第35話 ベイル会戦
ラディア王国軍は、総勢五千の軍勢で会戦の舞台となる平原へ向かっていた。戦いは、あらかじめ両軍が示し合わせた場所で正々堂々とぶつかり合う形で行われる。事前に、罠を仕掛けるなどの行為は認められていない。なお、この戦いは戦場となったベイル平原の名をとり、ベイル会戦として史書に記された。
戦の流れとしては、決められた地で会戦を行い、勝敗を決する。その後、両国の教会関係者を交えての協議が行われ、損害の大きい方の負けだ。総大将が死亡したり、捕虜となった場合は問答無用での敗北となる。
その後、戦いにおいて非道な行いがされていないか、捕虜をみだりに殺害していないか、など様々な検証を行い、事前に決めておいた要求事項の成否が可決される。今回の場合では、仮にラディアが勝利した場合、問題の銀鉱山の権利を保持したうえで、リムハイト側に戦勝点に応じた賠償金や捕虜の身代金を請求することができる。
教会の決定は絶対で、この判定に不服を唱えれば、教会を敵にすることになり、ひいては世界中を敵に回すことになる。このぐらい強権的にやらなければ、紛争問題を解決することができないからだ。
一方、マディスの吸血願望はいよいよ限界に達しており、戦の前夜、あまりの苦しさに耐えかね、天幕の中でこっそりと、自分の腕を吸血剣で斬り、その血を吸わせることで何とか収めた。
その様子をアーサーは目撃してしまい、とんでもない狂人を戦場に連れてきてしまったと後悔していた。だが今更そんなことを言ってもどうにもならない、とアーサーはマディスの狂気がリムハイト側に存分に向けられることを祈るしかなかった。こうして会戦前、最後の夜は更けていった。
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翌日、いよいよ両軍が平原に到着し、陣形を整えた。季節は既に秋口に入り、戦場には秋風が吹いていた。その風の冷たさが熱くたぎった兵士たちの体に一時の涼を与えた。ラディア軍は中央に二千、両翼にそれぞれ千五百と均等に兵力を振り分けた。
リムハイト側も同じだ。両軍の兵力は互角であり、正面からぶつかれば、勝敗を分けるのは、将兵の質しかない。両軍ともに平原の端にある小高い丘に本陣を置いていた。敵軍を突破し、本陣を落とせば勝利はほぼ確実となる。
マディスのいる傭兵部隊は、右翼に配置されていた。相対するリムハイトもおなじく前衛に傭兵部隊が配置され、後衛に正規軍という陣立てだ。なお、両軍ともに騎兵は騎士などの指揮官級のみでほぼ全軍が歩兵だ。 アーサーは傭兵部隊の中央で騎乗しながら指揮を取る。傍らにマディスを配置し、暴走せぬよう監視していた。
戦いが目前となり、皆、震えが止まらなかった。それが武者震いなのか、恐怖からなのか、わかる者はいなかったが、一つだけ確かなのは、マディスだけは皆と違う理由で震えていた。禁断症状である。いよいよ吸血願望が押さえきれなくなり、小刻みに震えていたのだ。
マディスは眼前に広がる敵軍を見て「あの人たち、みんな切っていいんですよね……血を吸っていいんですよね……」と傍らの傭兵に聞き始めた。
「……当然だ。それが仕事だ、存分にやれ」
傭兵は心底ウンザリしながら答えた。それを聞いたマディスは「吸っていいんだ! 吸っていいんだ!」と両手を上げて喜んだ。なお、この時のマディスの格好は厚手の全身鎧に鉄兜を被っている。兜は目元部分までバイザーで保護するもので、あらわになっているのは口元ぐらいだ。その口元が怪しく歪んでいた。既にマディスは抜刀し、右手に吸血剣、左手に呪剣の双剣スタイルだ。
その様子を見ていたアーサーはマディスを連れてきたことを心底悔やんでいた。このような化け物と戦わされるリムハイトが不憫でならなかったし、勝利したとしても、こんな狂人を戦場に解き放った責を問われるのではないか、と心配していた。だが、今更後悔しても、もう遅い。アーサーは部隊の士気を上げるべく檄を飛ばした。
「よいか! 決して一人で飛び出してはならぬぞ! 常に仲間と共に連携して戦え! 仲間を信じて勇敢に戦うのだ!」
そしてアーサーはさらに戦意を上げるべく、報奨をちらつかせた。
「敵の総大将を捕縛したものは金貨百枚、右翼の敵将なら金貨五十枚が軍より報奨として与えられるぞ!」
