第15話 忌まわしい力
ガルドの店を飛び出したマディスは、ふらふらと街中を歩いていた。普段は宿とギルドを往復するような生活で、碌に街を歩いたことも無かったのだが、今は魔物狩りをするような気分に慣れず、行く当てもなく彷徨っている。
(悍ましい)
(呪いに支配されている)
(いずれ魔物同然となる)
先ほどのフェリスの言葉がぐるぐると頭の中を駆け巡る。
自分が周りから気持ち悪がれていたり、アブナイ存在だと思われているのは、マディスとて承知していたが、明確に拒絶や否定の言葉を浴びたのは初めてのことだ。それがマディスを苦しめていた。ひたすらに下を向きながら歩いていると、マディスの視界に白いハンカチが舞い込んだ。目の前を歩いている女性が落としたようだった。マディスはハンカチを拾い上げると女性を呼び止めた。
「あの……落としましたよ」
「あら、これはどうもすみませ――ひっ!」
ハンカチを受け取ろうとした女性が、マディスの顔を見た途端、その顔を恐怖に歪め、息を飲んだ。彼女は昨日、城門での一部始終を目撃していたのである。女は硬直したまま化け物を見るような目でマディスを見ていたが、我に帰ると、ハンカチも受け取らず一目散で逃げ出した。
「…………」
マディスは逃げていく女の背中を呆然と見ていた。
(何なんだ? まるで魔物を見るような目で僕のことを……僕が何かしたのか? 僕はそんなに間違ったことをしているのか? 僕は毎日命がけで魔物を狩って、この街を守るのに貢献しているじゃないか! なぜあんな目で見られなきゃいけないんだ!)
マディスの心の中を、怒りと悲しみが駆け巡った。どす黒い何かが、マディスの全身を満たしていくようだった。
『……そうだ、殺せ。汝の敵を……汝を虐げるものを……汝を恐れるものを……皆、殺してしまえ!』
不思議なことに呪いの声が、いつも以上にはっきりと、聞こえてきた。これまでの単調とした調子でなく、まるでマディスの心に寄り添うように、慰めるかのように、語りかけてきたのである。その声はとても甘美に聞こえた。
(僕は既に魔物になってしまったのだろうか)
マディスは往来の中で呆然と立ち尽くしていた。すると
「へへ。あんちゃん、ふられちまったなぁ。今時あんな手で女をひっかけようなんざ、古いぜ。へへ!」
酒に酔っているのだろうか、風体の上がらぬ若い男がマディスに絡んできた。男は酒臭い息をマディスに吹きかけながら話しかけ続けたが、マディスは意を解さずその場に立ち尽くしていた。無視されたと思った男は怒り、次第に語気を強めた。
「てめえ! シカトしやがってふざけるなよ!」
男は胸倉をつかみマディスに詰め寄った。その瞬間マディスの手が剣の柄に伸びた。
「そこまでにしておけ」
気が付くと、間に男が割り込んでいた。レオンだった。マディスの手を制止させ酔っ払いを引きはがした。
「冒険者に喧嘩を売るとはいい度胸だ。死んでも文句は言えんぞ」
銀級冒険者の凄みに男の酒気は一瞬で吹き飛び、声も上げずに逃げ出した。
「危ない所だったな。あの男を切り捨てていれば、私でも庇えなくなる所だったぞ」
レオンは、様子のおかしいマディスを危ぶみ、立ち話も何だから、と近くの飲食店へ誘った。既に朝飯時はすぎ、店内は閑散としていたが、話をするには丁度よかった。レオンは適当に茶を注文し、黙ったままのマディスに語りかけた。
「偶然、私が通りかかって良かった。チンピラとはいえ冒険者が非武装の人間に危害を加えるのはまずい。重罪になる。ましてお前は呪われている、危険人物として極刑もあり得た」
レオンの言葉にピクリと反応すると、マディスはようやく絞り出すようにして、俯いたまま言葉を発した。
「……やはり、この剣は、呪いは、忌まわしい力なんでしょうか……」
それを聞いたレオンは内心(――それはそうだろう。呪いなんだから。忌まわしく無い呪いってなんだ?)と思っていたが、マディスを刺激せぬよう、どうしたんだ急に、何かあったんだろう話してみろ、と質問には答えず優しく問いかけた。マディスは今朝の一部始終を話した。
話を聞き終えたレオンは、運ばれてきた茶を飲みながら慎重に言葉を選ぶ。
「うむ。それはお前にとって堪える話であったろうな。だがな、お前を否定しているわけではないが、その女神官が、特別偏狭なわけではない。聖職者ならば皆そう答えるであろう。過激な考えの者であれば、問答無用で解呪、下手をすれば攻撃されかねぬ。お前は教会とは少し距離を置いた方が良かろう」
俯いて押し黙るマディス。
「だがな、力というものは、使い方次第で善にも悪にもなる。いくらお前が呪いの力で強いといっても、所詮は新米冒険者よ。あまり大きな声では言えぬが、私と同じ銀級冒険者でもその義務を果たさず、力を濫用する者もいる。そういった者達の方が、魔物などよりよほど脅威だ。お前が街中で暴れたとしても、今のお前の実力では、衛兵達に囲まれればそれで終わりだ。だが上級冒険者となればそうは行かぬ。私が全力で暴れれば、この街の衛兵隊は半壊するであろうな」
顔を上げてレオンを見るマディス。冒険者の上位層はそれほど強いのか、と驚嘆していた。レオンはうまくマディスの興味を引けたと思い、そのまま続けた。
「お前に比べれば、私の方がよほど化け物よ。さて、お前が街の中心部まで来るなど珍しいことだ。折角だから、近くの商業ギルドにでも行ってみたらどうだ? 前も言ったが、お前は読み書きができぬであろう? 商人達に頼めば有料だが読み書きや計算を教えてくれるぞ。書物を読み、知識を蓄えるのも冒険者には必要だ。呪いの力が何なのかもわかるかも知れんぞ。私はそろそろ行く。勘定はしておくからゆっくりしていけ」
そういって席を立つレオン。レオンは魔物狩り以外のことをマディスに行わせ、鬱屈した思いが暴発しないように仕向けた。残されたマディスは、すっかり冷めてしまっているお茶を飲み、一人呟いた。
「呪いを知る……この力がなんなのかを」