第19話 トロールとの闘い
テオの斬撃は、トロールの背中を深く傷つけたが、致命傷には至らなかった。
「ぐおおおおおおおお!!」
トロールは怒り狂い、めちゃくちゃに腕を振り回す。マディスは後ろに跳んで距離を取ったが、疲労困憊のテオは回避行動が取れず、剣を盾代わりに防御した。しかし衝撃を防ぎきれず、一気に吹っ飛ばされた。防御のおかげで致命傷は避けられたが、テオは完全に意識を喪失した。
一人残されたマディスに、トロールの注意が向く。もはやこの状況では、呪剣で戦うしかなかった。マディスは両手で呪剣を握り直し、トロールと相対した。呪いの影響でマディスは常に戦闘において恐怖を感じることはない。
マディスは呪剣で戦う決心をした瞬間から、今まで感じたことのないような喜びを感じた。これは剣の意思なのか、それとも自分自身のものなのか、自問自答している暇はなかった。こうしている間にもトロールの傷口はふさがりつつある。
マディスは意を決して、トロールに跳びかかった。防御など考えず、めちゃくちゃに切り付ける。トロールは背中の傷の影響か、動きは鈍く、マディスの攻撃を腕で防ぎつつ後退した。さしもの呪剣でも、トロールに大きなダメージを与えることは難しかった。だがマディスの捨て身の突撃に、トロールも困惑しているようだった。しかしそれも長くは続かずトロールの反撃でマディスは殴り飛ばされた。
胴にまともに食らってしまったが、既にマディスは痛みを感じていなかった。これが呪いの影響か、興奮の為かはわからなかった。トロールは回復に専念するつもりか、追撃はしてこなかった。マディスの攻撃も無駄にはなっていないようだ。この隙をついて、マディスは冷静に腰のポーションを一瓶飲み干した。痛みがないため良く分からないが、おそらく完治はしていないはずだ。もうあまり長く動くことはできないかもしれない。
(僕はここで死ぬのかもしれないな)
そう考えているマディスだが、トロールの背後に信じられぬものを見てしまった。
「逃げなさい! マディス!」
メイスを両手に構えたフェリスが、無謀にもトロールに向かって突っ込んで来たのだ。マディスを案じたフェリスは、負傷者の手当をラタン一人に押し付けると、全力で戻ってきたのである。走るのに邪魔な、杖も、盾も置いて、ただ一人で、マディスを救うために。
振り返ったトロールが、フェリスをその長い腕で薙ぎ払った。フェリスの胴が、トロールの爪で切り裂かれ、そのまま吹き飛ばされた。トロールはすぐマディスに向き直り、隙を見せなかった。
鮮血がほどばしり、フェリスの体が宙に舞う、その光景がマディスにはゆっくりと感じられた。やがてドサリ、と音を立ててフェリスの体が地に堕ちた。
「…………あ。ああああ。あああああああああああああああ!」
マディスは一時、声も出せなかったが、事態を認識すると絶叫した。その声には絶望の色がはっきりと浮き出ていた。その時、マディスの耳に声が届いた。
『……いい声だ……もっと聞かせておくれ……』
慣れ親しんだ、呪いの声が一層はっきりとマディスの脳内に響き渡った。
『……さあ殺せ……汝の敵を滅ぼせ……そして、見せておくれ……破滅を……』
その瞬間マディスは悟った。
(これか! これが目的だったのか! 僕の絶望を、破滅を見届けるのが目的か!)