その内容におぉー! と皆歓声を上げた。そしてマディスもこれに敏感に反応し、より戦意を高めていた。マディスは王都に来てから、稼いでも稼いでもエミリーとマギーに飲み代をせびられ、一行に蓄えが増えないことに鬱憤を貯めこんでいた。
そのため、なんとしてもこの報奨金をつかんでやろうと意気込んだ。マディスは血の渇望と金銭欲と殺意がごちゃ混ぜになり、異常なまでに戦意を高めていた。今のマディスは限界まで引き絞られた弓矢だった。そして矢は放たれんとしていた。
互いの総大将が全軍の前に出て、騎士道を誓いあい、正々堂々と戦うことを宣言した。そして本陣に戻ると、戦いの開始を告げるラッパが戦場に響き渡った。
両軍の中央と両翼がゆっくりと前進を始めた。右翼前衛を指揮するアーサーは一列に並んだ傭兵部隊の少し後ろで指揮を取る。
「いいか! 号令がかかるまで決して飛び出すなよ! 一人で突っ込んでも死ぬだけだぞ! 敵の顔が見える距離まで我慢しろ!」
そうしてアーサーは部隊の統率を取る。ゆっくりと、ゆっくりと、部隊は前進を続け、やがて散発的に矢が飛んでくるようになった。
「歩みを止めるなよ! この距離ならどうということはない!」
そしていよいよ敵軍が目前に迫ってきた。既に恐慌を来たしたもの数名が部隊を飛び出してしまい、弓矢の餌食になり、大地に横たわっていた。もう少し進めば、本格的に両軍から矢が飛んでくる。そのタイミングで突撃の号令を掛け、一気に敵に肉薄するのが作戦だった。
アーサーが慎重にタイミングを図る中、マディスは限界を迎えつつあった。
「……ダメだ。もう、我慢ができない……」
あと三十歩進んだら突撃だ、とアーサーが心の中で呟いた瞬間、マディスが奇声を上げながら飛び出してしまった。
「ああああああああああああああああああああああああああああ!」
「あの気狂いめ! もう少し我慢できなかったのか!」
アーサーが吐き捨てるが後の祭りだ。アーサーはマディスを無視して、前進を続けさせた。
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一方、相手側のリムハイト軍も、マディスを補足していた。
「何かおかしな奴が突っ込んできますぜ」
「……騎士ではなさそうだが、重装備だな。厄介な……おい! 盾持ちと槍持ちを集めろ! ここで迎撃するぞ!」
リムハイト軍は、前進をやめ、迎撃することにした。そして突っ込んでくるマディス対策として、槍持ちの傭兵と撃ち漏らした場合に包囲して押し込む盾持ちの傭兵を集めさせた。これにより、わずかだが中央が厚くなった。そこへ全速力のマディスが突っ込んできた。
「槍持ち! 叩き殺せ!」
そう指示を出し、槍兵が高く掲げた槍を一気にマディスへ向け振り下ろし強打したが、厚手の鎧を着こんだマディスには通用しなかった。それなりの衝撃が中の人間にも伝わっているはずだが、既に半ば正気を失っているマディスには意味がなかった。そしてリムハイト軍にラディア軍の放った呪いの矢が突き刺さったのである。
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マディスが敵軍に突っ込んだ瞬間、敵が押し寄せ、槍で叩かれたが、マディスは既に何の痛痒も感じていなかった。迫りくる敵兵達に両手の剣を滅茶苦茶に振り回し、槍兵達は無残に倒された。そして、吸血剣が敵兵を切り裂いた瞬間、とてつもない歓喜がマディスを襲った。
「お、おいしぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!」
いつかのように、この世のものとは思えない味わいをマディスは感じ、叫んでいた。
「な、なんだこいつ!」
「いいから盾持ちを前に出せ! 押しつぶしてしまえ!」
盾を持った兵を中心として敵兵の一団が、マディスに襲い掛かったが、マディスはこれを難なく退けた。呪剣の切れ味は、マディスの殺意に反応してか、よりその切れ味を増し、盾ごと敵を切り裂くほどの威力を見せた。吸血剣も呪剣ほどの威力はないが、これに切り裂かれた敵は、体力を奪われ戦闘不能に陥った。
子供が棒切れを振り回すように、マディスは両手の剣を振り回しながらひたすら前進を続けた。どこを向いても、敵。敵。敵。狙いを付ける必要もなく、ひたすら剣を振り回していれば、それだけで敵兵は倒れていった。普通、重い全身鎧を着こんで、このように剣を振り回し続ければ、あっという間に疲労で動けなくなってしまうが、マディスは吸血剣で敵の体力を奪い続け、無尽蔵のスタミナを誇った。故に誰もマディスを止めることが出来なかった。
