第47話 解呪
決闘騒動から数日後、ギルド本部にある王国の要人が訪問していた。マディスは大魔道に呼び出しを受け、パーティー全員で向かった。部屋に着くといつもとは違い、神妙な面持ちをした大魔道と、見覚えのある立派な体格の貴族がいた。
「来たね。あんたも面識はあるだろうが、こちら王国軍元帥のネヴィル卿だ」
「久しいな、マディス。活躍は聞いておるぞ。儂も鼻が高い」
「閣下、ご無沙汰しております。今日はなぜこちらへ?」
ベイル会戦で総大将を務めたネヴィル元帥が、ギルドを訪ねていたのだ。当然だが戦場ではないので、今日は鎧姿ではなく、貴族が着る高級な平服の姿だ。傍らには副官が控えている。元帥は挨拶もそこそこに用件を話し始めた。
「うむ、実は大魔道殿から呪いの指輪について話を聞いてな。実は儂の妻がしばらく体調を崩しておったのだが、原因はその指輪であった。既に解呪に成功して回復したのだが、指輪は御用商人が持ち込んだ物であった。本来は儂への贈答品だったらしいのだが、どういう手違いがあったのか、妻に渡ってな。つまり、本来は儂を狙っての呪いだったという訳だ。御用商人を問い詰めると、王弟殿下とのつながりを白状した。曰く、儂に直接送っても受け取ってもらえぬだろうから、その商人を介して渡してほしいと依頼されたらしい」
「で、では、やはり一連の事件は殿下の仕業だと……」
マディスが恐る恐る聞くと、元帥は力なく頷いた。
「勿論、現時点で殿下が全ての黒幕等とは言えぬが、無関係とは到底言えぬ。陛下も既にご存じだが、信じておらぬ。勿論調査は進める許可は得ているがな」
「……そうですか。ところで何故僕が呼ばれたのでしょうか。現時点では僕にはまだ何もできないと思いますが」
「……それについてだが。一連の騒動と関係あるかまだハッキリせぬが……いや間違いなく関係あるな……実は、姫様のことで相談というか頼みがあるのだ。これは儂のではなく、陛下直々の依頼なのだがな」
「姫様と言いますと、あの呪われし――」
「滅多なことを言うんじゃないよ! この馬鹿垂れが! ……元帥閣下。うちの若い者が失礼した。許されよ」
マディスが思わず口走ってしまったが、不敬の極みとも言える発言だ。大魔道が即座に叱りつけたので、事無きを得たが、不敬罪で告発されても文句は言えない所業だ。マディスはすぐに平謝りした。
「も、申し訳ございませんでした。以前噂話を耳にしまして、つい」
「……うむ。以後気をつけよ。次はないぞ。……さて話を戻すと、陛下の姪にあたるラウレンティア姫が、もう三日も目覚めぬのだ。間違いなく呪いであろう。大司教閣下に解呪を依頼したが、閣下の力でも祓うことが出来ず、後は神のお慈悲にすがるしかないと仰せだ。……聖地に趣き、教皇猊下に解呪を依頼するにしても、今からではとても間に合わぬだろう。……姫は既に衰弱しつつある。医者の見立てでは、持って数日の命だとの事だ。そこでマディス、お前の出番だ。お前には呪いを解く力があると大魔道殿から聞いた。それを陛下にお伝えした所、ダメで元々、できることは全て試してみたいと仰せだ。……正直に言うとな。陛下以外、王妃様も宰相殿も王弟殿下も全て反対しておる。王宮に呪われし者を招くなど、もっての他だと。だが陛下の意思は固い。そこでおぬしと面識のある儂がこうして遣わされたのだ」
思わぬ事の成り行きに、マディスは戸惑ってしまった。冒険者になりまだ二年も経っていないが、貧農から身を興した自分が、王宮に上がることになるとは、とマディスは複雑な思いを抱いていた。嬉しく無い訳では無かったが、余りに急激な出世に気持ちが追いつかないのだ。
これが立身出世を夢見て、冒険者になった若者なら手を叩いて喜んだだろう。しかし、マディスにそこまでの野心はない。多少の憧れがあったとはいえ、生きるために止む無く、生きるか死ぬかの道に進んだのだ。それが呪剣を拾ったことで、ここまで昇り詰めることになるとは。マディスは何となく不安な気持ちになってしまい、腰の呪剣を見た。
「マディス。事態は把握したね。支度しな。呼ばれているのはマディスだけだが、万が一のこともある。あたしやティアンナ、グレイも一緒だ。マディスのパーティーメンバーもついでだ。戦力は多いに越したことはないからね」
そうして、ネヴィル元帥の先導で、一行は王宮へと参内した。