戦いに明け暮れる中で、いずれ訪れる死を見届けるのが、呪いの目的だとマディスは考えた。もしかしたらこのトロールも、呪いが呼び寄せてしまったのかもしれないが、今そんなことを言ってもどうしようもない。トロールを倒さなければ呪いの思う壺だ。
「……殺してやるとも、僕の敵は皆、殺してやるさ」
呪いの声に答えるマディス。マディスは絶望の中、今更神に祈る気にはならなかったし、神様が助けてくれないのは、これまでの人生で身に染みて理解していた。信じられるのは力だけ。神でも呪いでも、使える物は何でも使って、今この場を切り抜けなくてはならない。
そして今マディスの手には力があった。邪悪な呪いの力だったが、生きるためには、大切なものを守るためには、この力を利用するしかない! そう決心したマディスは呪いに呼びかけ、命じた。
「……だから、僕に従え! 僕の敵を滅ぼせ! 僕の敵に、破滅を与えてやれ!」
絶叫と共に、マディスは一気に走り出し、跳躍しながらトロールの頭上に呪剣を振り落した。トロールは両手を交差して斬撃を受け止めようとしたが、その瞬間、刀身が妖しく黒く輝き、トロールの腕の肉と骨をなんの抵抗もなく引き裂いた。そのままトロールの頭蓋を砕き、剣は止まった。輝きはいつの間にか消えていた。
マディスはトロールの頭蓋を砕いた瞬間、思わず手を放してしまい、トロールと共に倒れこんだ。急いで飛びのくと呪剣は頭に食い込んだままになっていた。驚くべきことにトロールはまだ絶命しておらず、ぴくぴくと動いていた。マディスは咄嗟に手元に転がっていたテオの剣でトロールの喉笛を突き刺した。魔物は遂に絶命した。
マディスはテオの剣を手にしたまま、一瞬その場に立ち尽くすが、慌ててフェリスの元へ駆け寄ろうとする。
「無事ですか!」
その瞬間、ラタンが追いついてきた。絶命したトロールを見て絶句するが、すぐに倒れているフェリスに気が付き、駆け寄った。
「ラタンさん! フェリスを! フェリスを助けてください!」
泣き叫ぶように助けを求めるマディス。ラタンはマディスを押しのけると、取り乱すこと無く、癒しの魔法をフェリスに掛け始めた。
「マディス君。安心なさい。命に別条はありません。見た目ほど傷は深くありません。軽傷です。フェリスも神官の端くれ、防御魔法で攻撃を軽減させたのでしょう」
治療しながらマディスに説明するラダン。それを聞いてマディスは心から安堵した。ラダンはフェリスの治療を終えると、倒れているテオに気づき、彼の治療も行った。幸い、テオも致命傷では無く、特に問題はないようだ。一段落したラダンがマディスに問いかける。
「マディス君……これはあなたが?」
トロールを指さすラダンに対して、ゆっくりと頷くマディス。その瞬間、ラタンはマディスがテオの剣を装備していることに気づいた。
「マディス君! どうして普通の剣を手にしているんですか! 呪いが解けたのですか!」
この瞬間、ようやくマディスは自分がテオの剣を使っていたことに気が付いた。呆然としたままフラフラと呪剣を拾う。声はもう、聞こえなかった。
「一体どうして……呪いが消えてしまったんでしょうか……」
「いえ。拙僧が見るに……呪いが消えているようには思えませぬな。むしろ禍々しさが増したような気もします。正直信じられませんが、マディス君が呪いを制御してしまっているのかもしれません。聞いたこともない現象ですが……いずれにしてもその剣を君以外の方に触れさせるのはおよしなさい。危険すぎます」
マディスは試しにトロールの死体を軽く切ってみた。なんの抵抗もなく切れた。その切れ味は健在のようで、確かに呪いの力が失われたわけではなさそうだ。
マディスはラタンに、呪いの剣が自分の破滅を求めていることを、話そうかと思ったが、悩んだ末に話さないことにした。ラタンもフェリスもそれを知れば、全力で呪いを捨てさせようとするだろう。
自分自身も、この呪剣が、友人などではなく、危険極まりない代物だと理解したが、結果的にはこの力に助けられた。冒険者初日も、そして今も。だがもうフェリス達とは一緒に居られないとも思っていた。自分の呪いがもたらすかもしれない破滅に、二人を巻き込む訳には行かなかった。
マディスはフェリスの言った通り、自分はこの呪いに、魅入られてしまっているのかも知れない、と思ったが、どうしてもこの剣を捨てる気にはなれなかった。この剣が何なのか、不安はあったが、今のように、呪いの力を制御、或いは利用することが出来れば、魔物達を倒す大きな力にもなると思ったからだ。マディスは、自分はこの呪われた剣と共に生きるしかない、と悲壮な決意をしたのである。
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