第34話 戦場へ
王国軍が王都を出発する日を迎え、マディスは傭兵部隊の集合場所へ向かった。
「いいこと? 手柄を上げようなどと馬鹿なことを考えては駄目よ。なるべく後方にいて倒れている人から少しずつ血を分けてもらうだけにしなさい」
「分かっているよ。僕も傭兵として活躍しようなんて考えてはいないさ。フェリスも気を付けてね」
そう、フェリスとは別れを交してきた。マディスは何もフェリスを心配させまいとしてそういったわけではなく、本心からの言葉であった。あくまで、戦いに参加するのは血を吸うためで、本気で戦おうとは思ってもいなかったのだ。
……この時点では。
マディスが、王都城壁外にある集合場所に到着すると、既に大人数の傭兵達が集まっていた。傭兵といっても、大半が間に合わせの装備を付けたみすぼらしい者たちで、マディスから見れば、盗賊達とあまり変わらなかった。マディスは、傭兵部隊の指揮官となっているアーサーを見つけ、話しかけた。
「おはようございます。アーサーさん」
「おお、よく来てくれた。貴公がいれば百人力だ。さてこれがお前の荷物の割符だ。決して失くさぬようにな。貴公には私の直属部隊に入ってもらう。なるべく私の目の届く所にいるようにするのだぞ」
そういって、アーサーはマディスに割符を渡すと、忙しそうに指示を出している。この割符だが、マディスは前日に、自分の鎧を指定された軍の物資集積場に運び込んでいた。軽装ならともかく、重い全身鎧を装備して行軍することなどできない。疲労が蓄積してしまい、戦うどころでは無くなるからだ。
故に重装備を持つものはあらかじめ鎧一式を輸送部隊に預け、戦場近くで受け取り着替えるのだ。アーサーも今は以前の全身鎧姿ではなく、鎧下のみを着用している。
しばらくして、傭兵達の集合が完了し、整列して待機することになった。マディスはアーサーの側にいるように言われていたので、列には加わらず、アーサー達、傭兵部隊の指揮官の一団に加わっていた。
改めてマディスが整列した部隊を見回すと、やはり大半が雑兵といっても差支えない者たちばかりだ。こっそりアーサーに聞いてみたところ、銅級冒険者はアーサーとマディスだけらしかった。残りの鉄級冒険者もどちらかといえば、うだつの上がらない面々らしい。
冒険者として活躍できるような人材が戦に出ることは稀らしく、そういった意味ではマディスは戦力として貴重な存在だった。一応指揮官クラスの者たちは、経験豊富なひとかどの傭兵達らしく、マディスから見ても古強者といった風貌だった。
彼らに傭兵の実態を聞いてみたが、今の時代、戦争などそう頻繁にあるものはないため、専業の傭兵というのは珍しいとの事だった。いざ傭兵を募集しても大半は食い詰め物のごろつきで、戦力とは言い難いが、それでも戦において数を確保するのは重要であるから無駄ではないそうだ。
そうして世間話をしている最中、王都からワーッ! と歓声が上がった。いよいよ王国軍が出陣したのだ。今頃は王都市民の歓呼の声に送られて、外の集合場所へと行進している最中だろう。
「皆の者! もう間もなく王国軍主力が到着する! 主力到着後、我が部隊は最後尾について進軍する! 勝手に列を離れたものは脱走兵として取り締まる! 無論道中での乱暴狼藉も決して許さぬ! ゆめゆめ忘れるな!」
そう、アーサーが号令を掛け、部隊の気を引き締める。暫くすると、王都正門から、きらびやかな鎧と立派な軍馬に乗った騎士の一団が現われた。ちなみにアーサーも自前の軍馬に乗っているが、年老いた痩せ馬だ。それでも軍馬には違いないので、大変な維持費がかかるらしい。
マディスはようやく出発か、と思っていたが、騎士の一団は王都郊外で停止すると、何やら作業をし始めた。
「アーサーさん。あれは何をやっているんですか?」