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一行は、何台かの馬車に別れて乗り込んだ。マディスが乗り込んだ馬車にはネヴィル元帥と大魔道という一番の重要人物が乗り込んでいた。ドリスも一緒だ。マディスは初めて乗る貴族の馬車に目を白黒させていた、昔乗せてもらった行商の馬車など比べ物にならない。
とにかく、一行は王宮に向かい、王都の中央通りを進み、やがて見えた王城の門を通って中に入った。馬車を下り、ネヴィル元帥を先頭に謁見の間へと向かう。長い長い廊下を渡り、謁見の間に入ると、ギルドのホールより広い空間が拡がっていた。大きな柱がいくつも並び、複雑な彫刻が施されたそれは、美術品の様でもあった。
玉座までは赤い最高級の絨毯がひかれ、途中に階段があり階層が分かれていた。絨毯の横には、斧槍を持った近衛兵が立ち並び、微動だにせず警護していた。階段を昇った先に玉座があり、国王が鎮座していた。現在のラディア王、ラドム一世である。周囲で護衛しているのは近衛騎士で、この王宮一番の使い手達だ。
マディスは王宮の豪華さに口が開きっぱなしになっていた。中堅国家のラディアですら、ここまで豪勢なら大国とはどれ程の物なのか、とぼんやり考えていた。
先導していたネヴィル元帥が、国王に報告をすると、そのまま側へ控えた。国王の隣には王妃が座り、ネヴィル元帥の向かい側には国王とよく似た美丈夫が控えていた。どうやらあれが王弟らしい。その表情からは自信が満ち溢れ、後ろ暗さのようなものは微塵も感じない。
冒険者一同は大魔道を先頭に進んだが、途中で大魔道以外は跪いた。本部長は国王と対等との立場であるため、彼女は決して跪づかない。またティアンナ以下の冒険者達は武装していた。
これが貴族であれば武装して謁見などありえないが、悪魔崇拝者が王宮に潜んでいるかも知れぬ、非常時でもあるため特別に許された。これも冒険者の特権である。もっとも、国王に謁見する等、上級冒険者でも滅多にあることでは無い。なお、ティアンナは剣に加えて槍を携えていた。細剣は副武装であり、彼女の主武装は槍だ。
「陛下。呼び出しを受け参上しました。これが呪剣士のマディスです」
大魔道がそう挨拶をする。事前にマディスは挨拶の時でも顔を伏せたままでいろと言われていたのでそのままだ。
「うむ、大魔道殿、今回はご苦労でした。其方がマディスか。構わぬ、面を上げよ」
そう国王が切り出し、大魔道もマディスを促し、顔を上げさせる。
マディスが国王の顔を見ると、優しそうな顔をしていた。国王としては威厳が足りぬかも知れぬが、その優しい人柄から市民の人気は高い。貴族からの支持は微妙な所で、優秀な王弟を支持するものも多い。本人達の仲が良いので、これまで問題にはならなかったが。
国王はその優し気な顔を少し歪め、重々しく話し始めた。
「ほう。思ったより誠実そうな男だな。世間の噂では恐ろしい狂人と聞いたが。元帥より事前に聞いておった通りか。まあよい、早速だが其方に我が姪、ラウレンティアの解呪を頼みたいのだ。……未婚の娘の寝室に男を入れるなど、本来あり得ぬが止むを得まい。王妃に立ち会わせる故、速やかに解呪を試してみよ。……何、もしうまくいかなくても罰したりはせぬ。正直既に諦めかけているが、叔父として出来ることは全て試しておきたいのだ。頼むぞ、マディス」
国王が話し終えると、隣の王妃が立ち上がり、マディスの先導を始めた。王妃は忌まわしい者でも見るような目でマディスを一瞥したが、元が貧民の彼を王族の部屋に入れることへの嫌悪か、それとも呪われし者を忌避してのことかは分からなかった。マディスは護衛の近衛騎士に取り囲まれ、まるで連行されているかの様だ。
この時、マディスの後ろにいたドリスも、無言でその後を付いて行ってしまったが、誰も咎めはしなかった。余りにも堂々としているので、周囲は世話役の女中を誰かが手配したとしか思わなかったようだ。その顔色の悪さは呪剣士を恐れてのことと、彼女に同情する者すらいた。
大魔道以下の面々は、マディス一人よりドリスもいた方が良い、と知らぬ存ぜぬで通した。王弟が黒幕であれば、既に敵中に乗り込んでいるも同然だ。マディスと言えど、単独行動は危険過ぎた。
マディスは王妃に連れられ、謁見の間から王族の住む区画へと進んだ。やがて近衛騎士が警備する部屋が見え、王妃に先導され中に入った。
