが、幸せが待っているはずだ――
そう考えたマディスがたどたどしく姫に語りかけた。
「姫様、生きていれば、きっと良いことがあります。だから未来に目を向けてください」
「……叔父様もそう言ってくださったわ。でも今まで生きていて良いことなんて無かったわ……みなが私を、私の呪いを恐れたわ。……叔父様以外はね。こんな呪われた私を誰が必要としてくれるの? 誰が愛してくれるの!」
マディスの説得は逆効果で、姫の悲しみ、そして呪いは増々強くなってしまった。彼女から黒い靄のような物が立ち込め始め、マディスは思わず後ずさり、再び考え込んだ。
――ダメだ。こんな借り物の言葉じゃ彼女は救えない。一体どうすれば?――
マディスは自分自身を振り返り、必死に考えた。そして思い当たったのだ。自分の原点とも言えるモノに。
――自分に優しくしてくれた人達はいたが、彼らによって自分は救われただろうか……いや、違う。残念ながら言葉だけでは人は救えないのだ。自分を救ってくれたのは――
マディスは持っていた鎌を投げ捨てた。そして手を高く掲げ、呼んだ。自分を救い、ここまで導いてきたモノを。
「来い! 呪剣!」
マディスが叫ぶと、その手にはいつの間にか呪剣が握られていた。服装も鎧姿に変わっていた。マディスは呪剣を見た。錆びだらけの、今にも折れてしまいそうなボロボロの剣だ。だが、この剣には底知れぬ力がある。……そして悍ましい何かも。
自分をいや、世界の破滅すら望んでいるのかも知れない、文字通りの呪われた剣だ。だが自分を救ってくれたのはこの剣だ。力だ。言葉だけではダメなのだ。力に基づく行動のみが、人を救うのだ。姫を救うには行動するしかない。マディスはそう結論を出した。
マディスは呪剣を手に、姫に近寄った。
「……その剣で私をどうするの? 殺すの? 私を? ……いいわよ殺して。お父様とお母さまの元へ連れて行って!」
姫が叫ぶと、呪いは激しさを増し、邪悪な波動が発せられ、マディスは近寄ることができなかった。
(くそ! だめだ! 呪剣ですら、彼女の絶望には太刀打ちできない! やはりまずは彼女に希望を抱かせないと、でもどうすれば!?)
(傷心の殿下をあたしが慰めてあげればチャンスがあると思わない?)
(ほほほマギーさんは夢があって良いですわね)
その時、マディスの脳裏にいつか聞いたマギー達の会話が浮かんだ。そして遂に思い至ったのだ。姫を救う方法を。
――姫に必要なのは、まずは心を慰めてあげることではないか? 自分とて、呪剣を拾う前にはガルドやカイウスの優しさに励まされたものだ。まずは姫を、人間として、一人の女の子として受け入れてあげる必要がある――
マディスはそう考え直し、呪剣を収め、姫に対話を試みた。
「姫様、すみませんでした。私は決して、貴女を傷つけたりしません。肉体だけでなく、心もです。私は呪われた貴女を決して恐れたりはしません。私は今まで呪いに助けられ、ここまで来ました。見てください、この剣を。ぼろぼろの酷い剣です。呪われた恐ろしい剣ですが、この剣のおかげで、私は希望を見い出せたのです。……今度は私が、姫にとっての呪いの剣となりましょう。……知っていますか? 呪いの装備を身に着けてしまうと、決して外すことはできないのです。ですから、ずっとずっと、私はあなたから離れません。そして、どうか生きることを、諦めないで欲しいのです」
マディスは途中から自分が何を言っているのか、よく分からなくなってしまったが、とにかく姫を救いたい一身で、言葉を紡いだ。冷静に考えると滅茶苦茶なことを言っている気がしたが、その思いは本物だ。
姫がマディスの話を聞くと、波動が消え失せ、彼女は顔を上げて、マディスを正面から見つめた。マディスはその美しさにドギマギしてしまった。ティアンナやフェリスには、こういった感情を抱かなかったのに何故だろうと彼は自問自答した。彼女はマディスに語りかけた。
「……あなたは私が恐ろしくないのですか? 呪いが怖くはないのですか?」
「はい。私は呪剣士ですから。呪いと共に生きる者です」
「……あなたは私が呪われていない、とは言わないのね。不思議な人……私を呪われし姫君として受け入れてくださるの?」
「その、何と言いますか、姫様はとても美しい。呪われている、いないとかは関係ないのです! わ、私は何があっても姫様を守ります! 決して一人にはしません!」
姫と面と向かって話している内に、マディスは自分の気持ちに気づいてしまった。彼女を好きになってしまったのだと。それを悟った瞬間、思わずとんでもないことを口走っていた。
マディスの告白を聞いた姫は、ドキッとしてしまった。今まで彼女を肯定してくれた人間は叔父以外にいなかった。正確に言うと、口では良いことを言う者は大勢いたが、その裏に潜む嫌悪や打算を彼女は敏感に感じ取っていた。視力が失われたせいなのか、感覚が鋭くなっていたのだ。
姫は言葉は拙いが、純真なマディスの思いに心を打たれてしまった。王族の女としては些か純粋すぎたかもしれないが、彼女のこれまでの人生を考えれば無理も無いことだった。
「……つまり貴方はわたくしと生涯を共にしてくれると、そう仰るのね。約束できて?」
「は、はい勿論です! 必ず幸せにしてみます!」
「まあ……約束ですよ……」
姫は頬を赤く染めて、恥じらいだ。マディスは何か大変なことになってしまったと思いつつも、姫が人生に希望を見出したことに安堵した。だが、まだ呪いは解かれていない。マディスは姫にお願いした。
「姫様……先程も言いましたが、首飾りを預けて頂けないでしょうか?」
「……預けるだけですよ。壊したり傷つけたりしたら許しませんからね」
姫は鋭い目つきでマディスを見ながら首飾りを差し出した。その視線にヒヤッとしてしまうマディス。先程までは呪剣で破壊してしまおうと思っていたが、この状況では無理だ。こうなれば、いつもの様に呪いを抑えるしかない。
マディスは姫から首飾りを受け取ったが、その際に、彼女のひどく不安そうな顔を見て、突如怒りが湧いてきた。この呪いを掛けた者へのだ。
――こんな残酷なことをする者は魔物より非道だ! この呪いはそういった者へこそふさわしい!――
マディスがそう考えると不思議と自然に言葉が紡がれた。彼は首飾りを天に掲げると、その言葉を叫んだ。
「呪いよ! 忌まわしき呪いよ! 姫の宝物から立ち去れ! そこはお前の居て良い場所ではない! お前のあるべき所へ帰れ!」
マディスが発した呪文のような言葉の影響か、それともマディスの能力の発現か、首飾りから黒い靄のようなものが立ち込め、天高く昇って行った。マディスが首飾りを見ると、赤い宝石が、美しい青い宝石へと変化していた。
どうやら姫を悲しませることは無いようだと安堵し、姫に首飾りを着けてあげた。彼女は涙に暮れていたその顔を綻ばせ、花のような笑顔を見せた。あの肖像画そのままに。
「ありがとう、マディス。私の愛しい人」
彼女はそう言ってマディスの手を握った。マディスはいつか奪われてしまった大切な何かを取り戻したような不思議な感覚を覚えた。そして、徐々に意識を失っていった。




