第32話 血の呪い
マディスがギルドにたどり着いたとき、既に彼の精神力は限界であった。最後の力をふり絞って中に入る。そして受付まで進んだマディスの前に、思いも寄らぬ人物達が姿を見せた。
「マディス! 久しぶりね! 元気にしていた?」
「……マディス君。ずいぶんお疲れのようですね? 顔が真っ青ですよ」
フェリスとラタンだった。二人は暫くロドックに留まる予定だったが、王都から流れてきたマディスの噂話を聞き、居ても立っても居られなくなり、王都へやってきたのだ。フェリスは主に庇護欲からの行動だが、ラタンは呪剣の影響を心配してのことだ。二人は先ほどまでティアンナと面会し、マディスの近況を聞いていたのだ。
「……フェ、フェリス。ラタンさんも」
マディスは精神力の限界で幻覚を見たかと思ったが、実物だとわかり安堵した。しかし呪いの問題が解決したわけではない。ふらふらになって二人に近づく。
「マディス。お師匠のいう通りよ。あなた大丈夫なの? 具合が悪いの?」
「……じ、実は、呪いのせいで……が吸いたいんだ」
「え、なあに? 良く聞こえないわ?」
そう言って、マディスの口元に耳を近づけるフェリス。
「……ち」
「ち?」
「……血が吸いたいんだ……」
「……ちが吸いたい? ……! 乳が吸いたい!? ですって!!」
次の瞬間、強烈な掌底のようなビンタがマディスの頬を撃ち抜いた。その余りの威力にマディスは盛大に鼻血を撒き散らした。なおも、フェリスの怒りは収まらず、マディスの胸倉をつかみ、往復ビンタを続ける。
「マディス! 貴方、あれだけ言ったのに、歓楽街にでも行って、いやらしいことでも覚えたんでしょう! 尼僧の私に劣情を催すなんて、この恥知らず! 悔い改めなさい!!」
フェリスは、マディスが王都で悪い遊びを覚えたと思い込み、全力でひっぱたく。その光景は着替えを覗いた弟を折檻する姉の図だ。
突然の出来事に、呆然としていたラタンが、慌ててフェリスを引き離し、ようやくマディスは解放された。顔面をパンパンに腫らし、床に這いつくばるマディス。
「……あ……ひ(血)だ」
目の前に自分の出した血が広がっていた。すぐさま、吸血剣を抜き、血を吸わせた。
「!……お、おいひいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!」
吸血剣の歓喜がマディスにも伝わったのか、その甘美な味わいに酔いしれるように恍惚の表情でマディスは叫んだ。
そのあまりの光景に、フェリスは真っ赤な顔を一転して蒼白にさせ、わなわなと両手で顔を覆った。
「ま、マディスが……変態になってしまったわ……」
フェリスはわーっ! と床に突っ伏して泣きじゃくり始めた。やはり王都に一人で行かせるべきではなかった、こんなことなら自分もついて行けば良かった、とひたすら嘆き続けた。
ラタンはどうしていいか分からず硬直したままだ。
遠巻きに様子を伺っていた周囲の冒険者達もどうすることもできない。彼らは一様に、経典に書かれている地獄とは、これのことかとぼんやり考えていた。
この狂騒は、騒ぎを聞きつけたティアンナが来るまで続いた。ティアンナは騒動の中心がマディスであると知ると
「また貴方なの!!」
と激怒したが、自分まで激昂しては、場が収まらない、とその強靭な精神力で怒りを押さえ、まず、マディスを電撃魔法でおとなしくさせると、次に「きっとなにか誤解があるはずよ」とフェリスを優しく介抱し、落ち着かせた。
何もできなかったラタンが自らを恥じて「これも拙僧の未熟さ故、どうかこの愚僧をお打ちください」とティアンナに謝罪した。
鬱憤が溜まっていたティアンナは、これを言葉通りに受け取り、ラタンを平手で殴り飛ばした。うっかり前に出てしまったラタンのミスだ。
ティアンナは騒ぎを収めると、颯爽と去っていった。
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それから、三人は食堂でお茶を飲みながら話をしていた。フェリスは、マディスがよからぬ遊びを覚えたわけでも、変質的な嗜好に目覚めた訳でもないと分かると安心したが、マディスが新しい呪いの剣を拾った影響で、血への渇望に苦しんでいると知ると、呆れと怒りが混じった複雑な感情に支配された。
「どうしてあなたって子は、そんな変なものを拾ってきちゃうの……」
フェリスは本心では「今すぐ捨ててきなさい!」と怒鳴りつけたかったが、先ほど勘違いで取り乱したことと、冷静に対処したティアンナの行動に思うところがあり、頭ごなしに否定はしなかった。
「それで、これからどうするの? 道行く人たちから血を分けてもらう訳にはいかないのよ」
「……拙僧が見る限り、その剣の呪いは強力です。既に拙僧、いや教会の司教クラスでも解呪はできないでしょう」
顔を腫らしたラタンが見解を述べる。なおラタンはティアンナに張られた頬の怪我を、自らの未熟さの証として治療するのを拒否していた。決して不純な動機ではない。一方マディスは、ティアンナの魔法で髪が少しばかり焦げているが、顔の怪我はフェリスに治してもらって元通りだ。自身の血を吸った影響で、幾分渇きが癒されたのか、だいぶ冷静に考えることができるようになった。