部屋に入ると目についたのは、壁に飾られた一家の肖像画であった。現国王によく似た男と美しい女性、そして可愛らしい笑顔の少女。悲劇に見舞われる前の幸福な一家の姿だ。
マディスはその絵に何か惹かれる物があり、目が釘付けになっていた。何故か絵の中の少女を見ていると、酷く胸が痛んだのだ。そんなマディスに王妃が声を掛けた。
「……見ての通り先王ラウルスご一家の肖像です。先王と前王妃、そしてラウレンティアが七歳の時に書かれたものです。さ、早くなさい」
王妃は嫌そうな顔をしながらも、マディスに説明してくれた。部屋の中はテーブルや文机、化粧台などがある広々とした部屋だが、寝室は隣のようだ。ここで近衛騎士の大半はその場で待機したが、一人だけ女性の騎士がおり、寝室までついてきた。護衛騎士といえど、男を寝室まで入れるのはやはりマズイようだ。
隣に移ると、天蓋のついた大きなベッドが中央に鎮座していた。そのベッドだけで、マディスが親兄弟と雑魚寝していた部屋より広く、マディスは格差を痛感していた。
ベッドの側には女中達が何人も控えていた。この時マディスはドリスの衣装が、この女中達の物と同じであることに気づいた。やはり、王宮に暗殺者として忍び込ませるためにドリスは作られたのだろうか、と考えるマディス。なお、ドリスはピッタリとマディスの背後で護衛していた。
王妃に促され、姫の枕元に立つマディス。王妃の顔を見ると、彼女は黙って頷いた。さっさとやれ、という意味だとマディスは受け取った。
マディスが姫の顔を見ると、やつれてはいるが、美しい女性であった。髪が真っ白になったと聞いていたが、実際見てみると神秘的な銀髪だった。そして目を閉じていても、肖像画の少女の面影が見て取れた。
この時マディスは、姫を異性として意識してしまった。これまでフェリスやティアンナを見ても抱かなかった感情が、彼の胸中に芽生えたのだ。マディスは姫の美しい顔をいつまでも眺めていたい衝動と、気恥ずかしい気持ちがぶつかり合い、顔を赤らめて俯いてしまった。傍らの王妃が怪訝そうに見てくるので、誤魔化すようにマディスは王妃に尋ねた。
「あの。姫のお手を握っても良いでしょうか。僕、いえ、私は呪いの判別をするときには手を触れる必要がありまして……」
それを聞いた王妃は扇子を開き、顔を隠しながら小さく頷いた。下賤の者が、姫に触れるのを嫌悪しての事だろうが、断る事もできずにこの仕草である。許可を得たマディスはドキドキしながら姫の手を握った。
その手はひどく冷たかった。しかし、そのすべすべした手触りはこれまでマディスが感じたことの無いモノで、彼の胸の鼓動はドンドン大きくなっていった。隣の王妃が咳払いをはじめ、我に帰ったマディスが目を閉じて集中する。
確かに呪いの波動のようなものを感じた。しかし、姫が発信源ではないような気がした。さらに強く念じると、波動は姫の胸元近くから感じられた。だが布団を被っているので、マディスからは見えない。
「あの、恐れ入りますが、布団を少し捲っていただいてもよろしいでしょうか。胸元がわかる程度で結構ですので」
それを聞いた王妃の手に血管が浮かび始めた。だいぶ強く扇子を握りしめているようだ。王妃は女中の一人を指さすと、そのまま布団を指した。それを受けた女中が布団を少し捲った。彼女は心無しか、マディスをひどく冷たい目で見ている。いつの日か女性陣がテオを見るような目つきだった。解呪にかこつけて、姫の体を弄ぼうとしていると思われたのだろうか。
布団が捲られ、姫の胸元が露わになった。当然だが夜着を身に着けているので、裸体を晒している訳ではない。マディスが顔を赤らめながら胸元付近を見てみると、姫が首飾りを付けているのが分かった。大きめのコインのような形で中央に赤い宝石が付いている。
「この首飾りは?」
「姫の七歳の誕生日に先王より贈られた物と聞いています。なんでも邪を祓うものであるとか」
それを聞いたマディスは、首飾りから目が離せなくなった。
――違う! これはそんな良い物じゃない! 邪を祓う? あべこべだ! これこそが呪いの源だ! 家族の形見に呪いを掛けるなんて、なんて悍ましいことを!――
そう内心で憤りを露わにすると、マディスは許可も取らずに首飾りに手を伸ばした。こんな忌まわしい物が、姫の生命を奪い続けていることが許せなかったのだ。
横にいた王妃が遂にマディスの無礼を咎めようと、扇子を振りかぶったが、マディスは無視して首飾りを手に掴んだ。その瞬間、彼は意識を失った。




