第20話 懸念
ほどなくして、意外と軽傷だったフェリスが意識を取り戻し、マディスの無事を喜んだ。フェリスも、マディスの呪いの制御については驚き、単純に「奇跡だわ!」と喜んだ。しかし、マディスが呪剣を捨てるつもりが無いことを知ると、やや難色を示した。フェリスは結局、怪しげな力であるが、そのおかげで自分もマディスも助かったのだと納得することにした。
ラタンは、フェリスにマディスが呪いを制御できるようになったことを、口外しない様に言いつけた。未知の力を利用する不届き者を寄り付かせない為だ。マディス本人にもきつく言い含めた。
テオの意識は戻らなかったが、いつまでも迷宮に留まる訳にはいかない。オーク程度であれば問題ないが、最悪トロールが再び出現する可能性もあった。三人は速やかに撤収することにした。
トロールの討伐部位はやはり鼻だったが、トロールの脂肪は薬の素材として高く取引されるという。ラタンからそれを聞いたマディスは、死体を持って帰る、と聞かなかったが、マディスだけではとても運べなかった。ラタンは捨てていけ、と言ったが、あきらめきれないマディスは、報酬を折半するという条件でラタンの協力を取り付けた。トロールの死体にロープを括りつけ三人で引っ張りながら何とか運んだ。なおテオは言い出しっぺのマディスが担いでいくことになった。
フェリスはラタンがロープを引っ張りながら、密かにほくそ笑んでいるのを見逃さなかったが、救世の旅にも金はかかる。何も見なかったことにした。
「そういえば倒れていた二人はどうしたんですか?」
マディスが汗だくになりながら聞いた。
「あの二人は治療した後、偶然通りかかった冒険者達に預けました。ギルドにトロール出現の報告を入れるようにも頼みましたから、今頃ギルドは大騒ぎでしょう」
そうラタンは答えた。なおマディスはこの時点では気づいていないが、負傷した二人の内、一人はテオの相棒ミロだった。ともかく、三人は無事帰還した。
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ラタンの言葉通り、トロールの出現に冒険者ギルドは騒然となっていた。報告を受け、討伐部隊が急遽編成され、いざ出撃というタイミングでマディスたちが帰還してきた。運ばれてきたトロールの死体に皆一様に驚き、またそれを討伐したのがマディスということが判明し、さらに大騒ぎとなった。
ラタンは換金などの手続きをマディスに任せ、レオンへ報告に行った。トロール自体の討伐報酬は銀貨三枚だが、トロールの死体から採取できる脂肪は、最終的に金貨十枚の高値が付いた。トロール自体が通常深層に出現する個体で、討伐されることが少ないのと、討伐されるにしても、弱点である火で焼かれることが多いため、きれいな状態での丸々一匹の死体が手に入ることが希少であったためだ。
この大金にマディスは驚いた。銀貨ですら初めて触るのに、それが金貨十枚とは。半分はラタンに渡すにしても破格の報酬である。興奮覚めやらぬマディスであるが、フェリスから今日はもう休んだ方が良い、といわれ素直に従った。トロールから受けた傷はラタンに治療してもらったが、内臓を損傷している可能性もある。しばらくは安静にするに越したことはない。マディスは金貨をしっかりと懐へしまい込み、宿へ帰った。
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マディスが宿に帰還した後も、ギルド内部での喧騒は続いていた。トロールが中層のそれも浅層に近い部分に出現するなど異常事態であったからだ。ラタンから報告を受けたレオンは、第一目撃者のテオ一行への事情聴取や、銅級冒険者を中心とした警戒班の派遣、領主や衛兵隊への報告など、矢継ぎ早に指示を出した。最悪はスタンピードの可能性があり、トロールの異常繁殖なども考えられた。当面は警戒体制を取る必要がある。
レオンは一段落した所で再び尋ねてきたラタンと面会していた。
「支部長殿。忙しい時に申し訳ない」
「いえいえ、構いませんよ。どうされましたかな」
やや躊躇いがちに口を開くラタン。
「……これはなんの根拠もない、拙僧の思いつきでしかありませんが、今回のトロールの出現、例の呪剣が原因かもしれませぬ」
「なんと。何故そのように思われるのですか」
「何の前触れもなく、トロールのような上位種がただ一匹だけ浅層近くに現れるなど、滅多にあることではありませぬ。異常繫殖やスタンピードの類であれば複数体で出現するはず。いえ、今回一匹だけというのは僥倖ではあるのですが。どうにも拙僧にはあの呪剣が呼び寄せたように思えてなりませぬ」
「ウーム。魔物を呼び寄せる呪いというのはありますからなぁ。可能性として無いとは言い切れませんが。しかしそうであれば、とっくにマディスは死んでいるでしょう」
「ええ。そういった呪いであれば、無秩序に魔物を呼び寄せてしまうでしょうから、今回のケースには当てはまらないでしょう。ですが、なんというか、あの呪剣が、彼を危機に導いているような……かの呪剣によって彼が救われたのはまぎれもない事実ですが、いずれ彼に災いをもたらすのではないかと、そんな気がしてならぬのです」
深刻な表情でラタンは続ける。
「話は変わりますが、支部長殿は、教会が保管している古代遺物『栄光の剣』をご存じですかな?」
「ええ勿論。世に聖剣と呼ばれる教会の切り札ですな。何でも持ち主に試練を与え、乗り越えた者に栄光をもたらすとか」
そう答えながら、レオンはラタンの言いたいことに気づいた。
「かの聖剣が普段、大聖堂に封印されているのは、その試練をもたらすという性質の為です。試練に打ち勝てなかった者たちは、皆死んだと聞きます。聖剣と言えば、聞こえがいいですが、あれを魔性の剣と呼ぶものもいるのです」
「……マディスの呪剣が同じ類のものだと?」
「……ええ。ですが最初に言った様に、単なる思いつきでしかありません。ただ注意は必要でしょう。マディス君の呪いを制御できる能力も含め、最低限の関係者以外には内密にすべきでしょうな。……特に教会の過激な思想の者に知られれば、魔物に取り憑かれた人間だと討伐されかねません」
ひとしきり話を終えると、ラタンは去っていった。
その後、レオンは一人思案にふけた。確かに呪剣については不安が残るが、レオンはマディスに期待していた。先ほどは言わなかったが、実はここ数年、魔物の活動が活発化している事実があった。
優秀な冒険者は一人でも多く必要で、若手の育成は急務であった。その意味ではマディスの戦果は素晴らしい。呪剣の力、あってのことではあるが。だが、偶然、古代遺物を手に入れた者が一気に英雄候補へとのし上がることなど、冒険者の世界では珍しくはない。もっとも大抵のものは遺物の力に本人の実力が追いつかず、どこかで破綻するのだが。
マディスの場合も似たようなものであるが、ラタンの懸念も理解できる。レオンは筆記用具を手に取ると、手紙を書き始めた。暫くして書き終え、レオンは伝令を呼び出し、速達で届けるように言いつけた。伝令はレオンに聞く。
「宛て先はどちらで?」
「王都の本部長宛てだ。可能な限り早く頼むぞ」