「ば、化け物だ! あいつは化け物だ!」
「糞! あんなのと戦えるか!」
いつしか、敵兵の間に、マディスに対する恐怖が広がり、リムハイト軍は恐慌状態に陥っていた。そしてそのタイミングでアーサー率いる右翼前衛が敵と接触しようとしていた。
「敵中央が崩れかかっています!」
「あれは……マディスか! マディスが単騎で敵中央を崩しているのか!」
アーサーはこの状況を見て、敵中央を突破できる好機を見出した。だが突撃してよいものか一瞬迷った。不用意に突撃して、突破できればいいが、勢いが止まってしまえば、敵中で孤立し、包囲されてしまう。しかし、この敵中突破が成功すれば、戦功としては十分だ。悲願の貴族復帰は間違いないだろう。アーサーは決断した。
「乗るしかない! この勢いに! 全員、マディスが突破したところに突っ込め! 俺に続け!」
アーサーは、部隊を率いてマディスが切り開いた道へ突撃していった。
そしてこの動きに本陣が呼応した。
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丘の上のラディア軍本陣で床几に座り、戦況を見つめていた将軍の目がギラリ、と光った。その瞬間、将軍は勢いよく立ち上がり、右翼を指さし叫んだ。
「見よ! 右翼中央が、敵陣を突き崩している! 好機は今ぞ! 全軍に突撃命令を出せ!」
それを聞いた副官らしき男が驚き、意見を述べる。
「し、しかし、戦いはまだ始まったばかり、あまり拙速に動かれては……もう少し様子を見ては?」
「たわけ! 戦に筋書きがあるか! いいから全軍を突撃させろ! 中央の予備隊は全て右翼に回せ! ありったけの戦力を敵に叩きつけるのだ!! 馬引けい! 儂も出る!」
そういうと、将軍は馬に飛び乗り、前線に向かってしまった。「この戦い! もらった!」と将軍の勇ましい声が響く。護衛の騎士たちも慌てて後に続いた。
残された副官は小さく溜息をつくと、まず全軍突撃のラッパを吹かせ、伝令を各部隊に向かわせた。そして本陣に最低限の警備兵のみを残すと、自らも兵をまとめ将軍の後を追った。
「大将旗を高く掲げよ! 将軍自ら出陣したことを全軍に示すのだ! ラディアに弱卒無き所をリムハイトの連中に見せてやれ!」
副官もまた、兵たちに檄を飛ばし、戦塵の中に消えていった。
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戦端が開かれて早々に、戦場にラディア軍の突撃ラッパが鳴り響いた。これに、中央と左翼の軍勢は当初、何かの間違いではないか、と困惑した。右翼が敵を突き崩していることなど、前線の彼らにはわかりようがない。しかし、将軍の旗が本陣から動き、伝令が全部隊突撃との連絡を伝えてきた。こうなっては突撃するほかない。中央も左翼も、右翼に続いて全力で敵に襲い掛かった。
対するリムハイト本陣でも、開始早々の全軍上げての突撃に驚嘆していた。リムハイト側の総大将は、敵将はとんでもない博打打ちか、大バカ者のどちらかだと、やや現実逃避気味に考えていた。しかし、自軍の左翼が押されているのに気づくと、前者であると確信した。
「敵将は一気に勝負を付けに来たか! 全予備隊を左翼に向かわせろ! 左翼が持ちこたえれば、突出した敵を包囲できる! なんとしても持ちこたえさせろ!」
そう、指示を出し、各予備隊に伝令を向かわせた。だがこの命令が実行されることはなかった。伝令が届く前に、ラディア軍の猛攻に耐えかねた各部隊が、現場判断で予備隊を各前線に投入してしまったからだ。そしていよいよ左翼本営にマディスの刃が迫っていた。
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マディスは気づけば、敵傭兵部隊を突破し、敵後衛のリムハイト正規軍に辿り着いていた。この時点で、マディスは血を十分に摂取し、やや冷静さを取り戻していた。
――戦況は良く分からないが、目前に敵兵の集団がいる。こいつらを倒さなければ、ラディア王国は滅亡へまっしぐらだ。そうなればフェリス達がどんな目に合わせられるか分かったものではない。だからあいつらを根こそぎ倒さなければならない。あと、金貨も欲しい――
