第17話 教会組織
それからフェリスは、マディスを引きずるようにして、ラタンの下に連れていき、許可を取った。ラタンは弟子の善行を喜んだが、マディスの表情から事情を察し、こっそりとマディスに謝罪してくれた。
「どうやらあれが強引に決めたことのようで、申し訳ない」
「い、いえ。文字を習いたかったのは事実ですし、無料で、ということですから僕も助かりました」
こうして、マディスはフェリスから読み書きを習うことになった。フェリスは読み書きとともに様々なことを教えてくれた。教会のこともその一つだ。そもそも教会というのは、大陸北部の聖地に、本部である大聖堂を置き、大陸の全土に聖職者を派遣している組織だ。
聖職者のトップは教皇と呼ばれ、それに次ぐのは、大司教で、大陸各地の国々に一人が派遣され、その国の教会を統括している。その下には司教、司祭と続き、最も下の位が神官だ。
「なんだか冒険者ギルドみたいだね」
「ええ、そうね。国家以外でまとまった戦力を保有しているのは、冒険者ギルドと教会だけよ」
教会もまた、冒険者ギルドと同様に、国の権力とは距離を置き、独自の軍を保持していた。各地の大司教達が治める聖堂には、教会軍の兵士と聖騎士達が常駐し、信徒達を保護していた。また大聖堂には精鋭部隊である、聖堂騎士団が聖地を守護し、その軍事力は一国に匹敵すると言う。フェリスはこういった一般教養をマディスに懇切丁寧に教え込んだ。
紆余曲折あったが、二人の関係は良好となった。多少思い込みが激しい所はあるが、根は善良で優しいフェリスに、マディスは素直に打ち解けた。人に優しくされた経験が極端に少ないマディスは、こういった善意に弱かったのである。またフェリスも、マディスのことを弟のように可愛がり、甲斐甲斐しく面倒を見ていた。姉弟のように話す二人を見てラタンは安堵した。
「フェリスやラタンさんは、なんで神官なのに冒険者をやって旅をしているの?」
「私たちは実践派といって、教会からは距離を置いた一派なの。実践派の開祖『反骨の聖者』ワレスト師は、元々は教会の司教だったのだけれど、教会内部の腐敗を批判して野に下ったの。ワレスト師は『聖地や都市に引きこもり王侯貴族のように振る舞うなど言語道断。神に仕える者達は市井の人々を救い、魔物を滅することこそが使命』そう言って各地を巡りながら、人々を癒し、魔物を退治して回ったわ。師は冒険者ギルドの創設者の一人でもあるのよ」
ワレスト師を慕った多くの聖職者が、師の考えに賛同し、同じように教会から離れた。彼らはやがて『実践派』と呼ばれる一派を形成した。今も、実践派の神官達は皆、冒険者として各地の魔物を退治しながら、人々を癒す旅を続けるのだという。
彼らのローブが灰色なのも、純白の衣装を旅の汚れにより、すっかり灰色にしてしまったワレスト師にあやかってのものだ。教会と実践派の仲は、お世辞にも良いとは言えず、かつて激しく対立した時期もあったが、大国や冒険者ギルドの仲裁もあり、今では和解が成立している。
以後マディスは毎日、午前はフェリスから読み書きと宗教関係中心の一般常識を教わるようになった。午後はこれまで通り魔物狩りを行い、日々の糧を稼ぐのだが、あれ以来、呪剣を使うことに忌避感のあったマディスは、その戦闘方法を変えていた。
といっても、呪われた剣を外すことはできない。かつてガルドに聞いていた通り、用を足す時や、着替えるときなどに、一時的に手放すことはできるのだが、そのまま意図して置きっぱなしにすることは、どうしてもできなかった。どこかに忘れることもないので、考え様によっては便利だったが。
それでも色々と試すうちに、一つだけ抜け道を見つけることができた。まず、マディスはショートソードを購入して、副武装とした。そして呪剣を右手で持ち、左手でショートソードを持つ。これなら左手の武器で攻撃を行うことができる。マディスは以前、ガルドの店で盾を装備したことを思い出し、盾が持てるなら他の物でも持てるのではないか、とこの方法を思いついた。
なお、右手の呪剣と左手の物とを入れ替えることは出来なかった。マディスの利き手は右のため、あくまで右手に装備するものが主武装だと、呪いの制約が判断しているらしい。
マディスは当面の間、右手に呪剣、左手にショートソードという双剣スタイルで魔物狩りを行うことにした。ただし振るうのは左手の剣だけだ。この状態で魔物と対峙し、呪剣で攻撃したくなる気持ちを押さえて、左手だけで戦った。
今まで、呪剣の威力に頼ってきたマディスは、ゴブリン相手にも苦戦した。利き手とは逆の左で戦っているから尚更だ。これまでのように、一撃で仕留めることはできず、ゴブリンの反撃に合うこともしばしばあった。
だがその思惑とは別に、マディスはこの戦い方を通じて、回避や防御といった技術と左手で剣を扱う技能を会得していった。
この突然の戦闘スタイルの変更に、他の冒険者達は戸惑った。これまでは一日に三十匹はゴブリンを仕留めていたマディスが、その戦果を減らしてまで、変則的な戦い方を始めたからだ。呪剣を使うことを躊躇っているとは思わなかったのである。呪いが嫌になったのなら解呪すればいいのだから。
そしてこのマディスの行動は、思わぬ噂を冒険者の間に生んでいた。
曰く、件の呪い戦士は今、ゴブリンを長く苦しめ、じわじわと嬲り殺しにすることにご執心らしい、と。
マディスの涙ぐましい努力は、かえってその悪名を広める結果となった。