「マディス……以降は公の場では隊長と呼んでくれ、軍の規律に関わる。誰もいない時は構わんがな。それでだ、今は行進を終えた部隊が着替えている最中だ。我らと同じであんな重い鎧を着て行軍などできんよ。しばし待て」
それを聞いて、マディスはウンザリした。朝からずっと待機してばかりだ。これなら剣の素振りでもしたいところだが、そういう訳にも行かず、ただひたすら、立ちっぱなしで待っているしか無かった。
ようやく着替えを終えた部隊が行軍に移ったが、何しろ大人数の移動だ。マディスはこの場に何人ぐらいいるのか、傭兵指揮官の一人に聞いてみたが、まあざっくり四千はいるだろうとの事だった。
その為、マディス達傭兵部隊がようやく最後尾についたころには日が暮れかかっており、少し進軍した所で野営の準備が始まった。こうしてマディスの傭兵としての一日目はほとんどが待機時間で終わった。
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翌日以降も単調な日々が続いた。毎日、起床の合図で皆飛び起き、朝食を取り、野営地を引き払う。一部の上級指揮官たちは、近くに宿場町等があれば、そこに本営を設置し、町の施設を利用できたが、ほとんどの者たちは、天幕を設置し、そこで寝泊りした。夕食を取ってしまうと皆、やることが無いため、賭け事などに興じるものが多かった。
マディスはフェリスの教育もあり、そういったことには手を出さなかった。アーサーは指揮官として毎日忙しく関係各所と調整しているため、マディスはもっぱらベテランの傭兵等から戦についての話を聞くことが多かった。
「なんというか、毎日のんびりと移動して、緊張感が無いんですか、移動中に敵が襲い掛かってきたりはしないんですか」
「若いの、お前何も知らぬのだな。まあ無理もないか。まず、ここはまだラディア領内だからな、敵がいるということはまずあり得ぬ。うむ、お前の言いたいことはわかるぞ。少数の部隊を潜ませて奇襲を掛けることはできるのではないか、と言いたいのだろう。昔は戦争とはそういうものだったらしい。だが今では様々な取り決めが出来ている。直接戦場で戦う事以外の戦闘行動は許されていないのだ」
ベテラン傭兵は詳細を語ってくれた。かつては、戦に取り決めなどなく、敵を倒すためなら何でもやったそうだ。敵の領内に侵入し、田畑を焼き払い、村々を略奪するのは当たり前だったし、行軍中の敵軍を奇襲するのは勿論、輸送部隊のみを狙い撃ちにし、物資不足で本体を行動不能に陥らせた。また自分たちの領土を焼き払い、侵攻してきた敵の補給を困難にする等、ありとあらゆる事が軍略の名の下に行われたのだ。
こういった軍略は日に日に過激化していき、遂には魔物を誘導して敵にぶつけるなどの愚行が行われる事もあったという。レオンが以前語っていた通りだ。
最も酷かった時代は、今から数百年前、東方のある国に恐るべき野心を持った王が現われたことで始まった。後に狂王とも魔王とも称されるこの人物は、王であった父を殺し、兄弟達を皆殺しにして王位についた。その後、周辺諸国へ侵略をはじめ、瞬く間に一帯を征服した。この際に、狂王は戦いに勝利するためなら、どれほど非道なことでも行ったという。
狂王は強大な王国を築いたが、自らに従わぬものは、皆惨たらしく処刑し、遂にその魔の手は教会にも伸び、神官たちを虐殺した。これが契機となり、教皇は、かの王を魔王と認定し、人類共通の敵とした。
魔王とは、通常は竜のような強大な力を有する魔物のことを指し、魔物の王という意味だ。人間に対して魔王という呼称が使われたのは、後にも先にもこの人物だけだ。教皇は聖戦の名の下に、諸国家を団結させ、自らも聖堂騎士団を率いて魔王との戦いに臨んだ。