マディスは頭の中で妄想を膨らまし、リムハイトへの殺意を強めた。マディスは大声で吶喊しながらリムハイト軍へ突っ込んだ。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
流石に、正規軍は傭兵部隊と違って、士気が高く、容易には崩れなかった。しかし敗走を始めた傭兵部隊が邪魔で、思うように動きが取れなかった。マディスはやはりひたすら剣を振り回して、前へ、前へと進んだ。やがて騎乗し、立派な鎧に身を包んだ騎士が目に入った。マディスは、あれが敵将だと直感し、切り伏せた敵兵が持っていた手槍を拾い、馬へ向けて投擲した。
見事に槍は馬に命中し、敵将は落馬した。周囲の護衛兵がマディスに殺到するが、その時ようやく後続部隊がマディスに追いつき始め、敵将の周囲は敵味方入り乱れての乱戦となった。マディスは敵兵を薙ぎ払い、敵将に迫った。
「金貨五十枚! 覚悟!」
「下郎が! 傭兵風情が討てるものなら討ってみるがいい!」
敵将は大剣を両手に構え、マディスに打ちかかった。流石に、大剣をまともに受けては、全身鎧を着こんだマディスでも危うい。マディスは二刀を交差して大剣を受け止めると、蹴りを食らわし、間合いを取る。
マディスは二刀を操り、乱撃を放つが、敵将は冷静にこれをいなし、容易につけ入る隙を見せなかった。マディスの見立てでは、敵将は、赤いスケルトンと同等かそれ以上の強さといった所だ。鎧を着こんでいる分、素早さは劣るが、条件はマディスも同じだ。
その後、何度も打ち合うが、実力は拮抗し、互いに攻めあぐねた。突破口を見いだせないマディスが焦りを感じ始めたその時、後方からウオーッ! という味方の吶喊が聞こえた。その瞬間、敵将の注意が声の方に向いた。
マディスはその隙を見逃さず、右手の吸血剣で全力の突きを放った。敵将は間一髪これを回避したが、剣先がわずかに頬をかすめた。くしくも、マディスが赤いスケルトンと戦った時と同じ展開になったのだ。
敵将が体勢を立て直そうとするが、急に疲労を感じ、一瞬体が硬直した。マディスはすかさず、剣を捨て、敵将に跳びかかり地面に押し倒した。敵将は自身の鎧の重さとマディスの重さで身動きが取れず、首をマディスの腕で絞められ、意識を失った。ラタン直伝の寝技だ。フェリスも流石に体を密着させる寝技は教えてくれなかった。
そこへアーサーが後続部隊と共にやってきた。
「よくやったマディス! 敵将は我らが捕らえたぞ! 貴様らの負けだ!」
アーサーは大声で自軍の勝利を喧伝し、皆一斉に、敵将捕らえたり! と叫び、それを聞いたリムハイト左翼軍は総崩れを起こし、次々に敗走を始めた。
「ご苦労だったな、マディス。敵将捕縛はお前の手柄だ。私が必ず証言するから安心しろ。……もう戦の趨勢は決まったも同然だ。貴公はもう休め。追撃は我らに任せろ」
アーサーはそういうと、捕らえた敵将を丁重に後方へ送る指示を出し、自らは部隊をまとめ、追撃に移った。
マディスは暫く茫然としていたが、我に返り、呪剣と吸血剣を拾った。このとき無意識に右手で呪剣を拾い上げていた。
「……あ。右手で呪剣を持てるってことは、吸血剣の呪いが解けたのか……」
果たして、マディスの目論見通り、イヤになるほど血を吸わせられた吸血剣がその呪力を落としたのか。それとも戦場の狂騒で高められたマディスの力が呪いを従えたのか。真相はわからなかったが、吸血剣はマディスによって調伏させられたのだ。マディスは二刀を鞘に収めると、戦場を後にした。
その後、右翼からの敵陣突破に成功したラディア軍は、そのまま旋回して中央を包囲するように動いた。リムハイト軍は左翼が突破された時点で、総退却の命令を発し、撤退に移ったが、無事退却出来たのは、本陣および、リムハイト右翼、中央の一部だけで、残りの軍は包囲され、ラディア側に降伏した。ここに、ベイル会戦はラディアの勝利で幕を閉じた。
また、この会戦での死者は、歴史上の他の戦と比べ極めて少なかった。マディスの活躍で、早々に決着が付き、降伏したものが多かったからである。激戦となった右翼でも、マディスを恐れ、兵が逃げ出してしまった。戦史の上で、ベイル会戦はラディア側の大胆な用兵による完全勝利として記録されることになる。
活動報告を更新しました。よろしければご一読ください。