「意識を集中すれば、呪いが少しは押さえられる訳だから、後は何かで呪いの力を弱めるか、それか僕の力を高めれば、従わせる事もできると思うんだけど」
「理屈ではそうだけど、具体的にどうするの? 何も方策がないなら、聖堂の大司教様にお願いして解呪してもらうべきよ」
フェリスは冷静にマディスを諭し、解呪させる方向に持っていこうとする。マディスもフェリスの意見はもっともだと思いながらも、この剣を手放すのは惜しいと考えていた。
「……うん?」
その時、フェリスが食べているお菓子が目についた。以前、マギーがばか食いしていたものと同じものだ。何となく引っかかるものがあり、じーっと見つめる。
「あら、あなたも食べたいの? あまりケチケチしないで、食べたいなら自分で注文なさい」
「いや、そうじゃなくて」
マディスは何かを思いつきそうになり、必死で頭を回転させる。
(あの時、エミリーは何て言った? 好物を飽きるまで食べる? いや、引っかかるのはその後のマギーだ。食べ過ぎた後、ちょっと嫌いになる……)
「これだ!!」
マディスは椅子を蹴り飛ばす勢いで立ち上がった。マディスに会心の閃きが舞い降りたのである。マディスはそのまま、ギルドの受付まで走り出した。二人を置き去りにして。
「「……」」
「……なんというか、マディス君は少し明るくなりましたな。いい傾向です」
「そうでしょうか? 変な友人とかに影響されてないでしょうか?」
残された師弟は呆気に取られて走り去っていくマディスを見送っていた。
受付にきたマディスは、職員を捕まえ、こう言い放った。
「盗賊討伐の依頼をあるだけください!」
●
それからのマディスはただひたすらに盗賊を狩り続けた。マディスは、吸血剣にイヤというほど血を吸わせれば、人間でいうところの満腹の状態になり、その呪力を減退させることができるのではないかと考えたからだ。マディスは盗賊を倒す際に吸血剣を使い、足や腕など致命傷になりにくい部分を切り付け、盗賊の血を剣に吸わせた。
この際に、切りつけた相手の血を吸うことで、その体力を吸収できることに気づいた。単に相手に疲労を与えるだけだと思っていたが、実は切りつけた対象の体力を血を介して吸収することができるのが吸血剣の真の能力であった。
あくまで体力を吸収できるだけで、傷を回復することは出来なかったが、対人限定とはいえ、疲労を無視して無尽蔵に行動できるようになった。また、試しに魔物を吸血剣で切ってみたが、やはり魔物の血では効果がなかった。
盗賊達を制圧すると、彼らを捕縛して帰還する。なお、一人で捕縛するのは大変なので、馬車を借り、フェリスやラタンに協力を依頼し、たまにエミリーやマギーにも飲み代を餌に手伝わせた。マディスはひたすら盗賊達を狩り続け、そしてしばらくして当然の問題が立ちふさがった。
「もう盗賊の討伐依頼は無いんですか!?」
「は、はい。お陰様で、王都近郊の盗賊たちはほぼ壊滅しました。念のため斥候に探らせていますが、間違いないかと」
「そんな! じゃあこれから僕はどうやって血を吸えばいいんですか? 血を吸わないと、僕は困るんです! 僕の気が変になってしまったら、どうすればいいんですか!?」
「そ、そう言われましても……」
職員はマディスの剣幕に心底怯えていた。周囲の冒険者たちも異常者を見る目でマディスを見ている。この行動でマディスの悪評はさらに広まることになる。
ただ、盗賊達が一掃されたことに感謝するものも多くいた。商人達がその筆頭だ。ここ最近、盗賊団の増加で、護衛費が高騰する一方だったが、マディスの活躍でその心配もなくなった。商人達もマディスの悪評は知っていたが、別に一般市民に危害を加えるわけでもないので、マディスに対して親しみはしなかったが、感謝の念は忘れなかったのである。マディスは本人の知らぬ所で、経済の安定に寄与していた。
もっとも、いくら流通が安定したところで、マディス本人の問題は解決しない。ここの所、血は十分に吸収出来ているので、精神は安定しているが、いつまた血の渇望に襲われるかわからない。
何より、マディスには、あともう一歩で吸血剣がおとなしくなるのではないか、と不思議な直感があった。しかし、盗賊達がいなければどうにもならない。貧しい人達にお金を払って、ちょっとずつ血を吸わせてもらうことも考えたが、やはり人道上の問題がありすぎる。フェリスが知れば、殴ってでもやめさせるだろう。
マディスは食堂で一人、うんうん悩みながら頭を抱えていた。そんなマディスに声をかける者がいた。
「失礼する。貴殿、呪剣士のマディスで相違ないか?」
「はあ、そうですが、あなたは?」
「失敬、私はアーサーというものだ。貴公と同じ銅級冒険者でな。自由騎士をしている」
「アーサーさんですか、僕に何か御用でしょうか?」
マディスはアーサーが名乗った自由騎士という職業が何なのかわからなかったが、ずいぶん堅苦しい喋り方をする人だと思った。そう、ぼんやりと考えているマディスに、アーサーは問いかけた。
「貴公、傭兵業に興味は無いか?」
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