教皇を盟主とした連合軍と魔王との戦いは熾烈を極めたという。宮廷において暴君であった魔王は、戦場では名将であったためだ。自軍の数倍の連合軍を相手に、魔王は互角以上に戦い抜いたが、最後は聖剣を携えた聖騎士によって討たれたという。
「――そういうわけで、今の戦争には様々な取り決めがある。まず外交問題を直ちに戦争によって解決することは教会に認められていない。侵略戦争などもってのほかだ。紛争が起きた際はまず話し合いでの解決が求められる。今回のように解決しない場合は、それぞれの国が教会に申し立てをして、承認された場合のみ、会戦によって決を取ることになる。戦いで捕虜を虐待、殺害したりすれば、非道な行いとして教会から非難されることになるから、決して無駄に殺しをするなよ」
こうして、マディスは傭兵達からこの世界の戦争についての知識を得ることができた。
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ラディア王国軍は、リムハイトとの国境に最も近い、最南端の都市にようやく到着した。南部地方の兵力が先に集結しており、本隊と合わせて総勢五千ほどの軍勢となった。この他に物資を輸送している輜重部隊等もいるので、戦争に従事している人間の総数はもっと増えるのだが。
この頃になると、マディスは吸血の欲求が出始めており、必死で呪いを押さえていた。アーサーによれば、この都市で最後の補給を行い、後は会戦の場所まで数日との事だった。マディスはあと少しの辛抱、と自らに言い聞かせ、精神を集中し、暴発を押さえこんでいた。
そんなマディスの事情を考慮することなく、軍は予定の軍事行動を淡々とこなしていた。まず全軍を都市郊外に整列させ、総大将たる将軍が閲兵を行った。その後、将軍による演説が行われ、本戦争の意義が説かれた。
曰く、リムハイトは我が国の領土を不当に侵し、我が物にせんとしている。我々が敗北すれば、リムハイトはその野心を益々増長させ、王都にも魔の手が伸びるだろう。そうなれば、罪なき人々が無残に殺され、かよわき女達がその毒牙にかかるだろう、と言いたい放題である。
実際の所、傭兵が語った通り、戦に敗れたとしても、ラディア側が、銀鉱山の利権の一部を手放すことになるだけで、王都どころか南部にある都市にすら被害は及ばない。戦場周辺の小さな村々が、暴走した一部の部隊の略奪に合う可能性はあるが。
将軍とてそんなことは百も承知の上で、少しでも自軍の戦意を上げるべく、ハッタリをかましているのだ。お世辞にも良識のある行動とは言えないので、副官らしき男が脇で頭を抱えていたが、世間を知らない若者などは、将軍の演説を素直に信じ気勢を上げていた。その中にはマディスもいた。
マディスは事前に傭兵から戦の作法等を聞いて、将軍のいうような自体にはならないと知識の上ではわかっていたが、いざ立派な鎧に身を包んだ将軍の演説を聞くと、「あんな立派なお貴族様が言っているのだから正しいのだろう」と素直に信じた。
また今のマディスは血の渇望に苦しみ、冷静さを欠いていた。そのため、マディスはもし自分たちが敗北した場合どうなるのかを空想し、リムハイト軍によってフェリスや知り合い達が酷い目にあわせられる幻覚を見た。その結果、マディスの中でリムハイトに対する戦意、いや殺意が膨れ上がっていたのである。
「ゆ、許さないぞ、リムハイトめ……。僕から大切な人達を奪う奴らは、みんな、みんな、滅ぼしてやる……破滅を与えてやるぞ……」
ぶるぶると震えながら、恐ろし気な独り言をいうマディス。マディスの殺意に反応したのか、呪剣が人知れず、カタカタと震えていたが、気づく者はいなかった。
古来、戦の勝敗は戦いの前に決すると言われてきたが、将軍の演説がこの戦いの趨勢を決めるとは、誰も思いもしなかった。
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